文や写真のブログ

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メダカ

2020年01月30日 | 日記

世界でキリスト教徒は20億人、イスラム教徒は16億人、ヒンドゥー教徒は9億人、仏教徒は4億人いるそうです。
仏教徒より5億人多いヒンドゥー教徒にとって「四住期」が人生の理想的な過ごし方と考えられています。
①学生期は学びの期間 ②家住期は結婚し子供を育てる期間 ③林住期は財産や家族や社会的義務から解放され人里離れて暮らす期間 ④遊行期はこの世への執着を捨て、乞食となって巡礼し歩き続ける期間。
この過ごし方を、今の日本人に当てはめると ①学生期は大学を卒業する二十歳過ぎ位までの期間 ②家住期は60歳で会社を定年で辞めるまでの期間 ③林住期は60歳から70歳までの期間 ④遊行期は70歳以降の過ごし方だと、おおまかに言えると思います。
私の年齢は④遊行期にあたり、この世への執着を捨て乞食になる時期にもかかわらず、昨年の暮れには年賀状を4通も書いてしまいました。
ヒンドゥー教徒からこの行動を見れば、この世への執着を捨てておらず「人間の屑」だと言うでしょう。
昭和の女流作家、平林たい子さんは「とかくメダカは群れたがる」と言っており、70歳過ぎても年賀状を4通も書く人間はメダカであって人間ではないと言っている様な気がします。
読書や思案を好む賢者は。、群れているより一人でいる方がむしろ楽しいと言っているのです。
乞食になる勇気もなく、ヒンドゥー教徒からは「人間の屑」だと言われ、平林たい子さんからは「メダカ」と言われつつ今年も生きていこうと思っています。

世界で無宗教の人は10億人でヒンドゥー教徒より1億人多く、仏教徒の2倍以上いるのです。
私の母も無宗教で戒名はなく、葬式にも焼き場にもお坊さんはいませんでした。
私が焼き場で骨を拾ったのは、祖母と父と母の3回です。
祖母も父も戒名があり、骨は普通に焼かれていました。
無宗教の母は戒名のある2人と違い、焼き過ぎの印象がありました。
3人の骨しか拾ってないのに、私に印象を言う権利は全くありません。
ひがみっぽい私の思い込み、誤りかもしれないと思っています。
しかし母の遺骨が多すぎて骨壺に収まらず、骨壺の蓋が1センチ程隙間があると、焼き場の職員は強引に蓋を押し込み、私の母の頭蓋骨が「ぐしゃっ」と砕ける音がしました。
私は「痛っ」と心の中で言いましたが、言葉として発しませんでした。
無宗教の私が、母と同じ様に蓋で頭蓋骨を砕かれた時、妻と娘達は声を合わせて「痛っ」と言ってほしいものです。

人生において最も多感な時期はいつでしょうか。
私の考えでは小学校時代はまだ子供です、高校時代は大人に近づいています。
中学1年2年はまだ少し子供で中学3年生15歳の時が1番多感で、その時代の空気に影響を受けやすく、犯罪人にも普通の人にも変わり者にもなる分岐点だと思っています。
私が中学3年生15歳の時、キューバ危機が勃発しました。修学旅行に出発する直前でした。
親に尋ねても、担任の先生に尋ねてもアメリカとソ連は核戦争になり人類は滅びるだろうとの事でした。
中学の同級生たちは「親も友達もみんな一緒に死ぬのだから死ぬのは怖くない。しかし修学旅行で富士山を見たかったし、赤門も見たかったし、国会議事堂も見たかった、出来れば修学旅行が終わってから死にたかった」と口々に言っていました。
人の生死を決めるのは、神や仏ではなくケネディ大統領とフルシチョフ書記官だと思い知らされました。
私と同級生の昭和22年生まれには、ビートたけし、高田純次、蛭子能収、泉ピン子、アニマル浜口、星野仙一、江本孟紀、福本豊、尾崎将司、鳩山由紀夫、許永中、三浦和義などがおり、どの人物も良くも悪くも癖が強く個性的であり、信心深い人間には思えない。
私と同じ無宗教な人間であるような気がしています。
15歳で死を覚悟した人間の困った特徴だと思っています。
私の母が15歳の時、日本海軍は真珠湾を奇襲攻撃し太平洋戦争が始まりました。


 


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