人間の生き方には、2種類の生き方があります。
日々の生活の中に生き甲斐を見つけ、何気ない日々の生活に満足して生きてゆく人間です。
日本人の99%を占めます。(残りの1%は変人、変わり者と呼ばれています)
たとえば、今度結婚した旦那がいかに高学歴で美男子で優しい人かと、友人に自慢します。
子供が出来ると、いかに頭が良くて言葉が早くしゃべれたとか、いかに可愛いか、友人に自慢します。
次に子供が小中高一体の有名私立校に合格した事を、友人に自慢します。
次に子供が有名国立大学に合格した事を、友人に自慢します。
次に子供がいかに有名企業に入社したか、友人に自慢します。
次に子供が結婚すると新婦がいかに美人で高学歴か、友人に自慢します。
孫が出来ると、孫が有名私立幼稚園に入園したことを、友人に自慢します。
旦那が死ぬと、旦那の戒名がどれだけ立派か、友人に自慢します。
こうして人生を終える日本人が99%を占めるのです。(そんな気がする)
もう1種類の生き方は、危険な事をしつつ生きる人間です。
病気にならないと健康である事のありがたさは本当に理解出来ないし、貧乏にならないとお金のありがたさを本当には理解出来ない。
それと同じ理屈で、死の危険を感じる経験をしないと、生きているありがたさは本当には
理解出来ないのではないかと考え、あえて危険な事をする変人が1%います。
戦場カメラマン、戦場ジャーナリスト、レーサー、冒険家、登山家、動物写真家などです。
私が大学生の頃、危険な冬山登山や山スキーをしていたので友人から変人と言われ、結婚しても危険なパラグライダーをしていたので妻からも変人と言われていました。
私が一人で冬の富士山に登頂した時も、富士山頂からスキーで滑った時も、富士山頂からパラグライダーで麓まで飛んだ時も登山届など一切出しませんでした。
自分の行動は非常に危険で死ぬ可能性が高いことは充分に理解していましたが、たとえ死んだとしても自己責任だし自業自得だと思っていたのです。
遭難し救助隊出動となれば、他人に迷惑をかける事になるので「届」は出さなかったのです。
遭難して他人に迷惑をかけるより、一人静かに死のうと思っている変人を助ける必要はないのです。
イスラム国に拉致された後藤健二さんは「自分の行動はもちろん危険だが、何が起こっても日本政府に責任はなく、全責任は自分にある」とビデオで話した後イスラム国に潜入しました。
(11年前イラクで香田証生さんがテロ組織に拉致され殺害される映像がネット上に公開されており、後藤さんも同じ様にテロ組織に拉致され殺される可能性が非常に高い事を充分に分かっていたのです)
彼の意思を尊重し、日本政府はイスラム国との交渉を一切すべきではないのです。
ヨルダンの死刑囚との捕虜交換など求めるべきではないのです。
死の危険をあえて味わう事の好きな変人の命まで国が守る必要はないのです。
アラスカの熊の写真集を出版した動物写真家の星野道夫さんは、テントで一人睡眠中に熊に襲われ殺されました。
熊の写真を撮る時、星野さんは銃を持ちませんでした。
銃を持つと銃に頼って緊張感を失い、いい写真が撮れないそうです。
好きな都市はニューヨークだそうで、その理由は、いつ犯罪に巻き込まれて殺されるかもしれないという緊張感が好きだそうです。(篠山紀信さんとのテレビ対談での発言)
エヴェレストに3回登頂した加藤保男さんは、3回目の下山中に遭難し死亡しました。
落石の多い穂高の滝谷で岩登りをした時、ヘルメットをかぶるのを忘れたまま岩登りをした事があるそうです。
クライマーの内に「滝谷をヘルメットもかぶらず登攀している馬鹿がいる」という「うわさ」が広がりましたが、加藤さんは「その馬鹿は私です」と言えなかったそうです。
しかし自動車の運転ではいつもヘルメットをかぶるそうです。
ブレーキを踏むのが嫌いで直線のスピードのままで、カーブに突っ込む為内側の車輪が
路面から離れて、車体が大きく傾く事がよくあるそうです。
友人から山で死ぬ前に交通事故で死ぬのではないかと言われ、自動車の運転時はヘルメットをかぶるようにしているそうです。(私が加藤さん本人から直接聞いた話)