いろいろ
コミュニケーション
満足する人生
人とは 人生とは 生命とは
考えてみて、正直私の考えてるところの一部しか書き出せてない気しかしないけれど、
たいぶエッセンスは出てると思うし、随分私の中でも整理されてきてるし、それを踏まえた上で考えてみる。
今の日本の状況ってのは、非常によくない。
正味なトコ、100年に一度の不況とか言われてて、
いざなぎを超えたとか言われる好況?も、あくまで日本の長期的不況の中休みであった公算が高い。
日本が良かったのは、バブル前までで、
コストが先進国に追いついた時点で、製造業中心日本は非常に苦しい。
やけれども国内が1億人以上いたりして、案外国内市場で順繰り順繰り食べていけそうな気がしたりして、内需拡大やらといわれてはいるけれど、
過去の歴史を鑑みても、またこれからを見てみても、「外需」なくしての成長はありえない。
コスト高の商品は確かに高級品ではあるけれど、あくまでそれはニッチであって、市場を大きく支配するモノにはならない。
これからの日本の成長はムズかしく、豊かな生活なんて到底ってトコやね。
中国何億人が、スグさま先進国並みになって、ザクザク日本のモノを消費してくれるなら話は別やけど、もう少し先になりそうだもの。
その、もう少し、の間に生きる私。
なかなか苦しいね。
海外の低コスト製造に押されて、だからといって資源にも乏しい日本の中で、
数少ない資源である人も減っていく。
お年寄りが増えて、若年層への負担が相当増大する。
ありとあらゆる既得権益にメスが入るかもしれない。
村社会的日本システムが崩壊して(もうしてるけど、さらに壊れて)製造業におけるアドバンテージも段々と詰められていく。
その結果製造業が徐々にアメリカのように衰退した場合、金融やソフトウェアなどのような圧倒的優位を持たない日本はどうなる。
そのような全体としてはマイナス要素の強い中で、果たして従来通りの道筋が私に適用されるのか。
例えば、これからなら結婚、子育て、etc.
一応就職できたとはいえ、よくよく考えてみると、いつぞや不安定な業界やし、
これから果たして何十年と安定的な気がしない。
私は結構悲観的なほうやから、考えすぎてるんかもしれへんけど、
多分、相当ムズかしいような気がする。
私個人だけに関わる、将来的にやりたいことを挙げるならば、
ハミルトンの腕時計が欲しい、
ワークブーツが欲しい、
アルルに旅行に行きたい、
国内だけでも見所を制覇したい
よう考えたらこんなもんで、でもささやかなようで案外この4つを満たすことで精一杯かもしれない。
まぁ逆にいえば、この4つが揃えば、私個人のやりたいことはほとんど終わるワケなんやけど。
(これから増えていく可能性があるけれど)
反対に、私個人だけにとどまらないことのほうが重要で、
孝行したいなぁ、とか、子供もいるほうがいいなぁ、とか。
これがまた非常にムズかしい。全てをかなえるのは至難の技やろう。
しかもマイナス要件の多い条件でね。
どれかを取捨選択する必要があるんかもしれん。頑張っても・・どうやろう。
あと、私個人にとどまらない問題として、お墓の問題ってあった。
ありがたいことに?私は長男やから、お墓って結構問題やなぁ。ってざっくりうっすら思ってたんやけど、
しっかり考えてみるとかなりの問題。割とずっしりしてるよね。
でも、ちょっと調べたら、お墓の性質が見えてきた。
お墓って永遠性って感じるやん。
でも全然永遠でもなんでもないのよね。
結局は墓を継ぐ人がいなくなると、管理会社なりお寺さんなりの判断で合葬される。
永代供養ってよく聞くけど、これもお金を払った期間だけやってくれるだけで、金の切れ目が縁の切れ目。合葬される。
お寺さん内部にあるちゃんとお寺に手入れされて、永久に供養されてそうなどこかの家のお墓も、あくまでその土地を貸与してるだけで、金の切れ目が縁の切れ目。
そらそうや。いつまでもお寺さんも供養してられへん。
ある一定期間(何十年)したら、その供養という仕事から解放してもらわんとね。
つまり、お金を入れてくれる人がいなくなると、その墓は維持されなくなる。
不動産なり、人が持ってる資産なりと全く一緒やね。
お墓やからといって、永久的に維持されることはまずない。
ボッシュートされんねん。
なら、お墓の意味がないと私は思う。
記念碑的に相当年数維持されるならまだしも、そのうち撤去されるなら、
記念碑、あるいは記念プレートサービスにでも名前刻んでもらったほうがよっぽどいいし、
(そういうサービスがあるのかは全く知らないけれど。)
そのお墓にかけるお金を生前使って楽しんだのがいい。
お墓は死んだ人のためじゃなく、残された人のためのもんやってよくいうけど、
まさにその通りなんやろうね。
残された人が、その人の存在があったことを確認する寄りしろとして使うんやろう。
ならそれこそ、簡単な位牌でイイと思う。
そのほうが身近に置けるしエエやん?
だから仏壇もいらんし、ほんまに位牌でエエわ。
じゃぁ遺骨はどうなるって話もあって、結局いつの日か合葬されるんやったら、
自分の好きな場所に合葬して欲しいし、それを選ぶ旅ってのもエエかもしらん。
でも、それまで一時的に墓に入れられててもコストが無駄な気がする。
墓を管轄してるってだけで、そんな思い入れもないお寺で合葬されてもねぇ。
まぁ人それぞれなんやけど。
私は、(今のトコ)そんな気がする。
幸い私は、本家ではない(苗字の本家でなく、祖父が抜けた?)から、
多分祖父の立てた墓?で、そない歴史もないやろうし、気楽に考えようかな、というのが今の結論やね。
人間死んだらなんもようわからんワケで、そういう今述べたような墓の維持に関する情報を聞いてから
(本当に真実かはまだ未確認やから、誰か賢い人に教えて欲しいトコロやけど)
余計に墓はいらない気になってきたわ。。
やからあれやね。
墓を作るくらいなら、なんしか前人未到の記録(なんでもいいけど)を作って、
名前を記念に残すってのがエエかもしれんね。まぁいうても、そう簡単なもんやないし、でも、そのほうが墓よりはよっぽどエエね。
逆に、そういうのを老後の楽しみに生きるのもエエかもしらん。
とにかく、そういうマイナス要件の中で、いかに効率よく生きるか、後悔の少ない満足した人生を送るか。
そういう意識を常にもっておく必要があるし、今からどんどん練っておくべきやね。
まぁ、なんとなく決まってるけどね。
取捨選択は取捨選択でも、そのバランス。これが重要や。
たとえどんな選択肢になっても、その中でなるべくベストをやね。
必ず選択には影の部分がある。でも、その影を悔やむ気持ちすら
人とは 人生とは 生命とはで少し述べたように、人間のシステムやと割り切ることやね。
そう簡単やないけどね。
全てはシステムの上にある。
結局は、日本経済も群淘汰というシステムの波に今もまれていて、
お墓も人間の感情というシステムの一環であるし、それを収めるシステム部品に過ぎないね。
ありとあらゆるものがそう出来てる。
生きる、ことそのものがそういうもんやね。
人生死ぬまでの暇つぶし。うまく潰したいもんや。