HRJ 中央突破 の日記?雑記?備忘録?

・・・monument of me! Hasta la vista,baby...

言葉遊び

2013年11月06日 | 書き残したいメモ?
全てはそういうもんだから。これが全ての答えだと思っている。

そこに全てを集中してしまえばいいんやけど、それだとあまりにさっぱりしている気がして、
人間にしがみついている。そういう言い方は、美化しすぎかな。

そうやのね。縛られている。図らずも。
今日そういうことをふと考えた。

やっぱり私自身はかなり弱い人間らしい。
否定されるとツラいから、否定されないように包み隠す。
否定されたことに気づかないくらいのズブとさが必要。

否定されることに気がつかないということは、いわゆるイタい人になる。

イタい人は一見かわいそうに見えるものであるが、
決してかわいそうではない。
負け組に見られがちであるが、そんなことはないような気がする。

だって、普通の人はイタい人に絶対に勝てない。
勝つか負けるかは、相対的であるから。

そこまで自分を昇華?降華?できない時点で、もうどうしようもない。手のうちようがない。

だからもうどうしようもないと、諦めるのがオトナってもんさ。
そういう逃げ方もあるし、逃げというと整理が悪いので、理解してしまうという表現でもいい。

理解してしまうというか、ハコに押し込めて、理解したような気になればいい。

認知的不協和ってことを、どうにかしてなんらか形にして当てはめて、
自分なりの解を導こうとする。

考えってのは言語化されてしまうので、どうしても言葉にかたちどられて、
意味を固定化されてしまう。

そうしていろんな葉々を切り捨てて、一本化して、わかったような気になる。
それはわかったのか?わかっていないのか?
はっきりしないし、はっきりするもんではない。

だから結局、解なんて基から存在しないような感じがするが、

まぁ、難波友あれ、こういう全ての言動が、
何よりも、私を言葉に縛りつけていくフシがある。

そして、言葉をあーかな、こーかな、とこねくりまわして、
結果的に何がしたいのか。

言葉遊びの域を出ない。
言葉で装飾する、その根本はなにかを考えていきたい。


書き残したい記事

2013年06月01日 | 書き残したいメモ?
過去のメモを何年かぶりに見てみた。

いやーなかなか恥ずかしい内容ではあるね。拙いわー。でも、今考えても、そうあながち違うことも書いていないし、
私の心の芯のほうは、ブレていないんだな。と感じた。

人間ただの糞袋ってことかな。(違うな。)

最近はツイッターにメモ程度に吐けてしまうことが多く、
あまりメモってないので、ごくごく最近のつぶやきを下記しておこう。


強者と強者に挟まれて、何をしろというのか、その葛藤が仕事とも言える、と解釈せざるを得ないし、そうして逃げないと頭イカれまっせ!・・・・仕事に追われてはならない、利用する他にはない。とまた逃げてみるしかない。ドツボにはまるまで。


他人を気にする性分である限り、幸せは訪れないような気がする。自分のアイデンティティーに盲目的であれば?まぁなかなかそうなるとそれはそれで難しいよね、、


いろんな人にはからずも支えられて今があることを痛感。文句垂れれる身分じゃないな。身の程をしるべし!再認識の一日でした


過去への遠い旋律 -若槻千夏不敗説-

2009年04月21日 | 書き残したいメモ?


からくりによって、
過去を思い出す昨今。

だんだん過去に縛られるようになって、
拓ける?未来よりも過去を見る自分が、
年とったなぁ、とは思いつつ、

過去、やり残したこと?はないかと仕事の合間に考えた。(昼休み

そして気がついた若槻千夏。





蘇る黄金の旋律。





ホンマに5年前くらいまで、
若槻黄金時代や。

エエ感じやったもの。

握手会に一番人を呼ぶアイドルとして名を轟かせたあの時代。


今も忘れられない、これからも続く?ゴールデンメロディ。







よって、やり残した?こととして、
あるいはこれからやるべきこととして?

若槻を挙げることにした。





過去を埋めていく。

これぞ、これからのやりたいことかもしれん。

新しいことにチャレンジする元気もないし、
逆に埋めていく楽しみもありかもしらん。





そこでまずは、写真集を買おうか検討中や。。
資金難だったあの時代。
今こそリベンジの時?
大人買い?や。。
でも生活費がカツカツや。。

からくりも結局買ってもうたしね。^^





人とは 人生とは 生命とは ~4:将来設計?私の生きる日本の時代?とお墓?

2009年02月06日 | 書き残したいメモ?



いろいろ
コミュニケーション
満足する人生
人とは 人生とは 生命とは

考えてみて、正直私の考えてるところの一部しか書き出せてない気しかしないけれど、
たいぶエッセンスは出てると思うし、随分私の中でも整理されてきてるし、それを踏まえた上で考えてみる。


今の日本の状況ってのは、非常によくない。
正味なトコ、100年に一度の不況とか言われてて、
いざなぎを超えたとか言われる好況?も、あくまで日本の長期的不況の中休みであった公算が高い。

日本が良かったのは、バブル前までで、
コストが先進国に追いついた時点で、製造業中心日本は非常に苦しい。
やけれども国内が1億人以上いたりして、案外国内市場で順繰り順繰り食べていけそうな気がしたりして、内需拡大やらといわれてはいるけれど、
過去の歴史を鑑みても、またこれからを見てみても、「外需」なくしての成長はありえない。
コスト高の商品は確かに高級品ではあるけれど、あくまでそれはニッチであって、市場を大きく支配するモノにはならない。
これからの日本の成長はムズかしく、豊かな生活なんて到底ってトコやね。
中国何億人が、スグさま先進国並みになって、ザクザク日本のモノを消費してくれるなら話は別やけど、もう少し先になりそうだもの。

その、もう少し、の間に生きる私。

なかなか苦しいね。
海外の低コスト製造に押されて、だからといって資源にも乏しい日本の中で、
数少ない資源である人も減っていく。
お年寄りが増えて、若年層への負担が相当増大する。
ありとあらゆる既得権益にメスが入るかもしれない。
村社会的日本システムが崩壊して(もうしてるけど、さらに壊れて)製造業におけるアドバンテージも段々と詰められていく。
その結果製造業が徐々にアメリカのように衰退した場合、金融やソフトウェアなどのような圧倒的優位を持たない日本はどうなる。


そのような全体としてはマイナス要素の強い中で、果たして従来通りの道筋が私に適用されるのか。

例えば、これからなら結婚、子育て、etc.

一応就職できたとはいえ、よくよく考えてみると、いつぞや不安定な業界やし、
これから果たして何十年と安定的な気がしない。
私は結構悲観的なほうやから、考えすぎてるんかもしれへんけど、
多分、相当ムズかしいような気がする。

私個人だけに関わる、将来的にやりたいことを挙げるならば、

ハミルトンの腕時計が欲しい、
ワークブーツが欲しい、
アルルに旅行に行きたい、
国内だけでも見所を制覇したい

よう考えたらこんなもんで、でもささやかなようで案外この4つを満たすことで精一杯かもしれない。

まぁ逆にいえば、この4つが揃えば、私個人のやりたいことはほとんど終わるワケなんやけど。
(これから増えていく可能性があるけれど)

反対に、私個人だけにとどまらないことのほうが重要で、
孝行したいなぁ、とか、子供もいるほうがいいなぁ、とか。
これがまた非常にムズかしい。全てをかなえるのは至難の技やろう。
しかもマイナス要件の多い条件でね。
どれかを取捨選択する必要があるんかもしれん。頑張っても・・どうやろう。


あと、私個人にとどまらない問題として、お墓の問題ってあった。
ありがたいことに?私は長男やから、お墓って結構問題やなぁ。ってざっくりうっすら思ってたんやけど、
しっかり考えてみるとかなりの問題。割とずっしりしてるよね。
でも、ちょっと調べたら、お墓の性質が見えてきた。

お墓って永遠性って感じるやん。
でも全然永遠でもなんでもないのよね。
結局は墓を継ぐ人がいなくなると、管理会社なりお寺さんなりの判断で合葬される。
永代供養ってよく聞くけど、これもお金を払った期間だけやってくれるだけで、金の切れ目が縁の切れ目。合葬される。
お寺さん内部にあるちゃんとお寺に手入れされて、永久に供養されてそうなどこかの家のお墓も、あくまでその土地を貸与してるだけで、金の切れ目が縁の切れ目。

そらそうや。いつまでもお寺さんも供養してられへん。
ある一定期間(何十年)したら、その供養という仕事から解放してもらわんとね。

つまり、お金を入れてくれる人がいなくなると、その墓は維持されなくなる。

不動産なり、人が持ってる資産なりと全く一緒やね。
お墓やからといって、永久的に維持されることはまずない。
ボッシュートされんねん。

なら、お墓の意味がないと私は思う。
記念碑的に相当年数維持されるならまだしも、そのうち撤去されるなら、
記念碑、あるいは記念プレートサービスにでも名前刻んでもらったほうがよっぽどいいし、
(そういうサービスがあるのかは全く知らないけれど。)
そのお墓にかけるお金を生前使って楽しんだのがいい。

お墓は死んだ人のためじゃなく、残された人のためのもんやってよくいうけど、
まさにその通りなんやろうね。
残された人が、その人の存在があったことを確認する寄りしろとして使うんやろう。
ならそれこそ、簡単な位牌でイイと思う。
そのほうが身近に置けるしエエやん?
だから仏壇もいらんし、ほんまに位牌でエエわ。
じゃぁ遺骨はどうなるって話もあって、結局いつの日か合葬されるんやったら、
自分の好きな場所に合葬して欲しいし、それを選ぶ旅ってのもエエかもしらん。
でも、それまで一時的に墓に入れられててもコストが無駄な気がする。
墓を管轄してるってだけで、そんな思い入れもないお寺で合葬されてもねぇ。

まぁ人それぞれなんやけど。
私は、(今のトコ)そんな気がする。

幸い私は、本家ではない(苗字の本家でなく、祖父が抜けた?)から、
多分祖父の立てた墓?で、そない歴史もないやろうし、気楽に考えようかな、というのが今の結論やね。
人間死んだらなんもようわからんワケで、そういう今述べたような墓の維持に関する情報を聞いてから
(本当に真実かはまだ未確認やから、誰か賢い人に教えて欲しいトコロやけど)
余計に墓はいらない気になってきたわ。。

やからあれやね。
墓を作るくらいなら、なんしか前人未到の記録(なんでもいいけど)を作って、
名前を記念に残すってのがエエかもしれんね。まぁいうても、そう簡単なもんやないし、でも、そのほうが墓よりはよっぽどエエね。
逆に、そういうのを老後の楽しみに生きるのもエエかもしらん。


とにかく、そういうマイナス要件の中で、いかに効率よく生きるか、後悔の少ない満足した人生を送るか。
そういう意識を常にもっておく必要があるし、今からどんどん練っておくべきやね。
まぁ、なんとなく決まってるけどね。
取捨選択は取捨選択でも、そのバランス。これが重要や。
たとえどんな選択肢になっても、その中でなるべくベストをやね。
必ず選択には影の部分がある。でも、その影を悔やむ気持ちすら人とは 人生とは 生命とはで少し述べたように、人間のシステムやと割り切ることやね。
そう簡単やないけどね。
全てはシステムの上にある。


結局は、日本経済も群淘汰というシステムの波に今もまれていて、
お墓も人間の感情というシステムの一環であるし、それを収めるシステム部品に過ぎないね。
ありとあらゆるものがそう出来てる。
生きる、ことそのものがそういうもんやね。

人生死ぬまでの暇つぶし。うまく潰したいもんや。







人とは 人生とは 生命とは ~3:コミュニケーション

2009年02月02日 | 書き残したいメモ?



人とは 人生とは 生命とは ~2:満足する人生において、
少しだけ述べたけれども、人とのコミュニケーション欲求ってのは、
かなり人間の根源的な欲求であって、かなりの人が求めるものだと思う。

それは、小さな子供から大人になっても変わらないもので、
多すぎても、逆に少なくても満足はしないかもしれないし、
その納得量?っていうの?そういうのは、人それぞれだと思う。

私の場合は、多分比較的少なめ?でも大丈夫というか、
大量にあったらあったでしんどいタイプだと思ってて、
適量ってのを常に模索?してる。

だから、大量にない分、一つ一つを大切、あるいは濃密にしたいタイプやと思う。自信はないけど。

でも、もはや今くらいの年齢になってくると、それもなかなかムズかしいってのもある。

子供の時ってのは基本的にいろんなしがらみ?がなくて、
純粋にコミュニケーションをとれたのかもしれない。
感情をぶつけるし、気ままに気の合う人と一緒にいる。

また、学校等、比較的コミュニケーションをとりやすい環境にもある。

しかし、大学・・・?はどうかわからんけど、
まぁ、子供から大人になるにしたがって、やっぱり純粋には交流はしなくなる。

いろいろ考えて、適当に付き合ったり、
雰囲気を読んだりしてね。また、感情をぶつけることもないやろう。
そうなると、深いコミュニケーションってだんだん少なくなるし、
さらに一人一人が大切になってくる。

そうやって、パートナーなり、家族なりの存在の大きさに気付くんじゃないかな。

あるいは、スゴく人間力があって、幅広い人脈に相当慕われてて、
まったく多彩なコミュニケーションをとってる人がいたなら、
案外、それはそれで人って満足できてしまうのかもしれない。


これはまた、話が違ってくるけれど、
ペットを飼うってのも、結局コミュニケーション不足による寂しさからくると思うねん。
寂しさをペットでうめる。
また、それが満足にいくなら、子供を授からない人らっていると思うし、
逆に家族をなくした悲しみからペットを飼う人っているもんね。
でも、それはそれで穴埋めになっているなら、それでいいのかもしれない。

もちろん、いろんなことにリスクがあってコストがある。
そのバランスやし、パートナーがいるリスク、コスト、メリット。
子供がいるリスク、コスト、メリット。
ペットがいるリスク、コスト、メリット。

バランスがムズかしいけれど、ありとあらゆることは、+と-で成り立ってて、
なにかがあったら、なにかがない。

命という熱量は、いつか覚める。太陽もいつか燃え尽きる。


そのアンバランスな中で、人は生きる。


コミュニケーションをとるってのにもちゃんとメリットデメリットがあって、
どちらが大きい小さいはもちろんあるけれど、

私は明らかに寂しがりだと思う、
しかも都合のいい寂しがりや(都合よく寂しくないような対人関係がいい)で、
救われない寂しがりやなワケやけれど、
それはそれなりにリスクテイクして、メリットをつかみとらないとね。

今、自分が置かれている状況を見極めながら。







人とは 人生とは 生命とは ~2:満足する人生

2009年02月01日 | 書き残したいメモ?



人とは 人生とは 生命とは ~1で書いたように、

「満足する人生、これはなかなかムズかしいけれど、せめて後悔の少ない人生。」

これを目標とする場合について考えてみる。


昨今の高度情報化社会?(そんなに情報化してるとも思わないけれど)の中で、
しかも私はいろいろ考えるのが好きなタイプなので、
結構いろんなものの底が見える。

でもいろんなことが所詮は底があるものだと、あしらって何もしないのも、
それはそれでありだと思うし、それはそれで真理だと思う。
だって所詮その程度のものなんだもん。

今まで私は、どちらかというと、全てではないけれど、
比較的そういう考え方でいろいろ流してきたタイプや。

でも、改めてしっかり考えてみると、人とは 人生とは 生命とは ~1でもいったように、
所詮人間というシステムにのってるもんで、
システムにのっている以上、システム上でベストと思われる行動をするべきやろう。

システム上である、所詮はシステムによって感じるものではあるんだけれど、
システムでしかないものだけれども、そのシステムにしか生きれない人間だからこそ、
そのシステムによって、満足する選択肢、後悔の少ない選択肢をとるべきだろう。

そう思うと、まずは手短に出来る感謝を伝えるということから始める。

ありがとうってことを思ってるのに、言われなかったら後悔しそうやん?

みんなありがとう。まずはここからやね。


あといろいろ考えてみたけど、今のトコ、親孝行かな。
身近な人が悲しそうで、自分がそれを少しでも回避させられたのに、それを怠ったりしたら。
それは後悔しそうやん?

これは親に限らずやけどね。
恋人でも、友達でもエエけど、誰かに孝行できたのに、しなかったら。とかね。
してあげたらよかった。これは一番ありそうや。

親孝行したいときに親はいないってよう耳にするしね。
後悔のないように、少しでも軽減できればいいかなぁ。


そして案外考えてみたら順位が低かったのが物欲。
買えばよかったって、そんな後悔することってある?

あとは、食欲もあるよね。
でも、これも案外低いかもしれない。
物欲も、食欲も、やっぱりある程度底が知れてるもの。

やっぱり、一番はコミュニケーション関連や。
家族、恋人、友人。そういうのが一番やね。


コミュニケーション。

当然、人間というシステム上とても重要であるがゆえに、
この欲望は、睡眠欲、食欲、性欲に匹敵するほど、
人間にとって重大なものだろうと推測できる。

やから、そういう意味でのコミュニケーションの不満足?による後悔ってのも避けたいね。
寂しいってこととかね。

そうなると、
今からかい!って話やけど、老後の寂しさったら悲しいやろうと。
どう考えてもコミュニティの不足が考えられるし、
結婚などしていなかった場合はなおさらや。子供がいなくてもなおしかりやね。

また、当然、一人暮らしになった場合もそうやろう。
相談できる人や、普段の話する人がいないそれだけでも十二分につらいやろう。
そういう意味では、結婚ってのも悪くないかもしれない。

あるいは、先述した親孝行って意味でも、結婚は該当するやろうし、
加えて子供っていうのは、「生をつなぐ」という、「生きる」ことに次ぐ、
さらに根源的な欲求にも応えるものやしね。

やから、最近は子供も欲しいし、結婚もしたくなってきた。

ただ、結婚というのは、赤の他人が一緒に暮らし、協力していくという、
非常にハイリスク&ハイストレスなものでもある。

めちゃくちゃ相性が良かった場合は、お互いにローリスクハイリターン。
ローストレスでいいことだらけやけど、
これはなかなかムズかしいねぇ。
逆に相性が悪かった場合、状況は悪くなる。

それでも、いろいろ考えても結婚は最近は随分見直してきたね。

「満足する人生、これはなかなかムズかしいけれど、せめて後悔の少ない人生。」

これには、パートナーって必要かもしれん。

しかし、パートナー、子供には相当のコスト(物理的コスト、精神的コスト)が必要であるし、
私にそんな膨大な物理的精神的コストを支払う能力があるかと自問自答してみても、
必ずしもあるようには思えない。

いろいろそれをサポートする社会的システムも崩壊しつつあるしね。
景気が悪いし、日本の見通しは決して明るくないしね。

・・・相性のイイ人。そんなん見つかるんかなぁ。

誰か紹介して欲しい・・・。




人とは 人生とは 生命とは ~1

2009年01月30日 | 書き残したいメモ?



倉敷の時もそうやし、過去の整理の時もそうやけど、
やはり最近はよく過去を振り返る。

そして今まで考えなかったこと、あるいは、考えておきたい?ことをあえて掘り返してみるけれど、
やっぱり生命とは、とか人生とは。とか。

案外考えていそうで、そうでもない。
のほほんといってしまえば言葉は悪いけれども、深く考えたと自信を持って答えられるほど、考えたことはないかもしれない。

そこで考えてみると、そうして考えなかった原因がはっきり見えてくる。

それは「死」について、認識することもなく生きてきた、ということに大きな要因があるのかな、と感じたね。

そういうようなことを、こういう時期になって結構意識するようになって考えてみて、ある程度の結論が出たワケやれれども、
まぁ2年前にも少し書いたことと、
そこからさらに二歩くらいは進んだ答えに、今はなってるように思う。

2年前は、単に自分が無になるのが怖いかな。
なんてくらいしか考えていなかったけれど、
もう今は死ぬのは怖くは無くなってきたね。

無になるとはいえ、結局は寝てるのと同じやん?
寝てる間って寝てる意識はないし、別になんということはない。
ただ、それだけの話やね。
ただ、それだけやと思えば、怖くはないね。毎日死んでるようなもんやん。
でも全く怖くないかというとそうでもなくて、後悔して死ぬのはちょっと嫌かな。

怖くなくなってきたけれど、まだ、嫌かな。
嫌、と思わなくなった時が死に時や。
まぁ、こないかもしれへんけど、少しでも嫌じゃないときがエエね。

そう、怖いというか、満足して寝たい。そういうことやね。
満足ってムズかしくて、やっぱり後悔しないのが大事や。
「後悔したくない人生」これは2年前も共通してることやけどね。


では、人生とは何か、人ってのはなんなのか?

これはなかなかムズかしい問題で、
結論なんてないもんやね。

だけど、結論の一歩手前、章のまとめ?みたいなもんやけど、

あえていうなら、人とは生物であるということやね。

生物は必ず死ぬんやね。
熱を持つものは必ず冷える。
今、少なくとも我々の認識できる世界は、全てこの「システム」にのっとってる。
太陽は燃えているけれど、いつか燃え尽きる(はるか先)

その太陽の熱を受け取って、
地球に生まれた「生物という地球の一部のシステム」。
そのシステムのごくごく一部の生物。これが人間であって、
それ以外の何者でもないんや。

システムなんやもの。

宇宙というシステムの一部としての地球、その中の生物システム、生きるという目的のシステムなんやね。

ただ、全てのモノは、システムである。これが今言えることであって、
このシステム自体に特に意味はないねん。
あるいは、あるんかもしれへんけど、きっとそれは人間の考え付くものを超越したものやろうね。
全ての事象はシステムやねん。

そして人間は、その生きるという目的に対して、便利な機能(感情、群淘汰)を備えてる。
群淘汰のシステムを採用することで、生物としての群体を維持する。
感情によって、生きるために大切な行動をする、群の維持に貢献する。

死ぬ、これは単純に生物として効率的に生きるという目的を達成しようとするシステムのために採用された、
それも群淘汰というシステムの一部なんやね。
人間という生物群が生きるために、みんな死ぬ。そういうことやね。

生きる、これは生物の根源的な目的であって、死ぬ、とは相反するんやけど、
地球という限られたパイの中で、人間という群体が生きるには必要やってことやね。


ただ、人間という大きなくくりで考えずに、個人で考えると、
やっぱり死ぬことは、生きるという目的に反するために、人は死からの逃避を企てるし、そこからうまく逃げて(考えない、忘れる)ようにして日々生きている。

これは、例えばパソコンなどのシステムのように、
人自ら変更できるものなら、変更したらいい。
人は細胞コピーの失敗によって老化し、死に至るので、
そこをはばむ何かしらの手段があれば、もっと長く生きられるかもしれない。
でも、現時点それはムズかしいし、逆に遺伝子をイジるということになった場合、倫理的にどうかって話も出てくる。
でも、倫理ってもん自体が、社会的生物である人間的システムなんやけど。

とにかく、そのシステムは変更することができない限り、人はそのシステムにのっとっていく。
人間を生かすために、人は死ぬ。

そうなるならば、どうするべきか。

やっぱり後悔しないように、生きれるだけ生きる。これやね。

後悔ってのは感情っていう人間上のシステムであるし、例えば楽しいことをやるっていうのも、結局はシステム上のことになる。
全てがシステムって考えたら、それはそれで悲しいものもあるんやけれど、
そのシステムに乗ってる以上、そのシステムの中で楽しむべき。そうやね。

死ぬときに満足して死ぬ。ならば、後悔しないようにする。
それらは全て人間的感情によるものがゆえに、つまり人間らしく生きて、システム上で楽しめるだけ楽しむ。後悔しないよう心がける。

これが今のトコ考えられる、人生やね。

また、変わっていくのかもしれへんし、別にどれが真理ってこともない。

宇宙の謎はわからない。
システムやっていったって、なぜなのか、意味は?これもわからない。

そもそも、こうやって宇宙の謎を考える、意味づけしようとすること自体、
人間が生きる上で便利なシステム機能やもの。
ちゃんと考えて、また、意味づけすることって生き残ることにプラス作用をもたらしやすい。
ただ、それだけのことやね。

なら、そんな考えても仕方ないことを考えても、無駄ってことや。
システムの中で、人間としてベストと思われるよう生きる。これやね。それが人生。それが人間。


では、なぜ私が今さらになって?こういうことを考えだしたかってのは、
結局最初のほうに書いた死について深く考える機会がなかったってことによるんやけど、
なぜなら、身内の死ってのがあんまりなかった。
昔買ってた金魚が死んだとか、亀が死んだとか、そのくらいのもんで、

悲しみだとか、虚無感だとか、そういう大きな感情を人間的にもたらす身近な人の死ってのがなかった。
今だに祖父祖母全員存命やからね。
それでも体のどこかおかしくなったり、いつ亡くなってしまうんだろう・・・そう思うけれどね。

そういうことが無かったから、あまり考えなかったし、やからかどうかわからんけれど、人生についてもあんまり考えなかった。

でも、私も大人の仲間入り?をして、
働くにあたって実家を離れる公算が非常に高くなって、
そんな中で改めていろいろ考えると、結局今のような話を考える。


今さらいろいろ考えて、えらい遅れてるなぁ、なんて思ったりするけれど、
みんな一応存命で、その結果、私が死について考えなかったんであれば、
生きてるんやし、それはそれでエエやんってことも思ったわ。


ただ、今考えてそう思ったなら、日々のことできっと忘れてしまうことが多いんかもしれへんけど、
少しでも心がけようってことやね。

例えば、親孝行とかね。

親が死んだら悲しいなぁ、とか、
今親が死んで後悔することはなにか、とか。

今まで完全に迷惑かけてきたし、ワガママやったな。とかね。

だから、今さら親孝行しないと後悔するな、と思ったりしてね。

そもそもそういう感情も、何度もいうように感情なんで、所詮はシステムなんやけど、
人間である以上仕方ない。後悔するのは仕方ない。
・・・それで悩みすぎて、自分の生きることに支障をきたしてるようじゃ、それこそ本末転倒な話で、悩みすぎはよくないんやけどね。

だから、とりえずはそうムズかしくない、
「感謝の言葉」ってのを大切にしようと決めた。伝えないと後悔しそうやん?
「好き」ってのも伝えないとね。

・・・みんなに伝えてたら気持ち悪いって言われたけどね。^^
でも、言われてそんな嫌な人はいないやろうし、言っとこ。


人生とは、人間というシステム上で楽しめるだけ楽しんで、後悔のない、満足するように生きる。
これぞ人生かなぁ。




趣味?趣向?の変遷? 

2008年12月22日 | 書き残したいメモ?
最近大人になったなぁ、と思うこと。と、生き様?で、少し最近大人になったなぁ、と思うことについて触れた。

まぁ確かに感情の起伏が落ち着いてきた、(とはいえまだまだ不安定やけど;;)
こととかあって、

あとは、あんまり人に話さなくなったな。
昔はよう人としゃべりたい、というよりか、
自分の話を聞いて欲しいってのがあったけど、
そういうのも多少落ち着いてきたかな・・?あんまりしゃべらなくなったな。聞く側にようまわるね。(とはいえまだまだしゃべりたいけど;;)


そこで、今度は、私の趣味について鑑みてみると、

今のトコロ趣味といえば音楽を聴くこと。
ヒマがあったら大抵聴いてるし、
あとは、昔からテレビを見るのが趣味?というか多いね。

そこに、最近徐々に、大学に入ってからかな。
読書が復活してきた。

中学あたりとか小説をよう読んでたけど、
今は小説は全く読まないね。

なんていうの?新書みたいなんとか、
なんとか論の入門書みたいなん?とか、
例えば今の情勢と批評したり解説したりしてるのとかね。
そういうのが面白いわ。

これも多少大人になってきたってことやね^^

というのも、いつやったかな。

「本を読んで学ぶことは多い。
本というのは、その著者が時間をかけて、労力をかけて書いたものが多いからだ。
中にはその人が人生をかけて学んでいることの、エッセンスを吸収できるものもある。
それを考えたら、本を読むということにかかるコストなんて安いもんだ。」

「活字に含まれる情報量は少ない。ただ、そこから得る情報は、どの情報よりも深く学ぶことができる。」

みたいなことをどこかで読んで、
そいでためしに少しづつ読み出したら
だんだん面白くなってきたというね。

ただ、やっぱりある程度そういう本って体力要るねんけどね。。読むのにね。

でも読む価値があるのはわかってきたね。


十代      テレビ マンガ 

十代前半    テレビ 音楽

十代後半    テレビ ゲーム 音楽 小説

十代から二十代 テレビ ゲーム インターネット 音楽

二十代突入   テレビ 音楽 読書           ←今ココ



こうやって見てみると、案外稚屈な趣味ばっかりやね。。^^;

しかもインドアばっかりやな。

もしこれから趣味?趣向が展開していくとするなら、アウトドアやな。


081208 過去の整理 ~カセットテープ編

2008年12月08日 | 書き残したいメモ?



ちょっと押入れも片付けた。
したら出てくるテープの山。

私は小学校の頃は自分のテープを持って、
お気に入りを入れて編集したり、
そしてお古のカセットウォークマンを引っ張り出してきて外で聞いたりしてたんやね。

するとあれやね。
かれこれ15年くらいウォークマン生活やね。。
耳悪なってんやろか。。

その当時のカセット。
或いは親の昔のカセットも出てきて、思い切って捨てようか?とも思ったんやけど、
案外掘り出しモンがあるやもしれんと懸命に視聴。

そして今日、ついにあらかた聞き終わった。

そいたらやっぱり出てきたね。
Symphonic 2000の華麗なるディスコ・ソウル・シンフォニー?ってアルバム?

いや、なかなかお気に入りなんはこれ以外にもいくつか出てきて、
Supertrampとかビリージョエルとかね。
ただ、これらは今でもおそらくCDで入手可能なもんやから、
私の欲しいもんリストに記載させるとして、

なかなか入手困難?かどうかはわからんけど、
あんまりCDになさそうなもんで、となるとSymphonic 2000やね。

ちらっと調べてみると、イギリスの管弦楽団で、77年にディスコ・コンチェルトって曲で少しヒットしたみたい。
そいらの曲を含むナゾのテープが出てきたんや。

しかも、どうやら親が保存したものではなく、
音楽好きな友達にもらったもんだそうで、
割とマシ?なテープに入れられていたせいか、そんなに音も悪くない。

やからパソコンに取り込んだよ。

今も聞いてるね。
こらなかなか名曲揃い。

Chuck Berryとかも出てきた。懐かすぎひん?


さすがに何十年と経過してると音もひどいのも多かったけど、
懐かしくてよかったわ。

でも逆に、私が昔一生懸命編集した曲たちは、もうすでにパソコンに入れたあるし、
音も悪いし消しちゃったね。。



080801-03 過去の整理 ~おもちゃとマンガ編~ 

080801-03 過去の整理 ~参考書とプリント編~

080722~CD整理のついでにゲーム整理~

過去の整理(CD)

最近大人になったなぁ、と思うこと。と、生き様?

2008年12月03日 | 書き残したいメモ?
最近大人になったなぁ、と思うことがあるね。

まぁ単純に大人になったなぁ、と思うことは多々あるんやけど、
特に最近よくそれを感じるわ。

特筆すべきはやっぱり感情の起伏が小さくなったことかな。
むかしより、感情がね、少し落ち着いたかな。。

これは基本ダレでもあることで、当たり前なことで、
むしろ歓迎すべきことかもしらん。

でも、少し悲しいのが、楽しい という感情がとりわけ薄くなったことやね。

昔は例えばテレビ見てるだけで相当面白かったし、
ゲームやっててもかなり面白かったし、
映画だけでも楽しめた。ちょっとしたマンガも面白かった。

でもね、最近は昔ほど面白くはない。
面白いは面白いんやけどね。
だからそれに対する熱意も下がってるしね。

代わりに、買い物に行ったり、
ちょっと誰かとおしゃべりしたりしてその一瞬の寂しさを埋めている時とかに
楽しいな、とふと思ったりする。

あとはあれやね。
バッドエンドが好きじゃなくなってきたね。シリアスエンドとかね。
昔は割と好きやったけど、
もはや娯楽においてまでそんなもん見たくないという。
ハッピーエンドがエエわ。ということやね。
こういう変化も当然、擦れてきたようなことやろうし、なんしかね。

良かったというか、本の見方はかなり変遷してるわ。
最近は少し、いわゆる小難しいような本が面白い。
著者が一生かけて勉強してることを紹介してるようなんとか、
その内容を簡単に説明してるようなんとかね。
そういうのが、面白くなってきたのは、エエことなんやろね。

あ、あとは、最近のTMの記事にもあるように、
もうすでに若干ではあるものの、過去に縛られ始めたと。
最近のムーブになかなかついていけない。

こういうのも、大人になったってことやろね。。

感情が落ち着いて、少なくとも人間らしくなってきて、いろんなものが見えてきて、裏が見えてきて、
規則的に動き始めて、昔よりは多少綺麗にして規則的になって、

そうやっていろんなものに関心がうすくなって、機械的に動いて、

だんだんそれも悲しくなってきて、なんとか自分なりに自分の生き様を見直すんやろうけど、
もはやその時には手遅れでね。

だから、底が見えているとはわかっていても、

それを見ないように、自分をしっかり持って、ある意味人を全く気にしないで、
割と唯我独尊的に?というか、人を気にせず、程よく自分勝手に自分のカラ内で楽しむってのは必要やということやね。

しかし、人間とはやっかいで、むしろ私かな。
やっぱり一人きりだと寂しいもんで、やっぱり誰かを巻き込んだり、
そしてそうすることでやっぱり再認識させられるしね。見えてくるものをね。

見えてくるものと、寂しさ、ここのバランスや。
寂しさを埋めると傷つくし、傷つきたくないなら寂しい必要がある。
そのアンバランスの中に人はいて、逆にいえばそのアンバランスが人間を発展させてきたんやろうけど、
一度しかないこの「生」を楽しむなら、それは邪魔なのよね。

どこで折り合いをつけるか。

自分にあるい程度催眠かけて、そのどちらかをなるべく気にしない。
これが幸せへの道なんかな。

あるいは、全く同じような人を探すか。

バランスよく自分勝手。これが近道かなぁ。



自分というものとコミュニティツールと趣味と

2008年09月19日 | 書き残したいメモ?
つまるところ、言葉の細かい用法とか、正確に意味を正しく理解し、また使えているのかといったことは、わからないけれど、

考えてみるだけ考えてみると、

自分が自分であるために、何が必要なのか。

何を失うとアイデンティティを損なうのか。自分らしくなくなるのか、自分でなくなるのか。

自分だ!と強く思うのいつか。


なかなか難しいトコやね。

ただ、だからといって、自分を失うってことは大変なことやし、重大な事案にも繋がりかねない。


そこで、自分を感じられるのはいつなのかを鑑みてみると、

やっぱり「人との関係」をもっている時だろう。

それが、今までだと学校であったりゲームであったり、あとは家族であったり。

友達や恋人、家族など、人とコネクトしている時がやはり基本的には楽しい時間だろうし、その時に自分を感じられると思う。


では、今後どうなるか。

やはり仕事の面でももちろんたくさんの人と関係が出来るとは思うけど、

それが果たして「自分」を感じるものなのだろうか。

仕事における人との関わりの中で、アイデンティティが形成されるのかどうか。

そこでもし、形成されるとするならば、それはそれで面白いのかもしれない。

でも、あまり仕事の中でアイデンティティを持てる人ってあまりいない気がするし、

現代の傾向として、仕事に自分を見出すこと「だけ」に肯定的な意見は、これまた少ないような気がする。


やはり、仕事はもちろん、それ以外においても自分を見出している人、これが充実した人なんではないだろうか。


正直まだ、仕事に見出せるかどうかははるか未知数で、

なかなか難しいトコロではあるけれど、今はなんともいえないトコやね。


では、今の時点でアイデンティティが存在する場所とは?


うーん、今現在一番身近な場所は家族だろうかね。

家族がいるということで、自分のアイデンティティを確認できる。

しかし、いつまでも一緒に住んでるワケではないだろうし、

また、新しい家族に恵まれる可能性、さらにはその中の新しい家族内に自分のアイデンティティを持つことが出来るのか否かもわからないところではあるんやね。


では、次はドコか。

彼女!といいたいところやけど、これはもう随分前の話で、

とりあえずは学校、ないし友達・・・だろうかね。

友人らの中に置かれている時、自分があるかもしれない。

しかし、なかなか友達とはいえ、

例えば、会う機会やその調整、またそれぞれの進路などで、

その中のアイデンティティというのは、不安定要素が大きい。


この不安定要素を言い出すと、もうありとあらゆるモノは不安定であるし、

そういう意味ではなにを大切にしても結果、不安定なんやけど、

不安定なら、その不安定な要素すらもしっかりと数を確保するなり、

対策はするべきなんじゃないだろうか。


そう、これが今思ったことやね。


これから大切にしていくべきはなんなのか。

今の時点では、今ある家族、友達、また将来コネクションのある人たち。


そして、コネクションのためのツール。

これすなわちなんだろう。

コミュニティツールやね。


これは前、アンインストールの記事でも少し書いたように、ゲームセンター、あるいはゲームが挙げられると思う。

まぁ、年齢的にも疑問符があがるところではあるけれどね。

共通の話題という意味で会話しやすいし、友達になりやすい。

まぁただ、怪しい人たちにも会ってしまう可能性も秘めてるんやけどね。


そして、コミュニティツールとしては、サークルやクラブなどもあげられる。

ただ、もうサークルってこたまずないし、これからの私が所属するようなクラブってのもあまり聞いたことがない。

新しく何か趣味を始める。なんでもエエんやけどある程度のクラブに近いような活動が存在するものやね。

ただ、時間的にも厳しそうな感じがするし、そこまでアクティブなものにもそれなりに気が引けてしまう面もある。


あとは、地域コミュニティもあげられるやろね。

例えばボランティアや、自治会などやね。

悪くはないけど、ただ、これは今の時点では果たして疑問符。

もし参加するなら、リタイアしてからかな、と今は思ってる。


まぁ、私がアイデンティティを形成される場としては、人との関係の場所である。

また、そのためのツールってのも大切にしていきたいという確認やね。

なかなか難しいとは思うけど。。。


ちょっと考えてみると、身近な家族や友達、恋人のほかにも

今最もコミュニティを広げれる可能性のあるもの、

それが今の私にとってはゲームくらいしかないような気がしてきたということやね。


なぜなら、今私が仕事(今でいうトコロの勉強)以外でやってることといえば、

テレビを観る、音楽を聴く、映画を観る、キャプチャする、録画する、たまに飲みにいく

という、飲みに行くという選択肢以外は極めて一人遊びの色が強いものばかりやということがある。


生きていく上で、何を楽しみにするのか、ということは重要やけれども、

その中で効率よく楽しむということも大切なんやけど、

「一人遊びに熱中し、孤立」していては自分的に限界があると思ったということなんやね。


つまり、「楽しむための趣味」と「アイデンティティ」を両立させることが重要なんではないかということ。

趣味を持つのは大事やけど、アイデンティティを形成・・・まぁ簡単にいうと寂しがりやの私が寂しくないようにするには、

なんとか趣味とそれをつなげられないかと、そうふと思った。

そのためには今のトコロもっとも身近のはゲームやけど・・・?と思ったけど、

これは非常にムズかしいトコやし、時間的な制約も非常に大きい。

結構飽きてきてるってのもあるけどね。


人とコミュニケーションをとるということは、人の時間と自分の時間を合わせないといけないからね。

相当な時間的コスト、また金銭的なコストもかさむことが予想されるし、

果たしてそれを維持させるとなると、これはもう莫大な労力、精神力がいるやろう。


なかなかねぇ。

そのあたりを考えて悩んでみたけど、難しいトコやね。

バランス、全てはバランスなんやけど、バランスを取ることがこれからムズかしくなることは必須やからね。


うーん、非常に厳しい問題やね。

いろいろ考えてみると、結局割とマメに友達と飲みにいく。これが一番手っ取り早いんかなぁ。

しかしこれはこれでかなり関係が薄弱ではあるのよね。

それを言い出すとたとえ趣味によってコミュニケーションとっても、なにやっても薄弱なんやけどね。

ま、悩むだけ意味がなく、無駄なことではあるんやけど。


これはまた話は違ってくるけど、結構様々起きる人生における問題っていうのも、案外関係性を失うことによる孤立から生まれてくるものやからね。

そういう孤立について、ある程度意識を持っていかないとなぁ。


汚い部屋を片付ける ~規則性からの汚染~

2008年08月04日 | 書き残したいメモ?
「汚い」

この判断。

この汚いという判断は、

境界によって発生するのね。

というより、

ある規則性を外れたことによって「汚い」と感じる。


例えば、食べ物を落としたとする。

落ちたモノを、

地面に接していない部分でいいから、実際食べろといわれれば

食べにくい。

今まで食べようとしていたのに、

落ちるという、その規則性を外れたモノに対して「汚い」と感じる。


つまり、私が最近部屋を片付けたいと考えるようになったのは、

部屋が規則性を外れたと感じたということになる。


つまり、生活自体が規則性を帯びてきて、

規則性に敏感になっているということなんじゃないかということさ。


雑然とした生活ではなく、ある程度形にハマった生き方になってきた。

そうならざるをえなくなってきた。

そうなるべきであった。


まぁそういうことなんかなぁ。

なんにしても、案外人生ってレールの上を走ってるんかもね。

規則性の意味でも、いろんな意味でも。




080801-03 過去の整理 ~おもちゃとマンガ編~

080801-03 過去の整理 ~参考書とプリント編~

080722~CD整理のついでにゲーム整理~

過去の整理(CD)

080801-03 過去の整理 ~おもちゃとマンガ編~ 

2008年08月03日 | 書き残したいメモ?
もう昨日のプリント系の処分だけで、相当本棚は綺麗になったのね。

しかしこう綺麗にすると、逆にクローゼットとか見えないところも整理したくなるのがおっさんの性。

昔はこんなことなかったのになぁ。





クローゼットをひっくり返してみると、

出てくる出てくる過去の遺物。

これは思い切って処分するしかない。

ゲームボーイポケット。懐かしいねぇ。

いらね。ポイっとな。





小学校時代愛用の腕時計も出現。

これは懐かしい。たまには使ってみるのもありかもしれへんね。

電池でもいれかえよう。





ミニ四駆。

小学校低学年時代恒例のミニ四駆。

流行ってたねー。

私は流行にのって、

でも特にドコかに走らせにいくワケでもなく、車体をイジってるのが楽しかったクチで、

めっさ遅い四駆やったわ。。。





出たね。プラモデル。

一瞬ハマっていくつか作ったね。

汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン。

特に私は弐号機が好きやったから作ったわ。





さらにランバ・ラル専用ザクⅠ。

カッコええー。このブサイクな感じがカッコいいんやね。





αアジール。

なんとなくシルエットが好きで作ったような記憶が。

なかなかエエ感じやね。





GP02Aサイサリス。

ガンダム史上一番好き(とはいえ、あんまりガンダム知らないけどw)

この無骨な感じと、搭乗人物(ガトー)もエエ感じで好きやわ。





ガンダムでまともに見たのってスターダストメモリーだけじゃないんかなぁ。

あとは、見てもすぐ見なくなったり、そもそも見なかったりとかか・・?





ズゴックもこのぶちゃいくな感じがね。





さらにクローゼット奥深くしまいこんであった雑誌とかねぇ。





マンガ。

ベタにワンピースとか、ドラゴンボールとか、

サンデー系もたくさんあったけど、

思い切って全部処分で^^


置いておいてもねぇ。ゴミんなるしね。


しかし、全部捨てるのは気が引けたから、いくつかだけ置いておくことに。


まずはらんま。

これは小学校時代によう読んでたからね。

重たくないストーリーと、激しすぎないラブコメ。

さらにダサカッコいい必殺技と、なかんかエエコンビネーションで今でも割と好きね。

話の最後のほうはさすがにちょっとだれてきた感が否めなかったけどねー。





月光の囁き。

これまた名作(ぇ

なんしか映画がエエ感じやったから、マンガを買ってみたらこれまたカオス。

まぁ、いうほどカオスでもないけど、

なんというか全体の雰囲気が好きでおいておくことに。

オレもお前らが好きじゃぁーー!にドン引きしたのは万国共通。





スラっと女。

というかあとてんでフリーズとかISUTOSHI作品。

スラっと女の備前さんがなんしかキャラ的に好きなのと、

画がなんとなく好きで、エエ感じやね。





あとは松本嵩春さん系作品か。

こちらは、まぁ話がそう面白い・・!ということはない(失礼)なんやけど、

これもなんしか画が好きで、買ったもんやね。



こうして見てみたら、案外、画が好きなマンガが生き残り確定したんやね。

画が好きで買ったってのは、愛着が湧きやすいんやろかね。






片付けに関しては、あとは空箱を整理(処分)して終了。

もともと半年前くらいにも整理してるし、今回の処分で、もうほとんどモノはなくなったわ。(笑

ま、スッキリしたというこって。


しかし時間かかったな。。。





080801-03 過去の整理 ~参考書とプリント編~

080722~CD整理のついでにゲーム整理~

過去の整理(CD)

080801-03 過去の整理 ~参考書とプリント編~

2008年08月02日 | 書き残したいメモ?
8月に灰ってから一生部屋の片付けしてたわ。

部屋の片付けし過ぎて、電話中にもし過ぎて、

「相手してくれないしょんぼり」ってDに言われる始末。


でも、片付けたかったんだ。





なかなかエエ感じやったね。

小学校の音楽のプリントとかまで出てきた。懐かしくて涙がちょちょぎれるわ。





当然大学のプリントもいらなさそうのは処分で。

置いておいてもゴミになるしね。。。

これは、研究会の資料で、どうしようかと悩んだけど思い切って。。





割と勉強してるなぁ。こうやって振り返ってみたらね。

上は大学のノート。






さすがに教科書、というか、大学の本はとりあえず置いておくか。





ついでに高校時代のプリントなんぞも一緒に処分。

授業中の落書きも発見した。大泉さんか・・・?(アメリカ横断時





小学校のときの参考書・・・懐かしすぎて涙がちょちょ切れまくるわ。





引き続き高校・中学時代のプリント類へ。

まだ勉強を(マジメに)やっていたころのプリントが。


あぁ。やってるなー。

このやる気を持続させてれば!

万が一このブログを見てる高校生がいたら、マジメに勉強したほうがいい。

勉強して未来が開けるなら安いもんだで。いやほんまにね。

一度レールを外れると、元のレールに戻るのは至難やさかいに。

勉強で乗れるだけ、高い位置のレールに乗っておくのは重要やで。


といまさら感の強い教訓を胸に秘めて、これからも頑張ろう。

まだやれまっせ!





途中休憩に桃をいただきます。





さらに懐かしすぎる、私が小学校時代にイジってたパソコン?らしきモノの取説まで出現。

これも処分ねー。置いといてもね。w





さらに小学校(以前かも)のマンガ?とひみつ道具百科みたいな。

これはさすがにちょっと情が湧いたから一時保留で。





辞書も出たねー。





さらには美術系スクラップも。





今考えたら、こちらの道はこちらの道で茨だもな。

人生わからんわ。



ここまでで一日、二日の真ん中くらいまでやね。

いちいち懐かしみながら整理(処分)するもんで、なかなか終わらない。

まぁ、それが楽しいみたいなトコもあるしね。

途中もがっちりテレビみたりしてるしね。


明日はマンガとかの整理や!


もうこのプリント系の処分だけで、相当本棚は綺麗になったのね。

しかしこう綺麗にすると、逆にクローゼットとか見えないところも整理したくなるのがおっさんの性。

昔はこんなことなかったのになぁ。



080801-03 過去の整理 ~おもちゃとマンガ編~

080722~CD整理のついでにゲーム整理~

過去の整理(CD)

080722~CD整理のついでにゲーム整理~

2008年07月24日 | 書き残したいメモ?



ちょっと熱すぎる。

から、外に出るのをなるべく必要最小限に控え、こないだのCD整理の続きをやってた。

しかし200枚以上のCDはもう面倒くさいね。

いろいろ内職しながらやったけど、中途半端に一枚一枚のパソコン取り込みが早いもんやからさぁ

やりだしたら終了音、やりだしたら終了音のうっとうしい連携で

なかなかやりだしたら他にはなんも出来なかったわ。

曲名のズレとかを修正しながらひたすら取り込み・・・。やね。





それで通算何時間だろうか。

何日もかかってCD整理が終了。

やはり予想通り、CDDBにひっかからないCDが出現したね。

こんなCD持ってたかなぁ。

ショボいCD過ぎてデータベースにないんやろなぁ。





一回片付けだすと、今度は他の点も気になるもの。

最近、やっぱり生活が規則化して、片付けの基準が上がってるんかもしれん。

前はそんなに片付けようとは思わなんだもんな。

規則性から外れると気になるからね。私もいよいよ規則性になじんできてしまったのかもしれんね。。。

年を感じるよね。(ぇ


そしてゲームに着手。

もう一生やらんやろうと思われるセガサターンやドリキャス、64なんかの処分を決定。

またこれの整理も面倒やったわ。。。

過去の自分が適当にケーブルその他を整理してるもんで、

どれがどれやら。


ちゃんと規則性を持たせましょう。







080801-03 過去の整理 ~参考書とプリント編~

080801-03 過去の整理 ~おもちゃとマンガ編~

過去の整理(CD)