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HRJ 中央突破 の日記?雑記?備忘録?

・・・monument of me! Hasta la vista,baby...

私とは、何か:関係の中にこそ存在する私

2008年07月16日 | 書き残したいメモ?
基本的に大学の授業ってのは退屈で、

「そんなことだらだら考えてなんになんねや」みたいな内容が多い。

一言で片付くのに、それをダラダラやるから全然面白くない。

「そんなこと考えてなんになんねん」みたいな、根本的に面白くないのも多い。


けど、たまに面白いのがあったりする。

たとえば、タイトルにあげた私とは何かという文化人類学?的なヤツね。

簡単な話なんやけどね。

これも開始三十分くらいで結論出てて、あとは長くて面倒やったけど。。。



私とは何か。


私とはつまり3つの私によって構成される。

私A・私の中に存在する、他者の像

私B・他者が思う私

私C・私が見た私


私Cが、私Aより大きい場合に優越感

私Aが、私Cより大きい 場合に劣等感をいだく。


愛、それは私Aが私Cよりも大きくなること。私Aを好きになること。

憎しみ、それは私Aを嫌いになること。


私Bの存在が、大きくなることによって、

たとえば、私Cより私Bが大きくなると、業績や勲章のために人生をささげることが出来るようになる。

ABCの順に進化というか、完成されていくもん?みたいやけど・・・。


死に対する回避として、CよりもA、Bに重きを置くことで回避できる。

他者に自分を託したり、死後も伝わる自分の像に託したり。



そしてミンナが気になる理由は、

やはり私Bが、私Cより強いからなんやね。

私が思う私は、死ぬことをはじめ自分のさじ加減でいくらでも消滅したり、弱くなったり、どうとでもなってしまうものやけど、

他者が思う私は、他者に存在するものやから、どうしても不変性を感じてしまうというか、私Cにはない確実性のようなものを感じてしまう。

すると私Bが強くなって、ミンナが気になるということやね。


ホントは私Cを確立してしまうのがベストなんかもしれんね。

死への回避の段階としてBを使うのはええんかもしらん。



はて、ここまで考えた時、ふと思い出した話といえば、


「お前の信じるオレを信じろ」

「オレの信じるお前を信じろ」

「お前の信じるお前を信じろ」

というこれやね。

これすなわち、そういうことかもしれん。

私AからB、Cへの進化やね。


それで、では今の自分はどうかと考えた時、

どうんやろうねぇ。

まだ、Aの段階かもしれんw


自分の中の他者の像を見て、やる気というか、奮起するというかね。

あ、これはまた違う話なんかなぁ。


私の行動が、他者の行動をマネしただけで、

私自身が、他者のマネをしたワケじゃないか。

私自身は、別に誰のマネをしたワケでもなく、誰かの思うようなカタチに合わせてるワケでもなく、

自分で考えた私であるから、

そういう意味ではCに到達してるのかもしれん。


行動パターンは間違いなく自分自身による行動というよりは、他者の像にあこがれて、みたいなことやけどね。。。。w




人間力

2007年08月05日 | 書き残したいメモ?
いや、別に大きなミスをしたワケじゃないし、怒られたワケでもない。

ちゃんとこなした、自分の仕事はしたけど、

やっぱりある程度、特に民度(?)の高い社会に遭遇すると、

改めて自分の人間力の限界って感じる。


所詮私のような人間力ではとてもとても社会には通用しない。

改めて感じるね。


これはまぁ、前々から、特に意識の高いトコに行ったときに思うけどね。

今までの私の経験なんて所詮学校か部活かバイトかちょっとしたボランティアか、くらいのもんやけど、

その中で高い水準の意識というか考え方、姿勢のある場所に所属すると、

自分の人間力のなさというか、いかに駄目なのかということを痛感する。


駄目なら直せばいい。

直す努力をすればいい。


確かにそう。

ある程度は修復というか、繕うことは出来るよね。

でもそれはあくまで「繕い」であって、まぁ付け焼刃?みたいなもんで、

「芯っからの力」ではないのよね。


芯っからの力はやっぱり成長の過程、育ち方、環境、早い時期からの本人の意思によって培われるもんで、

やはり繕いではねぇ。


そういう人間力の高い社会に接するとよくわかる。

繕いでは通用しない。


あ、いや、通用はするけど、伸びてはいかない、評価はされない。


なんかねー分をわきまえる必要、覚悟についてしみじみ考えてしまうよね。

ちゃんとわきまえていかないとね。覚悟と。


まぁ結局なにが書きたいのはよくわからないけど、とにかくいかに自分自身が拙いのかと、いうことよね。

せめて、今よりもっともっと繕って、その繕った部分がスグには解けないくらいに、

ガチガチに固めておかないと不安だわ。これからこの調子では。


なんかやっぱり改めて思ったわ。


一年前にも思ったけどねー・・・んー・・・


ちゅうか、こんなこと言ってる時点でそれこそ駄目なのよね。ホントはね。






path dependency(経路依存性)

2007年05月16日 | 書き残したいメモ?
path dependency(経路依存性)

今は過去の小さな出来事に規定されているという事。

講義の一部でこの話が出てきた。

せやなー。その通り。


この事をしっかり頭に入れて生きていくべきやなとはたといまさら気付かされたね。

気付かされたというか
気付いてはいたけど
それを見ないように生きてきたことを指摘されて

改めて再認識したってところかしら。
まー多分半分以上の人達は目を瞑ってるんやろうな…とか…

ちょっと明らかに手遅れ感満載ながらちょっと考えてみてしまった

今この瞬間がこれから先を規定していく

ツラい方向に規定しないように早く手を打たないと
とホンマに思ったね

よし今日から過去を規定していこう!!

真剣にそう思った今この頃


と いうことで
今までの中で「小さな出来事ながら人生を左右したと思われるターニングポイント」を振り返ってみる…


幼稚園以前:
プラレールにハマる

幼稚園:
DBZなどに一切興味もなくキックボード的なのにハマる
周囲が悲しむ事件を起こし悪いことをするのはいけないことだと気付く

小学一年:
スーファミ全盛期
体を動かさんと剣道に入道

小学二、三年:
引き続きスーファミと剣道
木の上の秘密基地、マンションの侵入禁止区域への侵入等、秘密ライクな事にハマる

小学四年:
成績が悪くなかったからか受験を始める
FF6にハマる
年功序列色が強かった剣道が嫌になり退道

小学五年:
友人Iに勧められたEVAの世界観にハマる
らんま再燃
これまたIの影響でSFEXを始める、ゴンドラ橋にハマる

小学六年:
受験微妙に成功

中学一年:
この頃はまだアヒル艦隊じゃなかった
首領武里先生に出会って歴史小説にハマる

中学二年:
美術部にしきりに勧誘されるが入部はしなかった
影牢に出会いゲセに勧誘される
連邦VSジオンにハマる

中学三年:
成績が降下を始める
DXに引き続きハマる
ゲセ友達が友人関係で一番大きくなってくる

高校一年:
Zに移行するにつれだんだんギルティへ

高校二年:
成績は完全に降下
学校をサボり出す
ギルティにベクトル全開

高校三年:
出席・遅刻共に単位ギリで過ごす
家のネット環境が充実しておらず(居間の旧PCにISDN)受験情報の不足から目標への照準が遅れる

大学1回:
見事第一志望にスベり三流?大学へ


・・・・


こうして振り返ってみると、案外しょうもないことで人生が動いていってるもんだと実感。

特に対人でね。

誰かに出会わなければあんなことやこんなことになってねぇよ的事例多数。

今から考えてみたらねぇ。。。

というかね、

人によって左右されるのはある程度仕方ないでしょう。

運命よね、運命。出会うもんは出会うもの。

でも、自分の判断で明らかに人生を左右したと思われるのが、

中学2年の「美術部断る」

その後の流れを考えてみても、どう考えても入っておくべきだったか。

まぁやめてた可能性も大きし、所詮たらればやけど。(笑


案外小さな出来事で人生って変わってる。経路依存性。経路に完全に依存している人の人生。

今この瞬間も、将来へ繋がってる。

事故、病気等で狂わない限り、この経路依存性は絶対なワケで、
ちょっとマジで考えて生きていかないと。

このままやとエラいことになるで。


とても大切なことに気がついた

2007年05月11日 | 書き残したいメモ?


今日も、

終電近くでのらりくらり帰宅。

同じように電車で帰宅してるサラリーマンの方たちを見てると、

とあることに気がついた。

今まで当たり前のようであまり実践できていなかったこと。

それが案外大切なことなんじゃないかと気がついた。

そしてこれからのことについても改めて考えた。

やっぱりもうちょっと本気でいったほうがいいね。

そう思った。

今日も一日快晴だった。