HRJ 中央突破 の日記?雑記?備忘録?

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自分というものとコミュニティツールと趣味と

2008年09月19日 | 書き残したいメモ?
つまるところ、言葉の細かい用法とか、正確に意味を正しく理解し、また使えているのかといったことは、わからないけれど、

考えてみるだけ考えてみると、

自分が自分であるために、何が必要なのか。

何を失うとアイデンティティを損なうのか。自分らしくなくなるのか、自分でなくなるのか。

自分だ!と強く思うのいつか。


なかなか難しいトコやね。

ただ、だからといって、自分を失うってことは大変なことやし、重大な事案にも繋がりかねない。


そこで、自分を感じられるのはいつなのかを鑑みてみると、

やっぱり「人との関係」をもっている時だろう。

それが、今までだと学校であったりゲームであったり、あとは家族であったり。

友達や恋人、家族など、人とコネクトしている時がやはり基本的には楽しい時間だろうし、その時に自分を感じられると思う。


では、今後どうなるか。

やはり仕事の面でももちろんたくさんの人と関係が出来るとは思うけど、

それが果たして「自分」を感じるものなのだろうか。

仕事における人との関わりの中で、アイデンティティが形成されるのかどうか。

そこでもし、形成されるとするならば、それはそれで面白いのかもしれない。

でも、あまり仕事の中でアイデンティティを持てる人ってあまりいない気がするし、

現代の傾向として、仕事に自分を見出すこと「だけ」に肯定的な意見は、これまた少ないような気がする。


やはり、仕事はもちろん、それ以外においても自分を見出している人、これが充実した人なんではないだろうか。


正直まだ、仕事に見出せるかどうかははるか未知数で、

なかなか難しいトコロではあるけれど、今はなんともいえないトコやね。


では、今の時点でアイデンティティが存在する場所とは?


うーん、今現在一番身近な場所は家族だろうかね。

家族がいるということで、自分のアイデンティティを確認できる。

しかし、いつまでも一緒に住んでるワケではないだろうし、

また、新しい家族に恵まれる可能性、さらにはその中の新しい家族内に自分のアイデンティティを持つことが出来るのか否かもわからないところではあるんやね。


では、次はドコか。

彼女!といいたいところやけど、これはもう随分前の話で、

とりあえずは学校、ないし友達・・・だろうかね。

友人らの中に置かれている時、自分があるかもしれない。

しかし、なかなか友達とはいえ、

例えば、会う機会やその調整、またそれぞれの進路などで、

その中のアイデンティティというのは、不安定要素が大きい。


この不安定要素を言い出すと、もうありとあらゆるモノは不安定であるし、

そういう意味ではなにを大切にしても結果、不安定なんやけど、

不安定なら、その不安定な要素すらもしっかりと数を確保するなり、

対策はするべきなんじゃないだろうか。


そう、これが今思ったことやね。


これから大切にしていくべきはなんなのか。

今の時点では、今ある家族、友達、また将来コネクションのある人たち。


そして、コネクションのためのツール。

これすなわちなんだろう。

コミュニティツールやね。


これは前、アンインストールの記事でも少し書いたように、ゲームセンター、あるいはゲームが挙げられると思う。

まぁ、年齢的にも疑問符があがるところではあるけれどね。

共通の話題という意味で会話しやすいし、友達になりやすい。

まぁただ、怪しい人たちにも会ってしまう可能性も秘めてるんやけどね。


そして、コミュニティツールとしては、サークルやクラブなどもあげられる。

ただ、もうサークルってこたまずないし、これからの私が所属するようなクラブってのもあまり聞いたことがない。

新しく何か趣味を始める。なんでもエエんやけどある程度のクラブに近いような活動が存在するものやね。

ただ、時間的にも厳しそうな感じがするし、そこまでアクティブなものにもそれなりに気が引けてしまう面もある。


あとは、地域コミュニティもあげられるやろね。

例えばボランティアや、自治会などやね。

悪くはないけど、ただ、これは今の時点では果たして疑問符。

もし参加するなら、リタイアしてからかな、と今は思ってる。


まぁ、私がアイデンティティを形成される場としては、人との関係の場所である。

また、そのためのツールってのも大切にしていきたいという確認やね。

なかなか難しいとは思うけど。。。


ちょっと考えてみると、身近な家族や友達、恋人のほかにも

今最もコミュニティを広げれる可能性のあるもの、

それが今の私にとってはゲームくらいしかないような気がしてきたということやね。


なぜなら、今私が仕事(今でいうトコロの勉強)以外でやってることといえば、

テレビを観る、音楽を聴く、映画を観る、キャプチャする、録画する、たまに飲みにいく

という、飲みに行くという選択肢以外は極めて一人遊びの色が強いものばかりやということがある。


生きていく上で、何を楽しみにするのか、ということは重要やけれども、

その中で効率よく楽しむということも大切なんやけど、

「一人遊びに熱中し、孤立」していては自分的に限界があると思ったということなんやね。


つまり、「楽しむための趣味」と「アイデンティティ」を両立させることが重要なんではないかということ。

趣味を持つのは大事やけど、アイデンティティを形成・・・まぁ簡単にいうと寂しがりやの私が寂しくないようにするには、

なんとか趣味とそれをつなげられないかと、そうふと思った。

そのためには今のトコロもっとも身近のはゲームやけど・・・?と思ったけど、

これは非常にムズかしいトコやし、時間的な制約も非常に大きい。

結構飽きてきてるってのもあるけどね。


人とコミュニケーションをとるということは、人の時間と自分の時間を合わせないといけないからね。

相当な時間的コスト、また金銭的なコストもかさむことが予想されるし、

果たしてそれを維持させるとなると、これはもう莫大な労力、精神力がいるやろう。


なかなかねぇ。

そのあたりを考えて悩んでみたけど、難しいトコやね。

バランス、全てはバランスなんやけど、バランスを取ることがこれからムズかしくなることは必須やからね。


うーん、非常に厳しい問題やね。

いろいろ考えてみると、結局割とマメに友達と飲みにいく。これが一番手っ取り早いんかなぁ。

しかしこれはこれでかなり関係が薄弱ではあるのよね。

それを言い出すとたとえ趣味によってコミュニケーションとっても、なにやっても薄弱なんやけどね。

ま、悩むだけ意味がなく、無駄なことではあるんやけど。


これはまた話は違ってくるけど、結構様々起きる人生における問題っていうのも、案外関係性を失うことによる孤立から生まれてくるものやからね。

そういう孤立について、ある程度意識を持っていかないとなぁ。



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