25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日本人の諸問題

2017年09月17日 | 文学 思想

 関節あたりの筋肉がかたまりつつあるようで、この点では不快な日がもう一年も続いている。関節の可動域が狭まっている。

 日本人の克服すべき問題のひとつに日本人の特に女性の悪い姿勢、歩き方がある、などと言っている自分はテレビを見るとき脚を組む、ほほ杖する有り様である。

  2017年に生まれたこどもの寿命は107歳になると発表された。ぼくはこの数字は実はもっと伸びるのではないかと思っている。姿勢の問題が学校教育で導入されたり、国民の一大関心事となれば、ロコモティブシンドロームが克服され、健康寿命も伸びることだろう。

 あと5年、10年で様々な病気が克服される勢いが医学界にはある。

 残ってくる問題は何か。思うにそれは「怒り」や「不安」

への対処ではないか。不条理な怒りに対してどうするか。いまさらどうにもならない怒り、いまだったらかいけつできる怒り。怒りは脳の即座核を襲い、腰痛などを起こす。

「不安」というのはどうにもならないもので、自分の性格的な意識が呼び起こすものだ。対処的には、セロトニンホルモンを出すことをする。例えば、カーテンを開け、日の光を浴びる。手を動かすことをする。例えば、洗い物を手でする。料理をやってみる。絵や文章を書く。

  日本人の問題でまだ言いたいことがある。それは子育てにおける潔癖性である。二歳未満の時期、乳児はいろいろなものをなめまわして、形状や質感を獲得していくが、細菌をも腸に入れ込んでいく。腸には90%のセロトニンがあり、この腸の菌が不足する脳内のセロトニンを補うための運び屋をするという研究も発表されている。O157のような菌は免疫力でやっつけられるはずだが、免疫力が活性されていないと命をおとすことになる。また体内に異物がないとありあまる免疫細胞は自分自身の大事なところを攻撃してくる。アレルギーがそうである。そして現代、アレルギーを持つ人が多い。ぼくはこれは医学の問題というより、神経質な子育ててによるものではないのか、と疑っている。菌を悪者と思い過ぎる親が多いということだ。

 せちがらい世になっている。芸能人のプライベートな不倫問題など、電波を使う必要があるだろうか。政治家の男女問題もぼくは同様だと思っている。

 芸能人や政治家、有名人になれば清廉潔白、二度と恋もできないような社会は非人間的である。この窮屈さはいずれ別の形となって社会を覆ってくるだろう。

 関節のことからこんなところまで思いが至ってしまった。120歳まで生きる時代に入ってきている。脳はまだまだ活性する。さて、これから十年何事かをすればプロになれるはずだ。そう思って頑張るだけだ。