本日の浜町は朝はでしたが、午後にはて、さわやかな午後になりました。
私は普段はANA派ですが、徳島はJALしかないので、やむなくJALに乗っています。JALで楽しみなのは、スカイタイムと機内誌「SKYWARD」です。
特に養老孟司の「旅する脳」と浅田次郎の「つばさよつばさ」の連載は必ず読んでいます。両方とも長期連載で、6月で旅する脳は第65回、つばさよつばさは第64回でした。
今月の養老先生のテーマは「中毒」。
学者も一種の「中毒」ではないかと思う。
何かに依存してしまう状態を「~中毒」というが、そう考えると、学者の場合、快感のもとは"知る、分かる"ということだろう。
"分かる"ということの快感。それを繰り返し求めたいから物事を考える。
学者という人種の定義はこれだろう。
ギャンブルや酒と違って手っ取り早い快感はないが、こういう中毒こそ、文化の源なのである。
私の周りには「学者」に憧れる人が結構いるが、「先生」と呼ばれる快感や、競争社会から逃れられると思っているような気がする。
仕事をしていても"分かる"快感を感じる瞬間は沢山ある。そうすると仕事がおもしろくなり、どんどん深く、広く知りたいと思う。文化の源までいかなくても、そういう学者的仕事の仕方をしたい。
私は普段はANA派ですが、徳島はJALしかないので、やむなくJALに乗っています。JALで楽しみなのは、スカイタイムと機内誌「SKYWARD」です。
特に養老孟司の「旅する脳」と浅田次郎の「つばさよつばさ」の連載は必ず読んでいます。両方とも長期連載で、6月で旅する脳は第65回、つばさよつばさは第64回でした。
今月の養老先生のテーマは「中毒」。
学者も一種の「中毒」ではないかと思う。
何かに依存してしまう状態を「~中毒」というが、そう考えると、学者の場合、快感のもとは"知る、分かる"ということだろう。
"分かる"ということの快感。それを繰り返し求めたいから物事を考える。
学者という人種の定義はこれだろう。
ギャンブルや酒と違って手っ取り早い快感はないが、こういう中毒こそ、文化の源なのである。
私の周りには「学者」に憧れる人が結構いるが、「先生」と呼ばれる快感や、競争社会から逃れられると思っているような気がする。
仕事をしていても"分かる"快感を感じる瞬間は沢山ある。そうすると仕事がおもしろくなり、どんどん深く、広く知りたいと思う。文化の源までいかなくても、そういう学者的仕事の仕方をしたい。