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エマージェント・フィールズ : Emergent Fields

神奈川県横浜発 ”経営者と従業員の幸せ”をお手伝い

在庫のない経営は震災に対応できないのか?トヨタ生産方式(TPS)に思う

2011-04-21 00:01:51 | 日記
JIT(ジャストインタイム)を知ったときは衝撃的でした。自分はソフトウェアの技術者であって、そのころは製造業のことはまったく分かりませんでした。それまでの大量にモノを作ることで生産性やコストを上げる経営をしていたのに対し、JITはアメリカを始めとした欧米の企業に対し、資本の少ない日本が編み出したまったく新しい考え方の生産方式です。

そしてこの衝撃は、ジム・ウォーマックさんのリーン・エンタープライズ・インスティチュートにインターンしたこともあって、自分のその後の考え方に大きな影響を与えることになりました。

その考え方はいまや、製造業の目指すべき姿として多くの企業に採用されていました。在庫を持たない経営です。また、その考え方の適用範囲は製造業に留まらず、我々のソフトウェア開発の世界にも普及しています。リーンソフトウェア開発やアジャイル開発手法、スクラムといった近年注目されている開発手法は、その多くがかつての日本の製造業の考え方や取組みを参考にしています。

しかし、今回の震災で在庫を持たないこの経営に単純に異を唱える人たちが出てきたようです。パートナー企業を含めた大きなサプライチェーンの中で一箇所でも問題が発生すれば、製品の生産が行えないことが問題だと言っているようです。

もともとトヨタ生産方式では、ラインのどこかで問題が発生した場合(異常を検出した場合)、ラインのすべてを止めなさいというものです。ラインの一部に異常のある状態でラインを稼動させるよりも、ラインをとめて原因を究明し、異常を解消してから再稼動をしたほうが、実は良いのだということを知っているからです。

トヨタの人たちは、今回の震災を受けて、このことについて今どのような議論をしているのかを聞いてみたいです。

ISOの認証取得では、きちんと仕事をしていることを証明するために多くの書類を作成します。コーポレートガバナンスのJ-SOXなどもそうです。これらはすべてがリーン(贅肉のないとか筋肉質なと訳されます)に逆行する、ムダではないかとずっと思っています。そして、BCP(事業継続計画)として在庫を増やそうというのでしょうか。

不測の自体が発生しないように、仕組みでがんじがらめにするよりも、不測の事態に柔軟に対応できる組織や人材になることが重要だと思います。単に問題を回避する方法をとってはいけないと思います。深く考えることをやめてはいけないと思います。

このような経験をもまた糧として、ぜひとも新しい知恵を搾り出し、これまでよりももっと良い生産方式を生み出していけるのが日本の製造業であってほしいです。

自身が長きにわたり身をおいてきたソフトウェア産業は、生産性や品質という面では製造業から大きく遅れをとっています。その一方で、モバイルコミュニケーションやソーシャルネットワークなどの新しい世界を創り出すことができます。これから自分に何ができるかを考える良いきっかけになりました。みんながビックリするようなことを考えられないかと思ったりしています。^^;

自分の所属する一つの産業に留まらず、いろいろな産業のことを理解し、自身に適用していくことは本当に楽しいことです。(^^)

今日はめずらしく、ちょっと専門的な話になってしまいました。^^;



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この危機に、お年寄りの知恵をわけてもらう

2011-03-31 12:22:48 | 日記
不謹慎かもしれませんが、今回の大震災の後の復興にワクワクしています。そう思わないと、どんどん気持ちがマイナスに働いてしまうからです。

故郷の石巻は大きなダメージを受けましたし、一人残された母親と連絡が取れるまでの一週間はとてもつらい思いを経験しました。また、被害にあわれた方々にはなんと言葉をかけて良いのか分かりません。

そんな中、被災した現地の人たちの前向きな姿勢に逆に勇気をもらったり、自身も地元の復興の役に立ちたいという思いが強くなっています。生き残った人たちは、力を合わせてもう一度幸せをつかみとらないと。

しかし、現実はそんなに甘くないようです。情報が少なく状況の分かっていなかった現地の人たちは、少しずつ現実を直視し始めているようです。震災直後の大きいけれども一時的なダメージから、今では、この後永遠に続くのではないかと感じさせられる、厳しい現実を思い知らされているようです。

母親の「この日常に慣れてきたから大丈夫」という言葉に、どんどんと力がなくなって来ているのを感じずにはいられません。

それでも、今は復興を信じて、出来ることを一生懸命にやるしかありません。そして、それは誰かが頑張って実現するものでもないと思います。

戦後の復興を体験した、お年寄りにたくさん話しを聞きたいです。どんなことを思い、どんなことを感じて生きてきたのか。そして、今この状況をどのように受け止めているのか。本や学校で勉強するのではない、生きるための知恵をたくさん与えてもらえる気がします。

今回の大震災を経験するまで、自分自身何か閉塞感を感じていました。これまでに先人によって作り上げられてきたものに、何の疑問も持たずに決められた通り遂行したり、疑問を持ったとしても変化を厭うような風土だったり。

決まりごとやルールを守ることが重要視されて、そのことだけで手一杯。何のための決まりごとやルールかが忘れ去られているように感じていました。大切なものがなにかを忘れて、決まりごとやルールを守っていれば良いとなってしまっていたように思います。

しかし、今回のような震災による危機が訪れると、現状維持は不可能です。必然的に変化を受け入れ、変革が生まれると思います。

組織だった活動だけではなく、個人が自律的に動ける日本の風土であれば、間違いなく変革が起こって危機を乗り越え、以前よりももっと良い社会が生まれると信じています。

そのために、自分自身も当事者となって取り組んで行きたいです。自分たちが、自分たちで考え行動して、新しい社会を作らなくては。先人の作ったルールを守るのではなく、先人の知恵を自分たちのものにしたいです。そして、この経験を通じて、みなさんと一緒に自分自身も成長して行きたいと思います。



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ふわふわさんとチクチクさん

2011-03-25 12:26:57 | 日記
石巻の中でも母親の住む地域は、お年寄りばかりが住んでいる地域です。今回の大震災に乗じて、物品を高額で販売する人たちが現れたそうです。トイレットペーパーは550円、ティッシュペーパーが500円で、平常時の倍程度の値段ですが、飛ぶように売れていたそうです。しかし、この人たちも取り締まられたようで、翌日にはいなくなったと。

この商品を買った多くの人は、足の悪いお年寄りだったそうです。物資が配給される場所まで歩くのが大変な人たちで、市内の中心部が壊滅的ダメージで、商店がすべてなくなってしまったあたりです。逆に取り締まりがあったことで、必要なものを手に入れるのが大変になってしまっているのかもしれません。

そのような中で、在宅の被災者にも物資が届くようになってきたようです。町内会は組織だっていて、班長さんに物資が届き、各家庭に配布されているとのこと。しかし、この中でも残念なことがおきているそうです。おにぎりやパンが支給されているのですが、このおにぎりやパンがゴミとして捨てられているそうです。比較的お金持ちで車が被害に合わなかった方たちは、お店が開いたという情報を得て、車で遠くまで行って買えるのだと。そんなおにぎりなんて食べられるか。ということなのでしょうか。

このような日常と違う状況になったとき、それまで自分が当たり前だと思っていたことに、それは本当に当たり前なのだろうかと思ってしまいます。何を信じればいいんだろうと不安に思い、よりどころがなくなってしまうようです。

海外で初めて生活したときにも、同じような感覚におちいりましたが、そのときに、正しいものなんてないんだと。自分が何を信じるのかと、相手を理解しようとする気持ちが重要だったなぁと。

こんな中で、少し心が暖まるお話を紹介します。「ふわふわさんとチクチクさん」というお話です。相田みつをさんの「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」を童話にしたようなお話です。とても心暖まるお話なので、ぜひ調べて読んで見てもらえればと思います。



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おばちゃんは俺が守るから

2011-03-18 20:27:54 | 日記
父親がなくなって今日でちょうと1ヶ月です。去年の10月に交通事故に会い、その後ずっと入院生活でした。多少は良くなったりしたようですが、あまり良くない容態で、少し良くなったり、悪くなったりの繰り返しだったようです。

何度も帰省してお見舞いに行きましたが、事故以来一度もちゃんと話すことはありませんでした。

事故にあったときも、亡くなったときも、直後に帰省する予定があったので、なぜもっと早く帰らなかったのかという後悔がないわけではありませんでした。

今回の地震と津波でふるさとの石巻は大変な被害を受けました。震災から一週間たった昨日やっと一人暮らしの母親の無事が確認できました。心配で帰省しようとしていることを話すと、逆に心配になるので、帰ってくるなと言います。

地域の人たちと協力しながら頑張っているようです。当時我が家にはペットボトルの水の買い置きがあったそうです。母はその水を近所の人に配ったそうです。そして今度は、足の悪い母親のために、近所の人が水を汲んできてくれているそうです。でもこれは、何かをやったから何かするではなく、自然に助け合っているそうです。

帰省しなくて良いという母親ですが、「夜が怖い、朝が来るのを夜通し待ち続けている」と話しています。そんなことを聞くと、なんとか帰省したいと考えてしまいます。しかも、今日になると、そのことを後押しするような情報が入ってきました。

何気なく見ていたテレビから石巻の治安が悪くなっていると。そのことをやっとつながった携帯で話していると、母親から、自宅の近くの場所で、買い物袋を持っていた人が、ナイフを持った人に襲われたということを話してくれました。

このことを聞いて、すぐにでも帰省する決心をしました。父親の時と同じ後悔をしたくないと。

愛犬をどうぶつ病院に預け、母親の実家にいるいとこに電話しました。小さいときからお世話になっている年の離れたいとこです。父親の入院中も、葬儀のときも、ほんとにお世話になりました。

電話したときは飲んでいたようでした。帰省の話をすると、今は帰ってくるなと言います。それでも、今の現地の状況を話したりするうちに、やっぱり行きたいと話すと、帰ってくるなと。そして、「おばちゃんは俺が守るから大丈夫だ。心配するな。」と言われました。酔っているようでしたが、しっかりと聞こえました。

この言葉を聞いて、帰省をするのをとどまるのと同時に、自分はこんな風に、自分の家族以外の人を守るなんて言えないよな。と自分との器の大きさの違いを感じました。素直にすごいです。

父親の死や、今回の震災でものすごくたくさんのことを学んでいるような気がします。それでも、それらのことが自分の中でどんどん消化され、今までよりもずっとしっかりした考え方が出来てきているように感じます。

これらの経験を糧に、また一皮向けた人間になれればと思います。

=== 3月22日に追記
帰省を断念し、翌日に「片倉どうぶつ病院」に愛犬を迎えに行きました。先生も看護婦さんも、とっても喜んでくれました。そして宿泊のお金の支払いをしようとすると、いりませんと。こんな時ですからと、暖かい気持ちをいただきました。

震災の支援というと募金をしたり、現地に行って何かお手伝いをしないとと考えがちですが、自身の仕事を通じて出来る、小さな貢献ってこんなところから始まるのだと感じました。自分自身も長い目で見て、ふるさとの復興の役に立てればと強く思いました。



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