lunas rotas

いつまでも、完成しないことばを紡いでいこう

EPA在留期間の延長の意味

2011-03-31 09:10:18 | Weblog
 EPA候補者たちの看護師国家試験結果は先週の金曜日に出ているのはご存じのとおりだが、受からなかった人でも1年間の残留期間延長が認められることが閣議決定している。が、その条件については明確にはされていない。
 今の段階で分かっているのは、①候補者本人に国家試験受験&合格を目指す意志があること②受け入れ機関が来年の国家試験合格のための研修計画を組織的に作成していること③今年の国家試験の点数が一定以上であること、の3つ。
 ③の一定以上の得点とは何点なのかが分からないが、それよりももしかしたら重点は機関側の負担が大きい現状の中、機関が面倒みようという積極的姿勢が持てるかどうかに置かれているのかもしれない。3年で帰国もやむなしと開始当初から考えていた機関もあるようだから、ここで候補者に帰国を方向づける機関も出てくるだろう。対象78人のインドネシア人看護師候補者(2008年来日で国家試験未合格者)のうち一体何人が在留期間を延長するかは、機関側の持つ体力の数値という側面も持つ。今後の看護師・介護福祉士候補者受け入れの方策に大きく影響する数値だと考える。




子どもの仕事体験としての日本語教師

2011-03-30 09:29:30 | Weblog
 キッザニアへ行った。子どもが職業体験できるテーマパーク。どうせ大人はすることないからと思って言語教育関係の本を持っていき、待ち時間には読書しようと思ったが、テーマパークの中はうるさくてうるさくて読み進められない。読書はあきらめて、日本語教師という職業がキッザニアの中にパビリオンを設置するとしたら、どんなふうになるか妄想してみることにした。
 子どもが体験する日本語教師って、どんなものだと楽しいだろう?思いつかない。子どもが文法や文字のようなリテラシーを教えるというわけにもいかない。挨拶言葉を教えて互いに交わしてみるか?自分のクラスに日本語があまり分からない子が転入してきたと仮定して学校生活の説明などをしてみるか?あるいは国際交流のような場にして自国や自分の地域の伝承の遊びや文化を教えあうか?それなら子どもの体験としてできそうだが、しかしそれは職業になりうるだろうか?あれ?日本語教師って何をしているんだっけ?
 自分の仕事を小さな子ども達に分かりやすく説明するには、あるいは子ども達が興味を持ってくれそうなキリトリをするとしたら、どんなふうにpresentすればいいのだろう。しばし考えてしまった。

ぐちゃぐちゃ

2011-03-29 10:40:08 | Weblog
 震災にあわれた方は今も大変な状況で心からお見舞い申し上げたい。少しでも早く復旧復興がなされるよう願ってやまない。

 政府内の震災対応がひと段落したら菅降ろしが始まる。きっと始まる。今の菅政権はぐちゃぐちゃだから。そうなれば組閣も勿論やり直し。前原外務大臣が辞任して副大臣だった松本剛明さんが急遽大臣になったのだから、外務大臣に関してはもともと短命な運命だったかもしれないが、菅首相が失脚すれば内閣もみんな変わるだろう。松本剛明さんは移民受け入れに積極的な考えだったと記憶している。全く何についても長続きする政策というのがないのが日本。(ついでに言えば留学生30万人計画もあるようで実質的にはなくなったも同然。スローガンだけの独り歩き。)

看護師国家試験合格発表

2011-03-28 13:37:43 | Weblog
 先週の金曜日に看護師国家試験の合格発表があって、EPAで来たインドネシアとフィリピンの人は16人合格。よくがんばった!しかし専門用語などに英語を併記するなどの措置をした試験なのに、合格率4%と依然低い。措置にはほとんど意味がなかったのではないかと思うような数字だ。
 インドネシア人看護師・介護福祉士候補者を支援するボランティア組織「ガルーダ・サポーターズ」は来日前に1年間の日本語基礎教育を義務付けた上で、日本語能力試験3級以上の合格者のみを来日させることなどを柱とした改善策を関係省庁に提出。改善策では病院側の負担軽減を図るとしている。
 また、国際厚生事業団(JICWELS)は、「日本語の教育が大事だが、病院の方々は経験がないので負担が大きい。学習支援をしっかりと継続していきたい」と、今後も日本語能力の向上を支援する姿勢を示している。
 さらに、日本看護協会は合格率を上げるためだけでなく、日本での経験がインドネシアやフィリピンの医療・看護の発展につながるようにするためにも、「来日する前の段階で、あらかじめ日本語能力を審査することを検討すべき」とする談話を発表。
 来日前にある程度の日本語習得の機会を設けることに反対ではないが、それだと「高度人材」だけを選んで受け入れていく方向にあり、それだけでは制度の破たんが来るように思う。また今のところとにかく“日本語力さえ引きあげれば”という態勢が見られるが、看護や介護の現場と日本語とをセットにした研修・支援が必要である。それは国家試験のあり方の見直しも含まれるのだろうと考える。

文字の表記

2011-03-25 08:36:03 | Weblog
 ある原稿を執筆中なのだが、表記に統一性があったほうがいいと思い、細かいことを気にしだした。「あるいは」か「或いは」か、「なお、」か「尚、」か、「したがって」か「従って」か、「ただし」か「但し」か、「わりに」か「割に」か、「または」か「又は」か等々。

 文化庁の「常用漢字表」や「公用文における漢字使用等について」に沿うことにすると・・・
・「アルイハ」「ナオ」は「或」「尚」が常用漢字にないので、「あるいは」「なお、」と、かな表記
・「シタガッテ」「タダシ」は常用漢字なんだけど、「公用文における漢字使用等」に準拠すると「したがって」「ただし」と、かな表記。
・「ワリニ」は「公用文における漢字使用等」に準拠すると、意外にも「割に」の漢字表記。
・「または」も「公用文における漢字使用等」に準拠すると「又は」と、漢字交じりの表記。しかし「また」と助詞「は」がつかない場合はかな表記。ややこしい。
自分が普段使っている感覚よりはひらがな表記が多いように感じる。

 それ以外にも、例えば「鈍感」の「鈍」の字は常用漢字なんだけど、常用漢字表の音訓としては「ドン・にぶい・にぶる」しかないから、
「ニブイ」=「鈍い」
「ノロイ」=「のろい」とそれぞれ表記。

 私が書こうとするものの表記すべてが「常用漢字表」や「公用文における漢字使用等について」に載っていて解決するということはないので、ひとつひとつ、これはどんな表記にしようかと手が止まってしまう。私の書いているものは公用文ではないし、どうでもいいような気にもなってくるが・・・。



 

米国人犠牲

2011-03-24 08:12:59 | Weblog
 昨日の朝日新聞、東日本大地震に関連した記事で「震災で初の米国人犠牲者」が掲載されていた。お亡くなりになった方に心からお悔やみ申し上げます。
 今まで外国の方の犠牲者は何名か出ているのだが、なぜか米国人だけが「初の」となって記事になっている。外国人と言えば米国人なのだろうか。日本にいらしていた他の方々にも心からのお悔やみ申し上げたい。

都政

2011-03-23 10:06:39 | Weblog
 都知事選の告示が明日。オリンピック招致や築地市場、新銀行東京などが議論になっているが、私の立場からすると君が代の斉唱と国旗掲揚の強制、外国人への態度・政策・受け入れ、あるいはまた雇用政策などが大いに気になるところ。しかし私は都民ではないので都知事への選挙権はない。どうなることか動向は見ていきたい。

EPA来日前の日本語予備教育事業

2011-03-22 08:24:21 | Weblog
 今年はEPAの看護師・介護福祉士候補者の日本受け入れは、来日前に3か月程度の日本語研修を受けてくることになっており、20日フィリピン担当の講師達はマニラへ向け出発した。私の日本語教師仲間も講師として旅立った。日本語の授業開始は今月28日かららしいが、震災による日本の惨状を知り、キャンセルする候補者が少なからずいるのかもしれない。しかしアジアの未来、世界の未来のためにYELLを送りたい。がんばれ!

新学期は5月

2011-03-20 08:39:23 | Weblog
 私は大学で留学生に日本語を教えているが、2・3月は授業がなくて休み。この休み中に大震災は起こった。昨日大学側から連絡があって、入学式は学部も院もその他全部とにかく中止、授業開始が1カ月遅れの5月上旬(GW明け)に決まったとのこと。
 被災された学生や教員もいる。この春から入学が決まっていた新入生に関しては半年や一年先の入学も可能にし、新入生や在学生の学費等免除にも対応する。こういった大学ができる具体的実質的対応をどんどんしてほしいと思う。それが学生にも教員にも力になる。希望を捨てることはないのだと思える。他の大学も追随してくるだろう。

危機管理・メンタルケア

2011-03-19 10:59:22 | Weblog
 3.11の大震災で、在日外国人が続々と出国している。
 介護福祉士候補者の日本語研修に去年携わり、その時の候補者の無事を大震災の翌日には全員確認した。しかしガス、電気、水がなく暗闇と寒さに耐えなければならない候補者、飲み水を探し回る候補者、連絡手段が断たれて孤独になる候補者、海近くでツナミにおびえる候補者、原発の恐ろしさに震える候補者・・・。
 巨大地震の日の首都圏の帰宅難民と言われた人達は翌日から週末だったことが幸いした人は多い。時間をかけて帰宅しなければならなかったとしても、そこには家族や知人がいて互いの無事を確認しあい、ほっとして時間を共有する。しかし候補者たちにとっては週末で仕事がなかったことが逆に彼女たちを不安に陥れた要因となった面がある。その地域の情報が入ってこない。どこへ行けば安全か、どこで何が手に入るか、津波は来るのか、自分のいる地域は放射能汚染から身を守れるのか。
 各国の大使館が帰国を奨励し始め、彼女たちの国の大使館も例外ではない。不安を抑えきれず大使館へ駆け込んだ者もいる。こういう非常時の精神的ケアは誰がどこがするのだろう。勿論、候補者の身近に話を親身に聞いて不安を解消したり問題解決してくれる人がいればそれがベストだが、制度や組織としてこういった問題のケアするのはどこなのだろうか。何とか不安を解消したい。自分にできることは何かを問う。

東日本の大震災

2011-03-18 12:29:33 | Weblog
先週11日(金)に起きた未曾有の巨大地震および津波によって多くの方が犠牲となり、甚大なる被害をもたらしました。この災害により被害を受けられた方々に心からお見舞い申し上げます。まだまだ余震が続き、さらに福島の原発もどうなることか全く予断の許さない状況です。どうか被害がこれ以上広がらないことを心より祈ります。


ハーバード白熱教室 Justice with Michael Sandel

2011-03-09 10:00:47 | Weblog
NHKで以前放送された「ハーバード白熱教室」が去年末にDVD化され、最近そのレンタルが始まっている。それで見始めたのだが、平等ってどういうことか、富や報酬や機会が平等に分配されたとしてもそれまで努力してきた人はどう評価されるのかなど、なかなか面白い講義が聴ける。日頃直面していることでもこんな角度からは考えたことがなかったということだらけ。そして日頃直面していることと思えるのは、サンデル教授の話のうまさゆえ。
 平等の分配の話は社会福祉にも通じるもの。なぜ行政が私達の税金で失業者を支援するのかは、みんなで住みよい社会を作るとか社会の活性化とか経済低迷から脱するという理由ではない。仕事を持つ人はたまたま仕事があるだけで、本人の努力とは関係ない、恣意的なものだかららしい。確かに就業者と失業者じゃなくて、日本語を話す人と話さない人を例に考えればその差は生まれた場所など恣意的な事柄が理由だと言える。また、恵まれない人々の利益になるような社会的・経済的不平等だけが認められるという格差原理で考えると、カンニングも認められることになるのだろうか。考え出すと止まらなくなって面白い。これが日本語教育とどうつながるのかはそのうち改めて書くことにします。

「ヨーロッパ市民の誕生―開かれたシティズンシップへ―」を読んで

2011-03-08 10:05:03 | Weblog
 「ヨーロッパ市民の誕生―開かれたシティズンシップへ―」(宮島喬)の中に、ヨーロッパのカタルーニャ地方に住む人に何人かと聞くと、「まずカタルーニャ人、かろうじてスペイン人、それ以上にヨーロッパ人」という言い方をする人が少なからずいると書いてある。こんなふうに「ヨーロッパ人」と口にする人はどんな意味や気持ちをそこに込めているのだろう。「ヨーロッパ市民」は文化的なつながりを大きく感じているようだが、ヨーロッパ市民化していく過程や各国で取り組まれている市民教育を見れば、同化教育とどう峻別していくのかは甚だ難しい。特にヨーロッパ以外の地域からの移民がどう「ヨーロッパ市民」になっていくのかは興味深い。
 ドイツは職業訓練とドイツ語教育を車の両輪と考え実施している。ベルリン市は習得機会の少ない成人対象にドイツ語講座を市内に1000か所以上設けているらしい。特に外国人の母親にドイツ語習得の機会を与えることを重要視し、子供の送り迎えに訪れる小学校や保育園の一室を借りて行われていて、自立をうながす施策となっているとのことだ。
 タイトルに「ヨーロッパ市民」とある新書ではあるが、ヨーロッパ人としてのアイデンティティを自分の中に持つには、まずはローカルなアイデンティティを形成していくことが一歩となるのではないかと考えさせられた本だった。日本語教師としても大変興味の持てる内容。

「小さな日本」「大きな日本」

2011-03-07 12:04:27 | Weblog
 昨日今日の規制仕分けでは12の論題について議論されている。今回ピックアップされた12については比較的論点を絞りやすいものが選ばれいていると思う。介護福祉士国家試験取得者のビザについての議論は12の中に入っていない。これについては論点を絞るのが難しいというか、別の大きな議論を呼ぶことになろう。それが仕分けの席でされるにふさわしいかどうか疑問だ。今回の12の論題に入らなかったのも頷ける。
 坂中秀徳氏が2004年2月号の中央公論の論文で、あるいは自身のブログで、あるいは著書「移民国家ニッポン」で、人口が減少していく日本社会で私達は2つの道、「小さな日本」か「大きな日本」か、そのどちらを目指すのかを検討しなければならないと述べている。坂中氏によれば、人口減少社会において、「小さな日本」は縮小社会・成熟社会であり、美しき衰退の道を歩むもので、日本人だけで日本国と日本社会を運営するという生き方。「大きな日本」とは経済大国・経済成長を維持し、活力ある日本社会で、外国人の大量受け入れが不可避となる。
 捉え方が多少両極端な印象は受けるが、“目指すのは「小さな日本」か「大きな日本」か”という議論は、介護福祉士の資格を持った外国人の在留資格新設や、菅直人さんの言う「平成の開国」や、TPPの問題の根幹に流れる大きくて重い要件なのかもしれない。規制仕分けなんかではちょっとやそっと扱えない。

語彙の運用

2011-03-04 10:41:35 | Weblog
 日本語教師はことばの意味や使われ方を指導することがあるわけだが、言葉の意味は辞書やものの本で調べることができても、使われ方は生の感覚を大事にしなければならない。そこで、以前は自分の普段の使い方やごく身近な周りの人に聞いたりしていたものだった。しかし最近ではネット上のブログで検索をするのも生の使われ方を得る一つの大きな手段になっている。(サーチエンジンで検索するのではなく、ブログ検索というのがミソ。)
 アメブロ、ココログ、楽天ブログ、excite、Hatena Diary、mixi・・・などなど、ブログレンタルサービスには今や数え切れないほどの種類があるが、ブログ検索を重ねていると、ブログサービスの種類によって書かれる内容に傾向があることが分かる。(検索でヒットした一覧を見る程度で、その一つ一つをきちんと読んだりはしていないが、)あるブログサービスでは政治や経済ネタを書いているブログが多いとか、あるブログサービスは日常の出来事をトピックとしたものが多いとか、あるサービスにはきっちりした文章が多いとか。そうしていろいろな場面での例文にあたれるのもブログ検索のおもしろさでもある。