lunas rotas

いつまでも、完成しないことばを紡いでいこう

EPA看護師国家試験の不合格者

2011-06-30 08:42:54 | Weblog
  今年の看護師国家試験に惜しくも不合格となったEPAインドネシア看護師候補者78名のうち68名がもう1年日本にいられることになった。国家試験で102点以上を取り、もう1年頑張る意志が確認できることが条件。
  一方、昨日紹介した記事の中で、今後「不合格のまま帰国する候補者が再チャレンジできるよう、オンライン上での学習支援や現地での模擬試験の実施を積極的に進める」とある。
  国試不合格になった人の中には既に帰国してしまった人も少なくない。彼らは一体どんな選択をするのだろうか。もう一度日本に来るか、国で学習を続けるか、あるいは国の機関で看護師として働くか、あるいはまた別の道を歩むか。一旦はあきらめて帰国してしまった人が再来日する確率はあまり高いとは思えないが。

EPA受け入れの今後の方針

2011-06-29 02:31:26 | Weblog
 先週、関係閣僚会議が開かれて、EPA看護師・介護福祉士候補者の今後の受け入れ方針が決定された。先週出た記事はこちら
 ベトナムからの受け入れ枠組みが9月には決められること、現地での日本語教育強化、インドやタイからの受け入れ要請などは以前から示されていたこと。ベトナムではヘルパー2級の養成講座をもとにした介護関係の研修も現地で行われてから来日する方針で準備が進められていると聞いている。
 是非協議してほしいと強く願うのは介護福祉士国家試験受験機会について。現状ではワンチャンス。これはどうにかしてほしい。

日本留学試験の受験者数

2011-06-28 01:37:34 | Weblog
  先週の日曜日(6/19)に日本留学試験が実施されている。応募者数の段階で例年より減少していたが、受験者数は2万人を割ってしまったようだ。特に日本国内の受験者数が減少している。日本語学校の在籍者数が減っていたのだから当然出てきた数字だとも言える。以前にも書いたが、これは震災の影響ではなく、その前から日本留学の魅力が薄れていたことを示している。そこへ来て、震災の影響。
  外国人や留学生の日本離れ。どうやって克服するか。

留学生が観光情報発信

2011-06-27 10:22:42 | Weblog
 震災以来遠のいてしまった外国人の足を日本へ戻そうとする試みは幾つかされているが、トップダウン的な情報や官公庁や組織からの情報は現在信憑性が疑われ、出せば出すほどマイナスになる要素もある。こういうとき、もっと個人からの情報や草の根的な情報のほうが耳を傾けてくれるのではないかと思う。
 なので、こういう情報の出し方は効果があるのではないだろうか。今や情報のキャッチは公に報道されるものより、個人個人が個別につながるものでありながらもそれがマス(mass)メデイア化されていくものに大きな力がある。しかし10月からって、もっと早くできないのか?

芥川賞作家のその後

2011-06-14 01:33:24 | Weblog
  芥川賞を受賞した作家の受賞時作品以外をここのところ続けて読んでいるが、期待はずれが多くて残念。芥川賞選考委員でも、その作品に賞を与えるのか、作家のその後の活躍や将来性も加味して賞を与えるのかは議論となるところだという話をどこかで聞いたか読んだかしたことがある。芥川賞受賞作家が書いた別の作品に過度に期待してはいけないだろうが、しかし、この何とも言えない読後感は行き場をなくして私の半径50センチあたりから離れて行かない。

移民政策~スイスの場合~

2011-06-13 02:21:58 | Weblog
  ヨーロッパ、スイスの移民政策の観点からの労働市場に関する記事を読んだ。
  2002年からEUの人の往来が自由化されたスイスだが、記事によれば2003年以降スイスで新たに働き出した外国人は15万9000人とのこと。ヨーロッパ内の移民が景気後退時にスイス経済を支えたと報告。「その理由に移民が消費と不動産投資を刺激したことが挙げられている。結果、2009年に経済不況が世界を襲ったときも、スイス経済の落ち込みは、ほかの国と比較して緩やかだった」とのことだ。
  しかし一方で「スイス人の多くは、人の往来の自由化による不動産価格および家賃の高騰、インフラへの負担、社会全般に与える影響に対して不安を抱いている」ということで、人の往来に反対する主張も大きいようだ。
  多くの国が移民政策に大きく揺れている。
  記事はこちら→http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=30385164

『漢字が日本語をほろぼす』

2011-06-03 09:27:17 | Weblog
  ひととき漢字ブームが起こった。本屋に行けば漢字ブームに乗った本がたくさん平積みされていたし、テレビのクイズ番組でタレントが普通じゃ読めないような漢字を読んだり書いたりするのをよく見る。私は新聞で読めない漢字はその文字から意味を推測して「分かったことにする」。我が家には四字熟語の書かれた日めくりカレンダーがあって、私は毎日チェックし漢字と意味を照らし合わせてなるほど~とうなったりしている。知らない漢字があることをどこか卑屈にとらえ、漢字というのはそうやって永遠に勉強していくものかと無意識ながら思っていたのかもしれない。
  しかし漢字との接し方はそうあってはならないと痛快なほど新たなステージに導いてくれるのが、田中克彦氏の標題の新書。筆者は漢字を学ぶことが世界を知ることになるという一面を否定しているわけではないが「漢字は結論をあたえた、いきどまりの文字」「かなやローマ字は、意味にたどりつく前に、まだまだ長いみちのりがある。そのみちのりの中で、ことばについて深い思索や分析が必要とされる」と表現。表音文字の社会は「何千という漢字をおぼえないと、まともな市民生活を送れない漢字社会と比べれば、知識と文化のあり方に、根本的なちがいがある」と言う。
  確かに、固定化した漢字の知識を増やそうとするより、もっと創造的な時間が過ごせるかもしれない。漢字弱者や漢字の知識差による人の分別を生まずに、その意味でも豊かな社会が営まれるかもしれない。漢字を読めたり漢字を見ただけで納得してしまったりすることによって考えるのをストップしているという事実はもっと強く認識すべきだと感じた。もちろん筆者が書名で「ほろぼす」とかな表記したのも考えがあってのこと。