lunas rotas

いつまでも、完成しないことばを紡いでいこう

今年度フィリピンからのEPA

2011-07-22 06:09:26 | Weblog
 フィリピンからの看護師と介護福祉士候補者が来日している。看護師は既に5月、介護福祉士は今週頭に来日した。去年までと違い、今年はフィリピンで日本語研修を2~3か月受けている。日本語力の面では介護施設に着任する段階で去年とは異なるだろうはず。介護福祉士候補者の日本語授業は本日始動。より高いレベルを目指して尽力します!

「あらたにす」投稿

2011-07-21 08:22:15 | Weblog
 「あらたにす」という朝日、日経、読売新聞3社が合同で運営するネット上の新聞サイトがある。3紙の一面の読み比べができたりする。この「あらたにす」には投稿欄もある。時々「外国人留学生からの投稿」という分類ができることがあり、現在掲載されているものを見ると、ある一時にある地域から集中して投稿されていて、恐らく授業の一環で投稿したのだろうと分かる。斯く言う私も現在留学生の授業で「あらたにす」への投稿を扱う。多くの人に伝えたいテーマで学生は執筆中。それぞれいい意見・考えを持っているので、掲載されることを期待したい。

語彙・読解力検定の結果

2011-07-20 09:08:10 | Weblog
 先月、初めて実施された「語彙・読解力検定」というの新しいもの見たさで受験してみた。準1級と2級。どちらも合格して、認定証をいただいた。ありがたいこと。しかし合格したので書けることだが、読解問題の設問には少々違和感を覚える。問おうとしていることはいいが、選択肢に練りが足りないように感じた。また、市販されていた問題集を問いているときも当日本番も感じたのだが、私には2級のほうが難しく感じる。私の語彙範囲に偏りがあるのだろうか。
 しかし準1級と2級どちらも最高の認定スコアで合格できたことは素直にうれしい。となれば次は1級というのが順当なところだが、今年もう一度実施される検定試験ではまだ1級はない。来年から実施予定らしい。来年になれば私の新しいもの見たさの熱も冷めているか…。そういえば漢字検定も1回受けたきり次の級を受けていない。

「信じてこれたかな」

2011-07-11 09:14:14 | Weblog
  ♪あれから僕たちは何かを信じてこれたかな~♪
  言わずもがな、SMAPの名曲の一つ「夜空ノムコウ」。「信じてこれた」は、ら抜き言葉。歌を聞くたびに、ら抜きだよなぁと思い、いちいちそう思っている自分を疎ましく感じる。
  最近、2歳の子どもが保育園で覚えてきたのか、この歌を歌う。「♪あれからぁ~ぼくたちは、なにかをしんじてこれたかなぁ~♪」。楽しそうに歌うので、私もつられて一緒に歌う。楽しい。気持ちいいし、リズム感も語呂もいい。そうしているうちに、最近はいちいち「ら抜き」だなんて思わなくなっていた。
  ところが、川上弘美さん「あるようなないような」に収載されている「なまなかなもの」で、この「夜空ノムコウ」のら抜きについて書かれているのを読んだ。かなり面白い視点から書かれていて深く共感を覚えた。これを読んでしまったら、当分また「♪あれからぁ~ぼくたちは、なにかをしんじてこれたかなぁ~♪」と歌いながら、「ら抜きだよね、これ」と思ってしまいそう。
  (川上弘美さんのエッセイは私の最近のお気に入り☆)

介護現場と国の見解

2011-07-08 17:06:23 | Weblog
 昨日“「義務付け・枠付けの見直し」等のための構造改革特区の共同提案に係る公開討論”なるものが開催されて、全国知事会から保育・看護・介護関連の提案が提出された。介護に関して提出された資料を見ると、人材不足をなんとか解消したくEPA人材受け入れ態勢を強化しようと考える地方や現場からの提案と、EPAはあくまで研修であって労働力不足対策ではないという立場を貫く国とのズレが浮き彫りになっている。しかし、介護福祉士国家試験の受験回数や受け入れ施設の負担軽減など、国にも是非動いてほしいと願う。

NHK「資格☆はばたく」

2011-07-07 00:35:44 | Weblog
  NHK「資格☆はばたく」という番組で今月は日本語教育能力試験が紹介されている。今夜が第一夜で、4週にわたって紹介される。番組を4回も使って日本語教師という職業が紹介されるなんて、今まではあまり聞いたことがない。画期的なことだ。
  折り紙が折れないと日本語教師にはなれないという誤解を与えるような番組構成は勘弁していただきたいが、それはさておき、私達日本語教師が参考にしなければならないのはこの番組で紹介される内容より、その内容に対するリアクション。この番組の場合はリポーターやスタジオゲストと呼ばれている人達がどんな感想を持ち、どんなコメントをするか。それが日本語教師という職業に対する世の目であるから。(まあ、パックンなぞにとっては身近な領域であろうから、コメントにも余裕がありすぎるが。)
  来週は以前の職場も出るようだから、それも楽しみ☆

外国人雇用よりも日本人雇用という考え

2011-07-06 03:44:02 | Weblog
  神奈川の介護施設での外国人雇用についての調査を読む。去年発表のものであるが、調査結果を見ると、介護施設の54.3%は今後の外国人就労に対する考え方に関して「外国人の受け入れ拡大よりも、現在では日本人の労働者確保に力を入れるべきだ」と回答していて、調査報告には「半分以上の施設は、外国人よりも日本人の雇用確保に力点を置いて考えている」とある。
  震災後、被災地やその周辺の農業や製造業の実習生・研修生が帰国して、雇用者は外国人では安定的労働力確保が難しいと感じ、日本人雇用に切り替えようとするところが多いらしい。ただ最低賃金ぎりぎりの給与しか出せない中で、日本人雇用は難しいとも言う。
  本当なら日本人を雇いたいのだという考えは勿論あるだろう。積極的に外国人を雇用するのではなく、そこには外国人に頼らねばならない事情がついてまわる。
  しかし一方で、EPAの外国人を受け入れた介護施設のある施設長は外国人雇用は国際交流だと位置付けていると話していた。育成にかかる費用や長い目で見ての採算を考えても、施設のプラスにはならない。「そんなことは期待していない、これは国際交流だと思ってやっています」と言っていた。そんなふうに踏ん張れる企業は今は少ない。そうは思いつつ、日本人雇用に回帰していく現状を手をこまねいて見ているしかないのだろうか。人を社会の成員とするには、雇用は重要な問題なのだ。

ギャップイヤー

2011-07-04 01:04:40 | Weblog
  7/1の日経新聞に、東京大学が秋入学への移行を検討しているとある。国際化への対応と、日本人学生に入学までに「ギャップイヤー」として社会経験をさせることが目的。
  震災後にボランティアを大学の単位とするか否かで論争があったが、ギャップイヤーを大学が奨励する制度を設けることは、面白い試みだと思った。ぜひやってほしい。
  普段、留学生に接する仕事をしているが、ヨーロッパからの留学生はギャップイヤーを過ごしている人が少なくない。というよりギャップイヤーを経ている人のほうが多い。ヨーロッパとアジアの留学生が文化的にも歴史的にも慣習的にも様々な面で異なることはもちろんだが、留学生一人一人を見ていると、ギャップイヤーを過ごしているか過ごしていないかということも、その個人のアイデンティティに影響しているのではないかと感じることもある。
  ギャップイヤーという言葉が既に日本で一般的かというと、そうでもない。しかし、日本人もワーホリや語学留学、ボランティアなどして数カ月とか1年単位で過ごすことはある。日本では大学在学中や一度就職して数年働いてから退職して経験する人が多いだろう。しかしヨーロッパで一般的なのは大学入学前だし、今回の東大の記事も大学入学前にギャップイヤーを過ごそうという試み。高校卒業後すぐというのは、一旦働いてから経験するのとではかなり違うように思う。
  私はただなんとなく大学へ進学してしまったが、ギャップイヤーを過ごすと自分の人生への次への目標や目的がはっきりしてくる人が増えるだろうと予測する。東京大学はこの制度を実施してほしいし、他の教育機関や企業など、周りへの影響も期待したい。

「ドナルド・キーン自伝」

2011-07-01 02:54:49 | Weblog
  自分が大学を卒業した翌年、西新宿の高層ビル街でドナルド・キーンさんが歩いているのを見て、友達と話しかけてみようかどうしようかと迷っていたら見失ってしまった経験を思い出す。

  標題の本を読んだ。文庫本「ドナルド・キーン自伝」。戦時中の日本語教育が垣間見えたり、日本文学がドナルド・キーン氏によってどんなふうに欧米で紹介されていったのかが少し分かる。この方が日本文学を世界に広めてきた力はすごい。だけどそのすごさを気負わずサラリとやっているようで、それがまたすごい。というか、本当に好きでやっているのだなと思わせられる。と同時にこの本を読んで思ったのは、ドナルド・キーンさんってかなりの変わり者だろうということ。そして、80歳をすぎて自分の人生を振り返る自伝を書くときに、さまざまな出来事よりも、人との触れ合いや友人たちとの交流についてばかりが書けることに羨ましさのようなものを感じた。