lunas rotas

いつまでも、完成しないことばを紡いでいこう

アドラー

2014-03-26 23:37:40 | Weblog
例えば我が子が「ちょっと待って」ということばを連発すると、「私がいつもそのことばを子どもに言ってるのかな」と思ってしまう・・・これはフロイト的発想。フロイトの考えに沿えば、子育ては親次第。何ごとも過去に原因があって、今の私や今の環境がある。ある意味、フロイトは人間を逃れられない連鎖、永遠に解けない呪縛の中に陥れた。

一方、アドラーは将来どうありたいかを重視する。今自分が抱く怒りの感情さえも捏造だと言う。そんな捏造はすっかり捨てろ、と。原因論じゃなくて目的論。そして「いま、ここ」を真剣に生きよと謳う。「人生とは連続する刹那」である。
アドラー心理学は、過去から自分を解放させる。何かあると自分を責めるような思考から抜け出せる。自分のこれまで抱いた感情や育ってきた環境からの影響に囚われなくていい、囚われるなということだとも言える。過去が切り離されたら、私はどう生きたいだろう。

そんなアドラーに言わせれば、ライフストーリーや自分史を書くといったことは、あっさり否定されてしまうのだろうか。『アドラー心理学入門』には、回想が語られるのは、「今のこの人のライフスタイルに合致する回想を選びだしているということです。過去の経験が今のこの人のライフスタイルを決定するというふうには考えません」と書かれている。ということは、自分史を語るようなことは、過去を紡いでどうするのだと批判されるだろうか。いや、恐らくそうではない。アドラーは経験自体が人を決めるのではなく(経験そのもの(つまり過去)が今のその人をつくる原因になるのではなく)、経験にどう意味を与えるかが人を決めると考えている。過去をすっかり捨てるというのは少々早合点なのだろう。

もう少しアドラーについて知りたいと思えた。

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