lunas rotas

いつまでも、完成しないことばを紡いでいこう

曖昧模糊の期間は功を奏するか

2006-12-19 16:53:53 | Weblog
 いったい「日本事情」とは何だったのか。今更ですが。
 文部省によって大学の留学生を対象に設置されたのは40年以上前か。当初、大学でどの程度「日本事情」という科目が行われていたのか、全体の日本語教育のコマ数のうち何%ぐらいが「日本事情」に割かれていたのか資料がないが、「日本事情」ということばを最初に耳にしたときから私は違和感を覚えていた。勿論耳慣れないということもあったろうが、今もってまだ違和感は私に存在し続ける。
 まず第一に「日本事情」と言われて具体的に思い浮かぶものがない。当時の文部省は日本の歴史や文化や経済、自然などをその内容と考えていたようで、そう言われると「いい国作ろう頼朝幕府」とか「富士山が一番高くて、琵琶湖が一番大きい」とかそういったことなのかとも思うが、第二にそれを覚えてどうする?という疑問が沸く。そう考えると、やはり具体的内容として浮かんでこないという循環に戻る。
 こんなことは既にあちこちで聞き古した議論だが、だが、こういう議論は私の職場では全くされてこなかった。そう、「いったい「日本事情」とは何だったのか」とは、私の職場において。それをもう一度考えたい。私の職場では「日本事情」は曖昧模糊とした科目で、それ故、その曖昧さを利用していろいろなことを試行する絶好の時間になっている。なぜ「日本事情」なのか、日本文化や経済や自然を教える時間なのか、そうでないのか、どう教えるのか、教えないのか、そういった議論なしに利用でき、私としては正直、ありがたかった面が多いにあった。しかし「日本事情」という科目の扱いに関する結論のないままここまで来て、やはり「日本事情」では括れないことを議論する時期が到来したことを遅ればせながら確認しなければならないと思っている。遅いかもしれないが、これが現実であり、この確認もすんなり行くかどうかは分からない。
 「日本事情」という科目設置は、一方的にステレオタイプ的日本文化や歴史の教えられる内容が学習者の獲得すべきものとはならないことを多くの日本語教育関係者に気付かせた。「日本事情」が目指した内容が「日本事情」を破綻させるという皮肉な結果を生むのだ。そういう意味では「日本事情」の担った意義は大きかった。
 フレイレは、生きながらえることと人として生きることの違いを論じ、ことばの力・対話・文字の獲得を目指して教育を行った。日本語教育が、学習者が日本で「生きながらえる」ためのものにならないよう、そのためには「日本事情」が扱う日本文化や歴史のステレオタイプから峻別しなくてはならない。そうして対話によって相互理解へ結び付くものへと転換を目指す。曖昧模糊な期間を経てステレオタイプからの峻別準備ができたと捉えられるか。まだまだ先か。これぞ対話せねばならない。