lunas rotas

いつまでも、完成しないことばを紡いでいこう

小さい「社会」

2007-04-30 23:25:42 | Weblog
 日本語学校を経て大学生となったある留学生にインタビューをして、彼女の眩しいほどの生き生きとした姿が見られた。
 この生き生きとした感じはどこから来るのだろうか。インタビューをしていて思ったのは、彼女には居場所があるということだ。今が仮の場所であったり将来に向けた準備段階であったりすることはなく、今この時も確実に彼女は自分の居場所にいて、ネットワークを持ち、足が地に付いた生活を送っているという感覚。これは彼女自身が口にしたわけではないが、対話をしていて私が感じたもの。
 一方、現実を嘆き、今は将来の夢に向かって我慢する時期で今の自分は仮の姿と云わんばかりの人に出会うことがある。こういう人はいつか夢見ていた「将来」が来て、居場所を確保することができるのだろうか?その答えを私は知らない。なぜならその人の「将来」に一緒にいたことがないから。その人が得て納得している「将来」に立ち会ったことがないから。
 だけど、彼女は常にその時その時に「居場所」がある。今を大事にして、周りの人との信頼関係を構築している。どうして彼女にはそれができるのだろう。
 インタビューをして、その鍵が少し見えたような気がする。彼女は「社会」を大きな社会と捉えるのではなく、自分の周りにいる人たちとの関係を「社会」と捉えているのだ。大きく「日本社会」だとか「大学の社会」だとか「留学生社会」だとか「日本に滞在する中国人社会」というような捉え方を(意識しているかどうかは別として)していないのではないか。自分と友人の関係や自分のバイト先の人との人間関係を大切にし、そこでの「社会」を尊重する。そうすることで彼女の「社会」を形成しているのだ。「社会」に根付き、「社会」に生きているのだ。だから彼女の居場所を創り出すことができている。彼女のいるところに彼女の居場所ができている。
 大きな「社会」と対峙する自分という位置づけをするよりも、自分の周りの友人や仲間といる場所やその関係を「社会」と位置付けることで、もっと「社会」が身近になり、否、身近というより自分と周りの人との関係そのものが「社会」となり、異国の地という緊張感や社会からの疎外感を味わうことなく、自分の居場所が作られていくのではないだろうか。そうやって結局は「社会」にしっかりと入り込んでいけるのではないだろうか。
 彼女とのインタビューでそんなことを感じた。
 だとしたら、そういった小さい「社会」を捉え、そこに根付いていけるための日本語教育があってもいいはずだ。そんな実践ができないものだろうかと・・・。思い巡らせるうちに、夜もふけていく