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Eko's スクール日記

米国ロースクールJD課程に在籍中です。こちらは旧ブログなので更新はありません。

おみくじ談義

2007-06-12 20:44:30 |  考えること
社寺仏閣とか好きなんですけど、
京都、奈良は子どもの頃から数え切れないくらい行っているし、
どこか地方へ行くときも、目ぼしいお寺や神社があればまずお参りします。
(もう一つ、なるべく立ち寄るところがありますが、その話はまた別の機会に。)

で、神社に行ったら、必要ないとき以外大抵おみくじを引きます。
経験上、おみくじというのは、ずっと先の未来というより、1歩か半歩、ちょっと先のことについて示唆してくれるというか、指針を示してくれる、そういう感じがします。Receptiveじゃないと分かりませんけど。

前もちょっと書いたけど、私は割りとよく大吉を引きます。
皆さんは「1番の大吉」って、引いたことありますか。
私はあります。しかも3回も。
奈良の不退寺(神社じゃないけどなぜかおみくじがあった。私のお気に入りのお寺です。小さいですが四季折々の花がきれいで、御本尊の藤原時代の観音様が大変に優美です。)と、あと湯島天神で2回引きました。

おみくじって、番号が振ってありますね。
で、1番の大吉っていうのは、どうやら一番いいらしいんです、見た感じ。
すべてがよい。下の項目別のところもすべてがよく書いてある。未来はすべてばら色です。

でも、「凶」も引いたことがあります。しかも2回も。
岡山の吉備津(きびつ)神社と、鎌倉の鶴岡八幡宮で。

吉備津神社のは、文脈がよく分からなかったし特に悪いことも起こらなかったのであまり印象に残っていませんが、鶴岡八幡宮のを引いたのがどういう時かというと、去年の5月、一応ロースクール受かったところもあるけど、一つwaitlistになっていて、そこからの返事を待っていたところでした。
そして出たのが「凶」。ただ、メッセージとしては、「目の前の不幸なことに落胆せずがんばれば後に必ず良くなる。」というものでした。
この少し後に、その学校から不合格の知らせが来て、そして、ロースクールへの再チャレンジを決めたのでした。

それから、あれほど連発していた大吉が、パッタリと出なくなりました。
大体小吉。良くて末吉(末吉は「吉」の「末」だから良くないと思っている人がいるかもしれませんが、あれは「末」が「吉」、つまり末広がりで良くなるという、むしろよい意味です。)。
しかし、表れているメッセージは一貫していました。
「今は大変で色々うまくいかないけど、いつか必ず良くなる。」

そして、今年の2月の末。
手術を決めて、病院からの帰り、東京大神宮で久しぶりに大吉を引きました。
出願したロースクールからもさっぱりいい知らせはないし、初めての入院・手術を決断して、色々と不安が大きいときだったので、とても嬉しかったです。
その後の展開は、ここに書いてきたとおりです。

今回進学するロースクールからの合格の知らせが来た後、湯島天神にお礼参りに行きました。
人生3回目の「1番の大吉」が出たのは、その時でした。


今日、病院に最後の診察に行ってきました。
すっかり良くなって、「もう来なくていいですね。」と先生に言っていただき、嬉しい反面、「これで卒業かぁ。。」と、ちょっと寂しい気持ちがしました。
その帰り、東京大神宮の前を通りかかりましたが、「今日はおみくじは必要ではないな。」と、立ち寄らず通り過ぎたのでした。

今日も疑問

2007-05-22 19:59:10 |  考えること
今日は放課後ツベルクリンに行ってきました。
先週とってもらった血液検査の結果が一部来ていて、風しんは抗体があるとのこと。麻しん(はしか)はまだ判明せず。
ツベルクリン、あさって見てもらうけど、心なしかすでに赤くなってる気が・・。
予防接種関係については一通り終わったらまとめて書きます。
ちなみに、今麻しんのワクチン、飛ぶように売れてる?らしいです。

で、その帰りプラプラと水着など見に行ったんですケド。
別に買うつもりはなくて、今持ってるの気に入ってるから。でも以前から気になっている傾向が、現在も変わっていないかちょっと確かめてまいりました。

変わってませんでした。
その傾向とは、「日本の水着は胸を大きくすることを強要する。」
これです。

胸が大きい人なら、ちゃんとホールドしないといけないから分かります。
でも、私は今の自分にハッピーなんですけど、っていうの許されない、義務感。むしろ、「元がどうでも胸大きくするのは礼儀」みたいな圧力。
ワイヤーや分厚いパッドでこれでもかってくらいな窮屈感。
一見無邪気な三角ブラも、触ってみるとゴッツいパッドで裏打ち&固定されていて、「三角よ、お前もか・・」とこっちはガックリうなだれちゃう。

なんでですかね。
誰が求めてる価値観なんでしょうこれ。

というわけで、私の水着はブラジル製です(自慢)。

ゆっくりと

2007-05-05 20:44:00 |  考えること
退院以来、なるべく入院時の規則正しい生活を維持するように心がけています。
早寝早起き、ごはんも自分で作ってちゃんとした時間に食べる。
外出はなるべく2,3時間におさえて家でゆっくりする。
とはいえ、NBAプレイオフやらアメリカンアイドルやらで、夜更かししちゃうこともありますが。
(Golden State Warriorsはスゴかった。今日のNew Jersey v. Toronto戦も感動した。)

昨日は、早起きは三文の得で(ってそんなに早くないけど)、入院前までの休みの日ならまだ寝てる時間にミ●シ●あけてみたら、インビテーション発見。いそいそと行ってきた(とかいって遅刻)。
それで、来ていた王子:生後5ヶ月にハート射抜かれまくり。
かわいかったです。かわいすぎでした。かわいいぜ王子!!!
それにしてもあれですね、男って、歯が生える前から歯が抜けた後まで女が好きなんやね。

リーガル系の人たちのlogicalかつ明晰な話も気持ちよくて好きなのですが、感性で勝負している人たちの話も、また違った刺激に満ちていてinspiring。
汚いもの、ともすれば醜いものをある視点で切り取ることで美を見いだし、すくい取ること。
それはまた、アートだけの話ではなくて、辛いこと、悲惨なこと、苦しいことをユーモアで笑いにかえることでもある。
人間にしかできないこと。感性を武器に人生をちょっとだけ生きやすいものにすること。生きることのきらめきをより多く見つけて味わうこと。
The art of life. The beauty of life.

その意味で、私が結構好きなのが、レーガン元大統領のエピソード。
暗殺未遂で銃撃されたレーガン氏が、病院に運ばれ急遽手術を受けます。
その場にいた医師たちに、「この中にRepublicanはいるかね。」と尋ねるレーガン氏。
医師の一人が、「Mr. President、今日だけは全員Republicanです。」

・・今日の晩御飯。
ゴーヤチャンプルー、白滝の炒め煮山椒風味、きゅうりの梅肉和え、twinsが送ってくれた上品な美味お吸い物。今日は加賀味噌味。おいしかったよ~!ありがとう。



人生ってほんとに

2007-03-28 19:05:17 |  考えること
1分先に何が起こるか分からないものです。

先週、とある講演会のようなものに出かけました。
プレゼンと引き続き繰り広げられたフロアでのディスカッションはとてもおもしろかったのですが、その帰り、偶然聴衆の一人であったある外国人と一緒になりました。
色々話をしているうちに、東京在住外国人のとあるグループがあって、その集まりが近々あるからよかったらこないか、という話になりました。
先日それに出かけていったのですが、これが非常におもしろかったです。

外国人だけでなく日本の人も多かったのですが、その中にアメリカの有名ロースクール出身の方がいらっしゃいました。
JDに行くという話をすると、かなりざっくばらんに色々話をしてくれました。
かなり厳しい話(○○大は確かに悪くはないけど、ハーバードやイェールやスタンフォードとは違う。成績がすごくよくないと、大きなlaw firmなどは難しい、等)もありましたが、私のことが何かしら気になったようで、結局一番長く話していたし、「君のこれからにとても興味がある。ぜひメールをくれ。5年後、10年後に、どんな人生を送っているか、私に忘れずメールしてくれ。」と言われました。

多分、これは、「喜んでもいいけど、これはまだ始まりにすぎない。本当に大変なのはこれからだ。」と、教えてくれているのかな、という気がします。
勉強の物理的、精神的な大変さだけでなく、年齢的なこと、言葉のハンデ、外国人がよその国の法律で食べていこうとする厳しさ、等々、これからずっとチャレンジは続くのだなと思いました。

でもその過程も含めて、自分で望んだこと。
好きなことを好きなようにやれる幸運と、いろいろな形で与えられる教えや助けに感謝しつつ、辛さも楽しさも思い切り味わっていこうと思います。

去年の私だったら、「ハーバード云々とは違う」という言葉に、多分「・・・・・」となっていたと思います。
でも今は、一連のプロセスをとことん?経てきて、自分の実力やそれを受け入れることについても色々と考え、落ち込み、消化してきました。そして、今回admitしてくれた学校が、自分の実力から言って十分すぎるくらいのところだと納得できています。

また、今回の講演会や集まりもそうですが、何かしら道が開けたり大きく得るものがある時というのは、大抵一人で出かけていったときである気がします。
一人で新しいところ、知らない人たちの中に出かけていくのは、時に気後れがしたり怖かったり、とても勇気がいるけれど、そこをえいっと乗り越えていったときに、新たな地平が開け、桁違いのことが学べるように思います。
外国旅行も、大抵一人で行って、そして五感を全開にしてあらゆることを吸収してきました。ロードアイランドに行ったときもそうだった。頼りになる人は誰もいなくてどうなることかと途方にくれたけど、そこでまたまったく新しい世界が開け、多くの大事な人たちと出会いました。

これから出かけていく世界に、どんなものが用意されているのか。今は、不安より楽しみの方が大きいです。


話がおもしろい、そして幸せ

2007-02-24 16:09:03 |  考えること
今日の郵便の来る時間は過ぎてしまった。。
今週、ロースクールからの結果はゼロ。がっかりなような、ほっとするような。
ただ、ある学校から今ごろ「あなたの○○universityの成績evaluationが来ていません。LSACにはもう送りましたか。」などというとぼけたメールが来ましたが、あわてて「すでに送ってあり、そのevaluationは昨年10月に完成した私のLSAC Foreign CAS Evaluationに反映されています。○○ DaigakuとありますがDaigakuは日本語でuniversityの意味です。」と返事をしたら特に音沙汰なし。解決したようです。ビックリしたよ。

ところで、私は話がおもしろい人が好きです。
逆に言うと、話がおもしろくない人は積極的に好きではありません。
おもしろくない話をおもしろいふりをして聞く気もありません。愛想笑いのオプションが消えたとなると、おもしろくない話をする人に対しては、
・イライラする
・無視する
・寝る
のいずれかで対応せざるをえない。
しかし興味深いことに、話がおもしろくない人は、このようなあからさまな態度に接しても、こちらのフラストレーションにはまったく無頓着につまらない話を日が暮れるまでまたは朝が来るまで続けます。けだし問題の根は同じなのでしょう。

そんなおもしろさ命の私が、溺愛している人がいます。一時期一緒に仕事をしたR男くんです。
R男くんは、色々考えることも考えているので話題という意味でもおもしろいのですが、同じことを言うにも独特の感性に基づき陳腐でないドンピシャな表現をするので、話じたいがおもしろい。仕事をしながら私は何度も笑いすぎて椅子から落ちました。
R男くんはその後外国の有名大学院に進み、何やら難しげな研究をしているのですが、今も時々海の向こうから抱腹絶倒もののハイクオリティなメールを送ってくれます。
毎回、つまらん話しかできん全国の輩に参考配布しようかと思うくらいのおもしろさです。

R男くんは、でも卒業後は普通に就職するのではなく、以前から続けているとあるクリエイティブなことを少なくとも2,3年、本腰を入れてやりたいらしいのです。

思うに、世の中には、クリエイティブ系にしろ他のことにしろ、普通の就職とかとはあまり相容れないことをやってみたい人はたくさんいるでしょう。
でも、その中には2種類の人がいて、大部分の人は、片手間にやってみる程度で結局は大勢のルートに乗っていくことで幸せを得、せいぜい「あの時俺もあれを続けていればなあ。続けてるオマエはかっこいいよ。」とノスタルジックになることで満足するタイプ。

一方、もう一つのカテゴリーに属する比較的少数の人たちは、「これをやりたい。」という気持ちをおさえていわゆる普通のルートに乗ったとしても、ちょっと大げさに言うと生きながら死んでしまうタイプです。
私の見る限り、R男くんは後者です。

別に前者より後者のほうがいいというつもりではなく、何が幸せかは人それぞれ、違う感じ方をする人と幸せをトレードしても、日々が楽しくなくなってしまうだろうな、ということです。
前者のような着実な生き方がconfortableな人の場合、やりたいことをやるリスクを取ったとしても、多分不安で落ち着かず後悔が大きくて日々幸せではなくなったりするだろうし。
(まぁ実際問題、世の中の人が全員ギター弾くかマンガ描くかしていたら政治も経済も成り立たないね。)
逆に後者も、やりたいことを追求した結果実際に花開き大きくインパクトを与えられるケースばかりではなくて、その意味ではリスクも大きいし。
(ただ多分、そういう人は、人に認められるかどうかということと同じくらい、あるいはそれ以上に、やりたいことを真摯に夢中にやっているその瞬間、その過程こそが、無上の幸せなのだと思うけど。)

ちなみに、後者の仮面を被って実際は、目の前のやるべきことからの逃げ口上を打っているだけでそれだけのpassionもtalentも有しない人っていうのもいますが、ここでは斟酌していません。そういう人にとっての幸せは、この二者ともまたちょっと違ったところにあるような気がします。

R男くんが、そのきらきら光る感性をいっぱいに花開かせてほしい、と願ってやまない今日この頃です。

季節の疑問

2007-02-12 20:40:08 |  考えること
今年も(寄付金控除の分)還付されるかな~♪と、確定申告をウェブで入力していたら・・

!!!!! 追徴じゃないの!?しかも4万6000円も!!!ノオーーーッ・・・。
ガックリ。これじゃーいつまでたっても貯金なんてできないよ。

気を取り直して、ふとあたりを見回すとなにやら巷にあふれるハート、ハート、さらにハート。
どうしようかちょっと迷ったけど、支持者約1名のお墨付きを得たので、ささやかにここに書かせていただきます。
今日のお題は、えー、「日本のバレンタインデーについて」。

一人の菓子屋のしたたかな提言に飛びつき、踊らされ続けてウン10年。
日本のバレンタインデーは、その本来の趣旨からは遠くかけ離れた一大椿事に成長してしまいました。
この日本独自の風習に関する私の疑問は3つ。
1 なぜ「女子→男子のコクハク」なのか。
2 なぜチョコなのか。
3 「義理チョコ」とは。
これです。

1については、実に罪作りな制度です。
これで夜を徹して手作りチョコなるものを作ったり、無理して高価な高級チョコを購入したりした末に、はかなく散っていった乙女が何百万人いることか。(ちなみに私も玉砕した一人。中学の頃とか。)
何でそもそも女子のほうから告白しなければならんのか。しかも突然。道端とかで。
でもまー、やりたい人はやればいいということで、これはこの辺で。

2、なぜチョコか。
古来、チョコレートは女性の食べ物と定められており、チョコに目がないのは男性ではなく女性です。最近では、自分用にもチョコを買う女性が増えていると言いますが、そんなの当たり前です。

・・ちなみにアメリカでは、そもそもバレンタインデーは色んな関係(親子、恋人、夫婦、同僚、友だち)同士で愛情(又は友情)を示しあう日ですが、チョコは圧倒的に、男性から女性にあげることが多いと思います。

日本でも、「チョコが表象する意味」を喜んでも、「チョコそのもの」が嬉しい男子は極めて少ないのではないでしょうか。あなたがもらったチョコは、結局くれた彼女か奥さまかお嬢さまが召し上がるのではありませんか。
そもそもアルファベットチョコとゴディバチョコの区別もつかないのが男性のあるべき姿。高級チョコについてウンチクたれまくる男子がいたらイヤだね。
男性が好きな食べ物と言えば、
・コロッケ
・とりから
・プリン
これに尽きるでしょう。チョコはこの中に入っていません。

そして、最大の疑問、3。いわゆる「義理チョコ」です。
いわゆる「本命チョコ」については、カップルなんだから好きなことをやっていればいいし、かく言う私も大きな声では言えませんが昔は踊ったクチですから、触れずにおきたいと思います。
しかし、胸を張っていいますが、「義理チョコ」については、物心ついてから現在に至るまであげたことはありません。
もとい、1回だけ、社会人1年生のときに「女性全員から男性全員にあげるから」とかいう名のもとに小銭をモギ取られ、ケーキか何か共同購入させられた覚えがありますが、意思に反することを強いられた悔しさは今に至るまで忘れられない。
以後は、職場でそういう話が出ても、「他の人たちがやるのは自由だけど自分は参加しない。」と言い続けてきました。
(そしたらなぜだか、たいがい「じゃあやめよう。」ということになる。だったら最初から。。)
なにやら最近は、「チョコは簡易包装で!」とか、「義理チョコとそのお返しの分のお金をみんなで恵まれないアフリカの人とかに寄付しよう!」とかいうキャンペーンが張られていたりしますが、アホらし。

そもそも、日ごろお世話になっている感謝の気持ちなら、それはその時点で「義理」ではないはず。
そして、積極的にあげたいと思わない相手ならあげなければよい。それだけのことです。

ただこの風習も、チョコ大好き人間にとっては、普段はないおいすぃーいチョコが色とりどりにたくさん出てくる、といういい点もあります。
チョコ好きとしては、なくなってほしいような、そのままでいてほしいような。

ようやく・・・

2007-01-20 19:26:20 |  考えること
今日ようやく、約10日振りで、ありがたい納豆さまの姿を拝むことが出来ました。ご存知納豆狂騒曲です。

少し前にスーパーに行って納豆がいっこもなく品切れ状態という異変に気づいたけど(その後今日に至るまで納豆にめぐりあえなかった)、地上波のテレビはNHKのニュース(とサザエさん)以外見ないのですぐには訳が分かりませんでした。
その後口コミで、某番組で今度はダイエットに効くとか喧伝されたのが原因と知り、「またか。」と正直呆れた。

前に書いた英語の勉強にも通じるけど、何でこう、何でも即効性を求めて踊らされちゃうかな。
健康な体型と適正な体重を保つというのも、バランスのいい食事を心がけて適度に体を動かすという王道に勝るものはないはず。なにゆえそれ以外のすべての極端なダイエット法を試すのに一番着実で簡単な王道だけは避けて通るのか。いつも感じる疑問です。
今の日本で何か売ろうとすれば、ダイエットと英会話に結びつければ飛ぶように売れますね。

ま、ともかく久しぶりの納豆を味わうことにします。

私の疑問

2006-11-25 11:35:26 |  考えること
おばさん・・・。実に嫌なひびきです。
言われるのも名乗るのも嫌。まあ人から言われるのは仕方がないにしても(嫌だけど)、自ら「こんなことしたらおばさんだよね~。アハ♪」なんて発言は絶対にしたくない。誰が何と言おうと、断固拒否。そんなこと言うくらいなら最初からやらなきゃいい。

そのくせ、他人のことを「おばさんっていやーね。」と批判するのは平気。
我ながら勝手なものです。
その辺の矛盾を押さえた上で、今日は私が日ごろ感じている疑問について考えてみたいと思います。

「おばさんはなぜ人を押すのか。」
これです。

通勤時間帯の満員電車内での暗黙のルールってありますよね。例えば、
・人を押さないといけないときは露骨にやらない。くるりと後ろ向きになって背中で押すか、「いや、後ろの人が押してきて・・」という仕方なさを明確にする。
・個人が使うスペースは必要最小限にとどめる。
・口に出して「混んでる」とか言わない。

これらをことごとく破るのが、時々紛れ込んでいるおばさん方(特に主婦の仲良しグループ系)です。
スペースについては、なぜか真ん中に空間を作って丸く集まり、おしゃべりしたがる。
そして必ず、人の耳元で「混んでる混んでる」と連呼して、ただでさえ高い不快指数を一気に倍増させる。
まあ、これらは普段乗ってないからルールを知らないという風に解釈もできますが、最も不思議なのが、なぜかグイグイ人を押すという点です。

混んでるからある程度お互い押し合わないといけないのは承知の上だけど、腕や手を使って露骨に押してくる人は、振り返って見てみると10人中9人はおばさんというのが私独自のリサーチの結果です。
(あとの1人はおじさんかお年寄り。お年寄りは仕方がないです。大事にしましょう。)

どうしてなんだろう。自分の行動を客観的に見られなくなるのかな。
「乗りたい」または「降りたい」という気持ちが先走りすぎて、行動の制御が利かなくなる?
周りが見えない?周りの空気が読めない?

いずれにしても、これは重要なメルクマールだというのが私の結論です。
「自分は人を押していないか。」
これをおばさん化の指標として、今後自分を戒めてまいりたいと思います。

非正規雇用の問題

2006-06-19 01:10:39 |  考えること
今回、自分がこういう立場になってみて、派遣社員や契約社員という非正規雇用形態が抱える問題というのを実感しました。(*派遣社員や契約社員の人たちが問題という意味ではありません。念のため。)

契約社員の場合は、職務や責任に限界がある、1年とかの期間限定なので不安定、何といってもボーナスがない、など、正社員に比べてずっと不利ですよね。
でもまあ一応いろいろな条件は整備されているし、働き振りによっては正社員になる道も開ける。
しかし派遣というのはいっそう問題が大きいと感じました。

契約のスパンも契約社員よりさらに短いことが多いし、私が登録した派遣会社では同じところに3年以上勤めることはできない決まりになっていました。
それはつまり、その程度の仕事しか与えられないということ。どんなに能力があってもやる気があっても、正社員に応募するときに評価されるようなキャリアとしては積み上がっていかない。
今は、企業では専門性のある仕事を正社員にやらせて、それ以外の一般事務のような仕事は極力非正規雇用の人に分担させるという形になっていて、その傾向は今後強まりこそすれ後戻りすることはないと感じました。
ということは、キャリアやスキルを持っていないと正社員になりにくいのだけど、しかし派遣社員には仕事を通じてそのキャリアを積み上げるという機会がない。悪循環です。
いったん派遣社員になると、本人の能力・やる気に関わらず、なかなか正規雇用の形態に戻るのは難しいというのがよく分かりました。

また、派遣社員でいると、だんだん自分を(正社員と比べて)一段低く見る心理状態が生まれてくるように思いました。「ワタシどうせ派遣だから・・」みたいな。この根拠なく自信満々の私でさえあやうく陥りかけた闇です。

そして何より、一番嫌だったのが、「派遣会社にピンはねされている。」ということでした。
派遣社員は派遣先の企業ではなく、派遣会社に雇用されていることになるのですが、派遣先企業が派遣社員に払う時給の何割かは派遣会社の取り分になるわけです。
「人材派遣」とか何とか看板を付け替えても、要は働かせて上前をはねるという、昔の芸者置屋(失礼!)とかと同じ構造なんですよね。しかも高く評価されるスキルが身につきにくいからそこから逃げられないようになっている。
短期間だったけど、この自分が上前をはねられているということが、本当に、とっても、すっごく嫌でした。

また、派遣会社も色々でした。基本的には総合的な大手がいろいろな面でしっかりしていて良いと思いましたし、分野を絞っている派遣会社でもある程度名の通ったところの方がよかったです。
リーガル系を専門に扱う派遣会社にも複数登録に行ったのですが、一番ひどかったところは、面談をした担当者が「改訂」を「かいちょう」と読み、敬語もめちゃくちゃ、言うこともとんちんかんで、履歴書や職務経歴書に書いてあることが理解できていないようでした。漢字が読めなかったのかもしれません。
挙句の果てにめちゃめちゃ低い時給を提示してきて、あごが床に落ちるかと思いました。
あまりにひどかったので、翌営業日の朝一で電話をして、「仕事が決まりそうなので」(←この時点ではウソ。)とサービス利用を断りました。

でも自分としては、今回の経験はいい勉強になったし、何よりいいモティベーションになりました。
今度の仕事も、一見ツナギっぽいかもしれないですが(面接でもそこを突かれた。)、自分としては将来的にやりたいことにつながると位置づけているので、これからもずっとやりたい仕事をやれるよう、自分の競争力を高めていきたいと思います。