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気ままに…

思い出のいとぐちにと

グッド・バイ

2005-10-04 | 思い出
★

「グッド・バイ」
グッド・バイ グッド・バイ グッド・バイバイ
とうさん おでかけ 手を あげて
でんしゃに のったら グッド・バイバイ


子供の頃家が商売をしていたのでかまって貰えず、私は弟を連れてよく叔母の家に遊びに来ていました。
まだ小学校にもあがっていない頃でした。

弟が覚えたてのこの歌を元気よく歌っています。
その姿を見ると、たまらなく切なくなって涙が止まらなかった… と叔母が又涙をこぼしていましたが、それを聞いて私も一緒に涙が溢れてしまいました。

私には父と一緒の写真が何枚かあり、生まれた時に父がとても喜んで抱いて歩いた事も、可愛がってくれた話も聴いています。弟は生まれて父に一度も見てもらっていません。さぞ父も生まれ来た男の子を抱きたかったことでしょう。
それを想うと今でも弟を可哀そうに思ってしまいます。
そして月日の経ってしまったことを…。
今弟の孫がちょうど可愛いさかりになりました。

思い出話から

2005-09-13 | 思い出
★

「男の子は優しい~ねぇ」


夕方母の所に寄ると丁度知り合いの方が見えました。
色々昔話をしていて、私が
「男の子はやさしいから… 」
その方
「娘は厳しいわよね~ 」

「そう言えばeko達が子供の頃、私が具合が悪くなった時にH(弟)は心配そうに 
“だいじょうぶ? ぼくが布団を敷いてあげるから早く寝てね。” そしてekoがHに
“ekoちゃん早く湯たんぽ入れてあげんだから持ってきてネ~”って言われていたね」 と…
「エ~ッ!」

小さい弟が心配して湯たんぽの事まで考えて姉の私に頼んだなんて、私はそんな出来事をすっかり忘れていたというか覚えていませんでしたが、でも言われると分かります。
ぼんやり姉さんだったので、今でもその通りでお世話になっていますから。



愛らしいもの

2005-09-10 | 思い出
可愛いでしょう~   
大切な物…。 見つけました。
多分小学校にあがった頃だったと思いますが、伯父がお土産に持ってきて下さったこけしの姉妹で、
とっても愛らしいので気に入っていました。
姉さんこけしが10センチ位、一番小さな妹こけしが5センチ位です。
自分の兄弟は弟一人だけだったので、このこけしの姉妹達を見ているのが好きで、ず~っと大切にしてきた物のひとつです。
鳴子のこけしと一緒に飾ったら…

大きなこけし と、こんなに違うんです。
大きなこけしにリンクします

どちらも可愛いですね~ 





マリー・ローランサンの絵

2005-08-28 | 思い出

片し事をしていると、読売新聞で貰った マリー・ローランサンの絵 に目が留まりました。
中学生になった頃、淡く優しい色彩で描かれたその絵が何となく好きで、部屋の机の前の壁に貼って座ると眺めていました。その頃絵の題が「接吻」というのは知りませんでしたが、優しげな感じの乙女が二人描かれていて、それを「素敵だな~、親友かしら…。それとも姉妹かな~」なんて思ったりしていました。

何年か前に、従姉妹たちと蓼科に泊りがけで行った時、  マリー・ローランサン美術館  HP に立ち寄り、素晴らしい絵を沢山見せて貰った事も思い出され、暫くその時々の楽しさ懐かしさに浸りました。


風の盆恋歌に

2005-07-06 | 思い出


「風の盆恋歌」
 
私はこの本をまだ読んだ事もありませんし歌も聴いていませんが、この言葉を見た時に胸が熱くなりました。
もう十数年前になりますが、主人共々親しくして頂いていたご夫婦の奥さんのお姉さんが、富山の八尾に住んでいらっしゃったので、そちらに行く時私達夫婦を車で連れて行って下さいました。
行ったのは八月の終わり頃で、「おわら風の盆」のお祭りは九月の1日からですが、前夜祭を行なっていました。
その時の哀愁漂う胡弓の音色と踊っている娘さんの編み笠から少しだけ覗いている横顔が印象的で、その情緒あふれる雰囲気の中を、主人と楽しく言葉を交わしながら眺めて歩いたことを思い出しました。
その後何年かして又連れて行ってもらいました。その時はもう主人は亡く、奥さんのすぐ上のお姉さんMさんとの四人でしたがこの時の思いも感慨深く、ご一緒させて頂いたこの優しかったお姉さんの、今年は一周忌をお済ませになったところです。

おわら風の盆と聞くと懐かしく、お邪魔した親戚ではとても好くして下さって本当に感謝しています。
あちらの家は間口はさほどではありませんが、奥が長くて広いのに驚きました。出逢った人々は優しくて、そばに綺麗な川が流れ、緑溢れる静かな雰囲気の好い町だなぁ… と思いました。 
上の写真は泊まったホテルで踊りを見せて頂いているところです。

 あの時… 何時までも心に残る思い出です。 

  「おわら風の盆」 ホームページです。


精勤賞

2005-06-16 | 思い出



今日も朝から小雨が降ったり止んだり、肌寒いお天気です。
ここ数年、年に一度の健康診断を受けるようになりましたが、あとは医院に行った事がありません。が、
やっぱり早く楽になりたくて、重い腰を上げて近所のお医者さんに行ってきました。
診察して頂くと、やはり風邪だそうで薬を出して下さいましたが、何か安心して直ぐに好くなりそうな気持ちになりました。

先日母の処により、お茶を飲んで帰ってきましたが、「電話をかけようかどうしようか迷ったんだけれど… どうしたの?」 と 夜になって母から電話がありました。いつもと同じで気にしていなかったので、母からの電話に驚いたのですが、「何が…? 、何でもないけど」 って言いましたが、大した事ではないのですが実は心の隅で気になっている事がちょっぴりあったんです。
自分は家族の気持ちをこんな風に解ってあげているだろうか… と考えさせられました。

祖父は、子供たちが理由なく学校を休むのをとても嫌っていました。
具合がちょっと悪いくらいでは、熱が無ければお医者さんから学校に行かされましたし、火傷をしても行きました。「行ってみて、どうしても我慢が出来なかったら先生に話しなさい」 と言われていました。そんな訳で子供は学校には毎日行くものだと自然に思うようになっていました。勉強が好きだったからではありません。勉強の事では叱られた事が無く、下がっても「今度それ以上頑張ればいいんだよ」とか「沢山目標があって好いじゃないか、頑張る張合いがあるだろう」というくらいなので、自分がちょっと気落ちするくらいで済みました。
気が付いてみると、学生時代一度も休んだ事がありませんでした。
でもそれは、両親に貰った健康な身体のお陰でした。

結婚してからもそれで何とか過ごせてきたと思う気持ちで一杯です。
健康でいられた事を心から感謝しています。




うさぎのダンス

2005-06-05 | 思い出

  嬉しかった思い出です





多分小学校2~3年生の頃だったと思いますが、学芸会で 「うさぎのダンス」 を何人かで踊ることになりました。身に着けるものは服は白、靴は赤っぽければ何でも良かったのです。いつも履いている靴が古くなっていた事もあって、母がいつの間にか赤い綺麗なズックを揃えておいてくれたので、嬉しくてそれを履いてぴょんぴょん飛びはねてみました。洋服は袖なしの白いワンピースがあったのですが、お友達が半袖だったら一緒に半袖のブラウスでもいいなぁ… と子供心に考えていましたが、学芸会の前日に叔母(父の妹)さんが見えて「ちょっとこれを着てみて ♪」と私に包みを手渡したので急いで開けてみると、ちょうちん袖で胸やスカートにフリルのついた真っ白なワンピースが出てきたので驚いてしまいました。母から聞いて一晩で縫って持ってきてくれたそうです。またまた嬉しくて飛び跳ねてしまいましたが、学芸会ではみんなと一緒でとても楽しく踊れました。

     ソソラ・ソラ・ソラ・うさぎのダンス ♪
     タラッタ・ラッタ・ラッタ・ラッタ・ラッタ・ラッタラ ♪
     飛んではねはね ピョンコ・ピョンコ 踊る ♪
     耳にハチマキ ラッタ・ラッタ・ラッタラ ♪


あの頃は、かぐや姫のお話やお月さまに兎が住んでいるという事をほんとうに信じていたわけではありませんでしたが、何となく夢を持っていて楽しかったです。
気になった星 のお月さまと
レコードプレーヤー の中の 音楽のホームページがとても素敵なのでちょっと見てね    







懐かしき父の卒業アルバム

2005-06-02 | 思い出

家が商売をしていたので、父は家を離れ他所でお世話になりながら、小諸の商業学校へ通ったそうです。 この写真は 「第三十回卒業記念アルバム」 のほんの一部です。
このアルバムも、とても大切な品です。
それと、父が大切にしていたのでしょう。
先輩方が自分達が卒業してゆく時に下さったと思われる、若くてキリッとした学生さんの写真が30枚くらいあって、裏にはそれぞれの方が父に宛てた言葉が記されてあります。この大志を抱いた学生さん達はその後どんな生活を送られたかと、ふと考えてしまいました。

  画像の上に矢印を置いて下さい。文字が現れます。

長野県立小諸商業学校校旗
学校の全景と校歌
校訓
春爛漫桜の頃の学校風景
藤村詩碑と若かりし藤村の遊びし地
壮絶な浅岳の噴火
千曲川の爽涼
懐古園風景 “桜・不開の門より・白鶴橋
古城の夕陽
天狗の露路より牙山を望む。浅岳の噴火口
スナップ “アッ 荒鷲が通るぞ・掃除は大分エエゾ・芭蕉の影にて
スナップ “銀嶺・我等の教室・祝日・窓を開ければ
 古城の雪
時事小景




自転車に乗って…

2005-05-29 | 思い出
自転車の思い出






私が自転車に乗れるようになったのは小学校に上がってからでしたが、きっかけは叔父に「教えてあげるから」と勧められたからでした。家が商売をしていたので自転車は何台かあり、その中では車体が細みのエンジ色をした軽いので、後ろを押えてもらいながら習いましたが、支えていないのに気付くと、とたんに怖くなって倒れてしまいました。運動神経の鈍い私でも何とか乗れるようになりましたが、もちろん子供のでも婦人乗りでもないので、三角乗りです。

母は仕事で乗るので婦人車でしたが、嫁いで来た時には乗れず、父が戦地に行く前に乗り方を教えてくれたそうです。自転車に乗れなくては仕事にならなかったので、乗れなかったら今頃どうしていたかしら…何て言っていました。

その母が、学校から帰ると姿が見えなくて、祖母に聞くと用事があって6キロくらい先の親戚に行ったと聞き、何回か母と一緒にリヤカーに乗せてもらって連れて行かれた其処まで、三角乗りで追いかけて行きました。夢中で着いて留守番の人に聞くと、遠い所を一人で来たのに驚いて、母は来ていないがゆっくりして行くように言われました。でも母が居ないのにゆっくりしている事もないので、止めるのも聞かずに帰って来てしまいましたが、泣きたいのを我慢しての帰りの道の遠かった事が忘れられません。
結局母は家の人たちと梨畑に行っていたそうで、私が来たのを聞き驚いて直ぐに帰ってきてくれました。言う事を聞いてゆっくりしていれば、母と一緒に遠い道のりも楽しく帰れたのに… と後になってからそう思いました。

中学生の頃には、友達と自転車で結構遠出をしましたが、結婚してからは近所の方と遠山記念館に自転車で行ったのが遠出でしょうか。今は偶にお使いで乗るくらいです。

  赤い帯状にした中の文字を白く変える事が出来ませんでした。  

嬉しい贈り物です …大切な物のひとつ

2005-05-24 | 思い出
     
    小学校のクラス会で先生に頂いた「レース編みのバッグ」です


先生からの贈り物


もう5年くらい前になりますが、
小学校に入学して思い出深い初めての担任 
A 先生とのクラス会が開かれた時に、
先生から女生徒みんなに下さった
気持ちのこもった手編みのバッグです。
嬉しくて大切に使わせていただいています。


  プレビューでは写真の周りの壁紙が見えるのですが、投稿した画面では見えません。