浄心庵・長尾弘先生「作善止悪」

「作善止悪」
三世の諸仏、過去の仏も未来の仏も現在の仏も
悉くこの法門を説き給う
良き事を行い悪しき事を止めよ

作善止悪

2020-03-20 00:47:46 | 日記

恩師のご著書「思いの中に生きる」より

             正しく見る


先の続き・・・

八正道の一番最初に「正しく見る」と説かれていますけれど、
この「正しく見る」というのはなかなか難しい問題です。
私たちが学ぶのに一番わかりやすい「正しく見る」方法といいましたら、
それはまず自分から離れてみるということです。
自分からものを見た時もう既に間違うのです。
なぜなら、この私たちには五官が与えられているからです。

眼・耳・鼻・舌・身の五官は何のために
与えられているかということを考えましたら、この肉体を保持するため、
自分の身を守るために与えられているのです。
口から食事をいただかなければなりませんし、目が見えなければ難儀ですし、
耳も聞こえなければこれも大変です。
だから、自分を守るために与えられた五官を通してものを見聞きしましたら、
どうしても自分本位の見方になってしまうのです。
そうなっても悪くないのです。
それが当たり前です。

自分本位はこの身を守るためです。
ところが、そういう思いで見た時、
もう既に思いが間違うのです。
自己中心に見ますから、
見るということに対して自己保存と自我我欲という
色眼鏡がかかっているのです。
だから、人は間違いやすいものである、
過ちを犯しやすいものであるというのは、
五官そのものが間違いを犯しやすく作られているからです。
深く追求しました時にこういうことがわかります。

このように、自分を守るためにいただいている
五官を通してものを見ますから、
どうしても自分を守りたい自己保存の思いにうつるのが当たり前です。
ですから、まず自分という立場を離れて、
たとえば、一対一の場合、常に自分の立場を離れて相手の立場に立って
ものを見させてもらった時、また、私たちを生かしていただいている
神の意識あるいは守護霊さんの立場に立って自分と相手を見た時に、
これは間違いのない正しい見方ができると思います。
ですから、常に相手の立場に立ってものを見、聞き、
また「善意なる第三者」
と信次先生がおっしゃいましたその立場に立って自分を眺め、
相手を眺めさせてもらった時、
自己から離れた正しい判断ができると思います。


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