浄心庵・長尾弘先生「作善止悪」

「作善止悪」
三世の諸仏、過去の仏も未来の仏も現在の仏も
悉くこの法門を説き給う
良き事を行い悪しき事を止めよ

「作善止悪」~心の扉~

2019-06-30 00:11:09 | 日記

 恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―3

主題:誰もが持つ偉大な智慧の力


先の続き・・・

今から78年前の1912年4月14日に起きた
タイタニック号のことをご存知でしょうか。

世界史上もっとも贅沢で、もっとも安全な客船と言われ
絶対に沈まないと宣伝されていた客船タイタニック号が
最初の航海の途中で沈没してしまったのです。

10階建てのビルよりもまだ高く、
長さはエンパイアステートビルを横にしたよりも
まだ長かった、あの巨大な船が沈んだのは、
氷にぶつかったからなのです。

鉄でできた船をも沈めてしまうほどの大きく、
恐ろしい氷の山が海中にあったのです。
このことに気を付けて航海しておれば、
タイタニック号は無事だったかもしれませんね。




「作善止悪」

2019-06-29 00:12:56 | 日記

 恩師のご著書「講演集」より


              講演、四

       自分の幸せの為に隣人を愛しなさい

この世に生きさせてもらいますと、
いろいろの出来事に出会います。
この出来事を通して、私たちは、
自分にとって都合のいい時は満足できますが、
自分にとって都合の悪い出来事に出会った場合は
自分の心を苦しめます。
世界中の人類すべてに共通して、
誰方も同じ変わらない心というのは、
「自分にとって都合がいいものは、
みな好き。都合の悪いものは、みな嫌い」
という心理です。

白人も黒人も私たち黄色人種もみな同じです。
ですから、人様にとって都合のいい自分になった時、
人は必ず自分を好きになって下さいます。
イエスは「汝の隣人を愛せよ」と言われました。
隣人とは最も身近な隣にいてくれる方のことですね。
隣とは、遠くの方とは違います。

家庭の中では夫婦であり親子であり、
職場では隣で働いている人こそが隣人です。
聖書に、「隣家を愛しなさい」とは書いてありません。
「隣り人を愛しなさい」ということです。
では、なぜ隣り人を愛さなくてはいけないかといいますと、
愛してもらうということは都合のいいことですから、
「この人は、私の為に誠心誠意尽くしてくれる。
この方は自分にとって大切な方だから、
私もこの方を大切にしなくてはいけない」といって、
自分が愛することによって、
結果として自分が愛されるのです。
愛する方が多くなればなるほど、
自分を愛して下さる方が多くなります。
つまり、愛することは自らの幸せにつながるのです。


             ~ 感謝・合掌 ~


「作善止悪」~心の扉~

2019-06-28 00:07:47 | 日記

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―3

主題:誰もが持つ偉大な智慧の力


おはようございます。
長尾弘です。
爽やかな朝のひととき
ご一緒に心の夜明けを
迎えましょう。

今朝は偉大な知恵の力について
お話させて戴きます。

私たちの顕在している表面意識を
氷山の一角であるというふうに
使うことがあります。

もともと氷山と言うのは
氷河が海に落下して
山のような氷の塊となって、
浮かんでいるものです。

大きな物では海上100メートルもあるそうですが、
それでも海中に沈んでいる部分の七分の一、
つまり、海中にはその七倍の大きさの物が
隠れているわけです。

分かっているのはほんの一部分に過ぎないということで
氷山の一角と譬(たと)えられます。
誰でも知っていることなのに、
つい忘れてしまうのが人間です。


「作善止悪」

2019-06-27 00:22:08 | 日記

           恩師のご著書「講演集」より


                講演、四

         調和された心、安らぎの心は「光」である

先の続き・・・

「では、あなたは日々の生活の中で、お父さんお母さんに逆らうことなく、
家庭の中で親への孝養を尽くしていますか」と聞きましたら、
付き添ってこられたお母さんが、「この子はもう親の言うことを聞かないで、
心配ばかりかけますから、先生、もっと言うてやって下さい」と、
おっしゃったのですね。

「それ、みなさい。その毎日の不調和な心が不調和を呼び込んだのです。
だから、心の底から当てた人を許させてもらいなさい」と言って、お願いしますと、
「許させてもらいます」と、心から許されましたら、そのムチ打ちが
治ってしまいました。

もう、一人でサッサと歩けるようになりましたね。
心の作用とは、そのようなところまで現れるのです。
ですから、常に自分の心を安らかに持たせてもらうことです。


             ~ 感謝・合掌 ~


「作善止悪」~心の扉~

2019-06-26 00:17:30 | 日記

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―3

主題:調和の心を持って
    自然に生きれば
      光の世界が見えてくる


先の続き・・・

では、もう一つ、がめつい人が何故うまく
世渡りをしているのかと、
言いますと、それはそういう冷たい嫌な方は、
人の為には何もしませんから、裏切られることも
殆ど無いのです。

その面に関してだけは自分の心を苦しめていません。
だから、案外うまくいくのです。
では、他人のことは放っておいて、
自分さえよかったらいいのかと、言いますと、
勿論、そんなことはありません。

それでは、生まれさせて戴いた目的が果たせません。
その目的とは、人々が互いに手を取り合って、
調和し、愛し合いながら、
自然の姿に沿って生きることです。
それに反して、仮の世渡りなど、うまくいっても
決して長続きしません。

何も求めず心からの親切で、自分の中に
悪に勝る、善を積めばよいのです。
苦しみは消えて光に満たされた世界に
生きられると思います。


「作善止悪」

2019-06-25 07:20:29 | 日記

恩師のご著書「講演集」より


              講演、四

       調和された心、安らぎの心は「光」である

先の続き・・・

不調和な心、つまりいらいらしたり、腹を立てたり、愚痴を言ったり、
人を恨んだり、よく、車に追突されてムチ打ち症になる方がありますね。
この世的に見ますと、自分が前を向いて坐っている所へ、後ろから来て
当たるのですから、百パーセント当てた人が悪いと面ますが、しかし、
原因の無いところに結果が現れません。
結果が現れるということは、どんなことであっても、何らかの原因が
あるのです。

後ろから車を当てられるのも、何らかの原因があるから当てられたのです。
当てられたご本人にも原因があります。
或る方がムチ打ち症になられました。
もう強度のムチ打ちで、平衡感覚を全部やられましたから、自分一人で歩く
ことができなくて、四カ月入院していたのですが、全然治りませんので、
当てた人を、「憎い、あいつは許せない、当てられなかったら、私はこんな
えらい目に遭わなくてすんだのに」と言って、相手の方を怒り、憎しみ、
恨んでいられたのですね。

三十過ぎの男の方ですが、たまたまご縁があって、
病院から私の所へこられた時は、お母さん弟さんなど、
三人ほど付き添って見えました。
一人では全く歩けないのです。
「あなたは車を当てた人をどう思っていますか」と聞きますと、
「あんな悪い奴はいません。わたしをえらい目に遭わせやがった」と言って、
恨んでいました。

そこで、「今日、その方を心から許させてもらいなさい。心の底から許させて
もらって下さい」と言いますと、「そんなもの許せますか。私の車が前を向いて
止まっている所へ、後ろから当てたのだから、あいつが全部悪い。
そんな者を許せません。
私が百パーセント悪くない」とおっしゃるのですね。
しかし、当てられるには当てられる原因があって、結果として当てられたのです。
それを、「私が一体どんな悪いことをしたというのですか」と、怒りを
向けてこられたのです。


                ~ 感謝・合掌 ~


※ ご報告

ブログ名:垂訓 URL:http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 
開設日:(2008-11-11)から本日現在(2019-6-25)までの3,853日間で
     (不可抗力で投稿できなかった日数を180として計算)
トータル訪問者数:326,512名    一日平均:85名
トータル閲覧回数:1,000,508回   一日平均:260回
トータル閲覧回数がお蔭様で100万回を超えました。

ブログ名:作善止悪 URL:http://blog.goo.ne.jp/eikawa-masato
開設日(2017-12-18)から本日現在(2019-3-15)までの 545日間で
トータル訪問者数:35,067名    一日平均:64名
トータル閲覧数:54,426回     一日平均:100回

ブログ名:法話 URL:http://blogs.yahoo.co.jp/tenzenhana
開設日:法灯・法話のブログ((2008-12-24開設) につきましては
提供先Yahooからブログの提供を本年12月を持ちまして終了する
との連絡がありました。 
従いまして、当ブログの投稿を本年6月で既に中止しました。
ブログの閲覧・投稿は2019年12月まで可能ですが、
その後は全て廃棄するとの連絡を受けています。
Yahooが廃棄する前に何らかの方法で投稿したお写真・記事等の
保存をしたく今、検討中です。

なお、暫く投稿をお休みさせて戴いておりました「明来闇去」の
ブログを再開しました。
URL: http://blog.goo.ne.jp/minraianko 

沢山の皆様の訪問ならびに閲覧ありがとうございました。
恩師「長尾弘」先生も天上界で大変喜んでおられることと
ご拝察致します。
今後とも宜しくお願い致します。



「作善止悪」~心の扉~

2019-06-24 02:25:13 | 日記

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―3

主題:調和の心を持って
    自然に生きれば
      光の世界が見えてくる


先の続き・・・

そんな訳で、人のいい親切な方が、
不幸な生活をされていることが多いのです。
善い行いをしても、自分を苦しめるようなら、
これは失格です。

あの世では地獄へ行くということになります。
善い行いを褒めてもらえなかったと、
思うことは折角の行いを悪に変えます。

礼を言われなかったと不満に思う時は、
親切な悪に変わります。

人から思っただけの物を受けなかったからと、
怒る時も、その行為は悪に変わります。
全て自分の心を苦しめたからです。

どんどん心の中に悪を積んでいることになります。
これで幸せになれる訳がありません。




「作善止悪」

2019-06-23 06:50:53 | 日記

 恩師のご著書「講演集」より


           講演、四

     調和された心、安らぎの心は「光」である

先の続き・・・

この見方からしますと、交通事故が起きた時、
目に触れた花さえ見ることができないのですから、
ましてや、心が向いていなければ、
遠い所にある信号などは目に入りません。
朝、でかける前に夫婦喧嘩をしたとします。
「ほんとうに腹が立つなあ」と、
心が喧嘩のほうにいっていますと、信号は
見えないし、車も見えません。

アッと気が付いた時は、事故を起こしています。
交通事故のほとんどは、
心が集中していないことによって起きていますから、
特に車に乗る時は、しっかりと心がここにあるように、
心を他に持っていかないようにして、運転することです。
そうしましたら、事故は案外起きません。

私が車を運転させてもらいます時、三車線の道路でしたら、
どれほど混んでおりましても、
前方の車が一台もない所を走っているのと同じ状態になります。
この前、O様が私の所に車で来て下さったのですが、
「あの混んでいる東名高速道路を、
ほとんど車のない所を帰ってきました。あれは奇跡です」と。
おっしゃっていました。

常に自分の心を調和させておきますと、車に乗っていて、
仮に後ろから車がつっ込んできましても、
当たる寸前になりますと、キーッとブレーキがかかって、
その車のほうがひっくり返ってしまいます。

こういう体験も、何回かさせてもらいました。
なぜ、こんな現象が起きるのかといいますと、
「光の中に闇は入れない」という原理によるのです。
光の中に闇は入ることができません。
調和された心、安らぎの心は「光」です。


            ~ 感謝・合掌 ~


※ 一時お休させて戴いておりました「明来闇去」のブログを再開しました。 
  URL: http://blog.goo.ne.jp/minraianko 
  皆様のご訪問をお待ちしております。


「作善止悪」~心の扉~

2019-06-22 00:35:52 | 日記


恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―3

主題:調和の心を持って
    自然に生きれば
      光の世界が見えてくる


先の続き・・

人の顔が皆違うように、人の心も皆違いますから、
裏切る人は平気で裏切っていきます。
その裏切りを受けた時に心を苦しめてしまいます。
あれだけしてあげたのに、何という恩知らずかと、
怒ります。

私はこれだけ人の為に尽くしたのに、
どうしてこんな仕打ちを受けるのかと、
夜も眠れないほど苦しみます。
人から裏切られる度に、
その人はこうして苦しみます。

親切をされる回数が多ければ、
多いだけ裏切られる回数も多くなっていきます。
私たちは自分の心を苦しめますと、
必ず自分の環境にも、肉体にも現れてきます。


「作善止悪」

2019-06-21 00:26:22 | 日記

恩師のご著書「講演集」より


            講演、四

      調和された心、安らぎの心は「光」である

先の続き・・・

今からもう七、八年前のことですが、
私は「さつき」が好きで、たくさんのさつきを植えていました。
丹精こめて育てていますと、花もその愛に応えてくれて、
見事な花を咲かせてくれます。
花がいとおしくて、玄関から座敷、庭まで
鉢に咲いた花をいっぱい並べていたのです。

その時、車のセールスの方が、車を勧めにきてくれたのですね。
玄関の花の咲いたさつきの鉢をいっぱい取り入れていたのですけれど、
その花の前で一生懸命車を何とか一台買ってもらわなくてはならないと思って、
その方の心は車を売ることに集中しています。
その方が、姿勢を変えて用紙に必要事項を書いたりしますと、
肘が花に当たりますし、お尻の位置を変えますと、
お尻が枝のところにいったりします。

私はもう花が落ちないかな、枝が折れないないかなと思って、
ハラハラして見ておりましたが、ご本人はそんなことには全く気が付きません。
やっと書類が出来あがりまして、
「判こを下さい」と言って、書類に判を押した時、
初めて、自らの意識に返られたのですね。

「ありゃー、綺麗な花が咲いていますね」とおっしゃたのです。
「あなた、今までこの花が見えなかったのですか」とたずねますと、
「全然見えませんでした」と言われるのです。
すばらしい花の中にあっても、その花さえ見ることができないことがあります。
これは現実にあったことです。
なるほど、心ここにあらざれば、目にしても見ることができません。


              ~ 感謝・合掌 ~


「作善止悪」~心の扉~

2019-06-20 01:50:06 | 日記

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―3

主題:調和の心を持って
    自然に生きれば
      光の世界が見えてくる


先の続き・・・

親切な人が不幸に生き、
がめつい人がうまくやっているの見ると、
この世は神も仏もない、
こんな事になるのはその証拠ではないか。
と、思いがちです。

けれども、ちょっと待って下さい。
実際には、神も仏もちゃんとおられます。
良い人が不幸になるのは、やはり原因があって、
その結果として現れていることなのです。

人が良くて他人に親切なところだけを見ると、
決して悪いことはされていません。
ところが、そういう親切な方は、
自分が親切だから、
他人も親切だと思っていることがあります。

これだけしてあげたら、私を滅多に裏切らないと、
思っていることもあります。

お礼や自分が困った時に助けてくれることを
期待する時があります。

自分ではなかなか認めたくなくても
良く考えてみるとそういうところがあるはずです。



「作善止悪」

2019-06-18 00:18:29 | 日記

恩師のご著書「講演集」より


           講演、四

     調和された心、安らぎの心は「光」である

先の続き・・・

しかし、私たちは今日まで平気で自分の心を苦しめてきました。
つまり、怒り、妬み、謗り、愚痴、人の悪口、陰口、恨み、憎しみ、
不要の取越し苦労、不安、恐怖などに捉わえれて、
自分の心を苦しめてきました。

この、自分で作った心の苦しみが、
自分の環境や肉体に上に苦しみとなって形をなし、
現象化してきただけのことです。
すべてがすべてそうだとは言いませんが、
例えば交通事故にしましても、ちょっとした不注意によって、
とんでもない事故に遭い、
一生の苦しみを背負う方がたくさんあります。

「心ここにあらざれば、目にして見えず、
耳にして聞こえず」と言いますが、
こんなすばらしい花を生けてもらいましても、
心を向けることがなければ、
花の美しさを見ることはできません。


              ~ 感謝・合掌 ~



「作善止悪」~心の扉~

2019-06-17 00:31:52 | 日記

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―3

主題:調和の心を持って
    自然に生きれば
      光の世界が見えてくる


先の続き・・・

これとは反対に他人はどうでもいい、
自分さえよければいいと考えている人が
案外、うまく世渡りをしている例もあります。

これもどうしてでしょう。
例えば、人が道に倒れていたとしましょう。
親切な人は助け起こし、
家はどこですかと、聞いて連れて行ってあげます。

冷たい人は倒れている人なんかは見向きもしないで、
行ってしまうでしょう。
あるいは邪魔だとばかり蹴っ飛ばす人も
あるかもしれません。

もっとひどくてがめつい人は、
倒れている人のポケットにそっと、
手を突っ込んでみて、
中の物を自分のポケットに移し替えて
しまうかもしれません、

そういう人が案外うまくいっている場合がありますが、
それは何故でしょうか。



「作善止悪」

2019-06-16 00:30:35 | 日記

恩師のご著書「講演集」より


         講演、四

    調和された心、安らぎの心は「光」である

こんな拙い私の話でございますけれども、
私の話を通して肉体が癒される方もございます。
又、心の苦しみが払われる方もございます。

なぜかというと、それは「安らぎ」によるのです。
心に安らぎが与えられることによって、
病が癒されていきます。
正しい心の持ち方を知らないが為に、
私たちは何でもないことに腹を立てています。

しかも、自分が勝手な見方をしていて、
勝手に腹を立てたりします。
心を学ぶ私たちにとって一番いけないことは、
自分の心を苦しめることです。
自分の心を苦しめて、幸せになれるはずがありません。


           ~ 感謝・合掌 ~



「作善止悪」~心の扉~

2019-06-15 01:56:02 | 日記

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―3

主題:調和の心を持って
    自然に生きれば
      光の世界が見えてくる


おはようございます。
長尾弘です。
爽やかな朝のひととき
ご一緒に心の夜明けを迎えましょう。

今朝は親切な人の不幸について
お話をさせて戴きます。

世間には人の良い親切な人がいらっしゃいます。
そして、我が事を放っておいても、
人の為に尽くす、まるで神様か仏様のような
人がいらっしゃいます。

それなのに、そういう方々が案外、不幸に生きて
おられる場合がよくあります。
どうしてなんでしょうか。