浄心庵・長尾弘先生「作善止悪」

「作善止悪」
三世の諸仏、過去の仏も未来の仏も現在の仏も
悉くこの法門を説き給う
良き事を行い悪しき事を止めよ

作善止悪

2020-01-31 01:40:39 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         心の教えを正しく行うと証がついて回る

               言霊の力と細胞の意識

先の続き・・・

花粉症の方が見えたら、私はお鼻さんに対してこう呼びかけます。
「鼻の意識よ、よく聞きなさい。あなたの命も花粉の命も全く同じ命です。
同じ命が不調和を起こしてはなりません」
すると、今までぐつぐついっていた鼻が突然スースー通ります。
目だったら、「目の意識よ、よく聞きなさい。あなたは視力をあげなさい。
そうです。はっきり見なさい」と呼びかけます。
たとえば、0.5の視力表の記号がハッキリ見える位置に立って確認します。
仮にそれが二メートル離れた場所とします。

その後に同じ箇所を見ると、四メートル離れていても見える人がよくあります。
そして、足腰の弱っている方、歩くのが困難な方、いろいろ見えますが、
治りなさいと言って軽く指で押したり、足でちょっと相手の足を突いたり、
木の棒先を当てたりしただけで治ってしまうことがほとんどです。
こうして愛を念じる時には、言葉を発しなくても、相手の方に通じていくようです。
それは愛の念は神の御心と一つだからです。
日頃から神の御心にかなった生活ができていない方が、
いくら口先だけの癒しの言葉で呼びかけても効果が現れないのは当たり前です。
ただキンキラの着物とか奇異なる言動によって暗示作用が働き、一時的に治る
時もあります。

癒しを受けに見えた方を寝かせて、「神様のいとし子でございます。どうぞ健康
と幸せをお守り下さい。細胞集団の意識よ、聞きなさい。
神との約束を果たしなさい。
神との約束とは大調和です。本来の使命を果たしなさい。
不調和を起こしてはいけません」と言葉で呼びかけます。
すると、細胞の意識は素直に、言うことを聞いてくれるようです。
下垂した内臓は正しい位置に上がり、
ずれた骨なら本来の正しい位置に戻り、
不調和な癌細胞ならそれが消え始めます。

自然法則と神の御心にかなった本来の秩序を取り戻していきます。
心と体は別ではなく、体細胞の一つ一つに意識、心があります。
この心に聞いてもらうのです。
愛念によって、心の鬼を追い出すとも言えるし、
心の曇りや波動の不調和を
取り除くとも言えるでしょう。
言霊というと、何か難しい呪文を想像してしまうものですが、
ここは誤解のないように理解していただきたいと思います。




作善止悪

2020-01-30 02:55:18 | 日記

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        心の教えを正しく行うと証がついて回る

             言霊の力と細胞の意識

言葉によって、人の苦しみが消えていく場合があります。
たとえば、極度のノイローゼで家庭崩壊寸前の方が、
講演テープを聞いてくださるうちに、
すっかり健康になってしまった人もおられます。
精神病だけでなく、他の病気でもそういうことがあります。
夫婦でも離婚寸前の方がどれほど救われたかわかりません。
なぜ、このようなことが起きるのかというと、
言葉を通して今まで西に向いていたご本人の心を
ただ東に向け換えただけのことなのです。
それにより、たとえ苦しみの世界にいても、
即天国に上がれるのです。

と言いましても、それは言葉で相手の心に命令を下し、
コントロールする催眠術のような類のものではありません。
あくまでも愛の心をもって、
相手の迷っている心を呼び覚ますのです。
本人は発想の転換、想念の切り換え、
思い変えができる結果、自らを救います。
つまり、自分が本来は神の子であって、
神の御心にそって生活していさえすれば病気などになる
必要もないのであるということが
本人に自覚されたなら、癒されるということです。

その自覚によって、瞬時か少しずつ時間をかけて治るか、
それはケースにもよりますが、確実に快方に向かい始めます。
これらの出来事から見ても、心がいかに大きく肉体に
作用しているかがわかります。
言葉は単に用足しをする道具であるのみでなく、
人の思いのバイブレーションを伝えるものです。
祝詞(のりと)とかお経などは、神仏のご慈愛や叡智そのものの
響きを伝える言霊です。
これを心身の浄化された方が本当に人を
救いたいという気持ちで唱えた時、その効果は現れます。

人様が救われていただきたいという心で神様に祈って、
言霊とともに愛を送ります。
すると、これが相手の方の心と肉体細胞の意識にまで伝わります。
その結果、その方の心と身体そのものに変化が起きるのです。
乱れた波動、不調和な波動、汚れた波動が調整され、調和されます。
もともと肉体細胞も神の光でできていますから、
本来はあらゆるものと調和した状態であるのが自然なのです。


作善止悪

2020-01-29 00:10:03 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         心の教えを正しく行うと証がついて回る

            病気の原因は自分の心にある

先の続き・・・

病気になったり、不幸・災難に見舞われたりすることに
なってはじめて、
今迄の自己の生き方や心掛けというものを検討することを
余儀なくされてくるわけです。
だから,病気とは反省の機会でもあるのです。
神様が与えてくれた機会です。
病気になった赤信号が出た時に、素直に自分の心を顧みて、
間違いが見つかったならば、
すぐに反省をして、悔い改めることです。

そうすれば、神様もよく気付いてくれたとお喜びになられ、
もう病気という赤信号も必要なくなったわけですから、
病気は自然と癒え、今度は間違わないように
行きなさいよということで、
ゴーサインすなわち青信号に変わって、
再び健康な日々の生活が取り戻せるのです。

しかし、できれば病気になどなりたくないでしょうし、
周囲の人々にも心配や苦労はかけたくないものです。
また、わざわざ倒産や一家離散や離婚や事故による
怪我などあらゆる逆境を材料として
学ばせていただかなくても、自らの心を反省することを
日々怠らないという心掛けとたゆまぬ努力によって、
波風なく穏やかな人生航路を旅しながら、
喜びと感謝でいっぱいの幸福で健康な人生を歩めれば、
そのほうがいいに決まっています。

病気が癒されて喜ぶのは結構ですが、もしそれだけで満足して、
以前とほとんど変わらない心境で生活を再開するならば、
その人はなんら心の進歩に向かって努力することなしに、
いずれまた病気になれば、ただ病気が治りたい、
そして貧乏になれば、ただお金がほしいというだけで、
現世ご利益ばかりを求めていくことになります。
これではいけません。

偶然に健康であったり、病気になったり、富んだり、
貧しくなったりするのではありません。
原因結果の法則によって、そういう出来事が起きてくるのですから、
自分自身が原因をつくっていることを早く理解し、
自らの心の在り方を正すことで幸せを築き、
また自らの心の持ち方で健康にならなくてはなりません。
そうでないと、人間が例外なく神様の愛し子であり、
正しい法に従って生活していけば必ず幸せに健やかに生きられるのだという
真理は絵に描いた餅になってしまうからです。

そうでないのだということを体験で確かめられるかどうかは、
一人一人の実践にかかっているのです。
けっして、特別な力のある人に頼り続けていって、
救われるという都合のいいものではありません。
内在する神の永遠の生命は人間一人一人に本来与えられたものです。
このことを理解し実践するのが私たちの学びです。



作善止悪

2020-01-28 00:22:06 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        心の教えを正しく行うと証がついて回る

病気の原因は自分の心にある

すべてのものごとは原因と結果によって成り立っています。
病気も例外ではありません。
なぜ、病気になるのか、各人がご自分の心の中を探れば明らかです。
怒り、妬み、恨み、愚痴、悲しみ、不平不満などの思いは、
みな不調和な思いです。
これが溜まると病気として現れることが多いようです。
毒素を体の外に排泄する時に起きるという見方もあります。
浄化作用という言い方もできます。
しかし、これはあくまで結果の面を強調した言い方です。
現象化してくる前の原因である心をよく見つめて、
常に誤りの修正を心がけましょう。

不調和な思いを調和した思いに変えていくのですが、
これをしないと、いくら一時的に病気を治してもらっても、
また違う身体の場所に別の症状として現れたり、
時間がたって再発するなどということになってきてしまいます。
根っ子が絶たれない限り、何度でも同じことになります。
業とか因縁とか言いますのは、
こうした本人の心の誤った思い方の癖によって、
言葉や行いにより悪行を重ね、悪因縁をつくります。
このパターンに気付いて、これを軌道修正してはじめて、
わるいカルマから解放されるという形で消滅するものです。

人間に対して神が望んでいるのは、
幸せで健やかに生きることですから、
怒りや妬みや恨みや愚痴や悲しみや不平不満などの思いは、
大調和した光そのものの神様の御心からほど遠い思いです。
いわば思いのスモッグとして、神様の光を遮る暗黒の思いです。
神様の光は生命の力そのものでもありますから、
心がこうした不調和な思いに
覆われてしまい、神様から来る光が通らなくなると、
肉体に病気として現れてくることになります。
この心を改めるには、よほど反省深い方とか、
信仰心に厚く、常に神仏の心に照らした過ごし方を
しているという方でない限りは、
なかなか自分から気付いて改めるというわけには
行きにくいと思われます。


作善止悪

2020-01-27 00:31:38 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       心の教えを正しく行うと証がついて回る

           人々の喜びを我が喜びとする

先の続き・・・

そういうわけで、癒しは「神癒」です。
それは、技術的なものとは関係のないところに
起きてまいります。
所謂ボディーワーカーや治療家の行う癒しが、
一定期間のトレーニングを経て、
所定の技術水準をマスターしてはじめて人に施すのを
認められるというのとは、およそ異なるものです。

無償の愛の実践の数の積み重ねの量によって
神からいただいたものです。
有り難いことに、いくら大勢の方々に
会わせていただいても疲れず、
長期間にわたってお話させていただいても
水一滴飲まずに声が出続けます。
それは人様に喜んでいただくと、
その喜びは天に返って神の意識に届くからです。
喜びはその方々の心の奥底にしみわたり、
喜びを与えた方には神様を介して
再び人々の喜びがその方に光となって返り、
降り注ぎます。
その喜びによって生きさせていただき、
その喜びによってエネルギーをいただきます。




作善止悪

2020-01-26 00:40:53 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

      心の教えを正しく行うと証がついて回る

人々の喜びを我が喜びとする

先の続き・・・

ところで、どうしてこんなに幸せかというと、
自分のことを考えていないからです。
もし、自分の心配事とか利益に対する諸々の欲望を抱えて、
砂袋のように重い心を引きずって生きていれば、
絶対に人々の病を癒すことも、
喜んでいただくこともできません。
海外でよく質問されます。
なたは何によって生活をしているのかと、
無償の愛の実践と言っても、
私もただの人間です。

衣食住なくして生きることはできません。
そのためには、一週間のうち四、五日は
一生懸命身を粉にするごとく働き、
けっして暴利を貪ることなく、正しい報酬を得て生活の糧とし、
たとえ癌あるいは難病奇病が救われてもいっさいの金品の要求、
精神的要求をしたことはただの一度たりともありません。
そして、週のうち二、三日は国内・海外へ伝道、
癒しに当て、それらに関して
なんらいっさいの見返りを求めずに無償で行い、
徹底して神の御心、
太陽の心をこの身をもって実践しています。
その時こそが神が働き給います。

愛の実践を通して神の光が病める人の肉体に注がれますから、
神様から気に入っていただく人間にならない限りは、
神様の光も通ることができません。
神様の御心とは何かというと、
「いとしき我が子よ、いとおしき我が子。
そなた達は幸せに生きよ、健やかに生きよ」と
おおせられる慈愛の心です。
この御心を実践した時、神様の光が私たちを
通して他の方々に流れていく、
そういう器として私たちの肉体は神様に使っていただけます。


作善止悪

2020-01-25 00:28:42 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

          心の教えを正しく行うと証がついて回る

人々の喜びを我が喜びとする

神界や天上界の時間は短いというのは、
この世の苦しみがないからです。
苦痛を感じていれば、時間は自ずと長く感じられます。
この地上の三次元から次元が上昇するにつれて、
ちょうど富士宮の裾野からだんだんと上に登るにしたがって、
ループ状に円周が短くなっていくように、
時間は早く過ぎるようになっていきます。
それは、楽しい時に経過が早く感ぜられるようなものです。
私は朝起きてから一日が終わるまで、
喜びの中で過ごさせていただいていますから、
あっという間に一日が終わりを迎え、
気付いたら「もう寝る時間になってしまったか」と
いう具合いの毎日です。
そして、休ませていただいたら、
昼間の苦しみがないので夢を見ることもなく、
「ああ、もう朝か」という感じで朝を迎えます。
夜が明けたと思ったら、すぐに日が暮れてしまいます。
朝に感謝、夕に感謝、感謝の中に明け暮れています。
こんな調子で行けば、人生もじきに終わるなと思ってしまいます。
人間として生まれさせていただき、
人様に法のお話を聞いていただき、
そして病を癒させていただく。

人々の喜びを我が喜びとすることができる。
肉体の喜びと心の喜びをいただける。
これはもう最高の喜びをいただいたと思っています。
「ありがたや、もったいなや」いつも口からこぼれます。
世の中に偉いと言われる方々はたくさんおられますが、
私のような喜びをいただいている方は世の中に何人いるかと思うと、
つくづく幸せだなあ、もったいないなあと思います。
ある時、朝の目覚めとともにつくづくこの有り難さを
感じさせてもらったことがありました。
もうだいぶ以前に、お話をさせていただいた折に、
自分の現在の境遇を花にたとえれば、
たいした花ではないかもしれないが私なりに満開ですと言って、
「満開や春の嵐に散る桜 我も散りたし朽ち果てぬまに」と
いう歌をよみました。
この時、多くの方々が、先生まだ散らないでください、
散らないでくださいと泣きながら訴えられました。
もっとも、私たちは好きな時にあの世に帰るわけにもまいりません。
神の御心におまかせするのが最もいいのは言うまでもありません。


作善止悪

2020-01-24 00:33:24 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


     第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

      心の教えを正しく行うと証がついて回る

救霊法

古いお話ですが、ここで日露戦争があった頃にまで遡りますが、
青森県の八甲田山で、
ロシアを仮想敵国とした雪中行軍の訓練がありました。
その時に、雪の中で遭難し、二百数十名もの尊い命が失われました。
これは有名な話しで、映画化されたほどです。
二百数十名が遭難して以来、その山に泊まった人は、
雪の中を歩くザクザクという足音を耳にするようになったのです。
その場所で事故も多く起きてきました。
これはもちろん浮かばれない兵隊さんたちの霊が現わす現象です。

ご縁によりその場に行き、次のようにその方々に呼びかけました。
「あなたがたは、時代の犠牲者としてこの雪の中で亡くなられました。
本来、死というものが訪れたらこの世から思いを放して、
素晴らしい光の世界へ帰らなくてはなりません」と。
そして、帰る方法をお伝えして救われていただきました。
その方法は、「救霊」といっています。
敢えて「除霊」とか「浄霊」と呼ばないのには理由があります。
それは、悪霊退治のイメージとは正反対なものなのです。

「悪霊よ、退散しろ!」とか「浄まれっ!とか「おのれ、
迷うたかっ。夜叉と化したおまえにはこれ以上災いをさせまじ」
などと力づくでやってしまうと、
行者が九字でも切って験力を使って、
いかにも汚らわしく低級な不成仏霊を最大の憎しみをこめて
追っ払うみたいになってしまいます。
むしろこっちのほうが残忍かつ無慈悲な感じで、
心が寒くなってしまうと印象があります。
サタンと言えども神の子であるという言葉があります。
本当の神様はそんなことをされるでしょうか。
神の御心は、私心なし、自我なし、対立なし、つまり、
すべては宇宙そのものと、
また光そのものと大調和するものです。

もとはみんな神の子であるという前提のもとに、
たとえ今は悪と現れていようが、
迷える霊と現れていようが、必ず消え去る、
必ずよくなると信じることが救済の第一歩です。
かれらの意識が陥っている誤解や思い違い、
仏教なら迷いとか無明とか
転倒妄想と呼ぶ状態から、一心に真実を説いて
さしあげることにより、
その魂を救出させていただくのです。
愛の光と言霊の響きをもって、
どんな魂の方も分け隔てなしに、心の苦しみの
世界からお救いするのが愛ある方法です。
万霊済度の法だと思います。

ですから、八甲田山に行ったこの時も、
雪中行軍中に遭難して亡くなりながら、
今もさまよう兵隊さんたちに、
自分の死の自覚、死に至った理由としての時代の
犠牲ということをお話させてもらい、
それから個人の反省を勧めました。
そして、「あなたがたは神の光をいただいて
救われなければいけません、あの
光の世界へお送りしましょう」と、
経文を唱えてお聞かせしたのです。
その結果、救われてくれました。
その証拠は何かと言いますと、
もう足音が響かなくなったということです。
又、事故もなくなりました。
昭和六十三年頃のことだったと記憶しています。


作善止悪

2020-01-23 00:15:33 | 日記

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

          心の教えを正しく行うと証がついて回る

月山ハイウェイの幽霊をお救いする

これも山形の酒田での話しですが、
月山ハイウェイの件から五年も過ぎた頃のことです。
北港というところがあって、そこで次々と事故が起き、
何十人もの人が死んでいるそうです。
この恐ろしい魔の場所を是非お願いしますとのことでした。
うまくいくかいかないか、行じてみないとわかりませんよといって、
その場所へ案内されました。
その結果、ありがたいことに、その後一件も事故が起こっていないようです。
縁あるまでは、三十六回の事故で何十人もの人が死んでいたようです。
だいたい目に見えない世界のことですから、人には理解されにくいことですが、
この社会には現代医学、科学でも解決できないような、
精神病や精神異常などが少なくありません。
とくに近年は異常犯罪や少年犯罪は増えています。
精神病なら何々病と名前をつけて解明したつもりになっていますが、
それでも完全な解決は難しい問題になっています。

本当のところ、先にも述べたようにあらゆる波動が今の世にはあふれ返り。
いいものも変なものもゴチャコチャになって、
ちょっと油断すると変な波動に影響されて、
妙に寂しくなったり、イライラしてみたり、自殺したくなったり、
人を傷つけたくなったり、殺したくなったりするのです。
その中にはもう亡くなっているのに死の自覚さえできず、まだ霊界に行けずに、
幽界あたりでさまよっている霊の方々があります。
生きているのと死んでいるのとを区別のつかない方たちが、地上に未練を残し、
自分で消化しきれない思いを生きている人間に取り憑いて果たそうとするのが、
様々な事件として現れることがよくあります。
それに対する今日までのこの社会の認識も対策もあまりにも不十分すぎて、
一人一人はこうした影響から無防備であると言わざるをえません。

だから、生きている私たちがこういうさまよえる意識体と同通しないように
常に油断せず、心を正しておくことを、日頃から心がけなくてはなりません。
幽界の想念エネルギーを浄め去らない限り、この社会にはいつまでたっても
真の平和と調和はやって来ないということです。
ただ、どうしても目に見えない世界のことであるため、今のところこの三次元
の世界では、なかなかこの想念エネルギーの浄化の必要については、
その重要性がほとんど理解されていないというのが残念ながら現状です。
私たちが生まれてきて肉体をいただいて果たすべき使命と目的の一つに、
見えない世界の方々をお救いすることがあることも忘れてはならないと思います。


作善止悪

2020-01-22 00:11:28 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         心の教えを正しく行うと証がついて回る

月山ハイウェイの幽霊をお救いする

山形県の酒田市にお話に行った時のことですが、
月山ハイウェイに何度も事故が起きる魔の場所というのがあり、
そこを通りかかることになりました。
酒田でのお話が終わり、山形市に送ってもらう途中のことです。
Yさんが、「先生、もうちょっと先に行ったら、
恐ろしい所があるんです」とおっしゃるので、
説明を聞かせてもらうと、そこに来たら車が吸い寄せられ、
ハンドルがきかなくなるとのことでした。

道路のわきに平地があって、その向こうは断崖絶壁なのです。
平地の奥に大きな柳の木があってしなだれかかり、
その柳の下には昼もなお薄暗い祠がまつってあって、
たくさんの石碑があります。
つまり、舞台効果満点の場所でした。
相次ぐ自動車事故は幽霊の仕業であると、
もっぱら地元の人たちの間で評判になっていました。
浮かばれない霊が車を吸い寄せるのでしょう。
事故を見た人が警察に通報すると、
警察の方は「ああ、また幽霊にやられたなあ」と
言うくらい有名な場所でした。
「じゃあ、そこに車をとめてください」と言いますと、
「ええっ!? あんな恐ろしい所に車をとめるのですかぁ」と
いう声が返ってきました。
が、とにかくそこに車を止めてもらって、
そこで迷っている霊の方々に呼びかけ、
その場で説法によりお救いしました。

それ以後、いっさい事故は起きていないそうです。
なぜわかるのかというと、実はこれには後日譚があります。
その場所を案内してくださったYさんは、
それ以後、私が酒田に寄せってもらう度に、
私の到着の前日までには必ず警察に行って、
「去年の何月何日から今日までにここで事故は起きていますか」と
確認をとられるのだそうです。
すると、いつ聞いても、あれ以来、
一件も事故は起きていないとのことだったのです。
警察の方も不審そうな顔をされ、
「なんでそんなことを聞きにくるんですか」と
尋ねたそうです。

すると、
「いや、実は迷っている霊を救ってもらったんですよ」とYさんが
答えられ、警察の方もびっくりして、
「へぇー、日本にそんな偉い人、いるんですか。どこの方ですか」と
聞かれて、私の名前を言うと、警察手帳に記入されていたそうです。
わるいことはできません。
自らの使命を悟った時、その使命を果たすだけです。
実は迷っている方をお救いすることは、
この世に生きていらっしゃる方々をお救いすることでもあります。
放置しておいたなら、続出するだろう事故の
犠牲者の方々もお救いできるのは
極めてありがたいことです。




作善止悪

2020-01-21 00:23:17 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

          心の教えを正しく行うと証がついて回る

自然界に現れる現証

全国各地に講演や癒しに出かけると、
最悪と言えるくらい天候がわるいと天気予報で予想されていても、
その予報ははずれ、行き先で晴れてくれることが不思議と多いです。
たとえば、気象衛星による予測が降水確率100パーセントの
地域だったとしても、そこだけ晴れていることがよくあります。
日本全国雨雲で覆い尽くされている日でも、
お話に招かれて行きますと雲に丸く穴があいて、
その地域だけ日がさんさんと輝いている時もありました。
以前、台風十九号の時、山形の酒田にまいりました際も、
そこが台風の真っ真中だったにもかかわらず、
欠航だったはずの飛行機が飛んで庄内空港に降り立ったことがありました。
「JRも止まり、飛行機も飛んでいないのにどこから来られたのですか」と
不思議がられました。

また、連日の雨で県下にも水害が出ていた時に山口に
寄せてもらいました。
けれども、その日はものすごくお天気がよかったのです。
そのあとに長門に移動しますと、長門は晴れて山口は
ドシャ振りだったそうです。
九州の阿蘇に行った時のことです。
野外にシートを敷き、食事をいただいていました。

雨が降りそうですね、と言っている間に、
急に前方に大雨が降ってきました。
不思議なことに目の前で大雨が降っているのに、
私たちのところには降らないのです。
昔から夏の夕立ちは馬の背を越すと言います。
しかし、その時は夏ではなかったのです。
阿蘇の噴火口は昔から自殺の名所で有名だったそうです。
その人たちの霊を救って下さいとのことで、火口へ行きました。

すごい硫黄の臭いで喉が痛く、咳が止まりません。
もくもく白い煙が上がってきます。
火口は急な斜面で、一度落ちると自力では絶対に
上がってこれない巨大な蟻地獄のようでした。
火口に立って天に手をかざして祈りました。
しばらくして咳が全然出ませんので、気がつくと、
なんと噴火がピタッと止まって、
煙がまったく出ておりません。
きれいな火口の対岸が見えました。
地元の方によりますと、こんなことは絶対に
ないことですとの話でした。

このように法に従って己を捨てて、
人々の幸せのために身を捨てて
行動にしたがった時に、自然界も心を動かし、
様々な現象を示していただけます。
ただ、ふつうの生活のすべてから離れ、
人々のために身を犠牲にしている姿は、
この世的に見れば非愴な姿に見えると思います。

高速道路を車で走っていて、濃霧のために
道路の横の景色は全く見えないのに、
前方数十メートルはきれいに晴れていくことはよくあります。
制限時速がないドイツのアウトバーンを
170キロほどで走っていた時も、
両サイドは濃い霧の海なのに前方だけは
海が裂けたように視界が開けていきました。

日本中どこを車で走っていても、信号が赤になることが少なく、
赤でも近づくとうまい具合に青に変わってくれ、
ほとんどノンストップで目的地にたどり
着けるということはよくあります。
しかも他の車に次々に道を譲られて快調に走りながら、
常に守られているという安心感と感謝があります。


作善止悪

2020-01-20 00:13:07 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           心の教えを正しく行うと証がついて回る

            あらゆるものが光ってくる祈りの効果
先の続き・・・

祈ったら光ってくる。
理屈抜きで本当にそうなるのです。
なぜかと問うよりも直接、自分の前で祈り、
対象物が光ってくるのを体験したほうがいいでしょう。
各家庭にある仏壇で、中が暗いものがあります。
その場合はご先祖様が成仏されていないことがあります。
奥が薄暗い仏壇の前で祈らせていただくと、
だんだんと明るくなってまいります。
その変化を写真に撮影して、祈り始めから一か月後、
三か月後、半年後とそれぞれの明るさを比較すると、
最初のものがいかに暗いか、そして後になるほど
仏壇全体が光輝いているのが明らかにわかります。

また、イタリアの有名なミラノのドゥオモ
(キリスト教の聖堂)に行きました時、
手探りしなければ見えないほど暗い堂内が、祈らせていただくと、
たちまち昼間のように輝き出しました。
これは奈良県のOさんという方の旧家に伺った時のことですが、
先祖伝来の家宝である屏風絵に光を入れますと、
池の水面に映った山の木々までもが鮮明に
浮かび上がり、またそれまでなかったはずの図柄が
はっきりと浮かび上がってまいりました。
そういうことは写真でもよくあることで、掌をしばらくかざしていると、
結婚式の写真の背景にシュロの葉が浮き出てくるのです。

つまり、明るくなったので、今まで闇に沈んでいた像が鮮明になって
浮かんでくると言うこともできましょう。
ところで、浄心庵には治療をかねて、病弱の友人、兄弟の写真とか、
幸せになってほしい人の写真を持ってきて、
光を入れてくださいという方がたくさん見えます。
不思議と良い結果が出ています。
貴金属を持って来られ、これをもっと輝かせてくださいという方も
いらっしゃいます。
貴金属などは掌の上にのせ、片手をかざすとたちまち輝いてきます。
これから赤ちゃんを産み、お母さんになるという方も見えます。
そういう方にもお腹の赤ちゃんに祈ります。
「このお子の人生に健康と幸せをお守り下さい」と。

癒しをさせていただいた方で癌が治ってしまった方や
リューマチが治ったという方、
また複雑骨折や火傷などが完全によくなったという方などが
数え切れないほどいらっしゃいます。
物質も生き物も人間もおそらく意識を備えた細胞を
持っている点では変わりないと思います。
調和した神の愛の心を持って実践した時、
不調和な部分が心にせよ肉体にせよ、
調和されて完治し、物であれば浄化され、
純化されるものと考えられます。
先般、アメリカで質問がありました。
「どんな病気でもみんな治るのですか」。
それに答えました。
「どんな病気でもみんな治れば私は神様です。私は人間ですから、
どんな病気でも治ることはありません」と。
皆が治り、死ぬ人がなくなれば困ります。


作善止悪

2020-01-19 00:26:49 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         心の教えを正しく行うと証がついて回る

           行く先々で金粉が舞い降りる現証

先の続き・・・

インドのクシナガラにブッダの入滅されたところに建つ涅槃堂があります。
その中へ入らせてもらい、しばらくすると、天井は漆喰のカマボコ型ですが、
直径三、四センチくらいの大きな金箔がまるで花びらの舞い降りるように
一面に降ってきました。
インド人のガイドさんは四十前の男性でしたが、驚きのあまり心臓が急に
早く動き出し、頭の中が真っ白になって立っていることができず、その場に
うずくまり、五分くらい見動きもできなったそうです。
日本人は金を拾うのに大忙しです。
この時、九州グループのバスに同乗しておりましたが、
二十三名のうち金の降ってくるのを目撃したのは十八名、
降ってくるのを見なかったという人は五名でした。
どうして降ってくるのを見なかったのかと聞きますと、
拾うのに忙しかったそうです。
人の心はいろいろです。

その時、随行していた九州の歯医者さん夫婦ですが、
あれは長尾先生の力ではなく、
自分の力で降ったのだと吹聴して歩いていたそうです。
竜のたとえ話しがあります。
竜は池に千年、野に千年、山に千年と三千年もの長い間、
厳しい修業を積んでやっと雲を呼び、雲に乗って天に昇り、
雷を呼び、雨を降らす力を得ると言います。
さて、たまたま寄生虫が竜にとりつきました。
最初は竜の行動を見て、竜は凄いなと思いましたが、
いつも竜にくっついていると竜と同じ行動をしますので、
そのうちこの竜を動かしているのは自分の力だと錯覚してきました。
そうしてついに、自分は竜よりも偉いのだと思うようになってしまいました。
ところが、竜から離れるとただの寄生虫だったということです。
これは私たち人間社会でもよくあることです。

奇跡にとらわれては心の中道を見失い、
霊的な力に迷って増上慢となりますと、
心は本来の魂の磨きを忘れ、正しい法の実践から遠く離れてしまいます。
香港島のコンベンションセンターという場所で、
広東語と英語と二カ国語の通訳が入り、
講演をさせていただいた時のことです。
波止場で船を待っていて、いよいよドラの音とともに
船出という時に、
私の立っていた場所の足下に金粉が盛り上がっているのを
発見しました。
同行の方も見ているのですが、
歩く度に足跡のようにして金が出てきました。
ビデオにも写っていますが、
同行の方の言うのにはドンブリ一杯ほどあったそうです。
ちょうど夜間でした。
足下の金は夜空の星のようにキラキラと光り輝いておりました。


作善止悪

2020-01-18 00:56:29 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           心の教えを正しく行うと証がついて回る

行く先々で金粉が舞い降りる現証

「私は今、金粉を降らせてください、
こういう現象を見せてくださいと言ってお祈りをさせて
もらったわけではありません。
それなのに、二千五百年余りの昔のインドでゴータマシッダルタという名で
釈迦族の王子であったお釈迦様と奇跡の話しをさせていただいていると、
神様がこういう現象を実際に見せてくださるのです」と、
説明させていただきました。
また、「各地に寄せてもらいましても、その場所によって金粉の
現証がまったく現れない場合もあります。
今こういう不思議な出来事を体験させてもらえるのは、
みなさんの心が調和していたからであると思います」と、
お話をしました。
しかし、なおも会場では金粉ひろいが続いていたので、
「私が一生懸命話しをしてもみなさんが聞いてくださらなかったら・・・」と
言ったものですから、会場から爆笑が起こりました。

いつだったか、講演会に見えられたおばあちゃんから、
後で電話が入り、金粉に関して「隠しもっているでしょ」と
言われるのです。
ポケットにでもこっそりと金粉をあらかじめ忍ばせておき、
歩く度にそれをまいているというわけです。
しかし、私の仕事は詐欺師ではありません。
そんな大人げない細工をこらしてもなんにもなりません。
それどころか、神様の前に人々を欺いたならば、私は間違いなく
地獄行きです。
そんな馬鹿なことをするわけがありません。
第一、 自分の意志とは無関係に起きてくる現象です。
それは神様が人々のために見せてくださる証しですから、
種も仕掛けもございません。
心の世界と一つにつながった物質の世界で神様のお導きにより、
心の力の偉大さに目覚めさせようと奇跡を現わしてくださるのです。
奇跡というのは神の愛によるものだと思います。
ですから、私たちはここから何かを学ばないといけないのです。


作善止悪

2020-01-17 00:16:08 | 日記

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        心の教えを正しく行うと証がついて回る

          行く先々で金粉が舞い降りる現証

弟子を伝道に出される時に、お釈迦様はおっしゃいました。
「あなたたちの赴くその土地の天と地と多くの人々の幸福と利益のために
尽くしなさい」と。
我が人生の来し方をふりかえれば、長年にわたって、国内、海外を問わず、
あちらこちらへとでかけて行っては、
夜も寝ないでこの御言葉の精神を実践させていただいてきました。
地方に車で行き、講演させてもらい、癒しをさせていただく時も、
夜中にやっと寝るということが多いです。
自己の思いの中からすべての自我というものを捨て去って、
ただ赴く所の天と地と多くの方々の幸福と利益のために、
己を忘れて命をかけて自らの肉体を使わせていただいた時、
必ず神様は不思議な出来事を現わし、
その力を見せてくださいます。

空中からキラキラと金粉が舞い降りてくるという現象も、その一つです。
神様がお現わしになる「現証」です。
仏教の儀式ではよく蓮の花をかたどった紙が散華されます。
その由来は、尊いお釈迦様の説法の場で何もない宇宙空間より
蓮の花びらが舞い降りたといわれています。
しかし現実は金が舞い降りてきたのだと思います。
これも自分の体験したことですから、信じる信じないはその人の自由です。
「井の中の蛙大海を泳ぐ鯨を知らず」で、
自分で確かめ納得のいったものだけしか信じることはできません。
もう何度も何度も行く先々で金粉が降ってきたり、歩いたところに金粉が散り
敷かれていたりという体験を重ねています。

たとえば、ある時は講演会で演壇に向かって歩いていきますと、
歩いた足跡から花の咲くように次々と金が出てきて、
最後には演壇までの真っ直ぐな通路の
絨毯が一面に金を散り敷いたように黄金に輝いていました。
そのような体験からして、
お釈迦様の御足を頭上にいただいて行われる儀式も想像できます。
私のような者でも、そのような奇跡を見せていただけるのですから、
ましてやお釈迦様の場合なら当然そういうことは常にあったことでしょう。
歩かれたら必ずそこには金が出るだろうし、
お説法される時は必ずその場に金が降ってきただろうと思われます。
こういうお話をさせてもらっていた時です。
講演会の会場の天井が板張りであるのに会場一面に金粉が降り出しました。
そこにいた全員が金粉をひろうのに熱中されているので、
私の話しも一時中断せざるをえませんでした。