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浄心庵・長尾弘先生「作善止悪」

「作善止悪」
三世の諸仏、過去の仏も未来の仏も現在の仏も
悉くこの法門を説き給う
良き事を行い悪しき事を止めよ

「作善止悪」

2018-04-30 00:13:05 | 日記

   ~ 恩師の「講演集」より ~


             講演集、 一

         「三位一体の現象」

イエス様は地方を歩いて野原で、又家を借りたり、
馬小屋を借りたりして方々で話をされました。
偉大な方なので霊視がききますから、
妙なものに憑依されている人が話を聞きに入って来るなり
「サタンよ去れ」と厳しく言われるので、
その取り憑いているものが驚いて逃げる際に、
取り憑かれていた人が吹き飛ばされて倒れたりしました。

そこで、取り憑かれていた人は、自分が入って来るなり、
自分に向かって、「サタン(悪魔)」と
言われたのか思い違いをした為に、
イエスは人々から反発を買うことがよくあったのです。
私の場合は、取り憑いているものがあれば、
「どうか私の中に来なさい。
その方に取り憑いていては、あなたは救わないから、
その人から離れて私の中に来なさい」と言って、
私の中に招いてあげるのです。
すると取り憑かれていた方の具合がホット良くなる。

私はそれを受けたままにしておくと
自分が苦しいから、神様にお祈りして、
本当に帰って行かれる世界に連れて行っていただくのです。
その時、相手の方も救われるし、また私も関係がなくなり、
神様が連れて行って下さるのですが、
このことをキリスト教では三位一体と言っています。
これは特定の私にだけしか出来ないのかと言いますと、
そんなことはありません。
自分の心をしっかり持ち、心を調和し、
自分の心を知って悟ったならば誰にでもできます。
こんな私にも三位一体の現象は見せてもらえます。
ただ人間はそれぞれ皆神の子として生まれ、
尊い魂を持っているのに気付かないでいるのです。


         ~ 感謝・合掌 ~





「作善止悪」

2018-04-29 00:12:56 | 日記

     ~ 恩師の「講演集」より ~


             講演集、 一

         「自分の間違いに気付く」

今まで、自分が正しいと思っていたけど、
とんでもない間違いだったと気付いた時に人は救われていきます。
不思議なもので、私は間違いない、
私は正しいと思っている間は皆苦しんでおられますね。
申し訳なかった、
私は悪うございましたと言って自分の非に気付かれた方は、
苦しみが少なくなっておられます。これは人間の真理であって、
私達の常識と人間の心の中とは反対なのです。
例えば、つまらないことで人の半分ぐらいしか知らないのに、
人の十倍も知っているように自慢する人があります。
偉そうに自慢するといのは一番損な行いです。
人はつい自慢したがる。

自分が偉いと思ってのけ反りますと、
人の心は「なんや、あんな奴」といって、
周囲から引き下ろしにかかります。
自分が上がったら必ず引きずり下ろされます。
できた方が私は未熟者ですと言って下へ下へとさがられますと、
今度は周囲がその人を持ち上げようとします。
自分の思いとは反対になるのですね。
自然界は常に「低く低く生きよ」と教えています。
田の稲穂は実れば実るほど穂を垂れてきます。
「実るほど頭の垂れる稲穂かな」これは自然が教えてくれているのです。
あの垂れた稲穂の中に、つっと立っている稲穂は、籾を開けますと、
中は空っぽです。

若い間に雀が栄養を皆吸ってしまって滓だけが生長して立っています。
ところが実った穂は必ず頭を垂れていますね。
頭を上げている中でも、一番愚かな人は、自分の財産を誇る人です。
これは、より多く持っている人から見たら、
「あの人はあれだけしかないのか」と笑われますし、
自分より少ない人から見たら今度はやきもちを妬かれます。
嫉妬を買って損をします。
自分が過ちに気付いて、その過ちを悔い改めた時、
その罪は許されます。
キリストは「悔い改めよ。汝の罪は許されん」とおっしゃいました。
お釈迦様はこのことを仏教を通して次のように教えて下さいます。
「先に過ちを犯すとも、後に過ちを犯さざれば、
その人の世間を照らすこと、雲を離れて一人輝く満月の如し」と。
私達は先に過ちを犯しても、
のちに犯さなければ世間を照らすことができるのですね。
しかし、過ちを何回も犯したら何にもなりません。


          ~ 感謝・合掌 ~


「作善止悪」

2018-04-28 00:11:47 | 日記

      ~ 恩師の「講演集」より ~


              講演集、 一

先の続き・・・

この話をしますと、その霊が「嘘をおっしゃい。
それならば死ななくてはいけません」と
ひどいことを言います。
「神とは自らの命捨つる者に命を与え、命求める者の命を失う。
自分を捨てた時、神は命を与えて下さいます。
あなたは正しくなかった」と言って懇々と話しますと、
「なぜ私はこのように苦しまなくてはならないのか分からない。
どうぞこの苦しみの原因を教えてほしい」と、
やっと目覚めてくれたのです。
この人が、そのように人に尽くし、尽くし、また人を愛し、
愛して間違いのない生活をしていたのに、死後なぜ、
地獄の生活をしておられたのか。
それは、人様の為に尽くして自分がすばらしかったら、
人様も皆すばらしいと思っておられたのですね。
しかし、この世に生まれる前は、皆次元の違う世界にいて、
それぞれの所から生まれて来ている。
すばらしい世界にいた人は、人の難儀しているのを見て放っておけない。
しかし次元の低い世界の人は、
人から恩を受けても平気で裏切っていきます。
人の為に必死で尽くしても、人は平気で裏切っていき、
その都度この方は夜も眠れないぐらい苦しんでおられたのです。

「どうしても分かりません」とおっしゃるので、
それではあなたが地獄へ行っておられる謎を解いてあげましょう。
それは、あなたはお人が良かった。
貴方自身魂の次元が高かかったのです。
まずそのことを知りなさい。
それで難儀な人や苦しんでいる人、
不幸な人を見ると放っておけなかった。
人の苦しみを救おうと一生懸命に尽くされたのです」
「その通りでございました」「あなたは自分がすばらしいが故に、
他もすばらしいと思っておられる。
しかし魂の次元はすべて違うのですから、あなたがいくら尽くしても、
次元の低い人は、低いが故に人の世話にならなくてはならない。
魂の次元の高い人は、人から世話になれば必ず恩返しをいたします。
しかし低い方は低いが故に平気で裏切って行きます。

あなたの大きな間違いは、魂の次元を同一と見たことにあります。
その時にあなたの心はいかがでしたか」と聞きますと、
「尽くし切って裏切られた時、
この胸がはり裂けるぐらいの苦しみを味わいました」と言われます。
しかもあなたは一度で止めておけばいいのに、
自分の魂の性ゆえにそれを止めることができず、
裏切られても裏切られても人の為に尽くし、愛し続け、
善なる行いの数が多くなると共に、裏切られる数も多くなっていき、
あなたはご自身の心を数多く苦しめてこられました。
その苦しみが、あなたが地獄に行く原因となっています。
そのことを知りなさい」と言いますと、
「この世はつれないものでございますね」と言って泣いておられました。
「この世には、嫌いな人で、あんな嫌いなと思うような冷たい人が
幸せに暮らしている場合がありますが、
それは他人が苦しんでいても悲しんでいても見向きもしない
次元の低い人であって、他人に対して親切はしません。
従って裏切られることはないから、自分の心を苦しめることもなく、
案外この世的にうまくいくのです」と説明させてもらいましたら、
「よくわかりました、私が間違っていました」と言って、
自分に目覚められました。

「私を安らぎの世界へ導いて下さい」とご本人が目覚められましたから、
「では、私がほんとうの神様の使いとして、
あの光の世界へお送りしましょう」といって、あの仏教でいう極楽ですね、
私達がこの世に生まれて来る前に住んでいたすばらしい世界へ
送らせてもらいました。
その苦しみの心の罪は、腹立ち、怒り、妬み、謗り、愚痴、恨み、憎しみ、
そして嘘をつくことです。嘘を言うのも、ひどく自分の心を苦しめます。
どんなに上手に嘘をついても、
自分では嘘をついていることを全部知っています。
自分に嘘はつけません。いかに天才の嘘つきでも、
人は騙せても自分は騙せないのですね。
これは神の証しです。
嘘をつけば必ずばれてくるようになっていますから、
人にばれるのではないかと恐れ、
もしばれたら又次の嘘をつかねばならないことになって、
自分の心を苦しめます。心の罪を犯してはなりません。


           ~ 感謝・合掌 ~




「作善止悪」

2018-04-27 00:11:26 | 日記

   ~ 恩師の「講演集」より ~


            講演集、 一

   「善行のあと心を苦しめる―――例Ⅱ」

先日、岐阜へ招かれた後、
夜七時頃から愛知県の犬山で三時間お話をさせていただき、
そのあと身体の不調和な方に一人ずつ光を入れて、
心を直してくださいと治療をしていただいたのです。
すると一人の方が急に身体が揺れて唸り出されたので、
あなたはあとにしましょうということで、
他の皆さんの治療を先に済ませたのです。
もう夜中の一時でしたが、順番が回ってきて、
その方にどうか光をお与えくださいと
お祈りをしていました。
するとその方に霊が憑依してきたのです。
髪の長い四十歳前後の女の方で、
汚い鼻汁を流してひどく泣いています。
その泣き声の気持ち悪さは、この世のものではない。
ヒーヒーという凄い声で、私のほうにすがり寄って来られるのです。

「どうしてあなたは成仏できないのですか。
なぜ迷っておられるのですか」と尋ねますと、
ぼちぼちと生きていた時のことを話し出されました。
その方は生前カトリック系のキリスト教を信仰され、
教えの通りに人様に心から尽くし、
また人様を心から愛して、
教会には必ずお参りをして一度も欠かしたことがなく、
何一つ間違いのない生活をしてきたそうです。
それなのになぜ迷っているのか、
自分でも分からないと言われるのです。
自分は完全に生きたと思っておられるのですね。
この方は最初私に対して「欲しいんでしょう?」
と面白いことをおっしゃるんです。
お金が欲しいんでしょうと言っているのですね。

「私は何も求めません。
求めるものは何もありません。
ただあなたが救われてくれたら、それでいいのです。
いっさい求める心はありません」
と言いますと、「嘘をおっしゃい。
あなたは求めている」と、また言われます。
「あなたは神の光を求めているのでしょう」と
言っているのですね。
それで、「私は求めません。
しかし、神の光はすでにいただいております。

あなたは目覚めなさい」と言いましても、よく勉強しているので、
なかなか分かってくれなくて、私の言うことを聞いてくれません。
「私は尽くして尽くして、その愛の故に身を滅ぼした」
と言いますから、「ではあなたはなぜ苦しむのですか。
私の心には何の迷いも苦しみもありません。
あなたはそれほど信仰厚くして、
なぜ迷い苦しむのですか」と言いますと、
私に対して「お前にこのような生き方ができるか、
愛の為に自分を犠牲にすることができるものか」と言うのです。

「恐れ入ります。
私にもかつてこのようなことがありました。
まだ六、七歳の幼児が小児癌にかかって、
その母なる方からどうか助けて欲しい、
この子は医者から見放され、
命はもういくばくもありません、と頼られ、
私はどうすることもできず、その晩神様に祈りました。
私には癌の子供さんを救う力はありません。
しかし私の過去五十年を振り返りますと、
もう十二分に生きさせてもらいました。
喜びも十二分にいただきました。

それに引き比べてあの六歳の子が、
今まさに息を引き取ろうとしています。
もし許されることでしたら、私の命を今召して下さい、
私にこれから先、何年許される命か知りませんが、
その私の命をあの子に譲って下さい。
どうぞ今私の命と引き換えにあの子を救って下さい。
その時、私も今この世を去らねばいけませんから、
感慨無量になって泣いて泣いて祈り続けました。
するとその子の癌が消えました。
瀬戸内海の家島の子供です」


            ~ 感謝・合掌 ~



「作善止悪」

2018-04-26 00:21:15 | 日記

     ~ 恩師の「講演集」より ~


             講演集、 一

    「真の愛とは―――その愛の実践」

キリストは「汝の隣人を愛せよ」と言われました。
最も近い隣人である夫婦親子を大事にしなさいということですね。
では「愛」とは何でしょうか。
ある迷っている霊が出てきた時、
「愛の本質が分かっていますか」と尋ねると、
その霊は「男に裏切られて・・・」とかおしゃいます。
それは愛ではありません。
男女の愛は、愛でもその下に欲がついている「愛欲」といいます。
あの愛欲なるが故に、愛する方がもし心変わりされた時、
たちまちその愛は憎しみとなり、怒りとなり、怨みと変貌します。
しかし、本当の愛は怨みも憎しみもありません。

「愛」とはただ、させていただくのみ、他を生かす無償の行為です。
究極の愛とは自らを犠牲にして他を生かす行為ですね。
これが本当の愛です。
その極端な例があのキリスト最後の姿です。
生身に釘を打ち込み、自分を突き殺している人達にさえ、
なお「この人達の罪を許して下さい」と言っているのですが、
これは別に聖書を読んで知ったのではありません。
しかし、私達が正しい生活のうちに瞑想、或いは禅定を通して、
そういうことがはっきり分かってきます。
この話を大阪で話しさせていただいておりますと、突然、
何人もの方が大きな声をあげて泣き出され、
日本の言葉とは違う言葉とは言葉で泣き叫びながら出て来られました。

「あなた達は今私が話をさせてもらったことを、
あのゴルゴダの地において見ました。
イエスはまさにそのようにおしゃって亡くなられました」
と言って泣いておられました。
心の奥底で知っているのですが、
これは普通のこの世的な常識では考えられない心の世界です。
これが本当の愛です。
その愛をまず自分の家族の中に現わして下さい。
妻は夫に、夫は妻に、子は親に、
親は子に対してその愛を実践するのです。
その時必ず調和の光に満たされます。


           ~ 感謝・合掌 ~





「作善止悪」

2018-04-25 00:31:40 | 日記

   ~ 恩師の「講演集」より ~


           講演集、 一

     「何ものをも求めない無償の行為」

先の続き・・・

では、一体どのようにすればいいかと言いますと、
「全くの無償の行為」つまり何ものをも求めず
「ただ、させていただく」のです。
させていただくのみの善なる行為であることです。
人に喜んでほしい、お礼を言ってほしい、更には、
お礼をいただきたいという思いを
少しでも持ちますと、あとで自分を苦しめなくてはなりません。
神は私達の僕として大いなる愛を与え給います。
私達は神の僕として生まれさせてもらったのならば、
人々の僕として生き、ただ、
させていただくのみの行為をすれば、裏切られようが、
そのまま走り去って行こうが、
腹は立たないのですね。

その時善い行いをして、天の蔵に宝物を積むことができます。
腹を立てたら赤字一杯ですよ。
寒い雨の中を大奮闘したから宝を積んだだろうと思っても、
三日も四日も腹を立てていたら、
前の分の宝も全部出してしまって大損害です。
天の蔵には無償の愛、
ただ、させていただくその行為だけが宝となって積まれます。
何ら求める心なしに善い行いをすることです。
自然はすべて自分自身が「在る」ことによって他を生かします。
野菜もお米も在ることによって私達を養ってくれます。
私達が自然界の中のいろんな栄養分を吸収する為に、
実ってくれるのですね。
人に親切にするのは、川に泳ぐ魚に餌を与える如く、
何の求める心を持たず、
ただ与えさせいただくことです。


          ~ 感謝・合掌 ~





「作善止悪」

2018-04-24 00:09:50 | 日記

    ~ 恩師の「講演集」より ~


       講演集、 一

   「善行のあと心を苦しめる」

人間はどれ程善い行いをしても、
その行いによって自分を苦しめてはなりません。
私の近くに住む非常に人の良い或る男の方の話しですが、
親切でやさしくて、人が困っていたら放っておけないという方です。
私の所に来られて、
「ここ三、四日腹が立って腹が立って夜も寝られない」と言われます。
何事があったのかと聞きますと、二月のこの寒い折り、
土砂降りの中で車がエンコして難儀しておられる。
ああこんな雨の中で可哀そうにと思って自分の車を後ろに止めて、
雨でボトボトに濡れながら、「私が押してあげるから、
あなたはギヤを入れてクラッチを踏み、車が動いたらすぐ離しなさい」
と言って車を押していた。すると、
うまい具合にエンジンがかかったのですね。
ああよかったなあと思ったら、
その車はスーッと走って行ってしまったというのです。

その方は寒い中でずぶ濡れになって、
ほんまにあの人は何という人かと、
思い出せば三、四日寝られないくらい腹が立ったというのです。
「まあ、そんなに眠れない程、よう腹を立ててくれましたね。
それはあなたに求める心があったから、
その苦しみを味わったのです」と言うと、
「私は何も求めていません。
でも一言お礼を言ってもよさそうなものだ」と言いますから、
「あなたはその一言を求めていたのです。
言葉の礼、或いは喜んで欲しいと思う、その喜びを求めているのです。
何も求めていなかったら、
そのまま走って行ってもああ良かったなあと思える筈です」と言いますと、
「本当にそうですね。アホらしくなった」と、
もう機嫌を直しておられました。

そういうもので、
善い行いをしても、あとで自分を苦しめてはならないというのは、
そこにあるのですね。
一言ぐらいお礼を言ってもいいのに、と思っているのです。
これは私達が日頃、大なり小なり他に尽くして、
報われなかった時の姿です。
裏切られた場合、私達はかなり苦しみます。
困った人を見て手を貸し助けるという行為は善い行いですが、
一言の礼も言わないといって、あとで腹を立てておりましたら、
これは悪です。
不調和です。
どれ程善い行いをしても、結果として自分を苦しめては、
心の大きな罪になります。
善に勝る罪を犯したことになるのですね。
調和をはかる為には、人の為に尽くさなくてはいけませんし、
人をお助けしなくてはいけませんが、その結果として裏切られたり、
自分に都合が悪い時には、私達は自分を苦しめます。


          ~ 感謝・合掌 ~




「作善止悪」

2018-04-23 00:13:03 | 日記

   ~ 恩師の「講演集」より ~


          講演集、 一

    「心に播いた善悪の種子、その収穫」

  種子を播けば芽が出て来ます。
  芽が出れば必ず生長し、時期が来れば花が咲き、
  そのあとには必ず実りがあります。
  同じように、
  自分の心の中に苦しみの原因となる種子を播いてしまったら、
  苦しみが芽生えて生長してきます。
  時間はかかります。
  今、種子を播いたからすぐ明日収穫するというわけにはいきません。
  自然界と同じように或る時間を要します。
  自然界では桃栗三年、柿八年、
  二十日大根は二十日経てば収穫できます。

  早く現れる場合と、時間がかかって現れる場合とがあります。
  しかし、自然界のものは、せっかく丹精こめて育てましても、
  心悪しき人がちょっと失敬しようかと持って行く場合がありますが、
  自分の心の中に播いた種子は、何者も盗むことはできません。
  全部自分が収穫しなくてはなりません。
  もし善なる種子を播きますと、
  それは必ず喜びとなって自分に収穫が回って来ます。
  これはまた、誰も盗めません。
  その代わり恐ろしいのは、悪い、苦しみの種子を播いてしまったら、
  誰も取ってくれないことです。


            ~ 感謝・合掌 ~





「作善止悪」

2018-04-22 00:17:15 | 日記

   ~ 恩師の「講演集」より ~


            講演集、 一

      「親の不調和は子供に影響する」

或るお嬢さんが先日喘息で苦しんでいるということで、
そのお母さんから電話をいただきました。
電話でお祈りをして、
治っていただきましたが、そのお母さんに話したのです。
「まず心の持ち方です。
子供さんにとって両親は神以上の存在です。

その両親がヒステリーを起したら、子供さんは不安でたまりません。
そういう心の不安定が喘息となって現れる場合があるのですよ」
すると、「ほんとうにその通りです。
これからは親としてそういうことがないようにいたします」
と言っていただきましたが、両親の心の不調和は子供に影響します。
このように電話を通して喘息の発作が治りますし、
熱で身動きができない方でも、
受話器で応じていただいたら治っていただけます。


           ~ 感謝・合掌 ~


「作善止悪」

2018-04-21 00:12:53 | 日記

    ~ 恩師の「講演集」より ~


            講演集、 一

      「心の罪は法律では罰せない」

さて、私達が腹を立てたり、愚痴を言ったり、
人を謗ったりするのは、これは不調和です。
まして憎しみや恨みを持ったら大変です。
全部不調和です。

この世の法律というのは人間が作ったものですが、
自然の法は自然界に定められているものです。
  
人間の法は人の思い、心の中までも罰することはできません。
行った行動に対して罰するのが人の作った法律です。
ところが、心の中で思ったことは法律では罰せませんが,
 
心の不調和は全部罪になります。
苦しみや不幸の原因となってきます。
案外、人はこのことに気付かないのですね。
人間は感情の動物だから怒らないと損だと言って怒っている、
これはとんでもないことです。


       ~ 感謝・合掌 ~



「作善止悪」

2018-04-20 00:09:59 | 日記

    ~ 恩師の「講演集」より ~


            講演集、 一

        「無神論者の目覚め」

世間には、神様を信じない無神論者がおられます。
これは、現実に神様の慈愛をいただいていながら、
それを自覚できないでいる方です。
自ら神様をお断りしているのですから、余り幸せとは言えません。
感謝することを知りませんからね。
一方、私ほど幸せな者はおりませんという方も、
こういう話しには耳を傾けませんが、
手を合わせることを知らずに苦しむことなしには、
なかなか一生は続きません。

無神論者も、五十、六十と年を取って、突然の苦しみに襲われて、
初めて苦しみから救われたい為に道を求めて来られます。
神様、自然は私達人間に対して、何とかほんとうの心に目覚め、
神を知りなさいといって、私達に土を被せて下さいます。
種子は光の中に置けば、いつまで経っても芽が出てきません。
これを母なる大地に帰して土を被せると、初めて芽が出て来ます。

闇の中に入れられた時、勿論水分も必要ですが、
光を求めて芽が出て来るのです。
人間もそれと同じで、苦しみとか、病気とかの土が被さって、
初めて光を求めて目覚めていくのです。
私の言います神様というのは、
私達を生きさせて下さっている大自然の力のことで、
種子を播けば必ず芽生えさせてくれ、又花を咲かせ実らせてくれる、
万象万物を生かして下さっている大自然の力、
それが私の言っている神様です。
ゴッド、大宇宙を支配する力こそ真の神様です。


          ~ 感謝・合掌 ~



「作善止悪」

2018-04-19 00:09:36 | 日記

    ~ 恩師のご著書「講演集」より ~


               講演集、 一

       「真の神の慈愛は地球全土に」

ある宗教の信者さんで、奈良県の山奥、十津川の方ですが、
足の両膝関節が痛んでもう地獄さながらの状態で歩くこともできない。
それで宗教関係の方のお世話で大手術をすることになったのですが、
その三十半ばの奥さんが、たまたまご縁があって、
御主人に抱きかかえられて私の所を訪ねて来られました。
聞けば多額の寄進をしてご指導を受けられたのですね。
「あなたはもっと本部へ足を運んでお参りをしなくてはいけません。
神様の場所に足を運ぶようにと、足にその印をみせて下さったのです。
もし手術をして足が治ったら、
もっとせっせとお参りしなさい」と指導されたそうです。

そして「これは本当でしょうか」と尋ねられるので、
私は「申し訳ないけれど、それは嘘です。
神様とは、今私の目の前にもすぐ来て下さいます。
そしてあなたの住む十津川の山奥にも神様の慈愛は満ち満ちています。
地球上のどこに行かなくてはおられないというような神様は正しくない。
地球全部が神のご神体で、ご神殿です。
そして隅々まで神の慈愛に包まれています。
ですから、ほんとうの神様の慈愛とはどんなものかを、
ここであなたに見ていただきましょう」と話して、
「どうかこの方に、神様の光をお与えください。
私達の日々の生活の過ちをお許しください。
どうかこの方に調和と安らぎをお与えください」と祈りましたら、
その足が、その場で治ってしまったのです。
来る時はご主人に抱かれて運ばれて来た方が、
帰りは自分の足で走るようにして帰られました。
ほんとうに神様の慈愛は地球全土に満ち満ちております。


          ~ 感謝・合掌 ~



「作善止悪」

2018-04-18 00:43:16 | 日記

     ~ 恩師のご著書「講演集」より ~


          講演集、 一

    「真の神様と人間が作った神様」

このような不思議な自然の力、それが神の力であり、
この地上を見た時、
万象万物すべてがお互いにお互いを生かし合いながら
生きているのです。
お互いが持ちつ持たれつの法則の中に生き、
又生かされています。
この大自然の力が私の言っている神様です。大宇宙を支配し、
この地球上にあらゆる生物を育ててくれる力、
これこそ真の神様です。

この偉大な神の御業の中に生かされているということを
自覚するだけでも、今までとは人生観が変わります。
どこそこの神様が有難い、
あそこの神様に参らなかったら罰が当たるなどと言いますが、
私達が神様と思っていたのは、
常識としまして神社、仏閣、或いはお社、
祠の中にお祀りした神様ですね。
あれは皆、人間が拵えた神様で、それに私達はお参りしているのです。
ほんどうの神様とは、
人間をお造りなったその力、その力こそがほんとうの神様です。
人間が作った神様ではありません。


          ~ 感謝・合掌 ~


「作善止悪」

2018-04-17 00:09:41 | 日記

   ~ 恩師の御著書「講演集」より ~


             講演集、 一

       「太陽系に見る調和の姿」

太陽系では太陽を中心として九つの惑星が回っております。
地球をはじめ火星、木星など九つの惑星と、三万何千個の
小惑星とが寄って、一秒の狂いもなく太陽の周りを動いています。
私達は気付かずに地球に立たせてもらっていますが、
時速二万数千キロの速度で太陽の周りを回っています。
そして地球は自転して二十四時間で一回転します。

先日四国で港から船に乗りました時、
ちょうど日の出前で朝日が糸を引いたように出て来ました。
ああ有難いなあと見ているうちに、
太陽は躍り出るが如くに山の上に昇って来られたのです。
その時私はまざまざと地球の自転の早さを見せてもらいました。
あの昇って行くスピードだけ地球が回っているのです。
地球一つを見ても、
太陽の周りを地球は自転しながら回っていることを
見せてもらうことができます。
もしも太陽を壊して地球をこしらえたとしたら、
何と三十三万個ぐらいできるそうです。

それ程太陽は大きいのですね。
太陽が仮にドッジボールの大きさとしましたら、
地球の大きさはどのくらいかと言いますと、米粒か、
米粒の半分ぐらいで、その距離はドッジボールの十メートル先に
米粒があるというのが、太陽と地球との関係に当たるようです。
その地球が道もない宇宙を三百六十五回と四分の一回転した時に、
ピタッと元の位置に戻って来るのですね。
百年間に一秒の狂いもなしに回っております。
これは地球がひとりで動いているのではありません。
九つの惑星が動くことで他を動かしているのです。
他の動きによって自分が動かされているのです。


          ~ 感謝・合掌 ~



「作善止悪」

2018-04-16 00:16:44 | 日記

   ~ 恩師のご著書「講演集」より ~


          講演集、 一

     生きる目的「調和」とは

私達は何の為にこの世に生まれて来ているのか、
そして一体どこからこの世に生れさせてもらったのか――――。
これはお母さんのお腹から生まれたのですが、なるほど、
肉体は両親の縁をいただいてこの世に生れて来ておりますが、
しかし私達の心、
魂は一体どこからこの世に招いて戴いたのでしょうか。
それは、すばらしく調和された光輝くあの世の世界(内界)から、
自分の魂を広く豊かにする為に、
この世に生れて来ているのです。
この世は、
私達の魂の研修会場と思って戴いたら間違いないですね。

では一体この世で何をするのかといいますと、
私達はこの世においてお互いに手を取り合って、
助け合い補い合いながら、
調和することを目的として生まれて来ております。
「調和」に背いたら、背いた分だけ、
苦しみを戴くようになっています。
病気も、貧乏も、不幸もすべて調和からはみ出した分だけが
苦しみとして現れて来るのですね。

「調和」というのは、お互いに相互依存する中で、
他を生かす行いをすることです。
キリスト教では「愛」といいます。
この自然の世界はすべて調和されております。
私達が幸せになるには三つの柱が要ります。
まず「調和された健康」、次に「調和された経済」、
そして「調和された心」です。


          ~ 感謝・合掌 ~