浄心庵・長尾弘先生「作善止悪」

「作善止悪」
三世の諸仏、過去の仏も未来の仏も現在の仏も
悉くこの法門を説き給う
良き事を行い悪しき事を止めよ

作善止悪

2020-08-31 01:26:20 | 日記

「長尾弘先生御講演会」と書かれた後ろの垂れ幕、
舞台全体、恩師(故)長尾弘先生ご自身が白い光に包まれています。
宮崎のご講演会での不思議な出来事です。


 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~

             第二話

       平安と愛あなたたちと偕在れ


おお永遠の父なる神よ。
わたしたちのすべてに貴神の神性が植え付けられています。
わたしたちは貴神の臨在を体得し、
貴神の神性がわれわれの生命・生活・生涯の中に御自身をあらわし給い、
生きとし生ける者を祝福し給い、ありとしあらゆる者を
貴神に引き寄せ給いつつあることを知りました。
愛なる父よ、貴神の息子が語る時、
愛と理解とを以って貴神のみ言葉に耳を傾け者、
また読む者を祝福し給わんことを。
アーメン。

           書記のことば

文字は、人に霊感を与え、教えるところ多いものではあるが、
大いなる価値の真珠のように師〔原著者〕の口から連り出る
み言葉にひたすら傾聴する人々に、
忘れ得べからざる体験を与えた偉大な描写しつくすことはできない。
とはいえ、これらの文字は深き理解と愛とを以って読む者
すべてにとって大いなる価値の真珠とはなりうる。



作善止悪

2020-08-30 02:19:33 | 日記

お写真は恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの友の方たちと
イエス様に関係する史跡を訪ねてイタリアを訪問した際の
ビデオ撮影していた中に何故撮影されていたのか不明ですが
この映像が写っていました。(ビデオ撮影者は私ではありません)
(聖フランチェスコ教会、バチカン帝国、ミケランジェロ作のピエタの像、
ドミネ・クオ・ヴァディス教会(ペテロの教会=初代のローマ法王)
などを見学。  (不思議写真の一枚です)
恩師と行動する時は世界中のどこであっても難病・奇病が即時に治癒
されることは勿論ですが、常にこのような奇跡を見せて頂きました。


 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


         第二話

104. わたしはもともと単純であり、
       到達し易い〔存在〕であるから、
       たとえわたしの語る事が全部は解らないにしても、
       わたしの語ることをよく聞き、
       それに波長を合わして待つがよい。

105. すべての人が神について教えられるであろう。
       と予言書の中に書かれている。
       故に父なる神について聞いたことのある者、
       学んだことのある者はすべてわたしの許に来るがよい。

106. 光り闇の中に輝きてあれ、
       と命じ給うた父なる神が、
       わたしの胸(ハート)の中に輝き給い、
       光りと神の栄光についての悟りとを与え給う。

作善止悪

2020-08-29 00:28:10 | 日記

お写真はイスラエルに建立されている
聖墳墓教会内に安置されている聖母マリア様です。
恩師「長尾弘」先生がこの聖母マリア像に
光を送られて、そして心の中で対話をされた時、
聖母マリア様が涙を流されました。
聖墳墓教会はその昔、イエス様が磔刑に処せられた
場所ゴルゴダの丘に建っていると云われていましたが、
考古学発見が進むにつれて正確な磔刑場は今では
この場所ではないと云われています。
この聖母マリア様の像は向かって
イエス様の磔刑に処せられたものを模倣して
建てられた十字架の右横に飾りケースに
入れられて安置されています。
お写真ですからあまりクリアではありませんが、
聖母マリア様の瞼のあたりをよくご覧下さい、
涙で瞳が潤んでいるのが視認できるかと思います。
勿論、この像の材質は現地の石灰岩か
その類の物で造られています。
お写真は恩師のご著書
「真理を求める愚か者の独り言」にも紹介されて
います。(172ページ)


~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~



         第二話

104. わたしはもともと単純であり、
       到達し易い〔存在〕であるから、
       たとえわたしの語る事が全部は解らないにしても、
       わたしの語ることをよく聞き、
       それに波長を合わして待つがよい。

105. すべての人が神について教えられるであろう。
       と予言書の中に書かれている。
       故に父なる神について聞いたことのある者、
       学んだことのある者はすべてわたしの許に来るがよい。

106. 光り闇の中に輝きてあれ、
       と命じ給うた父なる神が、
       わたしの胸(ハート)の中に輝き給い、
       光りと神の栄光についての悟りとを与え給う。


作善止悪

2020-08-28 00:46:20 | 日記

お写真は恩師「長尾弘」先生が大阪の柏原市でお話を
されていた時、生けてあったまだ固い蕾だった
十五、六本のチューリップが一斉に開花したものを
この場にいた学びの友の方がカメラに収めたものです。
恩師のご著書「愚か者の独り言」講演集(一)
自然界の証明の例Ⅲとしてこの時の説明文あり(138頁)
このお写真は小生が恩師のご講演を拝聴に大阪の会場へ伺った時、
会場受付で頂戴したものです。


~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


           第二話

101. われわれは到る処でわれわれの媒体を見つけては、
     今此処でしているように、
     秘められた方法で世界到る処で真理を説いている。
     それも物質界だけではなく、
     自分の存在の本性をまだ認識していない者のいる
     内界(複数)〔霊界〕においても又説いているのである。

102. わたしはあなたたち丈ではなく、
     あなたたちの俗眼では見えない人たちにも語っているのである。
     彼等が真理を会得した時、
     彼等は前途に待ち設けている栄光に向かって邁進するであろう。
     彼等はその意識が更により高き状態に高まりゆくにつれて
     自分がもはや地縛の存在ではなく、
     自分が心の中で勝手に造り出していた束縛より放たれ、
     無礎、自在であることに気付くであろう。
     わたしの言葉を受け容れるがよい。
     そうすればあなたたちも又無礎・自在となる。

103. あなたたちの胸(ハート)を、
     神と全人類とに対する愛で満たしつづけるがよい。
     そうすれば、わたしは多くのことをあなたたちに教えよう。


作善止悪

2020-08-27 00:49:22 | 日記

添付のお写真は恩師(故)長尾弘先生の癒しの御手です。
ご覧のように金粉が沢山出ていることがお分りかと思います。
この御手で世界中の数えきれない難病・奇病が癒され、
救われました。
どなたかがこの御手をご覧になり「この手は総合病院ですか」と
恩師に尋ねておられましたが、恩師のこの御手は総合病院で
治しきれない病でもいとも簡単に治されましたし、
薬にあるような副作用もなければ、後遺症もまったく
ありませんでした。
しかもどんな難病・奇病が治ってもまったくの
恩師の愛の「無償の癒し」でしたね。


 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


            第二話

98. このことも又、
    あなたたちがこの地上で学び取らなければならないことなのである。
    これまであなたたちは、自分の尺度で悪いことをしたと決め込んた人々に対して
    愛を出し控えたことがどんなに度々あったことか。
    そのような断定はあなたたちの関知することではさらさらないのである。
    それはすべて父なる神とその子との間のことがらである。
    このことをよくよく銘記するならば、あなたたちは他を批判することがなくなり、
    批判という武器はむしろまず第一に自分自身に対して向けるようになるであろう。

99. 真っ先に自分自身の誤ちに気付けば他の人々を前よりも一層よく
    理解するようになる。

100. あなたたちはこれまでとかく人々を批難しがちであった。
     自分が批難されないためには、人を批難せぬことである。
     先ず己が目より梁を取り去るがよい。
     そうすれば同胞の目の棘の取り方も前より一層解るようになるであろう。


作善止悪

2020-08-26 00:13:06 | 日記

お写真は多くの皆様が先刻ご存知のものですが、
恩師「長尾弘」先生がイエス様についてのお話を
ご講演会でされていた時、恩師のお顔がこのお写真の
お顔に変貌されたものです。
このお写真は、お講演を聞かれていた学びの友のお方が
カメラに収めたものです。
お写真は恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」にも
紹介されています。(78ページ)


    ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


          第二話

95. 放蕩息子の寓話の中に父の愛が示されている。
    息子の放逸、その悔悛、自己自身即ち真の霊的状態の恢復。
    先ずもろもろの艱難辛苦をなめ、せっかく受け継いだ財産も蕩尽し、
    やがてみずから進んで一僕となるため帰還するがやがて本来の息子となる。

96. 息子がたとえどのようなことをしたにしても、
    父の愛は一切の誤ちを消してしまう。
    父の愛はそれほどに大きいのである。
    この事がどんなに正しいかあらゆる生活の中で証しされている。
    真理に気付いたとき誤ちは矯(ただ)される。
    それはひとつの体験であり、この体験を通じてあなたたちは種々様々の状態より
    起き上って自分自身〔真我〕を悟ることができる。
    そのとき誤ちは消えて無くなり、真理が太初(はじめ)以来の真理そのままの
    相(すがた)を現わす。

97. 悔い改めが赦しに先行する。
    父の愛が解った時始めて心底(ハート)より悔い改めが起こり、
    その時彼は真に赦されたのである。
    かくて彼は彼本来の霊的状態、すなわち自分自身が神の中にあるという自覚、
    を取り戻し、喜んですべての人々の僕となり、
    自分が他の人よりして貰いたい通りのことを人々にするようになる。
    あなたたちが放蕩息子のようになって始めて御馳走はあなたたちの前に
    並べられるのである。
    では家の中に入り、兄弟姉妹への愛をもって今こそ御馳走に与るがよい。
    愛によってのみあなたたちは父があなたの為に準備し給う御馳走を戴くことができる。


明来闇去

2020-08-24 00:48:35 | 日記

お写真は先に投稿(2020-8-24)しましたものに
関連したものですが、これも先に投稿しましたものと
同じアラビア文字で,同じ意味のことが書かれています。
小生は勿論アラビア語は分かりませんが、双方の字句を
見比べてまったく同じ字句であると理解しました。
このお写真は小生のカメラに写っていたものです。
恩師「長尾弘」先生を始めとして多くの学びの友の
方達と「モーセの御足を慕っての旅」の途中で
撮影したお写真であることは確かなのですが、
いつ、どこで何を撮ったのかまったく記憶にありません。


~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


          第二話

92. 人は自分自身の想念によって自分の獄壁を造る。
    自分で造り出した観念によってその通りに制約される。
    あなたたちの造り出す観念の中最大なものでさえ
    実は一個の制約でしかないのである。
    問題は、生命とは何かと論うことではなく、
    これが生命であると身を以って断定することである。

93. 具体的な形象を持っている類の界層における被造物は
    不可視の内因の結果である。
    あなたたちの肉体は猶一層の発展に向けての出発点となるものであり、
    その発展は、み霊こそすべてこれ常在・唯一・久遠の本質であり、力であり、
    生命であると自覚することによってなされなければならない。
    その示現が愛である。

94. 情念を尽くし、魂を尽くし、心を尽くして汝の神を愛せよ、
    汝自身のごとくに愛せよ。
    これが人類という礎石(いしずえ)の立つ律法である。



作善止悪

2020-08-24 00:36:19 | 日記

お写真はモーセの御足を慕っての恩師「長尾弘」先生の
旅でエジプトからシナイ半島を渡りヨルダンに入って
モーセの終焉の地「ネボ山」に建立されているモーセの
教会を見学して後、
カイロ国際空港へバスで移動していた時、
バスの車窓より天空にご覧のようなアラビア語を
この旅に同行されていた学びの友が見られ、
カメラに収められました。
意味は「何かが出現する」との意味だそうです。
キリスト教ではイエス様の再臨を伝道の大切な一つとして
説かれていますよね。
このことに関係することかな(?)とも思ったりもしています。
お写真は恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」
にも紹介されています。(261ページ)


        ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


            第二話

89. それは人の光であり、
    無限なる愛と智慧との顕現(あらわ)れであり、
    人類の中に完全なる状態を創造(つく)り出す。

90. あなたたちの存在の本源は神である。
    このことに目覚めるようになったとき、
    子〔イエス〕の中にあり又あなたたちの中にもいます
    父なる神を知るであろう。

91. 肉の感官意識が神我意識に気付くと、
    感官意識は昇華して神我意識となる。
    わたしは神我として世と世にあるすべてのものとに打ち克った。
    わたしは肉の感官、肉の心、五官という悪魔に打ち克ったのである。
    あなたたちも又その通りになるであろう。
    かくして、あなたたちは天からの声というのが
    実は神の意識であるとこを悟るであろう。


作善止悪

2020-08-23 00:21:26 | 日記

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生が白衣を着けられたお姿を学びの友の方が
カメラに収めなれたものですが、ご覧の様にカスミがかかったような映像になっています。


~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


         第二話

86. 「もしあなたたちにわたしが解るならば、
    わたしの父をも又理解するであろう。
    しかしもしわたしの父が解らなければ、
    どうしてわたしの言葉が理解できようか」。
    とわたしは言ったことがある。

87. わたしは神我より語るが、
    あなたたちはいずこより語るのであるか。
    いずれは亡ぶべき感官からか。
    種々様々の条件に反射するのか、
    それとも自分自身の裡に神の力が宿っていることを悟っているのか。
    「吾は生命なり」、「吾は真理なり」、
    「一切を支配する」との意識を持っているのか。

88. あなたたちの中に父なる神がいます。
    そのことが解れば父なる神はあなたたちを通して現れ給う。
    これこそが世の光であり、世は光に克つことなく、
    光こそ闇に打ち克つ。わたしは世の光である。
    闇はわたしの光のために消える。



作善止悪

2020-08-22 00:37:12 | 日記

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がお祈りの光を送られて光輝いたクフ王の
ピラミッドです。(真ん中のピラミッド)
光を送られる前はピラミッドは黒くくすんでいました。
この時のビデオ撮影したものがありますが、ビデオではピラミッドが徐々に中央から
輝いていく様子が確認できます。


 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


        第二話

83. 利己的とならぬように努力せよ。
    これが受容性の秘訣である。
    あなたたちはみ霊の一かけらではなく、
    全体と一つなのである。
    み霊がみ霊自身から引き離されることはありえない。

84. 真にこのことを悟ったとき、変貌がおきる。
    なぜなら受容性と受けることだからである。
    実は、神は常にその賜物をすべてのものに注いでいるのであって、
    もしこの賜物が欲しいのであれば心を開いて受けさえすればよいのである。
    この受け容れることこそが偉大なる者の秘訣である。
    すべて真実なる生き方をしている者の秘訣は非利己的なことにある。
    故に与えることは受けることである。

85. わたしが今この瞬間に見ていること―――即、
    以上のわたしの説話に幾千人もの霊たちが聞き入り、
    神の愛は天界とひとしく地上界にもましまし、
    内界とひとしく外界にもましますことをいよいよ深く理解していること―――が
    あなたたちにも又見えたときのあなたたちの思いはどのようなものであろうか、
    と考える場合がよくある。



作善止悪

2020-08-21 00:14:22 | 日記

添付のお写真は「モーセの御足を慕って」の恩師「長尾弘」先生の
旅でエジプトからシナイ半島を渡りヨルダンに入って
モーセの終焉の地「ネボ山」に建立されているモーセの
教会を見学して後、カイロ国際空港へバスで移動していた時、
バスの車窓より天空にご覧のようなアラビア語を
この旅に同行されていた学びの友が見られ、
カメラに収められました。
意味は「何かが出現する」との意味だそうです。
お写真は恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」
にも紹介されています。(261ページ)


 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


          第二話

80. 明日を思い煩うな。
    「今」のみが唯一の時間である。
    今を自分の実在とせよ。
    そうすれば明日のことは明日自身が処理するであろう。
    では、未来を思い煩うの余り奇しき今を逸するなかれ。
    意識は今の中でのみ創造をなしうるのであって明日においてではないのである。
    また昨日においてでもないのである。
    昨日は記憶に過ぎず、明日は希望に過ぎない。
    今こそが唯一の創造をもたらす瞬間である。

81. あなたたちは毎瞬々々神のみ心の中で創造することができるのである。
    そしてそれは実に、「今」である。
    あなたたちが神のみ心の中で「今」創造したものはすでに確立している。
    故に明日は明日自らが処理するであろう。

82. 泣く者とともに徒に泣くことなく、
    裡に君臨する強大なる愛をもって彼らを助けるがよい。
    母がその子を愛するがごとくにも、すべての人々に対して愛を感じなければならない。
    至と高き者より至と低き者に至るまですべては神の子である。
    このことを認識したとき、そこにはただ一つの家族があるのみであり、
    何らの分離もないことを知るであろう。




作善止悪

2020-08-20 00:59:39 | 日記

添付のお写真の裏面には次のような説明書きがありました。
“愛の光”の不思議
福岡市内のお寺のご住職の叔母さん(アメリカ在住)が
由緒あるご本尊(室町時代作阿弥陀如来像)の写真を
持参しました。
長尾先生が浄心庵から“愛の光”を送った後、確認の為、
尋ねたところ電話に出た姪の方がビックリして
「大変!!ご本尊様がお風呂からあがり、
光輝いています・・・!!」。
“愛の光”の後(向かって右) “愛の光”前(向かって左)
前後の“輝き”の差をご検証下さい。
恩師「長尾弘」先生が少しお祈りをしますと仏壇や
仏像は勿論のこと、教会の壁、教会内に置かれている
品々が五分もしない内に輝きだします。


~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


         第二話

77. わたしは勝利の力を与えられている。
    なぜならば子は父の中に住み、父は子の中に住んでいるからである。
    まことにも輝かしいこの真理を只の言葉で説明することがどうしてできよう。
    あなたたちの裡なるみ霊、常にあなたたちと偕にあって御自身を現わそうと
    待ち構えておられる慰め主によってのみ、この真理は知り得るのである。

78. 求めよ、そうすれば贈り物はあなたたちのものとなる。
    探せよ、そうすれば見出す。
    叩けよ、そうすれば戸は開かれる。
    求める者は見出し、叩く者には戸が開かれるからである。

79. 『何であれ、自分にして貰いたいと思うことを人にしてあげよ』。
    人の長所、欠点をみれば、
    それが自分の中に固定してしまうことを奥深く知るがよい。
    また自分に人からして欲しいと思うことを先ず人にするがよい。


作善止悪

2020-08-19 00:39:28 | 日記

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生の白衣を着けれたお姿を学びの友の方がカメラに
収めたものですが、ご覧のように向かって左の着衣はオリジナルの白色ですが、
右側の着衣は黄金色に変わっています。
このことは恩師が意識すればお体から光が発生することの証かと思います。


~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


           第二話

74. このような話はあなたたちには奇異とも思えようが、
       深く考えればその内なる意義が明らかとなるであろう。

75. 父は子を知り、子は父を知る。
       子はまた自分が明かしたいと思う人々に父を明かすこともできる。
       子は父を知り、父は子を知るからである。

76. あなたたちが今見ているところのものを見、
       聞いていることを聞く人々は祝福(さいわい)である。


作善止悪

2020-08-18 00:19:30 | 日記

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がお花に光を入れられているところです。
この花々は学びの友の方が近所の花屋さんから萎れってしまって商品として
販売できないものを貰ってきたものです。
この萎れた花々に光を入れられてご覧のように生き生きとして生き返りました。


  ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


           第二話

71. 今宵わたしが懸かっているこの人体は、
     現にあなたたちが見ているように青年の姿であり、
     顔貌は活力に満ち、肢体はあらゆる細胞を再生する力で満ちている。
     それはわたしの意識が今彼の意識と一つになっているからである。
     わたしが彼に懸かっているこの瞬間、
     愛するこの同胞の意識はわたしのそれと全く一つなのである。
     実在においてわたしたちの間には何の分離もない。
     分離とは心の幻影である。

72. この広大なる真理の何と偉大なることか。
     この力をあなたたちが今受け容れるならばあなたたちの肉体は
     すべて生命で満たされるのである。
     それは、父なる神があなたたちの中にも又いますからである。

73. わたしの父なる神によって一切がわたしに託されている。
     父を除いては誰がその子であるのか、何人も知らない。
     又子を除いては誰がその父であるのか、
     更に又、誰にその子は父を明かすのかは何人も知らない。


作善止悪

2020-08-17 00:20:33 | 日記

お写真は恩師「長尾弘」先生が中国の黄山を登山された時、写されたものですが、
ご覧のように左胸の辺りに十字の光が確認できます。


 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


        第二話

68. あなたたちはこの父なる神の映照であり、肖像である。
    父と自分とが一つであることを願ったとき、
    もともと常に実存していた結合関係があなたたちにもそれとわかるようになる。
    しかしこの言葉が単に言葉として心の中に留まるだけであってはならない。
    本当にそれを了解しなければならない。
    この言葉の本当の意味はあなたたち自身の中からのみ来る。

69. あなたたちが今耳で聞いていることはあなたたちの記録にとどまるであろう。
    わたしが語ったこれらの言葉をあなたたちは忘れることないであろう。
    それはあなたたちの心情の中にたゆたい。
    やがて真理のみ霊があなたたちの中に顕現(あらわ)れ始めるであろう。
    すでに神の意識の中に確立されたものは人の意識の中にも
    確立されなければならないのである。
    父なる神との一体を体得することによってかくのごとき意識はあなたたちの中に
    確立されるのである。

70. このことが事実であることをわたしは知っている。
    意識のより高き界層へと移って行った人々はすべて、
    このことを悟得することによって生ずる強大なる力を理解し始めている。