浄心庵・長尾弘先生「作善止悪」

「作善止悪」
三世の諸仏、過去の仏も未来の仏も現在の仏も
悉くこの法門を説き給う
良き事を行い悪しき事を止めよ

作善止悪

2020-05-31 00:16:28 | 日記

~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


先の続き・・・

聴衆は次第々々に生長して参りました。
時々、主様が父とおっしゃる時は、
ご自身の中から湧き上がる愛の情感でご自身が圧倒されるのでした。
そのような時の声は薄れ、わたくしたちのことも全くお忘れになり、
父なる神の御愛の中に突然吾をお忘れになり、
イエス様とわたくしたちとの間に本当にどなたかがいらっしゃるのではないかと
思う程でございました。
そのような時にイエス様はきまって、わたくしたちよりももっとイエス様に近いお方、
『息よりも近い』どなた様かに、話しかけて居られたのでした。
イエス様は神の栄光に包まれてお立ちになり、父なる神に直接に呟かれるのでした。

時には、『父よ、わたくしは貴神を愛します、貴神がわたしに与え給うた者たち、
貴神の子ら、を愛します。
彼らの故に貴神に感謝し奉る』とおっしゃるのがわたくしたちに聞こえたこともございました。
言葉をお切りになると、そのお顔は、形容もできない程の柔和な愛に光り、
恍惚の極みの光はそのみ姿を変え、余りの烈しい光に目も盲(めしい)る程で、
お顔から出る輝きにわたくしたちの目は堪えることができませんでした。
その情景は、イエス様が何かわたくしたちの得も知らぬ聖なる愛の神殿の中にでも
入られたかと思うほどでございました。
かくも強裂な、かくも具体的な、かくも生々しい、周囲に集まってきている人々よりも
遙かに現実的な、父なる神の御臨在を、わたくしたちはただ畏(かしこ)み畏(かしこ)んで
見詰めるだけでございました。
やがてそれも薄れて消え、そのあとにはイエス様が、栄光を超えた栄光の中に毅然として
お立ちになっていらっしゃるのでした。




作善止悪

2020-05-30 00:20:52 | 日記

~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


先の続き・・・

御講話をなさる先生の背後に、輝かしい色の採光を見た人も何名かいました。
それは紫と金色に波打ち、目が駄目になりはしないかと思われる程の
輝かしさでございました。
又、斜めになった十字架を見た方もいらっしゃいますし、
一条の厚い光り輝く白光がその頭上に注がれた方もおられましたが、
多くの方々が長い金色の赤いお髪とお髭とを御覧になり、
主様がお話になる時その後ろで天楽の音が奏でられるのを聞いたことでした。
主様は、『われ汝らに父を示さんがために来れるなり』という、
あの昔からの主様のみ教えをわたくしたちに垂れるために来られたのであることが
次第々々にはっきりと分かって参りました。
この御教えをわたくしたちは以前にも幾度聞いたことでしょう、しかし、
わたくしたちの心は盲(めしい)ていたのでした。

それが今始めて解り出したのです。
主イエス様ご自身はわたくしたちと同じ一ケの人間ながら、
高度に感じ易く、進化され、わたくしたちとは違って内在のキリスト、
生ける神の子、の神秘を覚知し、自覚されたのでした。
主様と、内在のキリストと主様の父と一体であることをわたくしたちは学びました。
ご自分は何もおできにならないけれども、
父なる神と一体なる神我(キリスト)となったとき、
あらゆることを成就され、すべてのものを支配されるのです。
お話が始まりますと、そのみ声は重々しく、それでいて飾り気なく、
遙か彼方から響くかのようであり、
又、智識を求めて従い来る人々に語る大師匠のように
キッパリと断言なさるのでした。
それでいてそのみ声は温かく、おん眼差しは愛で輝き、
わたくしたちの反応と主様のみ霊へのわたくしたちの理解を
お歓びになるご様子とで輝くのでした。



作善止悪

2020-05-29 00:11:39 | 日記

~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


先の続き・・・

主様はわたくしたち一人一人を次々と祝福して下さいました。
初めは『果敢なき感官』に煩わされたわたくしたち、
次にはわたくしたちより遙か上に進化された高級霊たちでした。
主様の暖かいみ声はこの方々の悟りをいよいよ高めるのでした。
主様は、わたくしたちの中に、今尚分離感が根を張っているのをご覧になり、
高級霊の方々は一体感をお持ちなのを感じとられ、
その一体感が主様には救いであり、歓びでございました。

わたくしたちは自分が、どんなに小さい、全くつまらぬ、矮小な、低い人間、
今尚神秘とされた儘になっているものに何にも知らぬ手を
差し伸べる赤児にしかすぎないように感じられた事でしょう。
併し又次第々々に心も、自らを尊しとする思いも成長して参るのでした。
毎日の生活でも、以前には気後れしたことでも今はかえって人をリードするし、
話すことでも思いの外に確信と権威とに満たされるようになっていました。
丁度、霊的自我が肉的な自我よりも強くなって行くかのように、
わたくしたちも又より高くなり、
足どりも軽くなって行くように思えたことでございます。


作善止悪

2020-05-28 01:52:29 | 日記

 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


先の続き・・・

一語一語が慎重に、その上一瞬の淀みもなく、
わたくしどもを深く囲む沈黙の池に中に、
水滴が、宝石が、ひとつひとつ滴り落ちるようにも、
下ってくるのでございました。
一句一句が完全な文章となって、すらすらと語られ、
しかも考える為に中断することもございませんでした。

そのうちわたくしたち丈が聴講しているのではないことが次第に、
しかも全く自然に分かって参り、
それが何の不思議にも思われませんでした。
わたくたちの間には、わたくしたちの愛していた人々、
既に亡くなった方々も来ておられ、
その上、その方々の向こうには、数千人もの高級の霊たちが、
段々に拡がった輪になって、
群がっておられるのです。

主様はわたくしたち全体にまとめてお話をして下さったのですが、
人生の奥深いことになりますと、
銘々に理解のできることだけをお教え下さいました。
地上の体をまとっているわたくしたちには、
「果敢なき感官を持つあなたたち」と呼びかけられましたが、
一方では又、目を上に向けられては、最近進化して、鈍覚の幅を増やし、
今やより高き霊と愛の界層、無限の自由の世界の喜悦を知る者となった方々に、
直接話しかけられるのでした。

殆ど主様と同じような完全な状態にまで近づいている方々に
主様が話しておられる間、
わたくしたちはただ畏敬の念をもって拝聴するばかりでございました。
わたくしたちの頭上高くにその方々のいらっしゃるのが感じられ、
又わたくしたちの遙か後ろにも次から次と列をなしています。それでいて、
わたくしたちの目が主様に釘付けになっている間誰一人として
頭を動かす者もいませんでした。
自分の肉体が在るという感じはすでに薄れています。
その働きは止まり、云わば不動の中に膠づけにされ、
少し動かすにも余程の努力が要るのでした。


作善止悪

2020-05-27 00:15:51 | 日記

  ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


先の続き・・・

祝福は王様がなさるように右手を挙げられて親指と人差指とでお与えになりました。
その尊厳さの前に、わたしどもの心はわれ知らず低くなり頭が下がるのでございました。
講堂中に静粛が拡がり、力の波動は暖かい流れのようにわたくしどもの身内を過ぎり、
どこにせよ不完全なところを焼き尽くし、流れ行くにつれて癒して行くのでございました。
次から次へとお話が進むにつれて、わたくしどもは自分の波動が高まり、悟りは清く澄み、
日常生活を遙か高く超越した彼方へと高揚するのでございました。

夜が明け行くように無智の闇が消え行く中で、
わたしどもはこれまでに伺ったどのような話よりも
偉大なるこれらのかずかずの真理に耳を傾け乍らも、不思議なことには、
そのお言葉が子供の時分から聞いたり読んだりしたのと同じであることが分かるのでした。
しかしその意味はその時初めて解ったことでした。
突然稲妻のように真理がわたくしどもの心にサッと閃き入り、
主様が遠い昔に初めて仰ったことの力が初めて解ったのでした。
それ以来主様のおっしゃるかずかずの真理はわたくしどもにとっては実在となり、
又、わたくしどもの実存ともなったのでございます。
このことをわたくしどもはこれから後永久に黄金の沈黙の中でいとおしみ尊んで参ります。



作善止悪

2020-05-26 00:27:18 | 日記

     ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


先の続き・・・
話し手の先生(原著者)が入って来られた時は、
わたくしどもみんながよく存じ上げている優しい、微笑を湛えておられるお方でした。
暫くは沈黙をなさいますと、
まるで御自分をご自分の肉体から息とともに追い出すかのように
深い吐息をなさいました。
するとお身体がフラフラと揺れておしまいになったのでございます。
すると突然驚くべき変化がおこりました。短く、鋭く、息を
一つ吸い込んだかと思うと、主様がその肉体に御臨在遊ばしたのです。
肉体は元の同じ肉体です。
しかし全く常とは変わっております。
語り手は、まだ、わたくしどもが長年存じ上げ尊敬申し上げている
方でございます。
しかし同時に又全くの別人になっていらっしゃるのです。
驚くほどの変わりようにわたくしどもの痺れた五官では
殆ど信ずることができぬ程でございました。

しかしそれは本当でございました。
それが真実であることがわたくしどもに分かったのでございます。
今わたくしどもの前にいらっしゃるお方は世の常ならぬ高さ、
語り手〔原著者〕でご自身よりもズッと高いように思われました。
この驚くべき事実の力はもうどんな言葉でも語れるものではございません。
しかしそれは事実だったのでございます。
わたくしどもはもう自分のありきたりの感官の決める証拠を
超えてそれを信ぜるにはいられませんでした。
今、此処わたくしどもの前に、目輝き、悠揚として迫らず、
大いなる権威を以って厳然として場内を圧しておられる方が
いらっしゃるのです。
真直ぐ、高く、わたくしどもの前にお立ちになり、
深い荘厳なる調子で何時もの御挨拶をなさいます。
『わたしの平安をあなたたちにおくる』と。
お話が進み、わたくしどもの理解が深まるにつれて、
御挨拶は、『わたしの平安と愛とをあなたたちにおくる』に
変わっていきました。



作善止悪

2020-05-25 00:10:47 | 日記

~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


マクドナルド・ベイン博士を通じて述べられた講話について

     I・バゴット・スミス嬢の証言

忘れ得ざる変貌の体験
一九四八年春、〇〇〇で一連の御講話が行われました。
御講話を拝聴する撰にあたった方々には、これはふたつとない、
忘れることのできない体験でございました。
講話を拝聴した方々は誰方も今まで通りの自分でいることはできませんでした。
その間一分々々が最高の霊的成長と悟りの時間で、
丁度目からヴェールでも剥がれたように、
わたくしどもはハッキリと悟ることができたのでございます。
紛れもない主の御臨在が余りにも強く烈しい現実と成りましたので、
臨在感は時が経っても褪せることがなく、
反って烈しさと生々しさとを加えるばかりでございます。

それからというもの、何時もわたくしどもが霊的な事に心を向けると、
突然主様がわたくしどもの傍にいまし、父の力が内にあり、
すべては善いのだと分かるのでございます。
この御講話をこのように驚嘆すべきものに致しましたのは実際のお言葉ではなく、
お言葉の述べられた方でした。
お言葉そのものは永久にわたくしどもの記憶にあって鳴り響くことでございましょう。
しかし最大の真理はお言葉なしにわたくしどもに示されたのでございます。
あの主様の御臨在の強力な力、主様を通して父の愛、
はどのように説明しても伝えきれるものではございません。
それはわたくしどもの周囲にあるどのような物質よりも現実的な、
ハッキリしたものでございました。




作善止悪

2020-05-24 00:18:07 | 日記

~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


     先の続き・・・

やがて指定の講話の夜が来て、わたしは講堂に坐をしめた。
これから何が起きようとするのか、わたしは少なからず不安だった。
丁度その時、千ボルトもの電流がわたしの全身を貫く感じがした。
巨大な或る力、
わたし自身の意識を遙かに超える或る意識がわたしに
臨んでいるのを自覚したが、
わたし自身の意識を失いはしなかった。
それどころかわれわれは或る不思議な方法で結びついていたのである。
しかしその方法はわたしには説明ができない、
なぜならわたしには解らないからである。
やがてわたしは自分の声を聞くことができた。
しかしそれは何時ものわたしのそれとは違っていた。
それは大いなる権威、絶対的英知をもてる人の権威を
以って語っているのである。
わたしは語られることに極めて注意深く耳を傾け、
嘗て体験したこともない程明瞭にそれを理解しえたのであった。

語られる言葉には毛筋程の欠点もなく、講話のつづく間中淀むことなく、
完璧であった。わたしは驚嘆した、なぜなら、
かくの如きは何人の頭脳を以ってしても
真似ることができないからである
しかもそれが二週間の長きに亘って各週毎に繰り返されたからである。
これらの講話をテープ・レコーダーで改めて聞いた時始めてわたしは、
常ならぬまでに美しき何ものかが起きたことを思い知ったのである。
読者諸氏はここにその語られたるものをみずから読むことができる。
もしそれが、わたしや、これらのみ言葉を直接聞く特権を
得た人々に与えたように、
慰めと満ち足りた思いとを読者に与えるのであれば、
み言葉もまた無駄ではなかったことになる。
これらのみ言葉は、一語たりとも勝手に加えることなく、
又一語たりとも勝手に削ってはいない。

同席した聴講者、聞法者たちの数多くの体験のうち、
若干を次の数頁に録しておいた。

    M.マクドナルド・ベイン



作善止悪

2020-05-22 00:31:44 | 日記

 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


「心身の神癒」の著者:マクドナルド・ベインのことば。

はしがき

この講話が述べられるようになった経緯を説明するのは不可能と思われる、
なぜなら説明したところで自分の意見を述べる丈であって、
それも又不正確であるかも分からぬからである。

しかしわたしの得た感じを読者諸氏に述べることはできよう。
この講話の始まる前数カ月間というもの、夜睡眠中、
明らかにわたしに話しかけている或る声が聞こえては
目を覚ましたものである。
夢でも見ているのかと思ったが夢ではなく、ほんものの声であった。
しかしそれがわたしの声であったか、
それとも誰か他の者のそれであったかは定かでない。
その声を聞くと同時にその意味が推し量られるのが不思議であった。

こういう体験を幾度も繰り返し後、その声は、
適当な時機が来れば特別の講話をしようというのであった。
いよいよその時機が到来した。
するとその声は、出席者が撰定されたら或る日の夜に話を始める、
と教えてくれた。
その日以後は、講話の続いている間中は何人も入れてはならないこと、
これらの講話は速記をし、テープ・レコードにも取って
一語も失わぬようにしなければならぬこと、になった。



作善止悪

2020-05-22 00:31:44 | 日記

~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


何人も未だ神を見たことはない。
しかしわたしは神なるわたしの父の胸の中にいる。
父はわたしのことを宣言し給い、
あなたたちは〔わたしを通して〕神の語り給うのを
聞いている。

助けてあげたいと思い、
その思いが胸(ハート)から来る場合は直ちに実現する。
それはあなたたちの父が聞いておられたからである。
このことをよく銘記して貰いたい。
父はあらゆるものの僕であり給う。

不可視のものを可視の世界として見るようになるであろう。
然り、今の処はあなたたちより勝れた生命形態もその姿を
現わすようになるであろう。
然り、今は不可視の天使達さえ見るようになるであろう。
しかしなお、そのかなたには久遠の生命がまします。


作善止悪

2020-05-21 00:16:54 | 日記

   ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


あなたの静謐の中、あなたたちの胸(ハート)の中、そこにわたしは宿り、
あなたたちを駆り立ててわたしの話を傾聴させる。
あなたたちの魂における愛の、平和の、調和の、律動(リズム)は、
人類全体を活かしている神の久遠の愛の律動である。

かくてわれわれ一同はわれわれの父たる神の聖霊に満たされて
此処に集まったのである。
その故にわれわれは神とともにあった言葉、
そしてまた神であるかの言葉、
すなわち愛、を鳴り響かさなければならないのである。

父よ、貴神に感謝し奉る、
貴神とわたしとは一体なるが故に、
わたしたちの間には馴染みのないものとては
ひとつもない事を
貴神はわたしにお示し下さいました。




作善止悪

2020-05-20 01:04:03 | 日記

 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


祈る時わたしの言葉を思い起すならば、
あなたたちは赦しまた赦されて、心底から、
秘かに祈るようになるであろう。
わたしはわたしを愛するすべての人々の胸の中に宿る
神の力を知っているからである。

今の今あなたたちの中に顕現(あらわ)れている神我(キリスト)の
巨大なる力を妨げているのは、
これらの障礙(しょうげ)、これらの信仰である。
神我は天上天下における一切の力を与えられているのである。
このことを把握した時、制約されたもろもろの信仰は消える。
神我は本来制約されることがないからである。

神我力は個別化した父ご自身であり、
あなたたち一人々々の中でご自身を表現(あらわ)しておられ、
しかもご自身より分離することなく、数えることもできぬ程に種々様々の
〔生命形態〕として現じ給い、
しかもその本体は同一の〔父ご自身〕であり給う。
神我はあらゆるものの中において同じであるからである。



作善止悪

2020-05-19 00:20:11 | 日記

 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


よくよく銘記するがよい、
あなたたちの目に見えるものは実在ではないのである。
それは裡なる或物の反映にすぎない。
表面に見えるものは変化し、過ぎ去り、
やがては無の中へと融け去る。
しかし本物は存続する。

自分の力を誤解し、無智のまま地上に生きてきた人々は、
神の無限の愛を理解しなかったために、その力を誤用してきた。
しかし今や彼らは悟りと愛とによって生長し、かつ〔神我を〕
展開して自由を得つつある。 

わたしの父の家には聖なる愛があり、
悔い改めて父に向う者はその愛を受け、
父は彼らをその恵みで圧倒し給うであろう。


下記URLに恩師「長尾弘」先生読誦の「父母恩重経」を投稿しております。
https://www.facebook.com/37sun4970/videos/169408024477143/
皆様の訪問をお待ちしております。



作善止悪

2020-05-18 00:18:29 | 日記

 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


神はその聖なる種子を生長、
展開させるためにあなたたちの中で働き給うが故に、
あなたたちの心、あなたたちの身体と環境には大いなる平安が
なければならない。
神の創造のお働きはあなたたちを通してなされるからである。

あらゆる小川が海に向かって流れるように、
あらゆる形あるあるものはその発生の根源である愛という
不可知の海に向かって動いて行く。

本当の信仰は深い理解という基礎がおかれている。
この深い理解を伴った信仰が真理である。
それは岩の上に建てられた家のようなもので、
雨、風がやってきて叩こうとも、
あらゆる攻撃に堪えて立っている。


下記URLに恩師「長尾弘」先生読誦の「父母恩重経」を投稿しております。
https://www.facebook.com/37sun4970/videos/169408024477143/
是非訪問してください。


明来闇去

2020-05-17 02:04:24 | 日記

 ~ 恩師の御講演「心身の神癒」より ~


あなたたちはイエスという現象我(パーソナリティー)を
考えてはならない。
またこのような現象我を想像してもならない。
そうすることは神我という真理についてあなたたちを
盲目にするからである。
神我は父の一人子、
あらゆる現象の背後にある力である。

あらゆる小川が海に向かって流れるように、
あらゆる形あるあるものはその発生の根源である
愛という不可知の海に向かって動いて行く。