ーその1ー
「バロック・オペラ Mulier Fortis (勇敢なる婦人)のタイトルの由来について」
このバロックオペラの表題の出典が、妻の理想について書かれた旧約聖書の箴言31:10-11に基づくカトリック典礼に由来することは前回の講演でお話ししました。この典礼文とそれに付随するラテン語の賛歌が、320年後の現在でも、ラテン語の聖務日課としてグレゴリオ聖歌とともに朗詠されてきたことがわかりましたので、それについてお話しします。
現行の旧約聖書の日本語訳および注解ではこの箇所がローマ典礼の聖務日課で引用されていることを指摘しているものが稀であることは誠に残念です。
私の調べた範囲では、僅かに講談社版「聖書」(バルバロ神父訳)だけが、
「彼女は真珠よりも遙かに値打ちがある」
という邦訳の脚注(1085頁)でカトリック典礼との関連を指摘していました。「新共同訳」や「フランシスコ会訳」にもそういう注釈がありませんでしたし、まして、プロテスタント系の聖書翻訳や注解書では、カトリックの伝承への配慮は少ないので、使徒継承のカトリックの聖伝のなかで旧約聖書詩編や賛歌がどのように引用され解釈されていったかという説明にであうことは稀です。Keil-Delitzch のCommentary on the Old Testament の第六巻(326頁)によると、箴言の該当箇所の70人ギリシャ語訳に由来する解釈の伝承では、ここは箴言全体の「結び」という大切な意味を持っている点が、ユダヤ教徒が聖典としたテキストとは異なるということを指摘していました。Keil-Delitzchによると、ここは、
A virtuous woman, who findeth her!
She stands far above pearls in worth.
と訳すのが妥当であり、「mulier fortis」を、単に「勇気ある婦人」「気丈な婦人」という意味にではなく、「宗教的な美徳をもつ婦人」という意味に取るのが適切であるとのことです。つまり真珠のような、どれほど高価であっても、金で買えるような商品とは全く異なる宝物、真珠よりも遙かに貴重な心を持つ女性ーまことの信仰を持った女性ーこそ妻とするに相応しいという意味に解釈しています。カトリック教会の旧約聖書の解釈は、70人ギリシャ語訳の大きな影響を受けていますから、このような内面化された「理想の妻」のイメージが、箴言を「賛歌」として典礼文に摂取する際に影響したと云うことは十分に考えられます。そこで、世俗的な意味で「理想の妻」がいかなるものであるかを述べているという印象の強い箴言のもともとのヘブライ語テキストを、カトリック教会がどのように内面化して、それをキリスト教的美徳の一つとしての「勇気」をもつ女性として頌え、その「賛歌」を朗唱するようになったかを見るために、典礼の中で朗唱されたMurier Fortis のイメージに立ち返ってみましょう。
「Mulíerem fortem quis invéniet? Procul et de últimis fínibus prétium eius. Confídit in ea cor viri sui, et spóliis non indigébit.
勇敢な貴婦人を誰が発見するであろうか? その価値は、(遠方より来る)真珠よりも遙かに貴い。夫は彼女を頼みとし、その事業に窮することがない。」
この旧約聖書箴言31:10-11の引用文の後で、次のような賛歌が典礼で朗唱されます。それは、まさに、キリスト教的美徳をもってその信仰の証をした女性(殉教者)をたたえ、その女性のとりなしのいのりを神に祈る詩となっています。
(「勇敢な婦人」の賛歌)
「我らすべてが声を挙げて勇敢なる貴婦人を頌えましょう。
聖なる栄光とともにその御名をほめ歌いましょう。
彼女は純一なる天上の輝きに満たされ星空の光に輝いています。
彼女は下界の事物への愛を拒否し、この地上に留まることを気遣いませんでした。
諸々の天に向かって苦難の道を行き
その身体をしっかりと従わせ、
その霊魂を祈りの甘美なる糧で満たしました。
彼方の世界で、この世の喜びを捨てた彼女は至福を味わうでしょう。
王なるキリストよ、全てのものを勇敢ならしめる御方よ、我らの至聖なる行いはあなたのものです。
高きところに居る彼女のとりなしの祈りによって、あなたの民の叫びを憐れみをもって聞き入れてください。」
バロック・オペラMulier Fortisがウイーンで上演されたときは、高山右近とならんで、キリスト教的美徳と信仰を証した人として、細川ガラシャを主人公とするオペラ Mulier Foritis が上演されたことが、これでわかります。
賛歌原文のラテン語は以下の通りです。
「Fortem viríli péctore / Laudémus omnes féminam,/ Quæ sanctitátis glória / Ubíque fulget ínclita.
Hæc sancto amóre sáucia,/Dum mundi amórem nóxium/
Horréscit, ad cæléstia/ Iter perégit árduum.
Carnem domans ieiúniis,/ Dulcíque mentem pábulo/
Oratiónis nútriens,/Cæli potítur gáudiis.
Rex Christe, virtus fórtium,/Qui magna solus éfficis,
Huius precátu, quǽsumus,/ Audi benígnus súpplices.」
さて、上記の典礼文は、聖グレゴリオの家の「聖務日課(晩課)では、グレゴリオ聖歌で朗唱できるようにネウマ譜が付けられています。現在のカトリック教会の典礼様式はピオ十世の典礼改革以後のものですから、レオポルド一世の時代のウイーンのイエズス会修道院や附属の学校の聖務日課で、ここがどのように朗唱されたかどうかは、さらに調べる必要があります。
そこで次に細川ガラシャの時代のウイーンの典礼音楽がどのようなものであったかを、レオポルド一世自身が作曲した三つの宗教音楽、「レクイエム」、「聖母マリア讃歌」、「ダビデ王の悔悛詩編miserere 」の三曲を聴くことにします。
このうちレクイエムは、彼の最初の妻マルガレ―タ(ベラスケスの名画やラベルのパヴァーヌで有名な王女)の死を悼んで作曲したもので、後世の劇場音楽と化したレクイエムとは異なり、「怒りの日」を含まない静かな祈りのこもった鎮魂曲です。また、詩編50編(プロテスタントの聖書では51編)は、悔悛するダビデ王の心情を歌ったものですが、自分自身が神聖ローマ皇帝でもあったレオポルド一世自身の王としての懺悔の気持ちのこもった名曲として聴くことができました。
レオポルド一世の宗教音楽は日本ではあまり聴く機会がないだろうと思います。次回はCDで彼の音楽を聴きながら、音楽の街ウイーンの礎を気づいた人物の一人でもあったレオポルド一世を取り上げることとします。(続く)