歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

復活徹夜祭と「新たなる時」の始まり

2020-04-12 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
拙宅の近くにある「聖グレゴリオの家」で例年おこなわれる復活徹夜祭では、夜明前の闇の中で、屋外で熾された焚火から司祭の採取した「火の祝福」があり、その「火」を大きな蠟燭に点し「蠟燭の祝福」をおこなった後で、大勢の参列者に次々と灯火を伝えて、御堂に入場します。私は、復活祭の「火の祝福」に最初に参列したときに、若き日のシラーが「歓喜の歌」の詩の最初に「Freude, schöner Götterfunken」と呼びかけた時、「Götterfunken(神の火花)」という言葉に託した宇宙的な情熱に思いを馳せないわけにはいきませんでした。
この祝福された「火の情熱」が宇宙に内在する純一なる「光」を目覚めさせ、蠟燭に点された灯を、一人から一人へと、次々と伝える「伝燈」の儀式となります。それが「夜明けの太陽」が昇る直前におこなわれる「荘厳ミサ」の始まりを告げているのでしょう。
ベートーベンの第九交響曲が日本では歳末におこなわれるのが慣例となっていますが、もともと復活祭は、暗黒から光明への劇的転換によって「新たな時の開始」を喜ぶ祝祭だったことを思えば、第九を大晦日に聴いてから新年を迎えることにも「隠れたる」キリスト教的な意味があったといえるかもしれません。 
今年は、新型コロナ肺炎の予防のために復活祭はどの国でも直接に信徒が集まって挙行できませんでしたが、Youtube にバチカンでおこなわれた復活徹夜祭の中継が録画されていましたので、冒頭の「火の祝福」と「蠟燭の祝福」のラテン語典礼を視聴できます。
 
 
「蠟燭の祝福」では、グレゴリオ聖歌で
Christus heri et hódie,(キリストは昨日にして今日)
Princípium et Finis, (始原にして終極)
Αlpha et Omega, (アルファにしてオメガ)
Ipsíus sunt témpora et sǽcula(時も永遠もキリストにあり)
と朗詠されます。
 
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「モーツアルトの最初のオペラを聴く」

2020-03-24 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
アマデウス・モーツアルトが11歳の時に、彼の名前を冠して、1767年にザルツブルグで上演されたオペラがふたつある。ひとつは、k.35 の「第一の律法の責務」、もうひとつはk.38の「アポロとヒアキントス」である。2006年のモーツアルト生誕250周年を記念してザルツブルグ大学の講堂で、John Dew 演出、Joseph Wallnig 指揮、モーツアルテウム大学の交響楽団とその卒業生の歌手達によって蘇演された。それを記録したDVDは現在も入手可能である。
 私は、バロック・オペラ「勇敢な貴婦人」の演出のヒントを得るためにこのDVDを取り寄せたのであるが、視聴しているうちに、2006年のこの記念祝典が挙行される一ヶ月前に私自身が学会出張でザルツブルグに滞在していたことを思い出し、何か不思議な縁を感じた、オペラの上演会場であるザルツブルグ大学神学部講堂は、The 6th International Whitehead Conferenceの会場でもあり、もう一ヶ月余分に滞在していれば、私もこのモーツアルトの最初期のオペラを直接聴くことができたからである。
 11歳のモーツアルトのこの最初の作品の中に、いわば萌芽のようなかたちで、晩年のオペラの豊穣な展開が内包されていることには驚かざるを得ない。たとえば、「アポロとヒアキントス」でヒアキントスの死を哀悼する父と妹の二重唱など、優美な旋律に載せながらも万感胸に迫る悲しみを表現する、あのモーツアルトの音楽の特徴が、すでに現れていると思った。 
 ザルツブルグ大学での蘇演、音楽的には素晴らしいものであり、歌手も伴奏音楽も申し分なかったが、この二つのオペラの演出のいかに難しいかということを感じざるを得なかった。
 「第一の律法の責務」というものものしい表題のついたオペラのほうは、ドイツ語の歌詞と台詞で語られるジングシュピ―ルで、登場人物が、「正義」「慈悲」「世俗精神(Weltgeist)」「キリスト教精神(Christgeist)」「キリスト教徒」「狩人」「ライオン」「悪魔達」という寓意劇であり、バロック時代のイエズス会の宗教劇の伝統を受け継いでいる点で興味深いものであった。ただし、もともとの音楽劇が三部作で、モーツアルトが担当したのが第一部だけなので、第二部と第三部の台本や楽譜が散逸してしまったために、全体としてこの音楽劇がどういうように上演されたかはよくわかっていない。2006年のザルツブルグ蘇演では、陽気で動きの活発なドイツ語の「笑劇」として演出されていたが、この演出には、「世俗精神」の役者の奇抜な衣装や演出の可否について、賛否両論があったようである。
 「アポロとヒアキントス」では、バロックオペラの豪華絢爛たる衣装をつけ、白塗りの化粧をした歌手達が、きわめて様式化された静的な振り付けで歌っていた。John Dewによれば、バロック時代の歌手の衣装と所作を参考にはしたが、現代の観客にもわかるように、それをより自然な形に改めたとのことであった。
 日本の演劇の伝統にこれに似たものを挙げるとすれば、能楽の振り付けが最も近いであろう。実際、「アポロとヒアキントス」は、同一の台本作者による「クロイソスの慈悲」という別のオペラの三幕の幕間劇(intermedium) として上演されている。
 非常に私が興味をそそられる点は、この台本作者Rufinus Widl が、「勇敢なる貴婦人」の作者(イエズス会のギムナジウムの校長)と同じく、ザルツブルグ大学の人文学の教師でもあり、ギリシャ・ラテンの人文的な伝統とキリスト教の統合をテーマにして演劇の台本を書いていることであった。
 「アポロとヒアキントス」の素材はいうまでもなくオヴィデウスの変身譚であり、ギリシャ的なエロスを主題としているが、Widl はそれをキリスト教的な「喜劇(コメディア)」に変換しているからである。ここで「喜劇」というのは、「笑劇」という意味ではなく、主人公の死で終わる「悲劇」に対して、主人公の死からの復活、婚姻という「生の喜び」を主題とするという意味である。
 初演の時の歌手達は、父親役を除けばみな十代前半の少年であったという記録が残されている。そして作曲を担当したのが、パリやロンドンへの大旅行から帰国したばかりのモーツアルト少年であったから、未来を背負う少年達がこのオペラを上演したということだろう。もっとも、このオペラの歌手への要求度は極めて高く、少年達が歌ったと云うことが信じられない程難しいコロラツーラを含んでいる。
 父親のレオポルド・モーツアルトは、オペラ作曲の経験に乏しく、ラテン語の歌詞に曲をつける息子の天賦の才能に驚いて、これ以後、オペラの本場イタリアに息子を連れて再び大旅行をするようになるのである。
 
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「Coincidentia oppositorum (対立の一致)と愛」ー西田幾多郎の大谷大学開校記念講演(1919)とバッハの宗教音楽に寄せて

2020-03-19 | 哲学 Philosophy
岩波書店から依頼された西田幾多郎講演集の編集・解説の仕事を現在しています。バッハの「ロ短調ミサ曲」を聴きながら、この編集作業をしつつ感じたことを、忘れないうちここに書き留めておきましょう。
 
 ヨーロッパを何度か旅した日本人のキリスト者の一人として、30年戦争をはじめとする宗教対立の遺跡を巡り、また「キリスト」教国のなかのユダヤ人迫害、二つの世界戦争の犠牲者の史跡などを目の辺りにして、このようなイデオロギー対立を越えるキリスト教とは何かと言う課題を避けることはできませんでした。
 
諸宗教・諸宗派の差別と対立を越える対話の実践が必要ですが、私もまた限られた経験の範囲ではありますが、これまで35年の間、東西宗教交流学会をひとつの活動の場としてきました。禅とキリスト教の間の霊性交流と並行して宗教哲学の研鑽の場でもあったこの学会では、西田幾多郎にはじまる京都学派の哲学者、そしてクザーヌスに代表されるキリスト教的プラトン主義の哲学者達に最も惹かれます。
 
 バッハの「ロ短調ミサ」を聴いていると、カトリックの普遍的宗教性と、ドイツ語・ドイツ文化の個性が統合されていることを強く感じます。その統合は、どのようにして為されているのしょうか。それはまさに一人一人の「個」の協奏によって遂行されているように感じます。バッハの宗教音楽には、単旋律で歌うグレゴリオ聖歌の伝統も生きていますが、同時に、複数の他者と共鳴するポリフォニーが、不協和から協和へと向かうダイナミズムを感じさせます。ときに二人の歌唱が交互に主となり客となる二重唱、斉唱ではなく対位法的に複数の旋律が時間差を伴って反復されるフーガは、それぞれのパートが異なりを見せながらも協和します。そして何よりもルターに始まるキリスト教の原初の精神に立ち返って個々のキリスト者の心の奥底に呼びかける内面性と超越者との関係が見事に音楽で表現されています。超越者に対して「私ー汝」の関係で呼びかける「個人的(人格的)」な内面性のなかに、万人に通底する普遍的な真理が反響する。そういうことを私に如実に経験させてくれるのが、バッハの「ロ短調ミサ曲」や「マタイ受難曲」です。 
 
 西田幾多郎とクザーヌスの関係については、私もいろいろなところに書きましたが、大谷大学開校記念日講演の面白いところは、仏教者を聴衆としてクザーヌスを論じている点でしょう。
 西田はつぎのように「反対の一致」をもって宗教の本質を現すものとしています。
 
「宗教上の神仏とはその本質は愛であると云ってよいと思ふ。知識の竟まるところ人格となりてこの人格はCoincidenti oppositorumであるが Coincidentia oppositorumが結合するものが神又は仏であって、愛がそのessenceである。それで是はあくまで知識の対象となることはできぬが情意の要求によってこれを味ひこれに結びつくことができる。故に神を知識的に限定する事は中世の否定神学の云ふがごとく不可能である。而しCoincidentia oppositorum は一切の人間活動の基礎となり、愛の形によってその極致が示されるのである。即ち極めて論理的な概念が現実生活に極めて密接な事実となる。仏教でも、華厳などから、浄土真宗に移るところにこんな意味がありはしないかと思ふ。(西田幾多郎全集13:86)」
 
晩年の西田の宗教哲学を予感させる講演ですが、「反対の一致は愛の形によってその極致が示される」という文章を読むと、私には、バッハのカンタータの究極の主題を表現する言葉としてこれ以上に相応しいものを知りません。例えば、カンタータ106番の死と生、カンタータ140番の終末論的悲しみと婚宴の喜び、概念的には対立し一つにならぬものの「一致」すること、西田がのちに「矛盾的自己同一」と呼んだものを、概念ではなく、万人に開かれた音楽の心によって感じさせてくれる普遍性が、バッハの宗教音楽にあります。
 
 小澤征爾指揮の「ロ短調ミサ曲」が、彼の「マタイ受難曲」と並んでYoutubeにありましたので、リンクを張っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=JHcf3xeU4xQ&t=826s 
 
 
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レオポルド一世の典礼音楽を聴くーその1-

2020-03-16 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
僅か21歳で逝去したマルガリータ后妃の死を悼んでレオポルド一世は1673年に Missa pro defunctis (死者のためのミサ曲) を作曲しています。このミサ曲は、後世の劇場音楽と化した requiem とは違って「怒りの日」を含まない純粋な鎮魂曲となっています。構成は、
1 Introitus: Sonata-Requiem aeternam    
2  Kyrie-Christe-Kyrie eleison
3 Sanctus: Sonata-Sanctus-Hosanna       
4  Benedictus: Hosanna   
5 Agnus Dei:                                                 
6  Communio: Sonata-Lux aeterna-Requiem aeternam
 
 1899年にフランスの作曲家ラヴェルは、ベラスケスの絵画に触発されてピアノ曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を作曲した。パヴァーヌとは、スペインの舞曲で、嘗てはヨーロッパの王家の結婚式で、新郎と新婦が並んで行列するときにも奏されましたから、華やかな国民的祝典であったマルガリータの婚姻の追憶と哀悼に相応しい曲でした。
 上智大学の100周年記念で上演された「勇敢な貴婦人」では、終幕がガラシャの葬儀ミサの場面でした。これは史実に即したもので、そのときは典礼音楽なしの日本語の台詞だけの上演でした。
 
カトリックでは特定の故人のためのミサではなく、「死者達のためのミサ」を行うのが通例ですから、レオポルド一世のミサ曲をマルガリータ后妃だけでなく丹後の王妃ガラシャに捧げることも不自然ではありません。
 
「マルガリータ」とはラテン語で「真珠」を意味する言葉でもあって、マタイによる福音書13-45では、「神の国」が、真珠(bona margarita)に譬えられています。 偶然の一致ですが、細川忠興夫人の名前も「たま(珠)」でした。
 
グレゴリオの家での私の講演では下記のCDで聴きましたが、Youtubeに篤志家がアップしているので、そのリンクも張っておきます。
 
CD: Leopold 1 - Sacred Works: Waschinski-Cordier-Voss-Kleinlein-FinkWIENER AKADEMIE Martin Haselboeck
MUSICA IMPERIALIS
 
https://www.youtube.com/watch?v=xIHIKjbORXA&t=7s
 
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レオポルド一世の建立したウイーンのペスト終熄記念塔(三位一体像柱)に寄せて

2020-03-13 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
 
 
1670年代に10万人を越える死者を出した恐るべき伝染病(ペスト)の終熄を宣言する記念塔が今もウイーンにありますが、これはレオポルド一世が1679年に建立したもの。往時に制作された銅版画もアップしておきます。
 父・子・聖霊の三位一体の神に捧げられたこのバロック様式の像柱(votive column)には、死者を追悼し懺悔の祈りを捧げるレオポルド一世自身、十字架を担う女性、擬人化された黒死病を退治する天使像などの彫像が刻まれています。
神聖ローマ帝国の皇帝としてのレオポルド一世の課題は
(1)オスマントルコのキリスト教国への侵攻と首都ウイーンの防衛
(2)プロテスタントを奉ずる北方の諸侯との政治的対立
(3)長年のライバル関係にあったフランスのブルボン王家との対立
(4)スペインのハプスブルグ家との連帯と両家の存続
(5)伝染病や地震災害などの天変地異による人心の動揺
など、なかなか困難なものでした。
 聖職者志望の音楽青年で、長兄の死去によって思いもよらず皇帝とならねばならなかった彼にとって幸いしたのは、優秀な元老に恵まれたことで、なんとかこれらの課題を乗り切り、オーストリア・ハプスブルグ家の黄金時代を迎えることができたようです。
 ところで、この記念柱の下段に造形された十字架を担う女性像を観て、私は、バロックオペラ「勇敢ある婦人」のプロローグの演出のヒントが得られたように思いました。プロローグに登場する「像柱」の擁護者としてのガラシャというイメージが台本作者にあったことはほぼ間違いないでしょう。
 「勇敢なる聖女ガラシャ」を主人公としたこのオペラでは、像柱は三位一体の神のシンボルであって、プロローグでは「コンスタンチア」という婦人が、像柱を護ろうとする「不変の信仰」を表現しています。これに対して像柱を倒そうとする「クルデリタス」と「フロール」は、それぞれ「残虐」と「憤怒」を象徴する人物です。像柱が大きく傾いて倒壊する直前に、「インクイエス(良心の不安)」と「ポエニチュード(悔悛)」がやってきて、クルデリタスとフロールを誡め、像柱の倒壊を防ぎます。そしてコンスタンチアは、自ら十字架を担って退場するーこれがプロローグの構成であって、バロック・オペラ「勇敢な婦人」の根本的なモチーフを表現しています。
プロローグでコンスタンチアの声部を担当するのが、この音楽劇の主人公の「ガラシャ」ですから、このオペラの台本作者がガラシャに与えた役割がよくわかります。
  ルネッサンスおよびバロックの時代のオーストリアの音楽劇に内包された舞台のイコノロジーの解釈は、日本の観客にとってはなじみの薄いものですので、その演出にはなかなか難しい問題が潜みます。大事なことは、宗教的的な観念が先行する寓意劇に終わらせないこと。
  幸いなことに、優れた音楽は、観念先行型のイデオロギーを越える普遍性を表現する可能性をもっています。バッハやモーツアルトの音楽がイデオロギーや様々な宗派的プロパガンダを、軽々と越えて、あらゆる人の心の内にある宗教性の目覚めを喚起できるのも、音楽が人間の文化と自己形成の核心に触れることができるからでしょう。
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Fortem Virili Pectore(勇敢なる聖女)を聴く

2020-03-13 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
バロックオペラ「勇敢な婦人」(mulier fortis) のタイトルがカトリック典礼に由来することを前回説明しましたが、「理想の妻」を頌えた旧約聖書「箴言」に続けて歌われる賛「Fortem Virili Pectore(勇敢なる聖女)」の作者についての情報を聖グレゴリオの家の西脇純先生にご教示いただいたので、YouTubeでこの讃歌を聴きながら、作者について説明します。
賛歌Fortem Virili Pectoreの作者 Silvio Antoniano (1540-1603)は、細川ガラシャ(1563-1600)とほぼ同時代のイタリア人司祭です。貧しい毛織物業者の息子として生まれた彼は、幼少の時から詩と音楽に著しい才能を示し、竪琴の優れた弾き手でした。メディチ家出身の枢機卿の経済的援助を受け、司祭への道を選んだ彼は、北イタリアのフェラ―ラ大学で学位を取得後、ローマ大学で人文学の教授、同大学の学長を務め、1599年に枢機卿に叙階されたことからも分かるように、イタリアルネッサンスのプラトン主義的な人文主義とキリスト教を統合する学藝の道を典礼音楽の刷新に求めた人でもありました。彼の没年である1603年に、このFortem Virili Pectoreというグレゴリオ聖歌が、晩課および聖女共通祝日の讃歌に採用され、それ以後、現在に至るまでカトリックの聖務日課の中で連綿と歌い継がれています。
作曲者に関する詳しい情報については以下のサイトを参照。
http://www.araldicavaticana.com/parrinoantoniano_silvio.htm
http://cardinals.fiu.edu/bios1599.htm#Antoniano
https://hymnary.org/text/fortem_virili_pectore
youtubeのアドレスは
https://www.youtube.com/watch?v=LKComplkJR0

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「細川ガラシャの時代の典礼音楽」ー聖グレゴリオの家での講演から

2020-03-11 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
ーその1ー
「バロック・オペラ Mulier Fortis (勇敢なる婦人)のタイトルの由来について」
 
  このバロックオペラの表題の出典が、妻の理想について書かれた旧約聖書の箴言31:10-11に基づくカトリック典礼に由来することは前回の講演でお話ししました。この典礼文とそれに付随するラテン語の賛歌が、320年後の現在でも、ラテン語の聖務日課としてグレゴリオ聖歌とともに朗詠されてきたことがわかりましたので、それについてお話しします。
現行の旧約聖書の日本語訳および注解ではこの箇所がローマ典礼の聖務日課で引用されていることを指摘しているものが稀であることは誠に残念です。
 私の調べた範囲では、僅かに講談社版「聖書」(バルバロ神父訳)だけが、
   「彼女は真珠よりも遙かに値打ちがある」
という邦訳の脚注(1085頁)でカトリック典礼との関連を指摘していました。「新共同訳」や「フランシスコ会訳」にもそういう注釈がありませんでしたし、まして、プロテスタント系の聖書翻訳や注解書では、カトリックの伝承への配慮は少ないので、使徒継承のカトリックの聖伝のなかで旧約聖書詩編や賛歌がどのように引用され解釈されていったかという説明にであうことは稀です。Keil-Delitzch のCommentary on the Old Testament の第六巻(326頁)によると、箴言の該当箇所の70人ギリシャ語訳に由来する解釈の伝承では、ここは箴言全体の「結び」という大切な意味を持っている点が、ユダヤ教徒が聖典としたテキストとは異なるということを指摘していました。Keil-Delitzchによると、ここは、
  A virtuous woman, who findeth her!
  She stands far above pearls in worth.
と訳すのが妥当であり、「mulier fortis」を、単に「勇気ある婦人」「気丈な婦人」という意味にではなく、「宗教的な美徳をもつ婦人」という意味に取るのが適切であるとのことです。つまり真珠のような、どれほど高価であっても、金で買えるような商品とは全く異なる宝物、真珠よりも遙かに貴重な心を持つ女性ーまことの信仰を持った女性ーこそ妻とするに相応しいという意味に解釈しています。カトリック教会の旧約聖書の解釈は、70人ギリシャ語訳の大きな影響を受けていますから、このような内面化された「理想の妻」のイメージが、箴言を「賛歌」として典礼文に摂取する際に影響したと云うことは十分に考えられます。そこで、世俗的な意味で「理想の妻」がいかなるものであるかを述べているという印象の強い箴言のもともとのヘブライ語テキストを、カトリック教会がどのように内面化して、それをキリスト教的美徳の一つとしての「勇気」をもつ女性として頌え、その「賛歌」を朗唱するようになったかを見るために、典礼の中で朗唱されたMurier Fortis のイメージに立ち返ってみましょう。
 
「Mulíerem fortem quis invéniet? Procul et de últimis fínibus prétium eius. Confídit in ea cor viri sui, et spóliis non indigébit.
勇敢な貴婦人を誰が発見するであろうか? その価値は、(遠方より来る)真珠よりも遙かに貴い。夫は彼女を頼みとし、その事業に窮することがない。」
この旧約聖書箴言31:10-11の引用文の後で、次のような賛歌が典礼で朗唱されます。それは、まさに、キリスト教的美徳をもってその信仰の証をした女性(殉教者)をたたえ、その女性のとりなしのいのりを神に祈る詩となっています。
 
     (「勇敢な婦人」の賛歌)
「我らすべてが声を挙げて勇敢なる貴婦人を頌えましょう。
 聖なる栄光とともにその御名をほめ歌いましょう。
彼女は純一なる天上の輝きに満たされ星空の光に輝いています。
彼女は下界の事物への愛を拒否し、この地上に留まることを気遣いませんでした。
諸々の天に向かって苦難の道を行き
その身体をしっかりと従わせ、
その霊魂を祈りの甘美なる糧で満たしました。
彼方の世界で、この世の喜びを捨てた彼女は至福を味わうでしょう。
王なるキリストよ、全てのものを勇敢ならしめる御方よ、我らの至聖なる行いはあなたのものです。
高きところに居る彼女のとりなしの祈りによって、あなたの民の叫びを憐れみをもって聞き入れてください。」
 
   バロック・オペラMulier Fortisがウイーンで上演されたときは、高山右近とならんで、キリスト教的美徳と信仰を証した人として、細川ガラシャを主人公とするオペラ Mulier Foritis が上演されたことが、これでわかります。
   賛歌原文のラテン語は以下の通りです。
 
「Fortem viríli péctore / Laudémus omnes féminam,/ Quæ sanctitátis glória / Ubíque fulget ínclita.
Hæc sancto amóre sáucia,/Dum mundi amórem nóxium/
Horréscit, ad cæléstia/ Iter perégit árduum.
Carnem domans ieiúniis,/ Dulcíque mentem pábulo/
Oratiónis nútriens,/Cæli potítur gáudiis.
Rex Christe, virtus fórtium,/Qui magna solus éfficis,
Huius precátu, quǽsumus,/ Audi benígnus súpplices.」
 
さて、上記の典礼文は、聖グレゴリオの家の「聖務日課(晩課)では、グレゴリオ聖歌で朗唱できるようにネウマ譜が付けられています。現在のカトリック教会の典礼様式はピオ十世の典礼改革以後のものですから、レオポルド一世の時代のウイーンのイエズス会修道院や附属の学校の聖務日課で、ここがどのように朗唱されたかどうかは、さらに調べる必要があります。
   そこで次に細川ガラシャの時代のウイーンの典礼音楽がどのようなものであったかを、レオポルド一世自身が作曲した三つの宗教音楽、「レクイエム」、「聖母マリア讃歌」、「ダビデ王の悔悛詩編miserere 」の三曲を聴くことにします。
 このうちレクイエムは、彼の最初の妻マルガレ―タ(ベラスケスの名画やラベルのパヴァーヌで有名な王女)の死を悼んで作曲したもので、後世の劇場音楽と化したレクイエムとは異なり、「怒りの日」を含まない静かな祈りのこもった鎮魂曲です。また、詩編50編(プロテスタントの聖書では51編)は、悔悛するダビデ王の心情を歌ったものですが、自分自身が神聖ローマ皇帝でもあったレオポルド一世自身の王としての懺悔の気持ちのこもった名曲として聴くことができました。
 レオポルド一世の宗教音楽は日本ではあまり聴く機会がないだろうと思います。次回はCDで彼の音楽を聴きながら、音楽の街ウイーンの礎を気づいた人物の一人でもあったレオポルド一世を取り上げることとします。(続く)
 
 
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シラーの受難劇「メアリ・スチュアート」について

2020-02-14 |  文学 Literature
細川ガラシアを主人公とする17世紀ウイーンの音楽劇「勇敢な婦人(Mulier Fortis)」の演出を引き受けたとき、私がまず読み直したいと思ったのは、フリードリッヒ・シラーの二つの受難劇、「ドン・カルロス」と「マリア・スチュアート」だった。
どちらもシラーがドイツ語でスペインとイギリスを舞台として書いた悲劇(受難劇)であって、原語のドイツ語からスペイン語、イタリア語、フランス語、英語など多言語に翻訳ないし翻案され、楽劇やオペラとして今日に至るまで様々な形で上演されている。つまりこれは、音楽と戯曲の両者によって表現された「受難劇」なのだ。それは単一のイデオロギー(特殊言語)を越えた多元的な実在を表現する普遍性があるが、音楽で云えば、ポリフォニーと対位法によって表現される交響曲のごときものである。
 実際、シラーの戯曲は、適切に翻訳され演出されるならば、それぞれの言語で、ドイツ語で上演されるのとは異なるけれども、常に新たな展開を示すことができる。さて、この戯曲を日本語で日本人の観客の前でどのように演出すれば、そういう普遍性を日本という固有の文化的土壌に相応しい形で表現できるだろうか。
 この問題を哲学的に考察する一助として、若き日のベンヤミンの書いた「ドイツ悲劇の根源」は、とくに「バロック悲劇」についての優れた考察を含む点でおおいに参考になったし、「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」は、ゲーテやシラーがシェークスピアをドイツ語の文化的土壌の中にどのように受容し、その文化の内に開花させたかを具体的に示している点で興味深いものであった。
同じように、異国の藝術を文化内開花させること、日本という独自の歴史と文化の土壌をもつ場所で、シラーの戯曲を日本語で上演することを試みること、そういう試みは私にとって非常に関心があった。
 森新太郎演出「メアリ・スチュアート」は、上演台本を書いたスチーブン・スペンダーの英訳をさらにシェークスピアの専門家の安西徹雄が邦訳したものを台本としていた。上演時間を配慮した台本の取捨選択という事情はあったが、シラーの原作からそれほど離れてはいないという印象を受けた。
https://www.youtube.com/watch?v=cE9fY6jwRuI&t=1503s にドイツ語上演の記録があるが、安西哲雄は、このビデオ録画ではカットされている部分(たとえばモーティマーがメアリーに会ってローマへの旅を感激をもって語る場面)も丁寧に再現していた。全体的に安西の翻訳は、シェークスビア劇のテンポの良さ、ポリフォニックな劇的対立と観客の予想を超えた筋の転変を、可能な限りよく日本語化していたと思う。
 そして特筆すべきは、台詞の力を生かす舞台の構造であろう。二人の女王や登場人物の衣装は華やかであり時代を感じさせるものであるが、簡素な舞台ー大道具も小道具も極小にして、あたかも能や狂言の舞台を見ているような趣があるうえに、歌舞伎の花道のようなものが観客席のなかに突き出ており、役者は、そこを通って階段を使って入退場できるようになっている。これによって、歌舞伎座のような舞台と客席の一体感を醸し出すことができるわけだ。この劇場の芸術監督が野村萬斎だというのも頷ける構造であった。
  世田谷パブリックシアターでの「メアリー・スチュアート」の観劇は、「勇敢な婦人」細川ガラシアの楽劇の演出をする私にとって、非常に興味深いものであった。メアリー・スチュアート、エリザベス一世、細川ガラシャという三人の女性には、時代と文化の相違を越えて、深きところで共通するものが見えてきたからである。彼女達の周辺には、戦国の乱世の覇権を争う者ども、陰謀と政略結婚のなかで生き残りをかけた壮絶な権力闘争があった。善悪、友と敵のめまぐるしい入れ替わりがある厳しい人間関係の中で、一人の個人が如何に自分に割り当てられた役を生きるのか、自己の運命から逃避せずに、それを摂理的に受けとめた「勇敢なる婦人」たちの物語であるからである。
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「水のいのち」(髙野喜久雄 詩、高田三郎 作曲)を聴く

2020-02-10 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
「水のいのち」(髙野喜久雄 詩、高田三郎 作曲)を東京オペラシティで聴きました。高田三郎没後二〇周年記念コンサートに相応しい実に見事な合唱でした。会場で配布されたプログラムに高田三郎自身のペン書きの歌詞
「昇れ昇りゆけ/そなた水のこがれ/そなた水のいのちよ」
が掲載されていました。高田三郎の自伝的回想「来し方」によれば、「水の一生」を歌った髙野喜久雄の詩の言葉に、「(天を憧憬する)魂の音楽」を聴いて、それを合唱曲としたとのこと。
 
髙野喜久雄の詩は「雨ー水たまりー川ー海ー海よ」という五楽章からなります。四楽章のテーマ「海」が、五楽章で「海よ」と人格化して反復されて終わるのが印象的です。循環する宇宙の営為を原初の混沌たる「海」から立ち現れてまた「海」に帰って行く「水」の一生に託して歌いながら、その海に向かって、
「みえない つばさ/一途な つばさ あるかぎり」、大空の彼方へと昇れと呼びかけているーこれがこの「水のいのち」の合唱の素晴らしい点だと思いました。
 
不思議なことに、この第五楽章を聴いたあとで、第一楽章の歌詞を再び読み直してみると、そこで歌われた「雨」は、万物を活かす水として「恵みの雨」でもあったことに気づかされます。
 
Raimon Panikkar が Cosmotheandric Experience (宇宙と神と人を統合する経験)と呼び、西田幾多郎が「内在的超越」と概念的に表現したことが、髙野喜久雄と高田三郎によるこの歌曲では、詩の言葉と音楽によって実に具体的に象徴されていると思いました。
 
 このコンサートの女声合唱組曲「マリアの歌ー村上博子 詩。高田三郎 作曲」では、壮大な叙事詩ともいうべき「水のいのち」とは対照的な叙情詩の世界が歌われますが、そこでも詩のことばと音楽のハーモニーを聴くことができました。村上博子の詩のマリアは、街角のなかですれちがうマリア、カットグラスの玻璃のかおりに感じるマリア、病に苦しむ冬の日に到来を予感させるマリア、そしてこの詩の最終連、
「すべての定義を風のようにのがれて/あなたのお答えだけが/不思議な星となってまたたいている」
は、様々な神学者のマリア論を逃れるマリア、「お望みならばそうなるように」というその「答」の不思議をさりげなく歌っています
合唱のあとで、ピアノがまさに星の瞬きのようなピアニシモを後奏したのが印象的でした。
 
このコンサートの第一部「グレゴリオ聖歌と典礼聖歌」の指揮をされた西脇純さんは、細川ガラシャのラテン語によるバロックオペラの再演企画の実行委員もお願いしています。
リヒトクラウス会員の懇親会で伺ったところでは、西脇さんがドイツで書かれた神学博士論文はアンブロシウスとミラノ学派の典礼聖歌についてのものであったとのこと。東方キリスト教の伝統、とくにその神秘主義、典礼と音楽の伝統、アウグスチヌスの回心にも多大の影響を与えたアンブロシウスは、東西の対立を越えた典礼音楽の源流の一つです。
 
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裸足にて立つザビエルの辻説法 / 雪の比叡に望む大學

2020-01-08 |  宗教 Religion

  裸足にて立つザビエルの辻説法   
        雪の比叡に望む大學
 
 上智大学がザビエルの遺志にもとづいて建学されたという話をよく聞きますが、これは、彼の書簡や当時のイエズス会宣教師の記録に基づくものです。スペイン出身の司祭で日本に帰化された結城了悟師の「ザビエル」史伝には、時代を隔てて受け継がれた宣教師の精神と日本の文化を大切に思う気持ちに溢れています。この本の表紙のザビエル像は、結城了悟師が館長をつとめておられた日本26聖人記念館にあるものですが、いかにも東洋の使徒にふさわしいイメージだと思いました。
 都を目指したザビエルの目的のひとつは比叡山に行くことでした。このときの彼は貧しい托鉢僧の身なりで(アッシジのフランシスと同じく)裸足で雪道を歩くという苦行を自らに課していました。そのときの乞食同然のザビエルの姿は、布教許可を獲得するという彼の目的には全くかなわないものでしたが、それでも堺の商人たちとの出会いと彼らの助力が後の日本布教に大いに手助けとなりました。時の権力者に贈呈する高価で珍しい進物や、西欧の王侯の使節と見まがうばかりの豪奢な装いをする南蛮の宣教師のイメージとは程遠い、このときのザビエルの乞食姿のほうに、私は惹かれます。
 
 さて、私も古希を三年過ぎて、どれだけ新しいことができるかどうかわかりませんが、とりあえず本年の予定を次のように立ててみました。
 
① 今年は、西田幾多郎の講演・講義記録(岩波文庫に収録予定)の編輯・注解をして、年内の刊行を目指します。
② Handbook for Buddhist Christian Studies(Routledge)の出版が決まったので、日本の東西宗教交流学会のこれまでの対話の歴史を踏まえて寄稿する予定です。
③ 今年六月のキリスト教文化研究所「茶道とキリスト教」の企画。キリスト教の日本文化のなかでの開花という観点から「茶道の哲学」をテーマとして講演する予定。
④ 細川ガラシャを主人公としたバロック・オペラの監督・演出を引受けました。ウイーン初演(1698)に忠実な上演(来年3月)をめざします。この楽劇の蘇演は、聖典礼と詩編を統合したキリスト教の典礼音楽や楽劇、受難劇のあらたな創作のための一つの資料となるでしょう。
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Christmas Card from St. Gregory’s House in Tokyo, Japan

2019-12-25 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy

Christmas Card with my linked poem from St. Gregory's House in Tokyo, Japan (25/12/2019)

Sleeping with animals,
A newborn baby lies in the manger.
Reflecting the light in the darkness
Heavenly Stars shine in the water.

牛は知り驢馬も知りたる飼葉桶
      十字姿に眠る嬰児
聖母汲む井戸に降りたる空の星
      今も輝く深き水底

(Literal translation of the above Japanese linked poem of Haiku)

Ox recognizes a newborn baby and Donkey also knows
The way from the manger to the cross.
Having descended unto the well our lady once drew
Heavenly stars shine in the depth of the water now.

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中村哲医師の言葉ー「平和医療奉仕活動(PMS)」会報から

2019-12-04 |  宗教 Religion
 南蛮医アルメイダについての記事をザビエルの命日に書いた翌日に中村哲医師の訃報に接し愕然とした。
日本政府が米国政府の意向を忖度して海外派兵を実質的に容認しはじめてから、アフガニスタンでの純然たる平和活動に困難が生じてきたことを師は以前から警告していた。それだけに「アフガニスタンの人々のために奉仕活動をして、アフガニスタンの人によって殺害されたとしても、決して彼らを恨んではいけない」という医師の言葉がなお一層、耳朶に残る。 
 昨年9月のペシャワール会会報(137)に中村哲医師は「温暖化と旱魃と戦乱の関連」を指摘したあとで、次のように言っている。
『最近の研究で、東部アフガンの過去60年間の気温上昇は約1.8度、他の地域の約二倍の速さで温暖化が進行しているという恐るべき報告もあります。今思い返すと、2000年に始まる大干ばつの顕在化は、世界を席巻する「気候災害」の前ぶれでした。既に海水面上昇による島嶼の水没、氷河の世界的後退、北極海の氷原融解などが伝えられ、陸上では台風とハリケーンの巨大化、森林火災の頻発、大規模な洪水と干ばつなどが各地で報ぜられていました。それでも、責任の所在がはっきりしない「気候変化」は真剣に問題にされにくく、C02削減を敵視する経済至上主義も、依然として根強いものがあります。
それは自然を無限大に搾取できる対象と見なし、科学技術信仰の上に成り立つ強固な確信です。実際、近代的生活は、産業革命以来の大量生産=大量消費の流れの上にあり、それを一挙に覆す考えは、多くの人々にとって俄かには受け入れ難いものがあるからです。
だが問題の先送りはおそらく許されないでしょう。放置すれば事態は不可逆の変化になり得ます。温暖化と千ばつと戦乱の関係は、もはや推論ではありません。治安悪化の著しい地帯は、完全に干ばつ地図と一致します。その日の食にも窮した人々が、犯罪に手を染め、兵員ともなります。そうしないと家族が飢えるからです。――
 一連の動向は世界の終末さえ連想する絶望的なものがあります。干ばつの克服は、生易しいものではありませんが、力を尽くして水の恩恵を実証し、希望を灯し続けたいと考えています』
http://www.peshawar-pms.com/kaiho/137nakamura.pdf
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「大切に燃ゆる(Taixetni moyuru)」-ザビエルとアルメイダの心

2019-12-03 |  宗教 Religion
 東野利夫著『南蛮医アルメイダー戦国日本を生き抜いたポルトガル人』に、ザビエルとの出会いを語る次のような「南蛮医」アルメイダの言葉が引用されている。
『ある日、突然インドの俗僧のような黒衣をまとい、腰帯も長衣もつけていないみすぼらしい人がこの島(モルッカ諸島)にあらわれました。彼の行動を見てみますと、現地人たちをさかんにイエズス会に改宗させようとして働いているのです。どうして南方のこんな野蛮で未開な僻地の島々にまで来て、何のためにあんなに命がけで改宗の仕事に従事しているのか。彼の行動は、不思議であり、私には謎のような人物に見えました。そのとき彼はしばしば、アモール(愛)ということばを話していました。この日本では「アモール」という言葉はありません。この「アモール(愛)」に相当する言葉は、「Taixet(大切)」であると、あとになってから知りました。この黒衣をまとった人物こそフランシスコ・ザビエルでした・・・・・
 そしてこのザビエル師の行動の中から、ひとつのたしかな心の安らぎになるような生き方を教えられました。それは「Taixetyni moyuru(大切に燃ゆる」というものでした。
私はこのザビエル師の処世の信条である「大切に燃ゆる」という生き方に強く心を動かされました。そのころ私は帆船の船主という身分で万に届くほどの莫大なクルサド貨幣を獲得していましたが、なぜか心の中は空しく、強い罪悪感のようなものがうごめいていました。私はこのことについてザビエル師に告解しました』
『一五五四年夏、ドアルテ・ダ・ガーマらの船主たちと共同経営で、四隻の商船に財貨ー唐生糸、絹織物、琥珀織を満載し、日本に向かったところ、まもなくひどい暴風雨に遇いました。
 そのとき生まれて初めて自然の脅威と神の恐ろしさに戦慄しました。勇壮だった私の帆船の大きな白布はずたずたに破れ、マストは捻れるように折れ曲がり、竜骨だけがむきだしに残りました。マストの下方には船員や雇用兵たちが溺死しないようにしかりと躰をマストにくくりつけていましたが、最後の祈りのまま、無慚な姿で息絶えていました。その悲惨な光景を見た瞬間、それまで私が執拗に憧れ求めたもの、それがどんなに儚い幻のようなものであったかということが一瞬のうちに私の全身を貫きました。そのときザビエル師がつねづね申されていたマタイの言葉が大きく耳底で聞こえました。(一五五五年九月一五日付フロイスの書簡)
 ここでいうマタイの言葉とは、「人、もし、全世界を得るとも、その魂を失わば何の益があろうか」(16:26)であろう。
 アルメイダは、貿易商人として成功する前、一五四六年に母国で外科医の資格を取得していたので、回心後に豊後に、社会から見捨てられた人々のための病院を作ることを発願する。
『私が豊後に来て Nossa Senhora da Piedade (慈悲の聖母の住院)のため病院を創りたいと思ったのも、ひとつにはそれまでのおろかだった私のデウスに対するせめてもの贖罪のようなものでした。
 私が南の香料の島でザビエル師からこの目で学んだ「大切に燃ゆる(Taixetni moyuru)」これが病院j創設の発願の動機になったように思います。・・・・
 私は「病める人間」の治療には「肉体の薬」と「魂の薬」の二通りの薬を併用しなければならないということを知りました。しかし、現在の私の力では、少しばかりの肉体の薬を与えることしかできません。必ず死ぬ運命にある人間の治療には「魂を癒やす薬」こそ最高の薬だと思っています。』
(ガゴ、トルレス、ビレ等、アルメイダの書簡)
 使徒行伝と福音書を書き残したルカも、パウロによって「愛する医師ルカ」(コロサイ4-14)と呼ばれているように医者であった。時代は変わって、パウロやルカの時代ではなく日本の戦国時代であったが、アルメイダもまた、当時のイエズス会の宣教師を財政的に援助するために全財産を抛って当時の日本社会で差別されていた人々を修養する病院を豊後(いまの大分県)に創設したのである。
 残念ながら、アルメイダの病院は庇護者の大友宗麟の失脚につづく反キリシタン勢力によって破却され、アルメイダの名前もながらく本国と日本の双方で忘れ去られたが、20世紀になって、おおくの研究者の共同作業によってアルメイダの歴史的な事蹟が明らかとなった。現在大分県には、アルメイダの名前を冠した立派な病院がある。西洋医学を日本にはじめて紹介し、日本人の漢方医とともに国境を越え、身分の差別を越えて、人道的な医療活動に従事したアルメイダにたいする敬意がこめられていると言って良いだろう。
http://www.almeida-hospital.com/
 
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「被爆マリア」に祈るフランシス教皇(長崎のミサ)

2019-11-24 |  宗教 Religion
 
 
長崎でのミサで祭壇に置かれた「被爆マリア像」に祈るフランシス教皇です。(Vatican Newsの中継からの録画) この被爆マリア像は、浦上天主堂の原子野の瓦礫の中から発見された木製のマリア像。三つに割れた痛々しいお姿を被爆者でカトリック信徒の西村勇夫さんが修復されたものとのことです。
 この祈りに接した後で、「フランシス教皇とともに祈るロザリオの祈り」(Praying the Rosary with Pope Francis, Libreria Edition Vaticana)をあらためて読みました。
 ロザリオの祈りは、「喜びの秘義(Joyful Mysteries)」「光の秘義(Luminous Mysteries)」「苦しみの秘義(Sorrowful Mysteries)」「栄えの秘義(Glorious Mysteries)」の四つの黙想と共に行う祈りです。
 このなかの「苦しみの秘義(sorrowful misteries)」は、わが子イエスの受難に遭遇した「悲しみの聖母」を黙想する祈りです。しかし、被爆マリア像を見ていると、マリアはキリストの受難を、そばで歎き悲しむだけにとどまらず、キリストと同じような受難の道も選ばれたような気がします。聖母マリアは、理不尽にも原爆によって命を絶たれた無数の母親と共に苦しむことをあえて選ばれ、「天の栄光」のうちに入ることよりも、むしろ焼跡の瓦礫の中に、苦しみの姿のままでとどまられた―そういう思いがわき起こってくるのを抑えることができませんでした。
 私は、永井隆博士が亡くなる直前に描いた「十字架の道行」の画が収録された次の本を座右の書の一つとして置いています。
 
 
永井博士自身が書いた画に、キリシタン殉教史の研究者でもあった結城了吾神父が解説されたこの本には、最晩年の彼の言葉と祈りが収録されています。
「三日目。学生の死傷者の措置も一応ついたので、夕方、私は家に帰った。ただ一面の焼灰だった。私はすぐに見つけた。台所のあとに黒い塊を。―それは焼け尽くした中に残った骨盤と腰椎であった。そばに十字架のついたロザリオの鎖が残っていた。私の骨を近いうちに妻が抱いてゆく予定であったのに―運命はわからぬものだ。私の腕の中で妻がかさかさと燐酸石灰の音をたてていた。私はそれを「ごめんね、ごめんね」と言っているのだと聞いた。」
 
「屋敷の東北の隅の灰の中をていねいに探していたら、ついに見いだした。わが家の祭壇の十字架を。木の台はもちろん焼けてなくなっていたが、青銅のキリストだけはそのまま型も狂わず傷もつかず残っていた。これは徳川禁教時代からひそかに伝えられた由緒あるものである。私はいっさいの財産を失ったが、この十字架ひとつだけは失わなかった」(『ロザリオの鎖』)
 
結城了吾神父は、永井博士の「十字架の道行」の最後(15留)を、博士の次の短歌で結んでいます。 
「白ばらの花より香り立つごとく この身をはなれのぼりゆくらむ」
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上智大学公開講座輪講〔感情の哲学〕予告

2019-10-28 | 日誌 Diary
上智大学公開講座輪講〔感情の哲学〕予告
11月11日から始まる輪講〔感情の哲学〕(佐藤直子先生企画〕には私も参加します。
日本思想のユニークな特徴のひとつに「情意の世界(表現的一般者/行為的一般者)」において「もののあはれ」を感じて、そこから相互主体的な芸術製作/形而上的な宗教性の表現に向かうことが挙げられます。そのような日本の伝統文化と世界宗教との関係を思索の課題として、「情意における<創造的空>」というテーマでお話ししたいと思っています。
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