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切り株のキノコ

2004年09月05日 13時16分03秒 | 住まいと環境
 写真の不思議な物体は、切り株のあとに生えたキノコ。久しぶりに散歩した長岡公園で見つけた。
 この長岡公園は、長岡天神と隣り合わせの公園だ。近くに阪急が開発した高級住宅街もある。いっぽう、昔ながらの農家や商店もある。周囲の竹林のほとんどは「タケノコ畑」なのだ。

 このあたりにはレンタルビデオのTSUTAYAとかコンビニとかも進出している。昔ながらのムラ社会は今壊れつつある。また、自分たちは優秀だと考えたい「勝ち組」の潔癖主義はすさまじい。
 それらの要素が重なり合ったこの地域には、老人ホームの建設に反対する大きなカンバンがかかげられている。また、障害者の授産所は、ため池や墓場のあるような、山の奥深くに追いやられている。
 一見自然が豊かで環境がよさそうだが、近所の相互扶助的なつながりはない。寂しさと猜疑心から犬を飼う人も多い。
 公園にはここ数年、ゴミ箱がまったくない。出入り口からトイレまで。理由は、家庭のゴミを捨てる人がいることらしいが、やはり「キレイでなくちゃいけない」式の強迫観念だ。また、ゴミ箱がなければ近所のコンビニやテイクアウトのお寿司を、公園の中で食べる人がいなくなることも狙いだ。外食もできないような貧乏人、お行儀のよくない人がいては不愉快だ、失礼だ! ならゴミ箱など設置するのはやめよう、ということだ。

 そんな郊外独特の殺伐とした風景の中で、切り株があった。そこからキノコが生えていた。元は米軍の訓練所で、それゆえにかえって自然が保たれていたこの公園と神社。そこは、年々人の手が入っていた。神社に登る階段、ベンチにトイレ、通り道をつくるくらいならいい。多すぎる竹を削るのもいい。だが、自然に生えて樹齢50年はあるような木を、「見晴らしが悪くなる」程度の理由で切るのはおかしい。おかしいけれど気づいたときには誰かが切っている。
 そのほか池もコンクリートで固めてしまった。そのため、サギのほか岸辺に住んでいたカワセミまで追い払ってしまった。
 
 自然に見せかけながらどんどん目障りなものを切り捨て、排除してきたこの地域。そこの切り株一面に生えたキノコ。なんだか生態系が潔癖主義に対抗しているみたいだ。「どれほどノイズを払っても、生えますよ」、と宣言しているみたいだ。
 それで、ニュータウンの過度の清潔さ辟易しているわたしにとって、このキノコは希望なのだ。