C59時代以来の鹿児島本線のお立ち台撮影地である東郷~東福間シリーズが続きます。
実は、今日もこのネタでアップするのはここ数回分の訂正を兼ねております。
電関人の怪しい記憶では、ずっと大学入学以降だと思っていたのですが、
ネガに写っている列車をチェックしていると急行阿蘇や雲仙・西海が写っていて、
これらの列車は、よく考えると昭和55年10月改正で廃止になっています。
ということは、大学浪人中の昭和55年(1980年)の撮影ということが確定しました。
受験勉強中だったのですが、その年の秋にさんざん世話になった14系ハザの急行群が
全て無くなるということで確か南福岡から初電で現地に赴いたようです。
ということで、ここ数回分のデータを修正させていただきます。
訂正ついでに、この日日の出前後から当時盛んに撮影していた上下客車列車達の
想い出を少し・・・。
先ずは102レのかいもん4号。すでに20系と12系ハザの混成編成になっていますが
これはこれで懐かしい列車です。12系車内を見ると大半の乗客は博多で下車して
ガラガラに見えます。折尾に6時半頃着ですので6時少しすぎた時間でしょうか!?
次はやはり上り列車の422レ「ながさき」号です。旧客ばかりの懐かしい編成です。
シャッターチャンスはいまいちですが、テールランプが旅情を誘いますよね。。
かいもん通過から20分ちょっとでまだ日が昇っていません。
そして最後は、この撮影時期を特定してくれた203レ急行雲仙西海号です。
廃止直前には、阿蘇号と順番が逆になり7時過ぎの通過です。
機関車次位のマニ37。新聞輸送のためにブレーキを改造して14系ハザとコンビを
組んだ車両でこの旧客車両がこれら14系ハザ使用の急行列車の良いアクセントと
なっていました。
それと1枚おまけで、421系初期車の低運転台車が九州鐡道時代の遺構を通過。
川原橋梁の赤煉瓦を見ていると、線路の彼方からC59が20系を牽いて現れそうでした。
撮影;1980年8月 鹿児島本線 東郷~東福間 NikonF2 PhotomicSB フジカラーⅡ
実は、今日もこのネタでアップするのはここ数回分の訂正を兼ねております。
電関人の怪しい記憶では、ずっと大学入学以降だと思っていたのですが、
ネガに写っている列車をチェックしていると急行阿蘇や雲仙・西海が写っていて、
これらの列車は、よく考えると昭和55年10月改正で廃止になっています。
ということは、大学浪人中の昭和55年(1980年)の撮影ということが確定しました。
受験勉強中だったのですが、その年の秋にさんざん世話になった14系ハザの急行群が
全て無くなるということで確か南福岡から初電で現地に赴いたようです。
ということで、ここ数回分のデータを修正させていただきます。
訂正ついでに、この日日の出前後から当時盛んに撮影していた上下客車列車達の
想い出を少し・・・。
先ずは102レのかいもん4号。すでに20系と12系ハザの混成編成になっていますが
これはこれで懐かしい列車です。12系車内を見ると大半の乗客は博多で下車して
ガラガラに見えます。折尾に6時半頃着ですので6時少しすぎた時間でしょうか!?
次はやはり上り列車の422レ「ながさき」号です。旧客ばかりの懐かしい編成です。
シャッターチャンスはいまいちですが、テールランプが旅情を誘いますよね。。
かいもん通過から20分ちょっとでまだ日が昇っていません。
そして最後は、この撮影時期を特定してくれた203レ急行雲仙西海号です。
廃止直前には、阿蘇号と順番が逆になり7時過ぎの通過です。
機関車次位のマニ37。新聞輸送のためにブレーキを改造して14系ハザとコンビを
組んだ車両でこの旧客車両がこれら14系ハザ使用の急行列車の良いアクセントと
なっていました。
それと1枚おまけで、421系初期車の低運転台車が九州鐡道時代の遺構を通過。
川原橋梁の赤煉瓦を見ていると、線路の彼方からC59が20系を牽いて現れそうでした。
撮影;1980年8月 鹿児島本線 東郷~東福間 NikonF2 PhotomicSB フジカラーⅡ
九州豪華夜行計画は新しいデザインにこだわるだけではなく外観だけでも過去の栄華を彷彿させる車両を望みたいです。
九州豪華夜行計画は新しいデザインにこだわるだけではなく外観だけでも過去の栄華を彷彿させる車両を望みたいです。
「雲仙・西海」「阿蘇」「くにさき」
どれも14系化当初から、ハザシはガラガラ。
それを考えると「能登」の明日は、、、??
やはりそんな話が出てきているのですね。
できれば、「あさかぜ」の愛称で、車体は
ブルーにして欲しいものです。
できれば、14系ハザ急行も愛称名を
テールサインに入れて欲しかったなぁ。。