あの山陰本線下関口D51さよなら列車撮影を親に許可されず、歯を食いしばって断念して40余年。それ以来ひと時も忘れたことが無い駅名が「梅ヶ峠」。今では下関口近郊区間と言っていい駅で、駅前には女子大もある。小串までは、それなりの乗降もあるためか40系気動車のツーマン運転である。昼過ぎの列車は、部活帰りの学生と下関まで買い出しの帰りだろうか地元の利用者の乗降。昭和のど真ん中男にとって、やはりツーマンの列車はホッとするのであった。2017年冬 山陰本線 梅ヶ峠駅
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D51200の入線を夢見て・・・。
山陰本線西部の美しさは格別ですし、美味しい海鮮丼も・・・(笑)
梅ケ峠のSL重連拝見しました
私は狂電関人さんの後ろから撮りましたが…
何と、物持ちの良い会社でしょうか、駅ホームの上屋は当時のままででした
また、乗り鉄でもお越しください
もしかしたら、よく確認していませんが駅名票の脇の黄葉しているのが
その名残の梅の木かもしれませんね。
ほとんど雑木林と化していたように記憶してます。
しかしながら、やっぱり梅にちなんでいたんですね。
幻の蒸機撮影により、梅ヶ峠の名称が美化されていき、
梅の峠道かぁ・・・と、本当はもう少し早くに訪れて82系まつかぜで
リベンジマッチをしたかったんです。。。
お金の問題というより、餓鬼が真夜中の博多駅からしかも、博多駅にアクセスする列車も無い、
真夜中の3時過ぎの列車に乗車することを禁じられました。
自分がどうしても見たいこと、聴きたいものなどもう少し
説得力?があれば・・・ですね。
それともう一つ、77年の北海道旅行。こちらは親から安心材料として
一人旅行じゃなく、親同士が良く知っている旧友と一緒に旅する
条件を付けられて・・・。
結果は、天気のせいも大きいのですがほとんど観光旅行になってしまいました。
「趣味」とは己の考えを押し通しことと見たり、ですかね。
拙ブログでも掲載しましたが、
http://myoldsteamers.blog.fc2.com/blog-entry-844.html
そんなに雰囲気は変わっていないような・・・。
ただ、駅左側の梅の木はもはや無いのでしょうか。
自分にも高校時代に断念した思い出があります。
鉄道写真撮影ではなくピアノの演奏会ですが、ルービンシュタインが来日した時に聴きに行きたかった...
一生に一度のチャンスを逃して、いまも親を説得出来なかったことに悔いが残っています。