「みずほ」とは、瑞々しい稲の穂のことをさし、今頃の田圃の稲を言うのでしょうか!?
また、日本国の別称でもある「瑞穂国」のみずほ。
それほど良い名前なのです。
そのみずほの愛称名が九州新幹線で復活して半年。
電関人は、未だにしっくりきません。
東京ブルトレの末っ子としてサンロクトオ(1961年10月)に産声を上げ、
1994年12月に最初に廃止になるという一番短命な活躍でちょっと地味な存在でしたが、
電関人の中では、最後までEF65Pが牽いていた列車であり幼少の頃初めて乗った20系が
このみずほで青地に黄色の文字のテールサインが何とも好きでした。
すでに、他のブルトレがPF牽引に変わった78年夏、孤軍奮闘でみずほ運用に就く509号機。
急客専用機としては、最後の形式でもあります。(大井町付近にて)
HMは地がベージュと白のこのタイプと金銀の2タイプありましたが後者の方が好きでした。
ちょうど18時過ぎにこの付近を通過して、食堂車は夕食を摂る乗客で賑わっていて寝台列車の
まさに全盛期でした。(1977年4月 鹿児島本線 水城~白木原)
みずほはとても素敵なネーミングだと思います。
1977年、78年撮影 5レ・6レ14系寝台特急みずほ 熊本・長崎~東京
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貫通扉のない正統派急客機といった風です。
高崎のPトップ、もう一度ブルトレの先頭に立つ姿を見てみたいものです。
ブルトレ牽引機としては私の中でゴハチと共に
双璧ですね!!