総天然色の昭和時代ネタが続きます。
今日はちょっと視点を変えて、架線の下を優等列車を従えて走ったDD51たちをアップします。
先ずは鳥栖駅にての一齣。
今でもはっきり記憶しているフジカラーⅡ400発売が1976年9月で、その少し後だと記憶しています。
ASA400でカラー写真が取れると新型フィルムを愛機OM-1に装てんして夜の鳥栖駅にいそいそと向かったのでした。
粒状性の問題はあれども、我々のような露出悪条件での撮影が多い鉄ちゃんにはちょっと嬉しいもの。
さて本題の列車は、急行天草時代から昼行特急かもめに引き継がれさらにゴーマルサン以降は寝台特急へと替わった
筑豊本線回りの優等列車です。当時未だ非電化だった長崎本線からそのまま一瞬原田の分岐までDD51牽引の明星3号が
わずかの区間、架線下を走行。罐番は読めませんが700番代。
そしてもう一つは、801・802レの急行さんべ3号。
こちらは、始発博多駅から門司駅までを何故かDD51(鳥)持ちでした。
晩年20系+12系化されても牽引機が電機になることはありませんでした。
ちなみにこの列車にはゴーマルサン改正まで合造寝台であるオロハネ10が使用されていて改正後500番代改造を施された上で
渡道して大雪に使用されたのでした。
もうひとつ気になっていたのは、この500番代の続きロットである600番代700番代には写真のようなHMステーと思しきものが
装備されている罐が多く、当時九州管内ではHM復活の兆しがあったのでは密かに思ったりもしました。今もって謎のままです。
1976年から1977年にかけての撮影 鹿児島本線 上/鳥栖駅 DD51700番代 4044レ明星3号、下/DD51621号機 801レさんべ3号
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