明けない夜はない

膣ガンステージ、肝臓に遠隔転移あり。只今経過観察中。そんな私の心の叫びと、乗り越えて来た事、あれこれ。

2005年11月の出来事②

2006-08-13 16:13:42 | 病気の経緯と治療とか
入院した翌日は、文化の日で祝日。
だからなのか、我が家の両親、姉夫婦、 夫の両親、義弟とフルラインナップで、
お見舞いに来てくれた。
義弟は、

「病院で退屈だろーから」

と、 PSPをプレゼントしてくれたよー!サンキュー
ゲームあんまりしないけど、音楽入れて 今もフル稼働で使わせてもらってます。
でもこの日、起き上がる事も出来なくて、 せっかく来てくれた皆に、悪い事したな。

私は病院ってトコは、休日も祝日も動いているって、 勝手に思ってた。
確かに、看護師さんも居るし、当直の先生も居る。
食事も3度出てくるし、売店も開いてる。
だから、N先生と病棟医長のI先生も、 普通に、勤務しにこの日来てるんだって思ってた。
後で知ったけど、私の治療方針を決めるチームを組んで、 話し合いと、私達に説明をする為、
祝日だったこの日、出勤してくれてたそうだ。ゴメンナサイ。
どーりで、軽装だったわけだ。
白衣の下は、ジーンズだったし。 休みの日は、リラックスなお召し物なのね。

皆帰って晩ご飯が済んだ頃、 病棟医長から、病気の説明と、
これからの治療計画を、 説明された。
心配だからと、母は残っていて、母、夫、私が、 説明を聞く事になった。

I先生!
心の準備は万端です!(癌とは解っていたし)
号泣する準備も出来てます!(ハンドタオル持参)
これからどーするんでしょーか?

「癌には、違いありませんが、病変がどこから来てる物なのか、まだ特定出来ません。
でも経験から言うと、多分子宮頸部からだと思われます。
これから、検査などいろいろとさせてもらいますが、それの結果を待ってたんじゃ、遅すぎる。
早く治療に掛かりたいので、見切り発車ですが、来週から1番オーソドックスな種類の、抗がん剤を投与させて下さい。
こんな辛い話、誕生日の前日に話して、ごめんな。今日は思いっ切り泣いても、エエからな。長い道のりになるけど、
明日からは病気に勝つ為に、一緒に前進して行こうな。」

とI先生は言った。優しいナァ。
なんで、誕生日知ってるん?とか思ったけど、 入院する前、
なんかカルテに書いたなって 、後から気付いた。
でも、そんなトゴで見てるI先生ってステキ。
見た目めっちゃ軽そうな、不良兄貴みたいな先生やけど、
後々考えると、偉い先生だった・・・

後日もらったI先生が書いた説明書きには、

”子宮頚癌ステージⅣ”(後に診断名が、膣癌に変わるけど)

と、 書き記されていた。

その後で、

「痛みをとる事が、1番最初にしたい治療。痛かったら、それだけでしんどいやろ?
生活する事も、考える事も、話す事も辛いやろうし。
今日から、オキシコンチンと言う痛み止めを、8時間おきに服用してな。
量は痛みに応じて、増やしていくから。」

そう言われて、この日から最初の治療、

「痛みをとる事」が、始まった。

でもこのオキシコンチンと言う薬、劇薬で麻薬らしい。
使い方によれば、良い薬との事で、この薬についての説明が、
何度も何度も医師、 薬剤師からあった。
形は、普通の大きさの錠剤。(バッファリンよりも一回り小さい)
これが、麻薬なのかっっっ!って思うと、
自分の病気の重たさに、ただただ驚くばかりだった。 まずは、10mgから。
8時間おきに1錠づつ。1日、30mg。 でも、当たり前ながら、効かず毎日増量。
最大で、私は一日に200mgも服用していた。

それに加え、8時間も痛みが耐えられない時用に、 レスキュー(緊急用)と呼ばれる、
痛み止めの薬があった。 ロキソニンと、塩酸モルヒネの2種類。
この2種類の薬も、入院中は毎度飲んでいた。 今から考えると、ほんと薬ばっかし・・・。

入院中、毎日看護師が「痛みレベル」を表にして、 私に、そのレベルを聞いてきた。
10段階で、10が最強。1が最弱。 この痛みレベル、中々伝えるのが難しくて、
何度か、看護師に疑われた。

「さっき、○○さん、尿管付けたまま、走ってたでしょ?走れるって事は、
痛みは1に近いの?」とか。

いやいや、痛くても走る事くらいあるっちゅーねん。
病人やけど、私にだって緊急な用事もあるんやから
(って決まって、目撃されてる時は、便がもようしてる時で、薬により、
かなり緊急状態な状況だから=ユルイ)

抗がん剤が始まるまでは、癌に対しての治療が無かったので、 オキシコンチンと、
ロキソニン、モルヒネだけじゃ、 痛みは、中々治まらなかった。

いよいよ次は、抗がん剤が始まる。

次へ続く

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