バイオリンドクターの中澤宗幸さんは、大震災に際し自分が何も出来ないと重い心を持っていました。
ある時、妻の「がれきの残骸は、生活の山…」との言葉に気付き、バイオリンの制作を思いつきました。バイオリンの材料は、津波で製材工場を流された友人が集めました。
材料は、家の梁や、柱、床板などですが、表板の振動を裏板に伝える「魂柱」(こんちゅう)と呼ばれる重要な部材には、「一本松」が使われました。
バイオリンは、3挺作られました。当初は「震災バイオリン」と呼ばれていましたが、その後、世界にも通じる「津波バイオリン」と呼ばれるようになりました。
バイオリンの音色は、演奏者の思いが伝わるのか、深くやさしい音色です。
震災一周年の慰霊祭でも献奏され、聴く人の涙を誘いました。
その後は、「千の音色をつなぐ絆のプロジェクト」として、千人の演奏者に語り継ごうとしています。
中澤さんは、日本各地で国際音楽祭などを企画したり、イギリス・ヨーロッパには毎月のように渡航してバイオリンの調整を行う等、内外に活躍されています。
(参考:NHK・ラジオ深夜便を聴いて)