大震災の教訓を風化させまいと、保存に向けた論議が活発化している。
国は、補助制度を設けて保存の動きを後押しするが、自治体の負担は大きく、早々に撤去されたものも多い。
陸前高田市の「奇跡の一本松」は、「一本松があることで、津波の被害や避難の必要性を今も身近に感じられる」と、津波を経験した住民にとって大きな存在となっている。
前向きなイメージの一本松と違い、遺構の多くは被災の負の記憶を呼び起こす存在でもあり、姿を消していくものも多く、各地で、地元の意見が割れるケースが目立つ。
言葉だけでは津波の威力を伝えるのは限界があり、「時間が経てば被災地を忘れないで」と遺構を保存する方向に気持ちが変化する住民も増えていくとして、合意形成を急がないことも重要とされる。
(参考:読売新聞)
一本松は約7万本の松の中で唯一残りましたが、昨年9月に伐採され、レプリカが製作されることになりました。
当初は今年3月に完成に完成の予定でしたが、レプリカの枝葉の角度がずれていたためやり直しとなっていました。
一本松の前には献花台が設置され、約100人が震災の犠牲者に黙祷を捧げました。
バイオリンドクターの中澤宗幸さんは、大震災に際し自分が何も出来ないと重い心を持っていました。
ある時、妻の「がれきの残骸は、生活の山…」との言葉に気付き、バイオリンの制作を思いつきました。バイオリンの材料は、津波で製材工場を流された友人が集めました。
材料は、家の梁や、柱、床板などですが、表板の振動を裏板に伝える「魂柱」(こんちゅう)と呼ばれる重要な部材には、「一本松」が使われました。
バイオリンは、3挺作られました。当初は「震災バイオリン」と呼ばれていましたが、その後、世界にも通じる「津波バイオリン」と呼ばれるようになりました。
バイオリンの音色は、演奏者の思いが伝わるのか、深くやさしい音色です。
震災一周年の慰霊祭でも献奏され、聴く人の涙を誘いました。
その後は、「千の音色をつなぐ絆のプロジェクト」として、千人の演奏者に語り継ごうとしています。
中澤さんは、日本各地で国際音楽祭などを企画したり、イギリス・ヨーロッパには毎月のように渡航してバイオリンの調整を行う等、内外に活躍されています。
(参考:NHK・ラジオ深夜便を聴いて)
印鑑製作業者でつくる「全日本印章業協会青年部連絡協議会」が、復興を後世に伝える象徴にと、再生のために伐採された「一本松」を使って公印を作り、本日、陸前高田市に寄贈されます。
同協議会の会長さんが昨秋、一本松が伐採されることを知り、「印鑑は人が亡くなれば使われなくなるが、市の公印はずっと使われる」と発案しました。
協議会が彫る職人を募集して、「印稿」で審査し、新宿区の印章彫刻士の男性が選ばれました。
印章彫刻士の男性は、学生の頃から毎年東北を旅行しており、「絶対に彫らなければいけない」と応募しました。
男性が印の材料に刃を入れると、陸前高田市の民宿で受けた温かいもてなしや、海岸の風景が頭に浮かんだそうです。
(参考:読売新聞)
陸前高田市で津波に耐えて残った「奇跡の一本松」をパッケージにあしらったようかん「高田松原ものがたり」が、販売され人気を集めていることが、新聞で紹介されました。
ようかんの販売元は、同市の印刷業「高田活版」です。同社は、津波で建物が全壊しましたが、仮営業所で営業を再開しています。
同市の高田松原の再生に向け、日持ちのするようかんを販売し、売り上げの一部をその費用に役立てる事を思いつきました。
ようかんの製造は、同じ津波被害を受けた茨城県のメーカーに委託しています。
ようかんは、1本700円で、塩・芋・リンゴ、の3種類で、HPからも購入できます。
福呼う本舗 http://fukkouhonpo.com
発見された場所は、「奇跡の一本松」から北に400㍍の地点です。
松の新芽は10㌢位で、芽が出てから1年程経つと思われます。
松の種類は「クロマツ」で、比較的に塩害に強い品種です。
苗木は掘り起こされて、鉢に移し、高台に移転されました。
(参考:ラジオニュース)
「奇跡の一本松」は幹の防腐処理などをして、来年2月に元の場所に再生されます。
陸前高田市では、保存費用を1億5000万円と見込み、交流サイト「フェイスブック」https://www.facebook.com/RikuzentakataCity/app_324905614239700などで募金を呼びかけています。10日現在、2,687万円が集まっています。
(資料写真~NHKTVより)
大津波に耐えた陸前高田市の「奇跡の一本松」 を、震災の記憶を語り継ぐためのモニュメントを保存しようと、市は5日、国内外に募金を呼びかけ始めました。
口座振り込みや、「フェイスブック」を通じたクレジット決済、現金による寄付で受付ます。
市では、一本松の保存方法を、防腐処理を含めて検討していますが、周辺整備や維持管理などで、最低1億5000万円が必要になりそうです。
戸羽太市長は記者会見で、「一本松は希望の象徴。世界中から応援され、期待されている。そうした気持ちに応えるためにも残したい」と話しています。
(参考:読売新聞 2012.7.6)
その後の募金状況
9月19日 現在 3,120万円。
映る姿は対照的。
桜は満開、松は立ち枯れ。
共に、復興へシンボルとなって、人々の心の支えに。
滝桜は、7本の幹が絡み合い、百㍍にも及ぶ根を張り、千年もの樹齢を保つ。
今年の滝桜は、その後、4月27日に満開になりました。
原発からの避難の住民が、滝桜周囲の清掃などを通して、地元住民との交流も生まれる。
柳沼ハナさんが始めた滝桜の苗木作りは、後も引き継がれ、全国に3万本ほどの苗木が送られる。
その子孫が、
ここ東京・北新宿の地、
円照寺にも育っている。
偶然、つい最近知る。
偶然とは云え、
えにしを想う。
1本の松を残し全て津波で押し流された。
「千の風になって」の新井満さんは、著書「希望の木」を朗読。
今は、立ち枯れた松を、復興の心の支えに。
「希望の木」は、1冊に付き100円が、陸前高田の復興支援に送られる。
〔一本松~その後〕 2012.5.29
一本松は根が海水の影響で腐り、蘇生は絶望的とみられている。
台風や雷に遭うと倒れてしまう恐れがあるため、防腐処理をしたうえで、震災の記憶を継承するモニュメントとして保存する方針を固めた。
保存処理には約9000万円かかるため、世界中に募金を呼びかける。
(参考:読売新聞)