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Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

脱原発と311を考える自分の絶望と希望

2012-01-22 | 日記的な
2011年3月11日。

それが起きる前の日々、
私は山口県の上関原発の件に注目していた。
連日ustreamで中継される、現場の様子、
反対する市民と強行に工事を続けようとする作業員。
原発を作りたい人たちにも思いをめぐらせながら、
それでも、そこに原発を作ってはいけないと思いながら見ていた。

一番気になったのは、
長い年月続けられてきた祝島の人たちの暮らし。
海や島の自然とともに営まれてきた暮らし。
何かあったときにはこれが破壊されると思うと、
絶対反対だと思いながら見ていた。

ふと、足元を見ると、福島にも原発があった。
裏磐梯に越して2年。裏磐梯は原発から遠いけれど、
そのことにももっと関心を持ちながら、
暮らして以降と思っていた矢先の震災と原発事故だった。

原発事故が起きた当初の思いは、このブログにも書いている。
一番最初に頭をよぎったのは、この大地の汚染。
人間は逃げるすべを持っているけれど、
自然界のものたちには、その選択は難しい。
それに対して、大きな悲しみと怒りがわいてきた。

裏磐梯は原発から遠くなかったことが今頃わかった。
これからの暮らしは、やはり、
放射能に気を配りながら暮らす必要がある。
こんな風になってしまったのは、原発事故のせいだ。
もちろん、私も原発はなくして欲しいと思っている。

しかし、ここのところ、
特に、今年に入ってから「脱原発」に対して、
福島の地元からの反発の声が目立つようになった気がする。

脱原発世界会議、なんで横浜でやるの?
福島に来ると、みんな被爆するから来たくないんじゃないの?

今年の3月11日に、郡山で脱原発のイベントやるらしい。
それって、身近な人を亡くした人たちの悲しみもいえていないのに、
福島でそんなイベントをするなんて、配慮が足りないんじゃないの?

などなど。

去年一年間、福島では、復興のため、福島を元気にするため、
ということで、いろんな試みやイベントが行われてきた。
音楽イベントもあったし、駅伝などもあったり。
そのたびに、そんなところでイベントをやるなんておかしい、
という声を、外から浴びせられてきた。

なんだか、そういう反動もあって、
脱原発に対する反発が噴出している感じもするし、
私自身の中にも、そういう感覚がある。

「原発をどうするか」というテーマで考えたり
声を上げて主張することも、とても重要なことだと思う。
行動している人たちは、勇気を持って取り組んでいる人が
たくさんいると思う。
しかし、反発が出てしまうのは、なんでだろうね。

3月11日の大震災と原発事故を経て
「私達がこれからどう生きて行ったらいいのか?」
を考えるのは、原発のことだけじゃなくて、
もっと広い視野で考えなければいけない。
脱原発!だけが突出しすぎていて、
何か配慮に欠けてるのかな?

自分の暮らし、身近なところを変えたり、
自分の内面を変えたり、地に足が着いたこと、
地道なことも同時にやる必要があると感じる今日この頃。

年賀状にも使わせていただいた、ガンジーの言葉を思う。

「世界に変革を求めるなら、自分自身を変えることだ」

今年の3月11日、どう過ごしたいかを考えてみる。

3月11日は、それぞれが、それぞれに
いろんなことを感じはじめた始まりの日であり、
それ以降、何も終わらず、ずっと続いている。

そういう日は、やっぱり、静かに過ごして
自分の中で、外で、何が起きようとしているのかを
見つめるにふさわしい日のようにも思える。

3月11日は脱原発!と旗を振れば、
それぞれが、それぞれの想いを持っているわけだし、
本当に、特別な日であろうと思うから、
こんな大事な日に何をするんだ、と反発が出てくるのも当然。
私も正直言って、ちょっと反発や違和感を感じる。

でも、私も、3月11日は、何か区切りをつけるためにも、
何かやりたい、と去年思った時期があったので、
その日に、自分が大事だと思っているテーマを、
みんなで考えたいという気持ちもわかる。

たぶん、何かが突出すると、
その反対のものがまた立ち上がり、対立構造ができる、
というのが世の常なんだろうなと思う。

結局、対立する双方で、話をしてみないと、
実際のところわからないし、
別に、誰もが対立したくてやってるのではない。

そんなことをいろいろ、考えていると、

「反発したり、対立したり、否定したり、
投げやりな感じになりたい自分が、
いつまでたっても、自分の中に居る、という絶望」

「対立したら、そこに対話が生まれる可能性ができ、
もしかして、いままで気づかなかったことに気づく機会になる
可能性があるという希望」

この絶望と希望が同時に自分の中に存在していることが解る。

葛藤を抱え続けた、この気持ち悪い感じが、
それほど悪くないと思えるときが来るような気がするので、
そこを眺めていようと思う今日この頃だ。






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