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Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

このブログについて

たまに更新します。
最近はnoteに記事を書いていますので、Earth Spiralのnoteもご覧ください。
note Earth Spiral
星々のことば/猫の言い分/Plant Medicine/白魔術研究所ほか

body,mind,spirit

2010-02-04 | ソマティクス・ボディワーク
ここのところ、もやもやするなと思っていたら、
自分の中でなんだか変化することがあった。

ずっと身体や自然のことを中心にやってきて、
やはり、五感で感じられる実態のあるものを
徹底的に見ていくことが自分のやることだと思っていた。
見える部分をじっと見ていれば、
それに付随する見えない世界も見えてくるから。

見えない世界のことは、なんとなく、
怪しいなぁ、と思う情報と、
これは真理だろうなと思う情報が玉石混交なのはわかっていた。
というか、そこに超敏感、というか、過敏ですらある自分がいる。
だから、自分も怪しいと思われるのはすごく嫌なので、
「あくまでも身体と自然というものを通して、
見えない世界は付随するものだから、
感がけざるを得ないからしょうがないじゃん」
というスタンスを保ち続けてきた。

でも、そうも言っていられない感じが
最近のもやもやなんだと思った。
人間は、身体だけの存在ではなくて、
もっと、いろいろなものが付随していて、
それは、しょうがないのではなくて、
ちゃんと、そういうものとして責任をもっていきたいと思った。

胸骨・身体感覚

2008-08-17 | ソマティクス・ボディワーク
ひさびさに、からだのこと。
あまりに個人的すぎて、書く気にならないのですが、
たまには書いてみようかなと。

最近、胸骨が気になっています。胸骨は最後の砦と
フェルデンクライス・メソッドではいわれています。
そうは言っても、はっきり意味がわからなかったのですが、
最近、あ~、そういうことかなと思うことが・・・。

自分の行きたい方向とか意志を示すのが頭部、
実際に行動に移す時にパワーをはっきりするのが骨盤部分、
そして、その両者をつなぐのが胸部?

胸骨がちゃんと、頭の行きたい方向に動くことを意識するようになったら、
動きがとても楽になって、変な痛みがなくなってきた気がします。

オイリュトミーの時に、上丹田、中丹田、下丹田ということを
先生が言っていましたが、そういうことかなと。
武術なんかやっている人は、そういうことは意識されているのかもしれません。

それから、フェルデンクライスをやっていると、
骨を意識するようになって、それはいいのだけれど、
骨ばっかり意識するようになっている時がある。
しかし、今日は骨とは関係ない場所にある、
自分の中心感覚を感じられて、なんだか気持ちよくなりました。

免許皆伝~フェルデンクライス・メソッド

2008-05-12 | ソマティクス・ボディワーク
フェルデンクライス・メソッドは
5月6日トレーニングが終わり、
卒業することが出来ました。
これで、免許皆伝。
(写真は、お世話になったスケルトン君)

卒業パーティーの時に、
Kさんが歌ってくれた替え歌に
「お金もない、将来の見通しもない、
でも、学びたかったことが学べて幸せだ~」
というような台詞があったけれど、
ほんとにそうだよと思った。

でも、マスターへの道は長い。
これで終わりではなくこれからなのだけれど、
わからない事だらけで、プラクティショナー大丈夫か?
と思っている私たちに、先生がこんなことを言った。
「モーシェ・フェルデンクライスはこういいました。
私は、自分が知らないということについて恐れない。
むしろ、知っていることに恐れている…と。
わかったと思ってしまったら、
それ以外のことを学べないんですね。
あなた達は、学び方を学んだわけなので、
知らないことはいつでも学べる」
というようなことを言っていた。

確かに。
お金も見通しもなくても、
「知らないことは、いつでも学べる」
というのは安心感でもあり自信でもある。

それからもう1つ、今回の収穫は、
自分の肩甲骨を置く位置がわかったこと。
そして、セグメント終了の翌日、
頭蓋骨の縫合部分が緩む感覚を体感したこと。

ちょっとパソコンすると、その心地よさがまた、
いつものパターンに戻ってしまうのですがね。

フェルデンクライス・メソッド~学び方の学び~

2008-05-02 | ソマティクス・ボディワーク
フェルデンクライス・メソッドも
あと残すところ4日で卒業(できるばず)だ。

今日はまた、プラクティカムといって、
モデルさんを連れてきての技術チェックがあった。
自分は既に終わっているので、人がやるのを見学。

プラクティカムのときは、コースディレクターの
エラット先生が、フェルデンクライス・メソッドについて説明をする。
今日の説明は、すごくよかったので、メモメモ。

以下、エラット先生のお話をノートと記憶を元にまとめたもの。
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フェルデンクライスとは人の名前です。
物理学者だったフェルデンクライスは、
日本の柔道をフランスに紹介した人物でもあります。
かれは、ある日、膝を痛めて、医者からは手術を勧められました。
しかし、自分で治すための試みをしました。
そして、膝が痛いのは、痛い部分の問題ではなく、
自分の体全体をどう使っているかということに原因があり、
たまたま、膝に症状が出たことに気づきました。
そして、2つのことを発見しました。
・動きを通して、自分が何をやっているかいろいろ学べる
・答えは1つではなく、様々な解決方法がある。

彼は、赤ちゃんがどうやって学ぶかに注目しました。
赤ちゃんの学びは、大学で学ぶ時のように、
先生がいるわけではありません。自分自身で学びます。
自分が見たり、聞いたり、感じたことをつなぎ合わせていく
複雑なプロセスを行っており、そういう能力が備わっているのです。

赤ちゃんだけではなく、大人も同じように学びなおすことが出来ます。
そして、それは、動きを通して学ぶのが学びやすいのです。
その学びは人生すべてのことに対して応用が出来ます。
感情レベルでも、社会レベルでも応用できるのです。

重要なことは、自分が何をやっているかに気づくことです。
関係性に注意を向けることです。
自分がどういう風に、物事をなしているかに気づくことは、
他のやり方にも気づけるということになります。

そして、他の人はどうやっているのだろうと思うとき、
他の人に対しても繊細に接することができるようになり、
他の人が自分で学ぶことを助けることができます。
それが、プラクティショナーコースの4年間で行ってきたことです。

これらは、今の世の中において、大切なスタンスです。
様々な人の個性も味わえて、他者に共感が持てるようになります。
関係性を持つために同じである必要はなく、
違っててよいし、違っているからこそ、社会が豊かになるのです。

この学びは、人生のどこにでも応用できます。

そして、私がこういっていることは、
動きを通して実際に学んだことなので、
説得力を持たせることができるのです。
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自分の記憶と解釈が入ってるかもしれませんが、
だいたい、こんな話をされていた。

「関係性を持つために同じである必要はなく、
違っててよいし、違っているからこそ、社会が豊かになるのです」
というところと、
「そして、私がこういっていることは、
動きを通して実際に学んだことなので、
説得力を持たせることができるのです」
のあたりが、ヒットしたかなぁ。

動きは自分で感じられるし、人から見ても感じられるし、
それを通して、人生のエッセンスを学べると私も思います。
例えば、自分のパターンを手放すことが大事とか、がんばらないとか。
それは自分のメンタルな部分にも反映している事。

アウェアネス・スルー・ムーヴメント
awareness through movement

フェルデンクライスメソッドは単なるボディワークではなく、
動きを通して体を通して、様々なものに気づき、学び、
自分の人生のあらゆるレベルに浸透させることができるものだということを
あらためて認識させられるお話でした。




いま、ここにあるもの

2008-01-14 | ソマティクス・ボディワーク
フェルデンクライスメソッドのトレーニング、
冬のセグメントは11日に終わった。
あとは、春に2週間ばかり通ったら卒業。

今回の収穫は、肩甲骨の間の胸椎の動きが明確になったこと。
そのほかにもいろいろありましたが。
歩いたとき、箸をもって食べるとき、物を拾うとき…
どんな動きのときにでも、そこがどう動いているのかが感じられる。

右がいつも痛いな~とおもっていたら、
肩も胸郭も脊柱も腕も、なんか、一体化して動かしてた。
無駄な緊張もいっぱいもっていた。
それが、それぞれに分化して、それぞれの動きがより分かるようになった。
ちゃんと感じていると、痛みや不快感がスッとなくなる。

今、引越し準備で、考えたいことや、やりたいことに
ゆっくり取り組むことが出来ない。そしてあせる。
何かしなくちゃ、何者かであらねば…そう思っている自分がいることに気づく。
そんな時に、動いた時の背骨の動きを感じると、
ぐっと固めて動かしていない。

歩いたときの動きの伝わりを背中に感じる。

そんなことをやってみただけで、なんか、楽しくなる。
こんなに快適にいられるんだから、別に良いじゃん。
そういう気分になる。
今まで自分の背骨が何をやってるかわかっていなかったところが
明確になったんだから、それで幸せじゃん。
そう思った自分がいた。

身体には、自分が何をやってるかが現れている。
それを自分で認識することの安心感というか楽しさ。

よく、精神世界の本などで見る言葉
・いま、ここに生きよう
・あるがままでいよう
シンプルだけれど、なかなか出来ないこと。

でも、最近良く思うのだけれど、
身体と自然っていうのは、そこにあるだけで凄いことをやっている。
凄いことをやっているからそこに存在している。
すごいことって言うのは、いろいろなものが有機的に繋がって、
偉大なシステムとして動いているということ。
人間ってやつは、その凄いものを、しっかりと感じることをせず、
一体、何を頑張っているんだろう、ということ。

身体と自然だけではなく、現実に起こっている出来事の中にも、
様々な意味や予感が含まれているのかも。
別段、特殊な能力やサイキックな能力がなくても、
客観的に観察できる能力があれば、見えないものを感じたり、
時間の流れを感じることはたやすいのではないかとも思う。

しかし~、自分の身体については、
まだまだ、何をしているか認識していないところは
たくさんあるなぁ。
繊細に感じようとすればするほど、いろいろなものが出てくる。
宝の山なのかも

問いを持ったまま生きる

2008-01-06 | ソマティクス・ボディワーク
「問いかけや疑問を持ったまま、
すぐに答えがなくても、
そのままいられること」

フェルデンクライスのトレーナー、エラット先生の言葉。
すぐに答えを見つけない。
決め付けない。
それは成熟しているということ。

らしい。


なんか、それって、どよ~んと重い感じなんだよな。
でも、いつか、「!」ってなるときがあると思うのですが、
どよ~んとしないで、どんな気分でいたらいいんだろう。

まだまだだな。

言葉にならないもの

2008-01-03 | ソマティクス・ボディワーク
昨年末から、フェルデンクライスメソッドのトレーニング中だ。
1月11日までつづく。

今日、先輩が自分のフェルデンクライスに対して感じていることを話してくれた。

先輩は、バレエを教えている。
子供から大人まで。
ある子供たちのクラスでの話し。
かれらは、ほとんどが一人っ子ばかり。
人の話を聞かない。先生は皆に話しかけているのに、
ひとりひとりが好き勝手なことをしている。

そこで、フェルデンクライスのグループワークをやることにしたらしい。
数ヶ月経つと、子供たちは、自分のことだけではなく、
人のことを理解するようになり、他者の存在を尊重するようになったそうな。

フェルデンクライスのグループワークとは、だいたい、
床に仰向けに寝て、先生の言葉の指示に従って、動くことをする。
「仰向けに寝てください。両足を立ててください。
そして、右腕を天井に向けて伸ばしてください」とか。
いろいろな動きをする。
人のことは見ない。自分の感覚で動いていく。
終わったときに、ゆっくり立ち上がると、
なんだか、いつもと体の感じが変化する。

子供たちは顔を見合わせて
「いつも、終わると、こうなるんだよね!」
そういって、お互いにうなずきあう。
何が起こったかは言葉にしない。
そして、みんなで顔を見合わせて「そうだよね!」って言うそう。

この話を聞いて、オイリュトミーのことも思い出した。

体を通してコミュニティ感覚が育つ。
↑そう言ってしまうと、また、語弊があるし、簡単すぎるけど。

現代人は、言葉で上手く説明できないものは受け取れない。
情報だけが独り歩きしている。
頭で分からないものは分からないものとして切り捨ててしまう。
そういう傾向が往々にしてある。

こんな話題をブログに書くことに、まず、無理がある。

とにかく、本当のことは、言葉に簡単に出来るものなどではない。
自分で感じて体感するものだ。
言葉に簡単にできるものは、大雑把な感覚。
喜怒哀楽とか、言葉で表現できてしまう感情は、大雑把過ぎる。
分かりやすい陳腐なドラマみたいなもんだ。

忙しいと、言葉にならないものを切り捨てる傾向に傾く。
言葉にならない何かを発している自分の心や体に聞き入る時間と空間。
それが生きていく上でどれだけ大事なものか、
伝えられるといいなと思う。

けれど、ブログでは無理だ

セラピーではなくてレッスンが必要

2007-09-19 | ソマティクス・ボディワーク
ずっと、アロマテラピーの仕事をしてきましたが、
癒すという言葉にたいして、なんとなく違和感を感じていました。

癒すというhealという言葉は、wholeとかholisticと同じ語源で、
「全体性を取り戻す」とかいう意味もあるそう。
心も体も、人間も環境も切り離されてしまった昨今だからこそ、
「癒し」が求められているのだと思います。

しかし、そもそも、私たちがされてきた教育自体が、
繋がりを認識していくようなものではなく、
すべてを切り離してばらばらにするような考え方、
すなわち、近代科学がベースとなっていたわけです。

なので、癒しというよりも、再教育が重要だと思う今日この頃。
フェルデンクライスメソッドではセッションのことをレッスンといいます。
それは、癒しではなく、学びのためのレッスンだから。
現代人には、体のレッスン、心のレッスン、生きるためのレッスンなど、
いろいろなレッスンが必要。

自分の体の中での繋がり、
自分の体と心のつながり、
自分と他者のつながり、
自分と自然のつながり、
それらを認識しなおすことが必要。

無意識レベルにすでに刷り込まれていることを、
認識しなおしてつなぎなおすということ。

そして何より、自分の中に何が刷り込まれているか、
自分が生きている世界は思い込みであって、
もっと、広くて深い世界があるという、
自分の位置関係を認識することが必要だな~と思うのです。

そして、再教育や自己成長には、混乱を伴うということも
認識しておく必要があります。
変わりたければ、もっと良くなって楽になりたければ、
混乱を恐れないことも大事

踊ること

2007-08-26 | ソマティクス・ボディワーク
この週末は、高円寺阿波踊り。
毎年恒例で51回目になる。
今回は、思いがけず、桟敷席で見ることができた。
毎年、なんとなく、お囃子につられて、フラフラ見にいっているのですが、
踊りと、太鼓のリズムなどで、なんだか、気持ちが良くなる。
人が多くて、大変なのだけれど、
そのエネルギッシュな雰囲気の中にいると、いい感じがする。

踊ることっていうのは、コミュニティ作りにおいては、
とても大事なことだなと思う。
一体感が生まれるし、人の動きを見るって事は、
その人を知ることにもつながるから。

いつも、見る阿呆になってしまいますが、
別に損はしていないと思うのであった

身体感覚と世界平和

2007-08-14 | ソマティクス・ボディワーク
8月3日から、ずっとフェルデンクライスメソッドのトレーニング中だ。
この夏から4年目に入った。あと一年弱でご卒業。
今年は、まとめの年。

ATMレッスンも、FI(個人レッスン)につなげるために、
今までやってきたレッスンを、もう一度丁寧に復習している感じだ。

このブログでは、エコロジーやパーマカルチャーのことを中心に書こうと思っているけれど、
ボディワーク、またはソマティクスといわれるワークも、
エコロジカルメディスンだなと思うので、書くことにした。

昼休みにクラスの人といろいろ話しをするのだが、
地に足が着いた感覚って、楽しい感じになる人が多いという話題になった。
これは、私がエサレンマッサージやアロマの施術時に言われる感想なのだが、
特に、グラウンディングの感覚を意識的に明確にしようとした時に、
そういう感想が聞かれることが多かったように思う。

足の裏が地面にちゃんとついている感覚って、意外と希薄だったりする。
それをちゃんと感じるのは、自分自身を確認する感覚にもつながるという。
自分がここにちゃんとあると言う確信と安心感がもたらされるのかもしれない。

自分の身体の中での関係性、例えば、足と骨盤と頭の位置関係とか、
そういったものが良い関係性があればあるほど、
重力の中で機能的な体の使い方ができる。
地球上でどう生きていったらいいかを理解することにもつながると思う。

そして、自分自身の中の統合された感覚があれば、
自分と環境のつながりも自ずと健全に感じとることができる。
身体を通した感覚は、理屈ではないから、ダイレクトに、
調和、不調和の感覚を感じられるもの。

自分自身を健全に認識できていたら、
自分自身は一人では成り立ち得ない、環境との関係の中でしか生きられない、
自分ひとりの幸せはありえず、周囲が幸せであって初めて自分も幸せである、
そういうことが、自然にわかるんじゃないか、
そんな話を、クラスの人が言っていた。

全くその通りだと思う。

昨年の夏のセグメントにカナダから来ていたYVAN先生が
「フェルデンクライスは世界平和につながる」といっていたのを思い出した。


一つ前の日記に、自立と調和ということを書いたが、
精神的な自立の感覚は、身体的な自立(地球の重力に対してちゃんと立つ)という感覚とシンクロしてくる。
精神的になかなか自立の感覚がつかめなかったら、体から取り組んでみてもいい。

ヴァーチャルなものばかりが横行している昨今、
あまり、頭の中の世界に行き過すぎず、
自分の体や感覚を大事にしたいものだと思う