昨年末から、フェルデンクライスメソッドのトレーニング中だ。
1月11日までつづく。
今日、先輩が自分のフェルデンクライスに対して感じていることを話してくれた。
先輩は、バレエを教えている。
子供から大人まで。
ある子供たちのクラスでの話し。
かれらは、ほとんどが一人っ子ばかり。
人の話を聞かない。先生は皆に話しかけているのに、
ひとりひとりが好き勝手なことをしている。
そこで、フェルデンクライスのグループワークをやることにしたらしい。
数ヶ月経つと、子供たちは、自分のことだけではなく、
人のことを理解するようになり、他者の存在を尊重するようになったそうな。
フェルデンクライスのグループワークとは、だいたい、
床に仰向けに寝て、先生の言葉の指示に従って、動くことをする。
「仰向けに寝てください。両足を立ててください。
そして、右腕を天井に向けて伸ばしてください」とか。
いろいろな動きをする。
人のことは見ない。自分の感覚で動いていく。
終わったときに、ゆっくり立ち上がると、
なんだか、いつもと体の感じが変化する。
子供たちは顔を見合わせて
「いつも、終わると、こうなるんだよね!」
そういって、お互いにうなずきあう。
何が起こったかは言葉にしない。
そして、みんなで顔を見合わせて「そうだよね!」って言うそう。
この話を聞いて、オイリュトミーのことも思い出した。
体を通してコミュニティ感覚が育つ。
↑そう言ってしまうと、また、語弊があるし、簡単すぎるけど。
現代人は、言葉で上手く説明できないものは受け取れない。
情報だけが独り歩きしている。
頭で分からないものは分からないものとして切り捨ててしまう。
そういう傾向が往々にしてある。
こんな話題をブログに書くことに、まず、無理がある。
とにかく、本当のことは、言葉に簡単に出来るものなどではない。
自分で感じて体感するものだ。
言葉に簡単にできるものは、大雑把な感覚。
喜怒哀楽とか、言葉で表現できてしまう感情は、大雑把過ぎる。
分かりやすい陳腐なドラマみたいなもんだ。
忙しいと、言葉にならないものを切り捨てる傾向に傾く。
言葉にならない何かを発している自分の心や体に聞き入る時間と空間。
それが生きていく上でどれだけ大事なものか、
伝えられるといいなと思う。
けれど、ブログでは無理だ

