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Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

このブログについて

たまに更新します。
最近はnoteに記事を書いていますので、Earth Spiralのnoteもご覧ください。
note Earth Spiral
星々のことば/猫の言い分/Plant Medicine/白魔術研究所ほか

プレゼンス~ローゼンメソッド体験WS感想

2015-12-11 | ソマティクス・ボディワーク
(2015.3.14 facebook noteより)

今日は、ローゼンメソッドというボディワーク
(といったらいいのか)のワークショップがありました。

心と体を1つとして、身体に働きかける身体心理療法といったらいいのでしょうか。
何かの体験があったときに、そのときの心理的な緊張を筋肉が記憶する、
というのはずいぶん前から言われていることです。身体に触れていくことで、
必要なときが来たらその緊張が感情と共にリリースされていくことを促進する
ワークを行います。

これは、他のボディワークでも言われることですが、
プラクティショナーのあり方(プレゼンス)が問われるので、
トレーニングの過程においては、自分の内面に向き合うことが伴うものです。
なので、今日一日では何がわかるって事でもないのですが、
実感として感じられた大事なことがあります。

それは、
「深いところからたち現れる痛みは人のものであり、自分のものでもある」
ということ。

でも、そういう感覚は一瞬よぎるのですが、
また、私たちは別々のものであるという、
分離感が戻ってしまいます。

4つのデモンストレーションを見たのだけれど、
見ること自体がトレーニングなのだそう。
それは技術的なやり方を見るわけではないんですよね。
見ていて、私は自分の中で体が緊張したり緩んだりを
繰り返していることを感じました。

狭い意味での治療の場合、
「緊張や病は悪いものなので取り除かれなければならぬもの」なわけですが、
よい悪いという価値判断を持ち込んだ時点で、クライアントの深い無意識レベルで、
「緊張もしくはトラウマ」を持った自分はダメだ、
という反応が起きると思うのです。そうすると安心して緊張をリリースし、
それに伴う感情をうまく表現するスペースはつくれない。

緊張や痛みは、クライアントのものであって、
同時に自分(プラクティショナー)のものでもある。
そいう意識に本当の意味でなれたときに、
クライアントは安心して緊張や感情を
リリースできるのではないかと思いました。

カラダの使い方~スノーシュー

2014-01-10 | ソマティクス・ボディワーク
昨日、今日と2日間、スノーシューに行ってきました。
スノーシューとは、西洋かんじきみたいなやつです。
雪深くても、その上を歩くための道具です。


こんなやつ。

裏磐梯の冬は、晴れるととても美しゅうございます。
写真撮りまくり。







写真を撮ったり、鳥を観察しているうちは休み休みなので、そんなに疲れません。
あと、小さい山を登ったり下ったりするのも変化があって楽しいので、そんなに疲れません。

最後、山を登るのもつらくなるので、平たんな道を行くことにしたその時、
なかなか、前に進まない感じがとてもつらいものがあります。
体力無いな自分…。クロカンのスキー借りてくれば良かったと思ったり。

しかし、スノーシューがあることで、トレーニングになることがいくつかあることに気づきました。

スノーシューはできるだけ上げずに引きずるように歩く方が疲れないんです。
だから、せっかくなので、片方のスノーシューに重心をしっかり載せて、
スノーシューの後ろから前での重心移動を感じながら歩きます。
それをやるときには、股関節を使います。股関節で歩く感じになります。

自分の場合、右股関節に緊張があって、
それはたぶん、中学生の時に盲腸の手術をしたため、
周辺の筋肉が緊張し、それが長年の体の使い方のくせになっていると踏んでいます。
だんだん、それもここ数年変化してきたので、もう一歩という感じなのですが、
この、スノーシューで重心移動トレーニングが、
股関節の動きを促進して、左右のバランスをとるのにとても良いみたい。

今日は、うろうろ無駄な動きをしたので、最後の方で、股関節も疲れて来たので、
あまり、雪深くない場所をあるくから、スノーシューを脱いでしまえ!と思って、
脱いで、スノーブーツで歩いてみました。
スノーシューがなくなった分、軽くなるので歩きやすいかと思いきや、
足の大きさ分しか進まないし、雪でなんか、しっかり踏み込めずに、
なかなか前に進まないのです…。

でも、また、スノーシューはきなおすのもめんどくさいなと思って、
歩き方を考えてみました。
その結果、股関節に加え、体感部を動かすことを意識するのが良いことに気づきました。
まあ、言ってみれば、モデル歩きみたいな。ルー大柴みたいな感じ(笑)

フェルデンクライス・メソッドのトレーニングを受けていた時に、
海外でのトレーニングと比べると、日本人の場合は、股関節は柔らかいけど、
胸部が固いと言っていたことを思い出しました。
しかし、近年では、床に座る暮らしも減ったので、股関節が固い人もいると思われ。

しかし、カラダの話を文章でされても、マニアックすぎてわからんですね(笑)

幻想的な景色も見れて、冬鳥も観察で来て、
ダイエットにもなり、ボディバランスの調整にもなるので、
一石何鳥でもあるということです。

今年は無理ですが、来年は、
ボディワーク+スノーシューのプログラムでも作りたいと思います~。
というか、ウィンターシーズンの前から、
身体感覚を高めておくのが良いので、何か考えよう。

こびっとハウスづくりと身体感覚

2013-10-01 | ソマティクス・ボディワーク
先日、ワークショップに参加してくれた人からこんな話を聞きました。

テレビで見たのだけれど、トヨタは、手作業の工程をもうけるようにしていて、
なぜかというと、なんでも機械化されているけれど、
機械は人間の手の動きを真似ているので、
人間の手の精度が落ちると、機械の精度も落ちる、
という理由からだそうな。

こびっとハウスの作業をしていて思うのは、
例えば、いつもより細いビスをインパクトドライバーで打つときに、
最初はなかなか打つことが出来ない。
角材を測って寸法どおりに切っても微妙に違う・・・。

そんなことが起きると、私は嫌になってしまって、
「自分はそういう作業苦手だから、もりちゃんやって!」
という気持ちになる。
しかし、誰もやってくれないので、自分でやるしかなく、
イライラを押さえて自分でやるのだけれど、
やっていると、感覚がわかってできるようになる。
そういうことをたびたび経験する。

素材の性質を捉え、道具を自分の体の延長として使えるか、
ということになるのかな・・・。
とはいえインパクトドライバーとか丸ノコとか、
電気を使う便利な道具は使っていますけどね。

家を作る工程は、様々だ。
材を測って切って、貼り付けたり、
モルタルや壁材を練って塗ったり、
コンクリートを作って流し込んだり、
と、やったことも無いようなことが次々に出てくる。

やるたびに、人間ってやると学習して出来るようになる、ということ。
これは、畑仕事でも同じことがいえる。
そして、より効率よく美しく出来るように創意工夫する。
っていうのは、私の場合、身体感覚だったりする。
作業内容によるけど、手先の感覚っていうよりは中心の感覚大事。

学習してできるようになったり、創意工夫したりというのは、
どんなことにおいてもあることだと思う。

しかし、身体感覚を使ってやる作業、
というのが普段の暮らしでは失われつつあり、
それは非常にまずいことなんじゃないかな、と、
自分で火を使い、刃物を使うことが多い田舎暮らしをしてみて、思ったし、
さらに、畑をやり、家のリフォームをやってみて、強く思った。

大げさに言うと、これでは、世界が文化的に貧しくなるのもわかるな。
鈍った身体感覚で物を考えても、ろくなことは思いつかないであろう、
ということは、想像に難くない。

こびっとハウスづくりをしていて、
絶対無理!と思っていても人間、やれば出来るんだな、とか、
それが生きる力につながるな、ということは思っていたけれど、
冒頭のトヨタの話を聞いて、自分がこの作業で得ているものは、
それだけじゃないな、ということ、思ったのでした。

苦手な作業が回ってくると、イラッとして投げ出したくなるけど、
ちょっと、辛抱強く出来るようになるかな・・・。

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今年のこびっとまつりは、
絵画、音楽、香り、演劇、というように、
自分の五感、クリエイティブな感覚を目覚めさせるような内容となりました!
10月12日~14日、裏磐梯は紅葉がはじまる季節。
3連休に、自分の中のワクワク、生きる力を感じに、是非、おいでください^^
こびっとまつり2013

ひとりボディワーク道場6~つながる時~

2013-08-06 | ソマティクス・ボディワーク
生きている時に、完璧な姿勢の人なんて
たぶんいないのではないだろうか。
ある人から聞いたのだけれど、
人間ってどこかしら大なり小なりねじれていて、
死ぬ直前になると背骨がまっすぐになるのだと。

それは、無意識に働いているインナーマッスルが、
背骨をどちらかにより引っ張っているので、
どちらかにねじれたり曲がったり縮んだりしているのだろう。

自分自身の中では、自分の身体のゆがみに気づき始めたのは、
アロマセラピストとして仕事を始めたぐらいからだ。
それまでは、別に自分ってこれが普通、って思っていたので、
何の痛みも違和感も感じなかった。
年齢的なものもあってか、身体に意識が向くようになったからか、
肩がこってるな~、とか、なんか背中が痛いな~とか、
感じるようになって来てしまった。

そのうち、右股関節に力が入ってるんだということを自覚し始めたけど、
中学生の時に盲腸手術をしているので、それと関係があるんじゃないかな
ということが、だんだん自覚し始めた。

右股関節の力は、あるボディワークのセラピー的なものを受けた時に、
自分が力を入れていることに気づき、そうすると、
力を入れないようにしようと思うものだから、
どう動いていいかわからなくなったことがある。

今のパターンには気づけたけれど、
新しい選択肢を与えられなかったから。

あやうく、動けなくなって、うつになるところだった。

あれから10年以上経ってますが、
当時と比べてはるかに身体意識は高くなっていて、
首、肩、お腹、背中、背骨周辺など、力が入ってるなと思ったら、
意識的に力を抜くこともできる状態になっている。

でも、痛みっていうものは、どこかが緩むとどこかに移動するもので、
今、一番痛みが出る場所は、右の首と肩なのれす。
もう、インナーマッスルの調整という細かい段階に入ってるので、
どこがどうなってんだかさっぱりわからない感じ。

時々、自分でフェルデンクライスのワークやったりヨガやったりして
調整しています。そうすると、いろいろな気づきがあります。
気づいたからといって、人間すぐには変わりません。
三歩進んで二歩下がるを何度も繰り返して、
前回書いたけれど、やっと自分のやり方を見つけて行ったり、
より良い位置を見つけたりするのです。

フェルデンクライスメソッドのトレーニング中に、
あるボディワークのプラクティショナーの方に
交換セッションを頼まれたことがあり、1度やってもらったのだけれど、
「肩は本当は、ここの位置がいいんだよね」
っていわれて、ムカついたことがある。
今思えば、骨格の構造から見てそれは正しいのだけれど、
その時の自分は、その正しい位置にはおきたくなかったのでw

人間、自分で気づいて発見していかないと、変わらないのです。

そんなこんなで、最近は、こびっとハウスの壁ぬりをしていると、
どうしても右肩が痛くなる。壁ぬり以外でも、負荷がかかりすぎると痛みが出る。
作業をしながら、自分の動きをチェックするっていうのは、
今までだと、無理な感じでしたが、ちょいと余裕が出てきたのか、
どこがどうなってんだ?というところに意識を向けて、
痛くない位置を探すというのが、ちょっとできるようになったので、
特別な時間をとってワークするのではなく、
実作業をやりながら、自分の動きチェックをしていました。

それでも、なかなか変わらないんだよね…
と思っていると、突如として、いい感じに変化が起きることがあるのです。
睡眠とっているうちに、ちゃんとシナプスがつながってるんだなと思います。
私の意識より、身体意識、無意識レベルのほうがずっと賢いということを
あらためて確認。

***

ここ数日、自分の内的なところでも、何か滞っていたものが動き出して、
あれやこれやが、なんか進み始めていて、
自分の中でどこから手をつけたらいいやら状態にあります。
しかし、それらひとつひとつは、とっても楽しい作業で、
いつだったかの記事に書いたように、
赤ちゃんが、目的を持たずに、ひとつづつの動きを楽しんでいる、
そんな風にしていけばいいのかな…と思ったり。

でも、やることや考えるべきことがいっぱいで、わさわさしていたら、
なんか、右首と肩の固まっていたものが、ミシミシミシっと動いて、
パラパラほぐれる感覚が出てきたのです。

一体化したものが分化し始めていると言う感じ。
そうした、からだの変化が出てくるだけで、
もう、ワクワクしてしまいます。

それは、より自分自身の中心軸が整ってくることでもあり、
中心軸が細くなればなるほど、自由になっていくということ。
自分のボディイメージが土管のようだったら、
身動きとりにくいでしょ。

気持ちの中では、いろいろ沸いてきて忙しい感じだけれど、
身体感覚のほうにしたがってみようかなという
今日の状態であります。

いや、でも期待すると、元に戻ったりするからな・・・。

ひとりボディワーク道場5~自分のやり方を見つける~

2013-07-30 | ソマティクス・ボディワーク
フェルデンクライスメソッドでは、「これが正しい姿勢!」という
決まったものがあるわけではありません。
しいて言うならば、いろんな動きの可能性を持っているのが良い姿勢といえます。

人間は大体同じような骨格を持っているので、
ある程度は、こういう姿勢や動きがからだに負荷がなくていい、
と言うのはあるとしても、
先天的、もしくは事故などでからだの一部が不自由であったり、
障害とまではいかなくても、多少、左右の足の長さが違う、など、
人それぞれの違いが、もちろん存在するわけです。

だから、これが正しい、というよりは、その人の状態の中で、
身についたパターンに縛られず、
楽な動き方や痛みの出ない動き方や、
より良いやり方を見つけられるようなサポートをするのが
フェルデンクライスメソッドの役割です。

そしてレッスンの中では、「自分自身の感覚に確信が持てる」よう
外部基準による評価ではなく、自分の中で自分を認める、
というマインドも意識的に育てていきます。

***

と、ここまで書いて思ったのが、
2011年3月11日の震災後の自分のプロセス。

「福島は人が住む場所ではない」
という言葉にどれだけ傷ついてきたことでしょうか。
その中でも、自分は移住する気持ちは全然起きませんでした。

しかし、自然の恵みを生かした暮らしを指向していた自分が
現実で直面するのは、放射能という高い壁。
やりたい方向性は完全にさえぎられました。

あれから今では3年目です。

以前とは見た目には変わらないけれど、
3.11以降、世界は違う世界になった。

具体的に動こうとする時に、
この壁には必ずぶつかるということを
最近実感しています。

それが良いか悪いかは別として、
慣れ親しんだ世界とは違う世界で生きていくために、
新しいやり方を見つけ出さなければならない。

それは、もう、そこに住む当事者が試行錯誤の中
道を見出していくしかありません。

暗闇の中で手探りの2年間は、
自分がどこに向かうかという方向性すらわからず、
でも、目の前にあるものを自分の感覚に従って、
ひとつづつやり続けることしかできませんでした。

それは、正解かどうかもわからない中、
頼れるものは自分の感覚だけだったし、今もそう。

自分の中で感覚を確かめながら進むという事は、
外部には形となっては見えないこともたくさんあります。
でも、自分の中では確実に何かが育っている感覚。

3年目にして、何かがつながり、
動きになっていこうとしている気がします。
それでもまだ、過去のパターンに何かしら囚われている自分がいます。
たぶん、それは手放すのが恐い何か。

そんな時は、また、無理やり動き出すのではなく、
進んだり、戻ったりしてみる。
そして、何の痛みもなく楽に動ける軌道を探すのです。

それがたぶん、新しい世界での自分のやり方になっていくのだろうなと考えます。

*目的指向的に無理やり動くな
*自分の中に起きている微細な感覚をとらえろ
*動きがつながっていない場所、硬直している場所を見つけろ
*その硬直(もしくは緊張)は手放せるか?

以上、今の自分のためのメモ。





ひとりボディワーク道場4~魔術師と女魔術師~

2013-07-24 | ソマティクス・ボディワーク
前の記事を書いてたら、別なことを思いついたのでメモ。
ボディワーク道場からちょっと脱線します。

突然タロットカードの話。
タロットには「魔術師」のカードというものがあります。
そして、「女教皇」というカードがあるのですが、
これは実は男性の魔術師に対して、女性の魔術師を表わしてものでもあります。

魔術師のカードには、地水火風というった4大元素を象徴したものが描かれていて、
魔術師は世界の成り立ちを熟知していて、何でもできる万能の技を持っています。
見えない世界をその知恵と技で見えるものに変化させる力、
すなわち、魔術を使うことが出来るのです。

それに対する女魔術師(女教皇)のカードは、
静かに椅子にすわり、目隠しをして手には世界の法が書かれた巻物を持っています。
女魔術師が使う魔術は、男の魔術師が「動」であれば「静」の魔術。
目隠した姿は、視覚を遮断して目に見えないものでも感じとる能力を表わします。
起きていることへの微細な感覚、アウェアネスの高さを示しています。
女魔術師は、気づきによって世界の変容を促す技を持っています。

前回は「力に頼るな!」って書きましたが、
力を使ってはいけないわけではなく、力も使うタイミングと方向性が大事。
力と気づきの話で、このカードを思い出しました。

タロットって単なる占いの道具じゃないのよね。
ちょっと脱線でした。

ひとりボディワーク道場3~力に頼ってはいかん!~

2013-07-24 | ソマティクス・ボディワーク
一日に2つも記事がかけるとは奇跡的。
しかし、まだ三日坊主で終わる感じも否めませんw

さて、表題の「力に頼ってはいかん!」ですが、
前回の記事に、楽しさと学ぶことについて書きました。

赤ちゃんにとっては一つ一つの動きが楽しくって、
好奇心満々でいろんな動きをしているうちに、
あら、こんなことも出来る!
という具合でつかまり立ちが出来るようになるわけです。

決してプロセスを踏まずに
「歩いてやる!」と頑張ったりはしません。
そんなことしたら、まだ育っていない筋肉を
無理やり酷使することになりますから。
まあ、からだ壊すでしょ。
つうか、赤ちゃんはそんなことしないです。

もう1つ事例を。
私がフェルデンクライスのプラクティショナートレーニングを受けている時、
あるセグメントで最終目標が逆立ちをすることだった回がありました。
当然のことながら、目標が逆立ちだということは、最初から明示されることはありません。
3週間ほどかけて、逆立ちが「自然に」できるように、
毎日何をやるかというと、逆立ちはやらないのです。

それで、結果的にどうだったかというと、
頭と手や腕を床に置いて、いわゆる三点倒立の体勢をとると、
骨盤がふわっと浮く瞬間がありました。

逆立ちをしようと思って、
よっこらしょ、と勢いをつける必要などなく、
するっと逆立ちが出来ました。
びっくり。

3週間やってきたことといえば、胸部を柔らかくするワーク、
股関節を柔らかくするワーク、などをやりながら、
自分の動きに対するアウェアネスを高めることをやってきました。
そして、逆立ちする時の恐怖心、倒れることに対する不安感など、
メンタルな部分にも触れるレクチャーもありました。
その恐怖心や不安感をなくすための答えは、
上手に倒れることを覚えるということ。

そんなこんな、逆立ちをするための準備として、
自分の身体意識、気づきを深めることが日々行われ、
そして、最後には、ふわっと逆立ちが出来たのです。
力技ではないのです。

実は、こんなことを書こうと思ったのは、
プロセスワークの創始者・アーノルド・ミンデルさんの最新刊
『ディープデモクラシー』の一節にあった言葉をみたからです。
そこには、こう書かれていました。

「もしあなたが過剰に努力しているならば、
あなたは気づきではなく力に頼っているかもしれない」

あら、それって、身体も同じだわと思ったのでした。
これは、自分の人生の流れ、物事の流れに関しても同様だと思うのです。

今、自分の中では、今後、自分自身が歩んで行く方向を考えた時に、
力に頼って無理やり推し進めるのではなく、
今起きていることに注意深くなり、気づいていくことで
方向性を見出していかなければ、先に進まないんだな・・・
たとえ進んだとしても、どこかで歪みが出てくるんだな・・・
ということを、ぼんやりと考えていたので、
ミンデルの言葉にも反応し、
昨日から書いている赤ちゃんの学びのこととも
つながってきたので、ちょっと書いてみたくなったというわけです。

ちなみに、逆立ちをすることたテーマだったセグメントが終わってから、
私は8年ほど悩まされていた花粉症がすっかり治ったのでした。

めでたしめでたし。

ディープ・デモクラシー: 〈葛藤解決〉への実践的ステップ
クリエーター情報なし
春秋社

ひとりボディワーク道場2~楽しんで学ぶという事~

2013-07-24 | ソマティクス・ボディワーク
自分のメモ代わりに、継続的に何か書こうと思います。

赤ちゃんは、どうやって立つことが出来るようになるのでしょうか?
私は子どもを育てたことありませんが、
お子さんお持ちの方はそのプロセスを見ているはず。

例えば、この動きを自分でもやってみてください。

仰向けになって、両足を立てます。
足の裏で床を踏んで骨盤を上げたり下ろしたりします。
それを何度も行ってみてください。

これが、立つための第一ステップらしいですよ。

さらに、骨盤を上げたまま、足を使って左右に歩いてみてください。
簡単に出来ますか?

赤ちゃんはこれを何度も繰り返しているそうです。
赤ちゃんいらっしゃるかたは、是非、観察してみてください^^

しかし、赤ちゃん本人にとっては、
「これは立つための訓練なのだ」
と思ってやっているわけではありません。
この動き自体が面白くて、何度も繰り返しているのです。
たくさんやる日もあれば、ちょっとしかやらない日もあります。

さて、私たち大人が何かを学習するにも、
それ自体が楽しい、ってことが重要なんですね。
〇〇のために頑張ろう、という目的思考的な学習も必要でしょうが、
そればかりでは上達できまへん。

特に、自分の身体との対話をしつつ、
よりよい動きを習得していく再学習プロセスは、
目的ではなく、それ自体を楽しむことが重要。

でも、世の中、それを許してくれる環境ってなかなかないですよね…。
それをクリアするのがまず大変なのれす。

さて、どうする…。




ひとりボディワーク道場

2013-07-23 | ソマティクス・ボディワーク
ジャンベワークショップ後、和室が利用できるようになりました。
作業中の休憩などに使っていますが、
先日は、友人の村松夫妻が遊びに来てくれたので、
みんなで見た夢を話して、そこから夢のメッセージに気づいていく
「夢カフェ」ってのをここでやったりしました。

完成してないけど、どんどん使います、みたいな感じです。



6畳3間ぶち抜きで広いので、ここにいるとヨガとかフェルデンクライス・メソッドとかやりたくなるのです。
そこで、ボディワーク道場を始めることにしました。
といっても、とりあえず、自分のためにやってます。

今は、右股関節と右肩に慢性的な痛みがあります。
どこがどうなっちゃって、痛みにつながっているのかの
解明にやっと取り組めているような気がします。
少しづつ、気づきは積み重ねられてきているのですが、
気づかねばいけない場所がだんだんと深部の筋肉の緊張や動きになって来るので、
結構、面白いけどしんどい作業でもあります。

膨大な数あるフェルデンクライスメソッドのレッスンの中から、
今はとりあえず、トレーニングコース時にやったようなものに
1つづつ取り組んでみています。

それが、当時は気づくことが出来なかったことで、
今ならなるほど!と思える発見もたくさんあり、
人間、何度でも学習する必要があるんだなと思う今日この頃です。

自分が今までに学習してしまった悪しき習慣に気づき、
よりより選択肢を模索し、再学習するのがこのメソッドの役割でもあります。

学習、っていうのは、みんな同じ時間で同じように出来るものではなく、
1人ひとりのペースがあり、その中で間違ったり、変なことをしても許される環境が必要です。
そして、自分のペースでよりよい道を見つけていく、
誰の評価でもなく、自分の感覚で「これでいい!」と感じられる意識を身に着けていく、
それも、このメソッドの重要な役割です。

そんなこともあり、ワークショップとか講座というよりは、
自分のペースで継続的に進めていける「道場」なるものを、
やっていこうかなと思っています。

来年ぐらいには定期化できるといいなぁ。

人間の進化・対話・身体教育

2013-03-20 | ソマティクス・ボディワーク
人間っていうのは、現実に体験したことを、
言語化して抽象化することができるんだね。

それがいつの間にか全体に適用されるようになって、
社会の規範とかシステムになってしまって、
それにがんじがらめになってしまう。

そして、個々人が持っている、
個別の豊かな体験、現実に起きているものが
切り捨てられる方向に行ってしまう。

一度、社会化してしまったものに対しては、
そこからはみ出したくない、
みんなに評価されたいという
ある意味、人間が持つ欲求が邪魔をして、
個人的な感覚や感情に基づく体験が
表現されずに周縁化されてしまう。

個人的な表現が周縁化されたり抑圧されることで、
その歪やゆがみは、心身の不調となって現れたりする。
そして、社会全体は個々の問題を取りこぼして、
置き去りにして、どんどん進んでいくがゆえに、
どんどん歪んで行き、ますます、
個人レベルの歪も増幅していくという悪循環に陥る。

だから、私たちは、自分の中に感じている違和感を、
きちんと叫ばなければならない。
違和感を感じていることを伝えようとしている人の
小さな声を聞く必要がある。

そういうことに気づいて、出来るようになるというのが、
人間の進化であり、人間の進化なくして、
世界は良くなることはないのであろうと思います。

自分を進化させたかったら、体のことでもいいし、
心のことでもいいし、日常生活で起きていることでもいいし、
そこにあるものを曇りのない目で見て、
何が起きているかに気づく練習をすればいいのである。

言うは易し、よこやまやすしw

いやいや…

言うは易し、行うは難し。

このあたりが、自分がやってきたボディワークと
震災後に重ねてきた対話の共通点かなと思います。
対話といっても、私たちがやっているのは、
プロセスワークを土台とした対話です。

ソマティックエデュケーション(身体教育)という
カテゴリーでもくくれないのですが、
フェルデンクライスメソッドは、身体の動きを通して、
目覚めた意識で現実を見ることを体得し、
プロセスワークの対話では、その場にあるけれど、
顕在化していないもの、言語化されていないものなど、
場にあるすべてのものに気づく
目覚めた意識をもって自分と他者と世界に対峙する。

いずれも向かう方向は、深層民主主義であり、
真の世界平和。

この世界は今のパラダイムでは乗り越えられない危機的状況である一方で、
自分の可能性をひらくための修行の時であるとも言えるでしょう。

修行好きの人はラッキー。



フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく
クリエーター情報なし
大和書房