八(はち)に拘るエコグリーン石井光暢のブログ

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タコ親父伝説

2006年07月08日 | Favorite
今週中にケリを付けたい仕事があったので、今日は仕事をしています。



ブログをはじめてから真面目な話しばかりでしたので、今日は趣向をかえて私の生

まれ育った東京の下町のお話しをさせて頂きます。

私の母親が、墨田区の東駒形の出身ということもあり、我が家族も私が1歳のころ

からやはり墨田区に住んでおります。(今現在も実家は墨田区にあります。)


1歳から5歳ぐらいまでは、母の実家近く(東駒形)に住んでいました。この東駒

形というところは浅草から自転車で10分~15分程度の距離で、近くには高砂部

屋があり、当時関取だった高見山をよく見かけました。夜になるとお相撲さん達が

自転車に乗って、コインランドリーに行ったり、公衆電話で長電話しているのが日

常風景の町でした。

その東駒形から、小学校入学の手前に、花王石鹸の東京工場の真裏にある墨田区の

文花にある都営団地に引っ越しました。

ここは5階建ての団地が30数棟、12階建ての団地が5、6棟もある一大団地ランドで

した。同じ階にも同級生、上下階にも同級生、とにかく遊び相手には困ることはな

く、暗くなるまで毎日遊んでおりました。週末になると「お泊り会」と称して、2

階(私の家)から3階に泊まりに行ったり、またその逆があったりと今振り返ると

全く意味のないことをやっておりました。(団地ですから部屋の間取りは全く一緒

です。)


遊ぶ内容といえば、「駄菓子屋に入り浸る」「意味もなく自転車で徘徊する」「目

的もなく浅草や錦糸町、上野まで遠征する」「野球」「自転車レース」といったと

ころです。


このように我々下町の悪ガキにとって自転車はなくてはならないものでした。


そして、いつものように自転車に乗っていると必ず、ある人物と遭遇します。


『タコ親父』です。


スキンヘッドに肌着一枚(たまに上半身裸)で警察官が乗るような自転車にまたが

り、後ろの荷台には何故かヤクルトが一本だけ紐で括りつけてあります。喋りなが

ら自転車に乗っていたり、わき見しながら自転車に乗っていると顔を真っ赤にして

こう怒鳴りつけてきます。しかも地の底から湧き出るような大きな声で。

『キオツケー、マエヲムイテ』

逆にその大声で倒れそうになるくらいです。


ある奴が「すみません」と謝ったら荷台のヤクルトをくれたとか、タコ親父は元小

学校の校長だったとか、戦争に行って精神が病んでしまったとか色んな噂が飛び交

っていましたが、それらの噂が真実かどうかは最後まで知り得ませんでし

た。年を重ね、タコ親父のこともすっかり忘れ、高校に入学して暫くたったころ、

足立区の西新井の友達との会話の中で、何故かタコ親父の話題になりました。する

と友人は言いました。「西新井にも出没していた」

私の家から西新井まではおそらく10キロ弱。とてつもなく広いエリアをタコ親父は

カバーしていたんだなと、少し感動したのを覚えています。


今の時代にタコ親父がいたら、子供が犯罪にあうことも減るかもしれませんね。