八(はち)に拘るエコグリーン石井光暢のブログ

エコグリーン同様ノジマ相模原ライズへのご声援もお願いします!

お疲れ様でした。

2023年08月10日 | To heaven

大変ご無沙汰しております。ほぼ年に一回の投稿となってしまいました。

巷ではブログはnoteになり、TwitterはXになったりしてますが僕は10年変わらずこちらに

お世話になっております。

最近のGW普通に試合に行っていたんです。そしたら、家から連絡がありオヤジの呂律が回ってないとのこと。

嫌な予感がしましたので、家人にすぐ救急車を呼ぶことをお願いして、私は前半終了と共に病院に戻りました。

見た目は普通でした。そして病院も普通に帰れという。凄く嫌な予感がしたのでその夜はオヤジの隣に寝ること

にしました。案の定、熱は40℃を超え朦朧状態の中、失語し絶対に弱音を吐かないオヤジが苦しそうな顔をして

いました。これはということで、翌日朝8時に慶応病院に伺い検査した結果、病名は「脳膿瘍」。即入院。

年齢(86歳)が年齢なので覚悟しました。そして凄く後悔しました。

5月5日の入院以降、ドレーン手術などで膿瘍は回復を見せたものの、最後は肺が持ちませんでした。

リハビリなんかもしてたんですけどね。

さあいよいよって時に空気の読めない私は
「オヤジー、病気になんか負けんなよ頑張れよ負けんなよ」って言ってしまったんです。

オヤジは目を大きく開いて私を睨み
「おう、大丈夫だ。」って言ってくれました。

オヤジの口癖は「大丈夫だ」でした。全然大丈夫じゃない時でもその魔法の言葉で人生乗り切ってきたんです。

オヤジの言葉に少しの希望を覚えたと同時にもう苦しい思いはさせたくないと思いました。




2023年6月25日 0時53分 父石井國夫は永眠いたしました。







偉大な父でした。破天荒、大雑把、とにかく優しい(他人には)、お願いされたら嫌とは言えない、

口下手、お葬式には若い方からお年寄りまで沢山の方においでいただきました。

あまりな破天荒野郎だったので、心の底から早く死んでくれと考えたこともありましたが、結局いまは

驚くほど寂しいです。そして悲しい。

これで両親いなくなりました。父と母の遺志を継いで兄弟仲良くして、父と母が私にしてくれたように

子供達に自分のできることは何でもしてやろうと誓いました。

 


北の国から

2021年04月15日 | To heaven
田中邦衛さん本当にいい役者さんだったな。

この年で「北の国から」を見直すと、オンタイムで観ていたときと違う感情が湧いてきますね。

ゴロウさんの迫力というか生き様が心に沁みます。

子として親に思うこと。親として子に思うこと。二つの感情が入り乱れて大変なことになっちゃいます笑
オヤジに優しくなれます。

子供の全てを受け入れるゴローさん。
お茶目なゴロウさん。
頑固なゴロウさん。

「金なんか望むな、幸せだけを追い続けろ」って、、。泣く、泣いてしまう。

ご冥福をお祈りします。

作品は永遠に残りますよ、ゴロウさん!

原爆ドーム

2018年04月19日 | To heaven
原爆ドームに行くたびに考えることがある。

今でこそ平和の象徴となっているが、原爆投下当時の人達にとっては平和の象徴どころか絶望の象徴だったのではないかと。

戦後の広島では、戦争の悲惨さを後世に伝えるために保存すべきという人達と、凄惨な過去を忘れたい人達の間で原爆ドームの保存に対して意見が対立していたそうである。

当然だ。

自分が当事者だったならば、一日も早く壊してくれと懇願していただろう。

だけれども、広島の人達は平和の象徴として原爆ドームを保存することを選択した。本当に心に沁みるし、頭が下がるし自分の矮小さを感じてしまう。色んな感情を押し殺し、自分の感情に折り合いをつけて決断したのだと思うと何故だか涙が溢れてくる。

尊敬する経営者の方が仰っていたことが被る。

「人間の人生最大の使命は、次の世代を育てることにある」

広島の被爆者の方々へ
あなた達の心の痛みと心からの平和への祈りは私たちに確実に届いています。

戦後70年に思うこと

2015年08月06日 | To heaven

70年前の今日8月6日の8時15分にエノラ・ゲイ号によって

広島に原爆が投下された。そのことによって一瞬にして無辜の人々

数十万人の命が奪われることとなった。

広島以外にも新潟・小倉・長崎が候補に上がっており、実際に3日後の

8月9日には長崎にも原爆が投下されてしまった。 


「対アメリカ戦争は不可避だった」

「原爆投下が終戦を早めた」

「その結果、多くの命が逆に救われた」

本当にそうだったのでしょうか。

戦勝国の手で作られた戦後史ではなく、日本自らが過去の反省に立ち

戦争を総括しなければ永遠にこの問いの答えは見つけることはできないでしょう。

近年の緊迫した東アジア情勢の中、そのようなことは新たな火種を産むことにも

なりかねませんが、対処療法ではなく病巣そのものを治療しない限り東アジア諸国

とのより緊密は関係作りなど出来るはずがありません。

正確で的確な分析なくして、戦略など立てられませんし、心からの謝罪もできない

ですよね。 

戦禍の中命を落とされた方たちのことを思い、背筋を伸ばし今日1日を過ごします。


合唱

 


 


ペンは剣よりも強くなくてはならない!

2015年02月02日 | To heaven

ご家族の想いや日本政府の働きかけも届かず、無残にも殺害されてしまった

後藤さん。さぞかし無念であったことでしょう。

簡単に自己責任などとは論じられません。

なぜなら、何でもありの戦地において真実を伝える戦場ジャーナリストは

ペンは剣よりも強いことを示し、戦争の愚かさを世界に発信してくれる唯一無二

の存在だからです。

後藤さん自身にはそれなりの覚悟があったことと推察します。

だとしても余りにも無残で酷い仕打ちに怒りを禁じ得ません。

そもそもイスラム国ってなんなのでしょうか。

自らの利益のために支援している国なり人が必ずいるはすです。

くだらぬ陰謀論や推論を展開する気は毛頭ありませんが、支援者は存在し何らかしらの

意図があるのでしょう。

世界平和を取り巻く事情は様々な利権や宗教や国家の事情によって複雑に絡み合っています。

何千年も何万年も前からそのような争いはあっただろうし、だからこそ様々な宗教がうまれた

のでしょう。神に救いを求めなければ人は生きていけなかったから。

イスラム国の話はイスラムと欧米および親米の戦いにたとえられがちですが、イスラム教

本来の教えをどう解釈してもあのような蛮行には繋がらないはずです。


「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。」
-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。

生前の後藤さんの言葉だそうです。

余りにも悲しい出来事です。

そして更に悲しいことは、亡くなった後藤さんの尊厳を損ねるような内容がネットで展開されていることです。

日本の文化ではそのような卑しい行為は認められておりません。恥を知れ、恥を!

後藤さんのご冥福を心から祈念申し上げます。

合唱


311あれから3年

2014年03月11日 | To heaven

先ずは3年前の東日本大震災に被災された皆様、また未だ避難生活を

強いられている皆様に心からのお見舞いを申し上げます。


人間は忘却の生き物である。


しかし、311のことは決して忘れてはいけない。


何故か。



被害が甚大だったからとか、1000年に1度の災害だったからとか、そんな

理由ではない。

311が教えてくれたこと。それは人生の中で死というものがいつでも隣り合わせ

ですぐ近くにあるということである。

3年前の「あの時」都心にいる方の中でも「死」というものを身近に感じた方も

多いことだろう。少なくとも私は強烈に感じ恐怖した。

そして、311から約1か月間は夜の繁華街は閑散とし通常の経済活動に戻るまで

に半年以上かかったように記憶している。

日本で暮らしていると「死」は非日常である。少なくても311以前はそうであった。

だが、世界を見渡せば紛争地帯は数多くあるし、飢餓や疫病の蔓延で死に直面して

いる人は何千万人といる。我々日本人は今までそのことに目を背けてきた。

知っていても知らないふりをしていた。

キレイごとを並べる気はない。これからはボランティア活動や寄付や募金といった活動

をやるべきだ!とも主張する気もない。(既にやられている方には心から敬意を表します)

結局何が主張したいかというと、

【人生とは常に死が隣り合わせであるからこそ「今」に妥協することなく生きなければいけない】

一人一人がそのような思いで生き日本を真に復興させることが、亡くなった方々またはご遺族

の方々への供養になると私は信じている。

ご遺族の方々の悲しみが少しでも和らぐように、そしてお亡くなりになられた方のご冥福を心より

祈念します。

合掌

ブログの内容はあくまで私個人の意見であります。


東北地方太平洋沖地震

2011年03月12日 | To heaven
ブログをご覧の皆様、被害はございませんか。

エコグリーンは東京都、千葉県、神奈川県を中心に災害

復旧支援を行います。支援が必要な方は

Info@Eco-g.com までお問い合わせください。

(状況によりご希望に添えない場合もございます)


3月12日1時現在、未だ津波が弱まる気配はないそうです。

海、川には近寄らず津波には充分に配慮するようにとの

発表が当局よりなされています。

引続きの警戒をお願いいたします。

当社社員におかれては、所属長と必ず連絡を取り自身の状況を

報告するように努めてください。


平成23年3月12日
午前1時15分
エコグリーン
代表取締役 石井光暢

時は今

2010年09月01日 | To heaven

8月24日満月の夜に母が他界いたしました。

母の戒名は

「照月院仁誉弥光大姉」

生前中もそうであったように、死して尚、闇夜に私の進むべき道を照らしてくれる月になりました。

いつかはこの日が来ると、そう遠くない日に
この日が来ると、何年も前から準備していたは
ずなのにとてつもなく辛いです。
最近お母さんを亡くされた友人のH君も言ってま
したが、びっくりするぐらい悲しいです。

しかし、いつまでも悲しんでばかりはいられま
せん。私にはやるべきことがあります。
母も懸命に生き抜いた人生に後悔はないはず
です。私はそう信じます。

時は今 所足元 そのことに 
打ち込む命 永久のみ命


増上寺の高僧のお言葉だそうです。
告別式の最中、悲しみにくれる私に住職が
授けてくれた言葉です。
この言葉とあわせ、住職はこうも仰っていました。
「姿かたちがなくなったからといって、お母さんが
あなたに与えた全てのものが、部屋の明かりを
消すように消えるわけではないはずです。懸命に
生きるという素晴らしい見本をあなたに示してくれ
たのだから、懸命に生きてみなさい。お母さんは
見ているはずですよ。」と。
今まで以上に懸命に「今」を生きていきます。
心に決めました。そうすることで母は私の中で生
き続けるはずですから。


8年半の長きに渡る闘病生活の中、様々な形
で母を支えてくださった皆様、本当にありがとう
ございました。母にかわりまして心より御礼申し上
げます。
また、お忙しい中、残暑厳しい中、お通夜、告別式
にご参列賜りました皆様、ご弔電、生花を頂戴いた
しました皆様に心より御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。


東京スカイツリー

2010年02月09日 | To heaven

実家から見たスカイツリーです。


つい先日、最愛の婆さんが95歳で亡くなりました。
大正3年、第一次世界大戦開戦の年に生まれ、関東大震災や第二次世界大戦を生
き抜き、9歳で実母を看取った(しかも震災の年に)のを皮切りに、実父、継母、旦那
さん(私の爺さん)、弟、長男、妹と自分の肉親を次々と看取ったあと、最後の最後に
婆さんは天国に行きました。

そんな沢山の悲しみや苦労を背負っていたにもかかわらず、婆さんはいつも笑顔で
人懐っこくて、婆さんの周りにはいつも人が集まり私も婆さんの傍にいるだけで暖か
い気持ちになったものです。

蕎麦が好きで、柴又帝釈天を愛し、そして何より私を可愛がってくれました。

もう婆さんに会えないと思うと寂しくて悲しくて、何とも云えない気持ちになります。。。

40になろうかという男が情けないですね。

婆さんのことですから、そんな私を天国から笑い飛ばしているでしょう。

そして
「順番だから仕方ない、私は幸せだったよ。」って絶対言っているはずです。
いつも口癖のように言ってましたから・・・・。

好奇心旺盛な婆さんはこうも言っていると思います。
「でも、スカイツリーの完成が見れなかったのは残念だったよ。」って。

婆さん、長い間お疲れ様でした。婆さんに愛され婆さんの笑顔に包まれて育った俺
は、本当に幸せでした。寂しいけどこればっかりは順番だもんね。

俺もいつか婆さんみたいな暖かい人間になれるよう頑張って生きてみますね。

合掌