
牛込柳町界隈に、習い事に通っている。
自分の小さい時の思い出探しも兼ねているので、
時間があると付近を散歩する。
市ヶ谷薬王寺と今は呼ばれている場所がある。
父が良く話してくれた、
「ポーランド大使館」の馬車の写真が手元にある。
立派な馬車の前に、エプロンをした普段着姿の私が写っている。
4・5歳ぐらいの時の話なので、覚えているようないないような・・・
児玉坂の前を、今まで何回も歩いてみた。
確か、父親が写真を撮ったというのはこの辺りのはずだが~
ある日、通りがかりの70歳前後の女性に、思い切って尋ねてみた。
「以前、この辺にポーランド大使館があったようなのですが、ご存知ですか?」
50年以上も前の話だが(笑)、もしかしたらと淡い期待を抱いて。
「ごめんなさい。結婚してからここに来たので、
古いことはあまり知らないのです」とのことだった。
そうだ、皆が皆生まれたところにずっと住んでいるわけではない。
この私自身がそうだ。
引っ越しを繰り返したので、
東京にいてもある意味、異邦人みたいなものだ。
それ以来、父の思い出話も、馬車の写真も、
「幻かもしれない」と
ルーツ探しは半分諦めていた。
雨の日、習い事の帰り道、
未練がましく(笑)例の付近を訪れた。
防衛庁そばの外苑東通りに面して、
かつて賑わっていた商店なども
今は皆、大きなビルの1階に入っているようだ。
話を聞きにお店に行っても、誰一人として知らないだろう。
「変なオバサン」だと、思われるだけだ・・・
そんな中で、ちょっと昔の雰囲気のタバコ屋さんがあった。
それも、今までは見過ごしていたが、児玉坂のちょうど入口付近だ。
あ、このお店・・・
私の勘があたった!!
嬉しいことに、女主人が古いことも覚えていてくれた。
「そう言えば、夫が良く、ここにはポーランド大使館が昔あったんだ。
短い間だったけど」と、言ってましたよ。
「私も結婚してからこの辺りに来たので、自分では見たことがないのですが」
やった~~
父の昔話と、
馬車の写真は「幻」ではなかったのだ(笑)
2週間後、私の古ぼけたモノクロの写真を持って、女主人を訪ねた。
その日も雨だった。
通りを走っていた都電の話や、
街の移り変わりの話が面白かった。
忙しい時間にもかかわらず、
私の相手をしてくれた女主人。
感謝の気持ちでいっぱいです。
凧の糸が切れたような、そんな空白の時間が、
彼女の話によって
現実になり、鮮やかな色も付いた。
香港のクリーム兄貴の姉御は「便利店の女主人」だった。
偶然にも、薬王寺の親切な女性も「タバコ屋の女主人」だ。
私にとって、「女主人」は、幸福の女神ともいえる。