2014年4月20日
先おとといの17日、日本は韓中に対して「大きな包容力」を持って接するべきだとの情緒的で欺瞞的な朝日記事に対する批判を行ったのであるが、その中で韓国のテロリスト・安重根を賛美する韓中についての批判も行った。しかしながら考えてみると、安重根の問題は、それ単独としても重要な問題であるので、先の記事から安重根に関する部分を抜粋、改編して、再掲しておきたい。
案重根はご承知の通り、1909年に初代朝鮮統監であった伊藤博文元首相を射殺して死刑に処せられた韓国独立運動家、テロリストである。しかしながら、朴大統領と習主席は「反日」で連携し、彼を‘抗日・独立運動の英雄’に祭り上げるべく、今年1月19日に中国ハルビン市に「安重根記念館」を開館させた。
「(官房長官の)菅氏は(3月)29日のテレビ番組で、中韓両首脳が23日の会談で、安重根の記念館開設を評価し、連携を確認したことに対し、「日本で言えば犯罪者、テロリストの記念館だ」と不快感を示した。(これに対して、韓国外務省の)報道官は「伊藤博文こそ植民地支配と侵略を統括した元凶であり、安重根義士を非難することは(植民地支配と侵略を謝罪した)村山談話を否定することだ」と主張。」(3月30日 時事)。
菅官房長官の韓中への批判は当然のことであるが、これに対して、韓国は恥じらいもなく安重根の賞賛を強めようとしている。問題は、韓中だけにとどまらず、朝日なども、この韓中への側面支持を行っていることである。6日付けの「(日曜に想う)日中韓 試される包容力」と題された特別編集委員・山中季広氏による記事では、安重根記念館および彼に関する‘宣伝’をしっかり行っている。安重根の言動に感銘を受けた日本人がいたことを紹介したり、記念館について「遺墨や判決文など展示内容は、予想していたほど一方的ではない。」と、その‘公平性’を強調してみたり、韓国人や中国人の言葉を引用して、安重根の偉大さや、行為の正しさ、彼がいかに韓中で尊敬されているかを説明しているのである。
しかしながら、韓中が安重根をいかに賛美しようと、彼が憎むべき卑劣なテロリストであるという厳然たる事実は変わらない。民主主義や人権、人命が何よりも重要とみなされている現代において、テロリストを「英雄」視し賛美しようとする韓中(そしてそれを肯定するかのごとき朝日)の言動は異常な行為と言わざるを得ない。これは、人間社会の摂理、普遍的価値観に対する挑戦である。
朴大統領は両親をテロで殺された。だが、現在の韓中の論理に従えば、北朝鮮や韓国の「民主派」がその暗殺者を英雄として賞賛して、世界に喧伝しても、朴大統領はそれを許容するということになる??! チベット、ウイグル、台湾の独立派が、中国の要人を暗殺したら英雄になってしまうのか?! そもそも、人類の歴史の中で国の指導者を非合法な手段で暗殺した人物が英雄になったためしはないはずだ。テロの結果が歴史を健全な方向に変えたため、そこそこの評価を受けた人はいたにしても、一時的、一部の人からのそれに限られており、後世から英雄視されることはない。というのも、暗殺という手段があまりにも卑劣で陰湿なものだからであり、暗殺者はあくまでも日陰の存在でしかない。
安の行為は、単なる殺人者のそれでしかなかった。伊藤博文は篤実な政治家であり独裁者でもなければ圧政者でもなかった。安は、日韓併合に否定的であった伊藤を暗殺して、却って日韓併合を加速させてしまった。日韓併合派、両政府の合意で成立したものであり、日本の朝鮮統治は当時の世界では「奇跡的に公平、穏健」なものであったから、独立運動などというものはほとんど無に等しかったのであり、伊藤暗殺によってもその状況が変わることはなかった。
韓国が安重根という、一介のテロリスト賛美を国内で限定的に行うのであればともかくも、それを中国までも巻き込んでやろうというのは、人間社会の摂理に反する所業である。ましてそれを日本や、世界にまで認めさせようとするのは狂気の沙汰と言わざるを得ない。安重根を賞揚する記念物を中国に作ることについては、韓国は随分前から中国に要望していたとされるが、さすがにこれまでの中国指導者は、テロ賛美がいかに危険であるか、それが人間社会の摂理に反するものであることを知っていたから同意することはなかった。ところが、習主席と朴大統領は、いともあっさりとテロリスト安重根の賛美を決め、‘テロ’という恐ろしい悪魔が棲むパンドラの箱を開けてしまった。二人の愚昧さにはあきれるしかない! これによって中国や韓国の国内の治安が乱れるのは自業自得であるにしても、国際社会にも悪い影響を与えるだろうから迷惑千万な話である。日本そして国際社会は、彼らの愚行を厳しく批判する必要がある。
なお、上述の時事記事中にある、韓国外務省報道官の、「安重根義士を非難することは(植民地支配と侵略を謝罪した)村山談話を否定することだ」と言っていることについて、反論を行っておきたい。この主張を言い換えれば(論理学的な対偶を作れば)、「日本は村山談話を肯定しているのだから、安重根を義士として認めなければならない」ということになる。これは一見すると正しい論理展開のように見えるが、実はこの論理展開は誤っており詭弁である。なぜなら、日本が過去を反省することと、安重根が(韓国内での評価だけならともかくも、それを越えて歴史的、国際的に)評価されるべき人間であることとは直接の関係がないからである。上述のように、テロ行為は、それ自体が悪であり、正当化できないものだからである。この両者は別物であり、日本は過去の反省をすべきだとしても(もう謝罪も行動も済ましている)、それとは別に韓国は安重根の行為については反省しなければならない立場なのである。
先おとといの17日、日本は韓中に対して「大きな包容力」を持って接するべきだとの情緒的で欺瞞的な朝日記事に対する批判を行ったのであるが、その中で韓国のテロリスト・安重根を賛美する韓中についての批判も行った。しかしながら考えてみると、安重根の問題は、それ単独としても重要な問題であるので、先の記事から安重根に関する部分を抜粋、改編して、再掲しておきたい。
案重根はご承知の通り、1909年に初代朝鮮統監であった伊藤博文元首相を射殺して死刑に処せられた韓国独立運動家、テロリストである。しかしながら、朴大統領と習主席は「反日」で連携し、彼を‘抗日・独立運動の英雄’に祭り上げるべく、今年1月19日に中国ハルビン市に「安重根記念館」を開館させた。
「(官房長官の)菅氏は(3月)29日のテレビ番組で、中韓両首脳が23日の会談で、安重根の記念館開設を評価し、連携を確認したことに対し、「日本で言えば犯罪者、テロリストの記念館だ」と不快感を示した。(これに対して、韓国外務省の)報道官は「伊藤博文こそ植民地支配と侵略を統括した元凶であり、安重根義士を非難することは(植民地支配と侵略を謝罪した)村山談話を否定することだ」と主張。」(3月30日 時事)。
菅官房長官の韓中への批判は当然のことであるが、これに対して、韓国は恥じらいもなく安重根の賞賛を強めようとしている。問題は、韓中だけにとどまらず、朝日なども、この韓中への側面支持を行っていることである。6日付けの「(日曜に想う)日中韓 試される包容力」と題された特別編集委員・山中季広氏による記事では、安重根記念館および彼に関する‘宣伝’をしっかり行っている。安重根の言動に感銘を受けた日本人がいたことを紹介したり、記念館について「遺墨や判決文など展示内容は、予想していたほど一方的ではない。」と、その‘公平性’を強調してみたり、韓国人や中国人の言葉を引用して、安重根の偉大さや、行為の正しさ、彼がいかに韓中で尊敬されているかを説明しているのである。
しかしながら、韓中が安重根をいかに賛美しようと、彼が憎むべき卑劣なテロリストであるという厳然たる事実は変わらない。民主主義や人権、人命が何よりも重要とみなされている現代において、テロリストを「英雄」視し賛美しようとする韓中(そしてそれを肯定するかのごとき朝日)の言動は異常な行為と言わざるを得ない。これは、人間社会の摂理、普遍的価値観に対する挑戦である。
朴大統領は両親をテロで殺された。だが、現在の韓中の論理に従えば、北朝鮮や韓国の「民主派」がその暗殺者を英雄として賞賛して、世界に喧伝しても、朴大統領はそれを許容するということになる??! チベット、ウイグル、台湾の独立派が、中国の要人を暗殺したら英雄になってしまうのか?! そもそも、人類の歴史の中で国の指導者を非合法な手段で暗殺した人物が英雄になったためしはないはずだ。テロの結果が歴史を健全な方向に変えたため、そこそこの評価を受けた人はいたにしても、一時的、一部の人からのそれに限られており、後世から英雄視されることはない。というのも、暗殺という手段があまりにも卑劣で陰湿なものだからであり、暗殺者はあくまでも日陰の存在でしかない。
安の行為は、単なる殺人者のそれでしかなかった。伊藤博文は篤実な政治家であり独裁者でもなければ圧政者でもなかった。安は、日韓併合に否定的であった伊藤を暗殺して、却って日韓併合を加速させてしまった。日韓併合派、両政府の合意で成立したものであり、日本の朝鮮統治は当時の世界では「奇跡的に公平、穏健」なものであったから、独立運動などというものはほとんど無に等しかったのであり、伊藤暗殺によってもその状況が変わることはなかった。
韓国が安重根という、一介のテロリスト賛美を国内で限定的に行うのであればともかくも、それを中国までも巻き込んでやろうというのは、人間社会の摂理に反する所業である。ましてそれを日本や、世界にまで認めさせようとするのは狂気の沙汰と言わざるを得ない。安重根を賞揚する記念物を中国に作ることについては、韓国は随分前から中国に要望していたとされるが、さすがにこれまでの中国指導者は、テロ賛美がいかに危険であるか、それが人間社会の摂理に反するものであることを知っていたから同意することはなかった。ところが、習主席と朴大統領は、いともあっさりとテロリスト安重根の賛美を決め、‘テロ’という恐ろしい悪魔が棲むパンドラの箱を開けてしまった。二人の愚昧さにはあきれるしかない! これによって中国や韓国の国内の治安が乱れるのは自業自得であるにしても、国際社会にも悪い影響を与えるだろうから迷惑千万な話である。日本そして国際社会は、彼らの愚行を厳しく批判する必要がある。
なお、上述の時事記事中にある、韓国外務省報道官の、「安重根義士を非難することは(植民地支配と侵略を謝罪した)村山談話を否定することだ」と言っていることについて、反論を行っておきたい。この主張を言い換えれば(論理学的な対偶を作れば)、「日本は村山談話を肯定しているのだから、安重根を義士として認めなければならない」ということになる。これは一見すると正しい論理展開のように見えるが、実はこの論理展開は誤っており詭弁である。なぜなら、日本が過去を反省することと、安重根が(韓国内での評価だけならともかくも、それを越えて歴史的、国際的に)評価されるべき人間であることとは直接の関係がないからである。上述のように、テロ行為は、それ自体が悪であり、正当化できないものだからである。この両者は別物であり、日本は過去の反省をすべきだとしても(もう謝罪も行動も済ましている)、それとは別に韓国は安重根の行為については反省しなければならない立場なのである。