文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

『大日本プータロー一家』『MR.マサシ』赤塚ギャグの新シリーズと90年代のコミック文化の最前線

2021-12-22 00:20:31 | 第8章

また、この頃は往年の人気漫画のリメイク作だけではなく、やはりホームグラウンドである「コミックボンボン」誌上においてだが、新作ギャグ漫画の連載もスタートさせている。

『平成天才バカボン』とのジョイントで発表された『大日本プータロー一家』(90年10月号~91年8月号)、『MR.マサシ』(91年9月号~92年6月号)という二つの作品だ。

『大日本プータロー一家』は、父・プー吉、母・プー子、一人息子のプー太郎、飼い犬のプージョンの三人と一匹の宿無し一家が、「家(イエ)、家(イエ)、オーッ!」の掛け声を揃え、街から街へと渡り歩きながら、様々なバイトや起業に精を出し、デラックスな一軒家建設を目指して、ハッスルしてゆくという、放浪型のファミリー喜劇である。

泥棒のアシスタントであったり、幽霊専門の芸能プロダクションを設立したりと、プータロー一家の就く仕事は、どれも曰く付きの風変わりなものばかりで、そこで繰り広げられる突飛な体験譚とその失敗譚が、大人社会における理不尽極まりない矛盾をテーマとしながら、毎回プー太郎目線によって綴られてゆく……。

最終回は、アメリカの一〇億円宝くじが当たり、その金を元にドーム型のマイホームならぬマイシティを建設するという内容で、そのラストは、シニカルな寓意を込めた逆転劇によって、唐突に締め括られている。

一家総出で金を稼ぎながら、マイホーム購入を夢見るというプロットは、かつて牛次郎の原作を得て描いたハウジング漫画『建師ケン作』の連載開始にあたり、赤塚が牛次郎に提案したアイデアをベースにしたものだ。

だが、牛次郎は、赤塚の発案を無視し、前述の通り、ハウジング対決という、素材選びに何処かチグハグ感を禁じ得ない一種異様な原作を提供する。

そんな心許ない原作に、赤塚自身「完全にやる気を失った」と述懐するだけあって、『建師ケン作』は不完全燃焼のまま、連載終了を余儀なくされる結果となった。

従って、その時の忸怩たる想いが、時を経て、本作を執筆する原動力になったという可能性も充分考えられる。

『大日本プータロー一家』に引き続きスタートしたのが、『MR.マサシ』である。 

『MR.マサシ』は、高齢人口が相対的に増加傾向にある中、労働人口を一〇歳からの若年層が支えてゆく〝こどな法案〟が衆参両院によって可決されるという仮想世界で、主人公・マサシら〝こどな〟達が社会で八面六臂の活躍をしてゆく姿を描きつつ、現在の超高齢社会の歪みを笑いで染め上げた意欲的なシリーズだ。

だが、意欲とは裏腹に、この作品が読者の反響を呼ぶことはなかった。

マサシが就職した会社のビルが、『ガンダム』を彷彿させる巨大ロボットに変形したり、〝こどな〟を認めないジジババ集団によって形成されたウエストサイドさながらの街で、大人バーサス子供の大戦争が勃発したりと、子供の潜在意識に潜む大人への変身願望を、エンターテイメントに特化したアイデアが、此処彼処に散りばめられているものの、それを絵の力でアピールし、新生面を拓いてゆくまでには至らなかったのだ。

赤塚が老境に差し掛かる段階で描かれたこの作品で、気に掛かった点を二、三挙げるとするならば、益々平板化してゆくネームや作劇術に加え、前近代に埋没した古めかしいタッチが、際立って目立つようになった所だ。

新連載でありながらも、進化の系譜が途絶えた、こうしたマイナス的状況を脱し得なければ、本来なら、読者の目を奪うかのような着想さえも、その輝きを減衰させてしまうことは必至である。

時は1990年代。    

様々な若手作家の台頭により、漫画の表顕方法は、無限の増殖を続け、取り分けビジュアル面においては、見せゴマの多用も含め、漫画界全般が更なる技術革新を余儀なくされてゆく。

息を飲むような視覚的効果によって生まれる立体感を重視したエンターテイメントが、大ヒット漫画の主流を占めるようになったのだ。

当時、『ドラゴンボール』や『SLAM DUNK』、『幽☆遊☆白書』、『ジョジョの奇妙な冒険』等を主力連載として擁立していた「週刊少年ジャンプ」が、91年発売の3・4合併号で、全国紙をも追い抜く六〇二万部という、驚異的な発行部数を樹立したニュースは、まさにそうした漫画界のドラスティックな変質を象徴的に示した〝事件〟と言えなくもないだろう。

新た刺激を貪欲に渇望する子供達にとって、ベテラン作家の練達した手際で描かれた新作など、娯楽でもなければ、アートでもない。

この時、赤塚に必要だったのは、ファッション(絵柄)を刷新させることにより、パタナイズされた世界観にダイナミズムを注入してゆく、従来とは別種のイメージ喚起力の創出だった。

 


赤塚アニメのリバイバルラッシュと赤塚ワールドのメディアミックス展開 

2021-12-22 00:19:33 | 第8章

1988年、赤塚漫画の再ブレイクが、突如として訪れる。

ブレイクスルーの切っ掛けは、実に意外なもので、前年の87年、東京ムービー製作によるテレビアニメ『天才バカボン』と『元祖天才バカボン』が、テレビ東京の『まんがのひろば』枠で再放送されたことにあった。

特に、原作『バカボン』の世界観を忠実に再現したと言われる『元祖天才バカボン』は、一昔以上前に放映された旧作アニメでありながらも、同局の番組、NHKを含む同時間帯全ての中で、ナンバーワンの視聴率を獲得したほか、オンエア中の全アニメ番組においても、三位に食い込むという異常な盛り上がりを見せ、小中学生を中心に『バカボン』人気を再熱させる起爆剤となった。

これに触発されたかのように、「コミックボンボン」、「テレビマガジン」といった講談社系児童誌を中心に、『バカボン』、『おそ松』が続々と再執筆され、その後起こる赤塚不二夫リバイバルブームの下地が一気に作られてゆく。

取り分け「コミックボンボン」は、『おそ松くん』再アニメ化の決定とともに、『バカボン』、『おそ松』関連の企画、そして旧作漫画の掲載にも、大きくスペースを割くなど、赤塚作品を柱とする編集方針を打ち出し、次第に〝赤塚不二夫マガジン〟的な色彩を帯びてゆくようになった。

そして、88年2月から、『おそ松くん』がフジテレビ系列で、二一年ぶりにリメイクされ、満を持しての放映開始。高視聴率をマークする。

アニメ『おそ松くん』のリバイバルヒットは、他の赤塚アニメ復活の呼び水となり、その後『ひみつのアッコちゃん』、『もーれつア太郎』も、純然たる新作アニメとして製作放映されるとともに、赤塚の手によって描き下ろされた新シリーズがスタートするに至った。

中でも、『おそ松』と『アッコちゃん』は、89年、「東映まんがまつり」のラインナップの目玉の一つに選ばれ、『おそ松』が一本、『アッコちゃん』が二本と、それぞれが子供向けピクチャーとして劇場公開されたことは、赤塚再ブームを象徴する快事として注目に値しよう。

これらの新作アニメは、スタジオぴえろ、東映動画の二社が製作を担当。『おそ松くん』の終了後には、同じくスタジオぴえろ製作による『平成天才バカボン』がその後釜に宛がわれることになる。

そして、この赤塚再ブームに乗じ、長らく絶版状態だった『おそ松』、『バカボン』等のコミックスも、講談社系列の単行本レーベルより続々と再発されたほか、玩具や文房具、衣類、食料品に至るまで、赤塚キャラをあしらった様々なキャラクターグッズが製造、販売されるようになり、再び赤塚がメジャーシーンに返り咲いた印象を広く世間に与える形となったのだ。

また、余談であるが、この時『元祖天才バカボン』が桁外れな高視聴率を弾き出した影響から、88年公開の新作劇場版『バカボン』の企画が、再放送オンエア中の段階で、急遽立ち上がったという事実も、赤塚トリビアの一環として、ここに記しておきたい。

製作は、後に『ちびまる子ちゃん』や『忍たま乱太郎』で一時代を築く亜細亜堂で、社内の作画班編成も決定したその直後にストップが掛かったというが、その理由は、スタジオぴえろで、既に『おそ松くん』の企画が決まっていたからだったそうな。

加えて、『おそ松くん』の企画が、スタジオぴえろのみならず、講談社、読売広告社を中枢に据えたビッグプロジェクトであった背景も大きかったに違いない。

そういった事情により、実現の運びには至らなかった幻の劇場版『バカボン』であるが、企画の段階であったとはいえ、本来ならば、『天才バカボン』『元祖天才バカボン』が東京ムービーによって作られたという流れから、同社が製作を担当するのが、妥当の筈だが、亜細亜堂に白羽の矢が立ったのは、この時、両『バカボン』の作画監督、キャラクターデザイン等を務めた芝山努が、東京ムービーを離れ、亜細亜堂に所属していたためだと推察されよう。

尚、アニメ情報誌「アニメージュ」「熱烈再見シリーズ」という企画連載にて、東京ムービー系のギャグ作品『天才バカボン』、『元祖天才バカボン』、『ど根性ガエル』等をプレイバックした「今、バカボンが新しい 東京ムービーギャグアニメ」(87年12月号)なる特集記事が、小黒祐一郎によって書かれたが、そこに「新作劇場アニメ「バカボン」のうわさすらチラホラ聞こえてきている。」という一文が綴られているのを確認出来る。

まさにこれは、亜細亜堂『バカボン』を指しているのは明白であり、このセンテンスからも、業界内にて『バカボン』の劇場公開における期待値、注目度がそれなりに高かったことが窺える。

こうした赤塚ワールドのメディアミックス展開は、読売広告社と版元である講談社主導によるもので、そのマスタープランには、「コロコロコミック」を初めとする小学館系低年齢向け雑誌が藤子・F・不二雄をイメージリーダーとし、アニメとの相乗効果でムーブメントを巻き起こしていた状況に対する講談社側の対抗意識が、多少なりとも介在していたことに疑いの余地はないだろう。

それを裏付けるかのように、赤塚自身、バカボンのパパのコスチュームに扮し、「コミックボンボン」のテレビCM(90年)に駆り出されたこともあった。

しかし、往年の赤塚ファンの間では、過去のヒット作のリバイバルに合わせ、低年齢向けの凡庸なギャグレベルで描かれたこれらの作品に、食い足りなさを訴える向きも少なからずあった。

勿論、筆者もそう感じた一人であるが、このリバイバル期があったからこそ、赤塚のファン層が一気に広がるという恩恵を享受出来たのもまた事実なのだ。

87年~91年は、漫画家として長らく低空飛行を脱し得なかった赤塚にとって、その健在ぶりを世に知らしめることが出来た、至宝とも言えるルネッサンスの時代であり、現役漫画家として最後の黄金期であったと言えよう。


『花ちゃん寝る』『ヤラセテおじさん』シニックな寓話性に見る大人のファンタジー

2021-12-22 00:18:06 | 第8章

この時期に、新たにスタートした連載物では、日本文芸社より隔週刊で刊行されていた、ブルーカラー向けのタブロイド誌「話のチャンネル」掲載の『花ちゃん寝る』(87年1月2日・16日合併号~7月17日号)と、双葉社発行の実話系娯楽週刊誌「週刊大衆」掲載の『ヤラセテおじさん』(87年5月25日号~12月28日号)の二作品がある。

掲載誌のタイトルに語呂を合わせた表題が印象的な『花ちゃん寝る』は、若くして自らのクラブを持つ美人マダム・花ちゃんを主人公に据えたショートショートで、如何にも富裕層の男達を手玉に取りそうな、百戦錬磨のオーラを放ちつつも、身持ちは非常に堅い花ちゃんと、そんな花ちゃんを我が物にしたいと闘志を剥き出しにする、冴えない壮年男性達の駆け引きが、何処かやる瀬なく、ちょっぴり悲哀に染まった笑いに包んで描かれている。

本来なら貞潔である筈の花ちゃんなのだが、どういう心境の変化か、適当と思った客と枕を交わすことさえ辞さない時もある。

そして、その名器と床上手も相俟って、花ちゃんと寝た男達は、更に骨抜き状態にされ、身も心も花ちゃんに溺れてゆく。

実は、この花ちゃん、所謂一卵性双生児であり、客とアフターをともにしていたのは、下半身の弛い双子の妹だった。

つまり、二人は連携プレイによって、店を切り盛りしていたのだ。

赤塚自身、かつては相当淫蕩三昧の生活に浸り込んでいたようだが、夜の巷は、色恋の欲望が渦巻く男と女、狐と狸の化かし合いの空間であるよりも、自らの叡智や精神レベル、そして人との絆を深めてゆける、人生最高の修行の場であって欲しいと願う、酒席に対する赤塚独自の信条が、本作のバックボーンを支えるテーゼの一つとして見て取れる。

尚、この『花ちゃん寝る』は、連載終了から実に三四年の時を経た2021年、新興のなりなれ社なる出版社より刊行された大人向け赤塚漫画のアンソロジー集『夜の赤塚不二夫』に全十三話が収録される。

無数に存在する赤塚漫画の未収録作品の中から、取り分け、猥雑なエネルギーを炸裂させた作品群をセレクトしたこのレアトラックス集の目玉として、『花ちゃん寝る』が広く世間に読まれる機会を持ち得たことは、赤塚漫画を文化遺産に遺す意義においても、誠に喜ばしい限りだ。

見た目が冴えない流しの中年男が主人公の『ヤラセテおじさん』は、そのこ汚い風貌ゆえ、若い女性から常に毛嫌いされるが、商売道具である、ハーメルンならぬハメルーンの笛を吹くと、忽ち女が股を開くという艶笑噺を主軸に据えた、ダウナー系ショートナンセンス。

ハメルーンの笛は、その音色が若い女性の色欲を発情させるだけではなく、ゲイボーイや動物、はたまたパチンコ玉などの無生物を意のまま操る催眠作用を持ち、目ん玉つながりが、おじさんから笛を奪い、見よう見真似で奏でた時などは、指名手配中の凶悪犯がゾロゾロ交番に自首してくるという、使い方次第では、犯罪撲滅にも役立つ驚くべきスグレモノだ。

ハメルーンの笛については、最後までその謎が明かされることはなかったが(おじさんはマグスか⁉)、劇中、酒の嗜み方や女性のエスコートの仕方など、赤塚らしい美学が、然り気無く主人公の口から語られ、このヤラセテおじさんを媒介に、赤塚の人物像の一端を垣間見ることが出来る。

また、艶笑譚でありながらも、その語り口は非常にソフトで、かつての『くそばばあ』のようなエログロを強調拡大した、倒錯的腐臭性はなく、ハーメルンの災厄における民間伝承を、矛盾なく一貫性を備えたテーマとして導入し、シニックな寓話性を確保している点においても、差し詰め、大人のファンタジーと形容したくなるシリーズだ。

漫画家・赤塚にとって、1970年代末期から80年代半ばに至る時期は、テレビアニメをはじめとするメディアミックスも含め、最も停滞を余儀なくされていた冬の時代であったことは先にも述べた通りだが、この間、代表作である『もーれつア太郎』、『おそ松くん』、『ひみつのアッコちゃん』の三作品が、フジテレビの『月曜ドラマランド』枠でドラマ化されたことがあったのを、読者諸兄はご存知だろうか……。

「ニャロメ‼ 出生の秘密を知ったとき、少女に何が起こったのココロ⁉」というサブタイトルの『もーれつア太郎』(85年5月20日放映)は、初代いいとも青年隊の久保田篤がア太郎を演じ、当時アイドル歌手として人気絶頂だった荻野目洋子が、原作には登場しないア太郎の妹・アッコを好演。×五郎やココロのボスなども、作中登場するが、その世界観は、原作とは全くもって似ても似付かず、事実上、荻野目洋子のプロモートを兼ねたアイドルドラマとして製作された。

『おそ松くん』のスピンオフ的位置付けの作品でもある「イヤミ・チビ太の板前一本勝負」(85年12月16日放映)は、おそ松を、当時〝え~い、踊ってしまえ~〟のフレーズで、一躍ブレイクを果たしたタレントの中島陽典が、イヤミを所ジョージ、チビ太を渡辺千秋が各々演じ、ストーリーも原作を無視したオリジナルエピソードとして放映されたが、デカパンに稲川淳二、ダヨーンに竹中直人、松造に元ドリフターズの荒井注が配役されたほか、原作者である赤塚もカメオ出演し、主題歌を山下達郎が担当するなど、単発のドラマとしては、非常に豪華な一作であった。

『ひみつのアッコちゃん』(87年2月9日放映)は、「伊豆の踊子物語」というサブタイトルが付き、当時、アイドルとしてデビュー間もない八木さおりが、アッコ役に抜擢され、その恋人役をシブがき隊のモックンこと本木雅弘が務めた。

やはり、原作のカラーとは風合いの異なる、賑やかなラブコメディーとして作られている。

しかしながら、これらのドラマが、再び赤塚人気復活の賦活剤になり得ることはなく、その浮上に至るまで、この時、もう暫くの時間が必要だったのだ。


80年代赤塚漫画の最高傑作『ラーメン大脱走』 

2021-12-22 00:17:42 | 第8章

『「大先生」を読む。』の連載開始を皮切りに、漫画界にカムバックを果たした赤塚は、読み切り、連載を徐々に増やしながら、再ブレイクに向け、快調に滑り出してゆく。

ここで、『大先生』のスタートと前後して描かれた作品で、個人的に80年代の赤塚作品の中で、最高傑作の太鼓判を押したいタイトルにも、ページを割き触れておきたい。

「チャルメラアクション」(「増刊漫画アクション」86年10月24日号)に掲載された『ラーメン大脱走』という読み切り短編がそれで、当時、右肩上がりの伸びを見せていたラーメン需要に呼応し、一〇人余りの漫画家が各々ラーメンをモチーフに競作して綴った、謂わば企画物だ。

巨大な刑務所の敷地内、そこに、監視塔から放たれる銃弾を巧みに避けながら、脱獄を試みようとする一人の男の影があった。

男は、囚人番号の五十号の受刑者。しかし、暫くすると、脱獄した筈の彼が、再び刑務所へと舞い戻ってくる。

実は、この五十号、異常なまでのラーメンマニアである所長の拝命を受け、秘密裡に究極ともいうべき五ツ星のラーメンを探すべく、夜な夜な、刑務所を脱獄し、シャバをさ迷い歩いていたのである。

所長は、五十号のことを、大好きなラーメンに準え、五十番と呼び、所内での自由行動を容認していた。

だが、ある夜、いつものように五十番が脱走した際、監視塔から放たれた砲弾に、初めて足をやられてしまう。

重症を負い、這々の状態で、五ツ星のラーメンを探し続ける五十番。しかし、五十番が自らの舌で味を確認し、自信を持って勧めるラーメンに、所長はなかなか満足をしてくれなかった。

五十番は、生命の危険に晒されながらも、所長の為に、最高のラーメンを探し続けた困憊から、釈放を直談判する。

だが、所長からは、終身刑を言い渡され、これからも自分の為に、究極のラーメンを探してくるよう命じられる。

所長は、人間一人の生命が懸かったこのラーメン探しに、スリルと興奮を感じていたのだ。

その夜も、所長の為、究極の五ツ星ラーメンを求め、さ迷い歩く五十番だったが、なかなか納得のゆく味の店が見付からない。

そんな時、たまたま入った汚いラーメン屋で、五段階評価を越えた八ツ星のラーメンに遭遇する。

所長のせいで、すっかりラーメンに毒されてしまった五十番は、そのあまりの美味さに雷に打たれたかのような衝撃を受ける。

しかし、今はシャバだ。

またラーメン探しのため、脱走を繰り返したら、今度こそ生命を落としてしまう危険だって起こりかねない。

このままトンズラして逃げるか、刑務所に戻り、署長にこのラーメンの味を伝えるか……。

途方もない葛藤に晒される中、五十番の胸中で激しい感情が弾けた。

最後の大ゴマで、刑務所の門扉を激しく叩く五十番。その時、所長に向かってこう叫ぶ。

「おーい‼門をあけろーっ‼」「所長にラーメンのことで話があるーっ‼」

モチーフであるラーメンとは到底結び着かない、荒唐無稽なシチュエーションだけではなく、ストーリー面においても、理論的なドラマトゥルギーから幾分背理した印象を否めない異色の一作ではあるが、登場人物の心の機微やその葛藤が、抜群のリアリティーを持って掘り出されており、こうした確かな人物描写こそが、この作品の価値を決定的に引き上げてゆくエレメントになり得ていると言っても、差し支えないだろう。

また、本来ニヒリズムに埋没しがちな展開から敢えてスライドさせた、その粋なラストシーンは、鳥肌が立つほどにインプレッシブで、読む人の心情にシンパシーとカタルシスを投げ掛けること間違いない、この上ないヒロイズムに包まれている。

尚、この『ラーメン大脱走』が掲載された「チャルメラアクション」には、同じ大御所枠で、石ノ森章太郎やモンキーパンチといった作家も作品を寄稿しているが、偏向のない視点で他作品と見比べてみても、本作が最もドラマティックな愉悦を湛えており、80年代以降の赤塚漫画は駄作ばかりだと、皮相的な見解を示す向きには、是非一読して欲しい掌編漫画だ。


知的スノッブに対する比類なき諧謔 『「大先生」を読む。』

2021-12-22 00:16:42 | 第8章

このように、自らの聖域である漫画家への回帰を模索する中、意欲的に取り組んだ連載があった。

青年誌「ビッグコミックオリジナル」で、赤塚にとっても、久方ぶりの長期連載となった『「大先生」を読む。』(86年21号~89年24号)である。

『「大先生」を読む。』は、かつて石ノ森章太郎主宰の「東日本漫画研究会」に所属し、大学時代は、トキワ荘で石ノ森のアシスタントを務めていた林洋一郎が、小学館入社後、同誌の編集長に就任した際、他社での雑誌連載が一本もなかった赤塚の窮状を察し、掲載スペースを用意したという、赤塚への陰徳によって生まれたシリーズだ。ストーリーは、自称・教養高き小説家の大先生が、毎回、対談企画のゲストとして連れて来られる有象無象の連中の妄言、愚行に翻弄されてゆく非常に皮肉めいたもので、博識広才を自認しつつも、最終的には、自身の感受力、洞察力の脆弱ぶりを露呈し、痛々しくも、馬脚を顕してゆくというのが、この作品のメインともなる概要である。

本作『「大先生」を読む。』を描くモチーフとなったのが、1970年代、当代きってのスーパーアイドル達に数々の楽曲を提供し、一躍時代の寵児となった、歌謡界のさる大物プロデューサーだと言われている。

人気絶頂の頃、そのプロデューサーは、歌手としても活躍していた某人気女優と結婚するも、名家の血筋を引くプライドからか、妻であるその女優に、教養の欠落や育ちの悪さを厳しく叱責するというモラルハラスメントを恒常的に繰り返し、結果、破局を迎えることになってしまった。

赤塚は、こうした偏狭なエリート意識による、画一的な枠組みへの押し付けや、自らが抱く似非知識階級特有の、自己欺瞞に歪められた権威主義への反骨感情を、簡便なアフォリズムに昇華し、新キャラクター・大先生をその被写体に迎えたに違いない。

また、零落したかつてのベストセラー作家という大先生のもう一方のキャラクターも、人気アンケート至上主義の漫画界において、現役作家としてではなく、戦後漫画史にのみその名を刻む大先生という、シニアプレイヤー的な立ち位置となってしまった自身の孤影悄然たる現状を、冷静なる自虐を込めて、投影させたものであることに、疑いの余地はないだろう。

知的スノッブへの諧謔に比類なき境地を拓いた本作は、キャラクター達の性格描写に倒錯性を持ち込みつつも、その視点は至って冷徹で、作品全体を通し、理知性に富んだアレゴリーを著しくテーマの中に宿している。

取り分け、それが鮮明化されるのが、知性や訓蒙における決定因と支配因とのズレと衝突が、超越論的なクエスチョンの出来とともに、唐突に無化される時であろう。

『大先生』では、作品のテーマとなる現実と虚構の認識的不協和が、一コマごと、流動的に組み換えられてゆく。

まさに、あらゆる世界の根本原理の追及を主とする形而上学の圏外にして、不毛なトートロジーに過ぎないこのような茶番劇こそが、本作の基本となるプロットだ。

また、この抽象的空間の中で、やり取りされる、大先生とゲストによる世俗的な寓意を孕んだ対話の数々は、アカデミズムや哲学的な命題を核としながらも、毎回、その事象に対し、明確なアンサーまで辿り着くことはない。

つまり赤塚は、道化の役割を担う大先生というキャラクターを媒介とし、観念の表象体系でしかない愚蒙な認識論的混乱こそが、似非知識階級の実態にして現実という悟性的な示唆を、読者に伝えたかったのかも知れない。

赤塚の金言の一つに、「頭のいいヤツは、わかりやすく話す、頭の悪いヤツほど、難しく話す」という言葉がある。

『「大先生」を読む。』を紐解く都度、私の脳裏には、この言葉が蘇る。

理屈ではなく、単に面白いことだけを探究してきた赤塚にとって、この言葉は、ナンセンスギャグ漫画を描き続けてゆく上で、その動機付けの一端を担う、重大なエッセンスだったのだろう。

決してメジャーとは言えないながらも、そんな硬骨の赤塚哲学がブレることなく、全てのエピソードにおいて結実した作品だからこそ、この『「大先生」を読む。』は、赤塚漫画史においても、ファンにとっても、頗る意義深いタイトルでもあるのだ。

因みに、毎度に渡り、大先生と雑輩の衆との橋渡し役を担う大先生番の記者は、皆、その時、掲載誌「ビッグコミックオリジナル」で、赤塚番を担当していた編集者をモデルにしており、林くん=林洋一郎といった例を出すまでもなく、そのまま実名を拝借している。

不気味でオカルティックな風貌、加えて念力も使えるという得難いキャラクターでもあった長崎くんもまた、シリーズ中盤から後期に掛け、『大先生』の世界観を盛り上げた編集者の一人だが、そのモデルは、後に「ビッグコミックスピリッツ」編集長に就任するも、小学館を退社し、漫画原作者、小説家として活躍する長崎尚志、その人だ。

『MASTERキートン』、『本格科学冒険漫画 20世紀少年』といった浦沢直樹とのコラボレーションでも令名高い長崎尚志だが、この時、浦沢と同時に赤塚も担当しており、赤塚自身、物見高く、良い意味でオタク気質に溢れた長崎のキャラクターを大層気に入っていたと見え、他の編集者キャラよりも、その登場頻度は至って高い。

『「大先生」を読む。』は、長らく単行本化されなかったが、連載終了から十二年を経た2001年、光進社から重量感ある装丁により、上製本として書籍化され、広く陽の目を見るようになった。

最晩年の赤塚史を語る上で欠かすことの出来ない、重要な位置付けの一作である。