文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

ドンちゃんとヒロコさんの熱愛スクープ 楽屋ネタに見る読者との新たなコミュニケーション

2021-05-18 11:27:25 | 第5章

さて、本編とは全く関係のない扉ページでは、流石は女性週刊誌のパロディーを標榜しているだけあって、「だれかに愛を感じたら・・・・アホらしさが生きてるあなたの週刊誌」という、俗臭漂うタブロイド誌そのものの正鵠を射たキャッチコピーと一緒に、前述の見出しのほか、和服を着たクラブのマダム風美女(⁉)と気障ったらしいジゴロ風の男が佇むツーショット写真付きで、「話題のふたり あのドンちゃん(31)とヒロ子さん(29)は じつはまたいとこどうしだった‼」と記された、抜き差しならないゴシップが堂々掲載され、読み手の虚を衝く。

ここに書かれているドンちゃんとは、当時『風のカラッペ』や『おれはバカラス』等の赤塚作品の作画を受け持つ傍ら、他の赤塚メインの連載、読み切りでも、アシスタントを兼任していた佐々木ドンを、一方のヒロコさんは、前述のイラストレーター・田村セツコの実妹で、短期間だが、セツコの紹介で、赤塚の秘書を勤めていた田村弘子のことを指している。

ドンちゃんとヒロコさんの交際スキャンダルが公となったのは、毎ページごとに、ヒトコマだけ、ストーリーとは何の脈略もない身辺雑記を「フジオのヤング・レポート」と称し、 インサートした「ドビンとチャビンのクルーソーなのだ」(72年19号)が最初で、その七ページ目に「いま 秘書のヒロコさんが お茶をいれてくれました この人は ドンちゃんとこの秋結婚します おめでたいのです」というセンテンスが、情報として開示されたのだ。

また、二週挟んだ「夢の世界で会いますのだ」(72年22号)では、漫画のコマをテレビの画面に見立て、ニュース速報の如く「この秋 結婚することになっている ドンちゃんとヒロコさんは アメリカへ新婚旅行することに決定しました」と、ご丁寧に同じ一文が二度に渡り、スーパーインポーズされる。

その本編の粗筋とは大きく背き離れたパラレルワールドたる楽屋ネタを、フィクショナルなギャグと絡めて成立させるとともに、ドラマの不条理性を高騰せしめたこれらの作品は、ダブル、トリプルのイメージ構造を喚起させる、現実と非現実における相反概念を見事エピソード内に浸透させ、笑いの裾野を大きく広げていった。

その結果、このマニアックな実話が放つ一種異様な空気感が、更にナンセンス性を帯び、その現実とない交ぜとなった野放図なザッピング感覚をカタルシスにも似た心地好い倒錯へと挿げ替えるのだ。

そして、これらの赤塚周辺に起こり得た実話ネタは、対読者との新たなコミュニケーションの一環として、作中、ふんだんに盛り込まれ、楽屋落ちという赤塚ルーティンギャグの一群として、その後幅を利かすこととなった。

余談だが、前掲の和服美人(⁉)とスタイリッシュな伊達男が身体を寄せ合うスナップは、この作品が発表された時期より遡ること七年前(1965年)に催された、スタジオ・ゼロのクリスマス仮装パーティーで撮られた一枚である。

女性は、登茂子夫人の着物を拝借し、女装メイクをバッチリ施した赤塚、男性は、トキワ荘最後の住民として知られ、赤塚自身、弟のように可愛がっていたという絵本作家の山内ジョージで、実在のドンちゃんとヒロコさんとは何ら関係はない。


低次元なセンセーショナリズムを鋭く諷刺「平凡天才ヤング女性男性バカボン自身」

2021-05-18 09:18:29 | 第5章

「ある夫婦の八年間の記録 わたしは夫がサルとも知らずに結婚した‼」「わあショック! 天才漫画家・水島新司(33)が男ドブスって、ホント⁉」等、扉ページにレイアウトされたタブロイド誌紛いの見出しが強烈なインパクトを放つ「平凡天才ヤング女性男性バカボン自身」(72年28号)は、人気アイドルのプライバシーに異常なまでの興味を示す目ん玉つながりをトリックスターに、東大卒という申し分ない学歴を持ちながらも、軽挙妄動の激しい芸能記者や傲岸不遜なアクションスターの新星など、クセの強い業界人が顔を揃え、浅ましき愚行ぶりを露にするといったストーリーで、芸能マスコミ全般に蔓延る低俗なディスポジションを、奥行きを纏った表出とともに、鋭く戯画化した渾身の力作である。

「俺なんかは、自分がどんなふうに撮られようがかまわないけどさ。     ~中略~

だけど、プライドとか名誉を大切にしている人だったら、〝フォーカス〟されたら腹が立つと思うよ。そんな勝手なことをされるいわれはないもんね。」

(『フォーカス、フライデーの愛読者に贈る本 発言!これでいいのか F・F報道』四海書房、86年)

これは、芸能マスコミ史に多大な衝撃を残すことになる「ビートたけしフライデー襲撃事件」が発生した1986年当時、低次元なセンセーショナリズムに溺没していた「フォーカス」、「フライデー」等の報道姿勢に対し、赤塚が「視覚文化はのぞき文化である」という異議申し立てとともに唱えたマキシムの一つであるが、本作においてもまた、日本のパックジャーナリズムにおける送り手と受け手の共犯関係の縮図が、徹底したアイロニーによって炙り出されており、赤塚らしいコンシャンスが注がれた手堅い諷刺漫画になり得ている。


新趣向のカリカチュアを提示 「ホシのアリバイの探偵なのだ」「ミュージカルでバカボンなのだ」

2021-05-16 13:44:13 | 第5章

赤塚のパロディーマインドは、漫画のあらゆる表出形態を解体構築した、二次創作的なイミテーションとしての概念を差し示すだけではなく、多岐広汎に渡る表現媒体のアピアランスを抽出し、更にそれらをベースに捉えた新趣向のカリカチュアへと、その作風を開花させてゆく。

インテリ然とした悪役風の人物が「みなさん‼ぼくがホシです よくおぼえておいてください」と、読者に呼び掛けるというキャッチーなプロローグから始まる「ホシのアリバイの探偵なのだ」(72年14号)は、倒叙形式でドラマが進行してゆく、推理サスペンスの体系的構成をトリッキーな脚色によりパロディー化した疑似ミステリーだ。

少年探偵団ならぬ、中年探偵団を称するバカボンのパパと目ん玉つながりが、毒入りすき焼きを食べ、死に至ったとされる、とある社長殺しの真相解明を求め、犯人探しに乗り出すが、事件は迷宮入りし、とうとうパパは同じ仲間である筈の目ん玉つながりこそが犯人ではないかと疑い出す。

そして、目ん玉つながりが社長殺害に及んだ犯行理由に、朝、昼、晩と毎日すき焼きを常食している社長に対し、二八年間すき焼きを食べていない目ん玉つながりが、そのリッチな食生活に嫉妬し、殺意を爆発させたことを動機として挙げるのだ。

パニック状態に陥った目ん玉つながりは、発作的に窓ガラスをぶち破り、逃げ出そうとする。

だが、殺害現場であるそこは二階で、庭先へと真っ逆さまに落っこちた目ん玉つながりは、頭から半身を地面にめり込ませてしまう。

そして、パパに「さあ‼ドロをはくのだ‼」と迫られた目ん玉つながりが、文字通り、本当に泥を吐くという、何とも心罰的な展開を迎える。

果たして、パパが容疑を掛けた通り、目ん玉つながりが犯人なのか……。

ドラマはここで唐突に終わり、目ん玉つながりをはじめ、作中登場した人物達が容疑者として舞台上に並ぶ。

しかし、この時、冒頭に現れたホシと名乗る人物の名前が、ただ単に「ホシシンイチ」であったことが明かされる。

言うまでもなく、日本掌編小説の神様と呼ばれ、赤塚とも交流の深かったSF作家の星新一の名をそのまま拝借したキャラクターだ。

第一発見者である家政婦の女性は、「まさか女中のホシエでは⁉」と自らも怪しいことを匂わせ、目ん玉つながりは、「あててくださいね‼」と読者に呼び掛ける。

因みに、この作品は「懸賞つき推理ドラマ」と銘打たれているだけあって、本編をしっかり熟読すると、犯人が誰であるかが、浮かび上がってくるという、読者を徹底的に茶化しつつも、赤塚らしいスマートな意匠が凝らされており、決して侮れない。

(犯人の名前を葉書に書いて応募すると、抽選により、正解者に純金切手、鉄製切手などの変わり種切手をプレゼントするという企画が、この時読者サービスの一環として行われた。)

このようなパロディーというコンセプトを基軸に持つ笑いの類型提示は、それそのものが何らかの要因、または手段として機能しているだけではなく、そのテクストに伏在するレトリックに対し、新たな釈義を生み出すファクターとなったのだ。

「ミュージカルでバカボンなのだ」(72年15号)は、「パパがうたい,おどりまくる 大ミュージカル・ドラマなのだ‼」という惹句が示す通り、全編有名な動揺や流行歌を登場人物達の台詞にアダプトしながら、ドラマの進行を促してゆく、ポップテイスト溢れるグルーヴ感覚がいみじくもヒットした一作で、第18回文藝春秋漫画賞受賞の決定打となった記念碑的作品だ。

ミュージカル仕立てのストーリーに、その世界観を統一させたせいか、『天才バカボン』のタイトルスペースでは、五線譜をバックにした音符風のロゴが賑やかに踊り、ラストには、登場キャラ全員が舞台上に表れ、ラインダンスを披露するなど、その演出効果の秀逸さは、至る場面において拝覧出来る。

バカボン家に侵入した一人の泥棒を主役に迎えて展開する単純明快なスラップスティックナンセンスといった傾向の物語でありながらも、フランスの思想家・ジャン=ジャック・ルソーがその原曲を作ったとされる文部省唱歌「むすんでひらいて」の一節を「ぬーすんで ひーらーいーてー(中略)ゆーびをまげてー ぬーすんで~ その手を うしろに~」と変え、泥棒に歌わせるなど、元歌の原型を留めつつも、見事な替え歌へと昇華している点に、言葉遊びの天才・赤塚ならではの巧妙なキレを感じさせる。


「天才バカボンの劇画なのだ」「天才おバカボン」 漫画の表顕スタイルの模倣と解体

2021-05-14 07:45:01 | 第5章

『バカボン』に纏わるトピックで、最も特筆に値するのは、今尚伝説として語り継がれている実験的エピソードの数々だ。

『バカボン』の週刊連載での合計期間は、途中休載分を差し引いても、八年以上の長きに渡り、ギャグ漫画の限界が、週刊ペースで概ね二年強だとしても、そのエピソード数は通常の約四倍にも相当する。

その為、読者を飽きさせないよう、数々のギャグのシンカーを投げ続け、連載ペースをキープせざるを得ない、切実な事情が背景にあり、常識を破るフォーマットが幾つも生み出されるに至ったのだろう。

霧に閉ざされた夜の摩天楼を背景に、トレンチコートに身を包み、コルトを構えた劇画調のバカボンのパパが颯爽と登場する見事な一枚絵の扉ページと、本編中繰り返される稚拙な劇画タッチとのコントラストが、多大なインパクトを与える「天才バカボンの劇画なのだ」(72年9号)は、佐藤まさあき(代表作/『堕靡泥の星』、『若い貴族たち』)の劣化コピーといった趣のハードボイルド・パロディーだが、陰影を加え、微妙な立体感を湛えたキャラクターデザインや、映画的手法を駆使したローアングルや局部アップ等の表現技法を、作画崩壊ギリギリのタッチで再現することで、漫画とも劇画とも付かない、珍妙奇天烈なダークファンタジーをここに視覚化した。

ストーリーは、暴力団の縄張り抗争に巻き込まれたバカボンのパパが、目ん玉つながりと共闘し、街の平和のため、双方のヒットマン相手に大捕物を繰り広げるという勧善懲悪ものでありながらも、途中、通常の二頭身から四頭身、再び二頭身へと、パパが変幻自在に姿を変える、メタモルフォーゼを全面に押し立てた展開や、日本古来の遊び歌である「ずいずいずっころばし」を最後まで歌わなければ、弾が発射されないクラリネット型の改造拳銃など、アホらしさ全開のガジェットを用いたギャグを効果的に取り込んでおり、転んでもただでは起きない赤塚独特の洒脱な逸脱をここでも視認することが出来る。

その後、コマからコマへの連続の中で、グロテスクな形象を意匠とする、登場人物達の喜怒哀楽の表情を大ゴマで描出した一枚絵のような劇画的カットが、赤塚ギャグの独壇場として見せゴマの如く頻出するが、このような新たな表現様式もまた、この劇画版『バカボン』の執筆が一つの契機となって生まれたものであることは言うまでもない。

新たな少女漫画の類型提示を隠れ蓑に、自身のオネエ趣味を笑いのディテールへと転化した「天才おバカボン」(72年13号)は、かつて少女漫画の王道パターンであったバレエ物をコミカルにパロディー化したホモセクシャル・ナンセンス。

この作品は、薔薇の花をたっぷり描き入れることで、その心象を更に具象化せしめたキメ細やかな背景に、センチメンタルなモノローグの使用、そして、長い睫毛にキャッチライトが無数に当てられたパパやバカボンの瞳といった、少女漫画特有の装飾性を心憎いまでにフォローした怪作だ。

物語の要点として、春山うらら先生ことオカマのカオルちゃんが主宰するバレー教室で、パパとバカボンが女学生宜しく、トップバレリーナを目指し、日夜奮闘を重ねるといった一つの対決軸が展開されるものの、そこは流石の『バカボン』ワールドで、パパが「黒田節」のメロディに合わせて、トウシューズを尖らせるなど、その脱力的なギャグに関しても枚挙に暇がない。

(赤塚も、駆け出し時代に、一人の薄幸の少女が悲痛に満ちた現実を乗り越え、バレリーナとして成長を遂げてゆく『ブローチとバレエ靴』(「少女ブック 新年増刊号」58年1月10日発行)なる読み切りを執筆したことがあった。)

「天才おバカボン」では、少女漫画の完全コピーを意識してか、ファンシーテイスト溢れるバカボンのパパも登場し、読む人の度肝を抜く。

鼻毛を抜いて作った付け睫毛や、「マーガレット」を飾ると、「なかよし」の「フレンド」がいっぱい出来てしまうという「りぼん」型の鉢巻きが印象的なグーなおバカボンのパパのファッションは、1960年代より、少女雑誌のお洒落ページのイラストや、サンリオ、サンスター等で、多数のキャラクターメイクを受け持ち、後にエッセイストとしても活躍する田村セツコの手によって描かれたものである。

彼女は、新人時代より、赤塚と公私ともに親しい間柄にあり、そうした交流の深さがこのような異色のコラボレートを生んだのだろう。

田村セツコとのコラボは極めてレアなケースだが、絵の面白さを追求したエクスペリメンタルなギャグをこの時多数生むことになったのも、第四章にて詳しく記述したフジオ・プロ劇画部のバックアップがあったからこそだと言えよう。

「天才バカボンの劇画なのだ」以降、前述したように、心持ち悪さを意図した、登場人物らの顔面クローズアップが半ページ大の大ゴマで多用されるようになるが、これを開発し、最初に執筆したのが、木村知生である。

その木村がアシスタントを努めていたフジオ・プロ劇画部のリーダー・芳谷圭児にも、等身大の美男美女を劇中登場させたい際、作画協力を要請するなど、この時、赤塚が求めるイメージは、常にスタッフの誰かによって、具体化出来る環境にあったという。

これらの他にも、『巨人の星』、『天才バカボン』とのトライアングルで、「少年マガジン」の第一次全盛期を牽引した『あしたのジョー』が、今尚語り草として名高い、衝撃の最終回を迎えたその翌週に、「あたしのジョー」(73年22号)なるタイトルで、バカボンが矢吹丈に、パパが丹下段平に扮し、草ボクシングに奮戦するというパロディー漫画を、友人である高森(梶原一騎)、ちば両氏への労いと賛辞を込め、執筆したこともあった。

但し、作中、ちばタッチに合わせた、等身大のジョーや段平が登場するわけではなく、バカボン扮するジョーが、ウナギイヌやノラウマとボクシング対決をしたり、ロードワークのつもりが、脱線して野原をサイクリングしたりと、微笑誘発型の尾籠の笑いを、定例通りのドタバタに絡めた稚気満々のオリジナルエピソードとして描かれており、やはり同じパロディーでも、対象作品のキャラクターの模写や、世界観の引用に比重を置いた長谷邦夫作品との笑いにおける温度差は歴然としている。


新たなファルスの構図を生み出した疑似実録劇

2021-05-13 07:38:55 | 第5章

先に示した、手塚治虫の実際のエピソードをヒントにして作った「天才マンガ家レポートなのだ」(72年25号)の主人公・十七歳の天才漫画家・バカ塚アホ夫は、超が付く程の我が儘で、編集者を虐げては、ストレスを発散するという、若くして、既にパワハラ的気質が常態化している偉丈高な人物だ。

ある夜、アホ夫は、急に機嫌が悪くなり、自分の父親程の年齢の担当編集者(四五歳)にシジミの味噌汁がなければ、描けないと言い出す。

「むすこは大学二年生 むすめは高校三年生 おやじは夜中にシジミとり・・・・ グスッ」

近所のドブ川で、涙をこぼしながら、トボトボとシジミを取っている担当編集者の姿が、何とも悲哀たっぷりだ。

この展開は、手塚治虫が、神田駿河台にある山の上ホテルでカンヅメになった時、やはり夜中に突然気分を害し、チョコレートがなければ、描けないと言い出し、手塚番記者を右往左往させた実際のエピソードから着想を得ており、アホ夫のキャラクターも、そんな手塚のダークサイドを拡大解釈した、極端なデフォルメを加え、作られている。

まだ、コンビニエンスストアも存在していなかった昭和中期頃のお話で、今となってはちょっぴり微笑ましい(⁉)、当時の漫画雑誌編集者の涙ぐましい奮闘譚の一つである。

1ページを一息で一気に描かないと、気が済まないという、異常なまでに神経質な劇画家・イラ塚イラ夫をフィーチャーしたのが、「イラ塚イラ夫と少年バカジンなのだ」(「別冊少年マガジン」74年8月号)で、このイラ塚先生のモデルは、芳谷圭児を部長とするフジオ・プロ劇画部に、1973年より一時期籍を置いていた園田光慶、その人ではないかと思われる。

園田は、かつて『あかつき戦闘隊』や『ターゲット』などの人気作で、少年週刊誌№1の王座を「マガジン」に奪還されて間もなくの頃の「サンデー」の屋台骨を、赤塚とともに支えた一人であったが、非常に神経質な性格の持ち主で、執筆の際にも気持ちにムラが表れるなど、実力派として評価される反面、扱い難い漫画家としても知られていた。

『ターゲット』終了後、少年誌の表舞台から姿を消した園田は、長いスランプに陥り、マイナーな劇画専門誌に発表の場を移すなど、雌伏の時を過ごしており、それを見兼ねた「サンデー」の赤塚番記者・武居俊樹の力添えで、フジオ・プロ劇画部に参入することになったという。

武居にしたら、大手出版社と距離が近いフジオ・プロに在籍することで、再びメジャー誌に返り咲けるチャンスを提供したかったのだろうが、この時、仕事上での人付き合いでさえ、精神的な苦痛を感じるようになっていたという園田は、このフジオ・プロ劇画部でも、一本の作品も描かないまま、じきにフェードアウトすることになる。

イラ塚イラ夫には、そんな園田のネガティブな気質が、面白可笑しく、そして、心理的恐慌を巻き起こすブラッキーなギミックを混えて、映し出されているように見えるのだ。

さて、このイラ塚先生、その毒気にやられ、発狂状態となったイラ塚番の後釜としてやって来た、ゴロ付きのような編集者の勧めによって、気楽に作品と対峙すべく、己の作家的拘りを捨て去ろうとするが、その負のスパイラルまでは絶ち切ることが出来ず……。

ラストでは、編集部全員を不幸に至らしめるニヒリスティックな展開を迎えるなど、その後も、確実に周囲を破滅の道へと転がり落としてゆくイラ塚先生なのであった。

「アホツカ・アホオと「少年バカジン」」(74年49号)で、サカイ記者(キャラクターメイクは毎回別人)が担当するアホツカアホオは、売れない盗作専門の漫画家で、日本著作権協会から注意勧告を受けたり、編集部から、来週はどの漫画家の作品をパクるか、賭けの対象にされているなど、これまで登場した漫画家の中でも、最もトホホ感漂う先生だ。

だが、ある時、漫画のアイデアを勉強しているという学生が、アホツカ先生のもとを訪れる。

学生のアイデアは、これまでの漫画にはない斬新且つ面白いものだった。

アイデアが枯渇していたアホツカ先生が、藁にもすがる想いで、それを元に漫画を描くと、とたん人気が爆発。ファンレターが連日殺到するようになる。

だが、このことを知られたくないアホツカ先生は、ファンレターを隠し、学生に対し、冷淡な態度を取り続ける。

そうでもしないと、学生につけ込まれ、立場が逆転してしまうからだ。

しかし、それを真に受けた学生は、自らの才能に見切りを付け、田舎に帰ろうとする。

困り果てたアホツカ先生は、恥も外聞も捨て、学生に泣きながら戻って来てくれるよう、懇願しようと決心するが、この後予期せぬ展開に、命拾いする……。

コアな赤塚ファンの中には、このアホツカ先生が、長谷邦夫を戯画化したキャラクターではないかと指摘する声も多い。

1969年から73年頃までの数年間、長谷は、フジオ・プロで赤塚のアイデアブレーンを務める傍ら、自らを盗作漫画家と称し、当時のありとあらゆる人気漫画のストーリーと絵柄を模倣した、様々なパロディー漫画を乱筆していた。

つげ義春の『ねじ式』の世界観をそのままに、海辺でメメクラゲに左腕を噛まれ、静脈を切断された主人公をバカボンのパパに置き換えた『バカ式』、砂川しげひさ(代表作/『寄らば斬るド』、『おんな武蔵』)のナンセンスタッチと小島剛夕(『子連れ狼』、『首斬り朝』)の荒々しい劇画のタッチを融合させた営業妨害漫画『かかば斬るド』等がその代表例で、長谷はこれら以外のタイトルでも、作家や作品の垣根を越え、矢吹丈やデューク東郷、ムジ鳥に喪黒福造といった様々なキャラクターを登場させては、読む者を唖然たらしめる、差し詰め人気漫画の乱交パーティーといった趣の短編パロディーをいくつも発表していたのだ。

これらの長谷のパロディー漫画は、発表当時、業界内外で賛否両論を招き、一部のマニアックな漫画ファンには、熱烈な歓迎を持って受け入れられたというが、この時、長谷パロディーの掲載誌の一つであった「COM」編集長の石井文男によると、その一方で、オリジナリティーの欠落が致命的であり、それに対し、極端に貶す読者も少なくなかったそうな。

赤塚もまた、長谷パロディーに否定的な見解を示していた一人で、長谷の絵の稚拙さを指摘した上で、その作風をこうシビアに断罪した。

「ボクは妥協っていうのが大キライです。この世界は才能のないやつは認められませんからね。

~中略~

いまはだれかがやろうと思えばできる仕事だ。あれには長谷の個性がでてないでしょう。まだその域に達していない。ボクは面白いとは思わない。」

(『ブームの奇形児・長谷邦夫の開拓精神』/

「週刊文春」70年8月31日号)

個性こそが重要視され、尚且つ、不特定多数の読者の支持を得られなければ、その価値はないものに等しいという漫画界の峻烈なる現実が、このアホツカ先生の姿を通し、看破されているように思えてならない。

このように、漫画家と編集者の駆け引きをモチーフにしたエピソードの殆どが、自らを貶める自虐ネタに関連して扱われており、舌鋒鋭いその諧謔性は、漫画家という赤塚にとってのサンクチュアリ、延いては赤塚自身にも矛先を向け、漫画界のインサイダー情報と内輪ネタが二重写しとなった疑似実録劇として、新たなファルスの構図を生み出すこととなった。

また、自身をモデルとした駄目漫画家に投射して描いた自虐ネタも、当時の赤塚のギャグ漫画の王様としての圧倒的なカリスマ性をもって成立し得る、高邁なる矜持に基づき描かれていることは明白であり、自らの素材力を完全燃焼させたという一点においても、是非とも目に留めておいて欲しいシリーズだ。