土手猫の手

《Plala Broach からお引っ越し》

ガール&ボーイミーツ…

2009-02-28 19:38:21 | ギャラリー

2/25(2/26)放送の「BSアニメ夜話『海のトリトン』」見ましたが。
(ご覧になった方はいらっしゃるのかな??)

え~と、ちょっと疲れました;
当初スルーしようと思ったのですが。取り敢えず一筆。
(大人気ないね;)


私が思うに「海のトリトン」の魅力は、
それまでのアニメには無かった生の感情、リアリティと(想像させる)ドラマ。

そして一つの物語(作品)として、
悪=悪、善=善、という単純な図式で計れない世情、
(これが『ヘプタポーダとの出会いによって予測された』もの)
「世界(歴史)」の条理・不条理を視聴者に提示した。という事。

哲学、
感受性に働きかけるものがあったからであって。
だからこそ、見た人の中に残る作品になった。のだと思う。


「アニメ夜話」これは懐かし系、思い出話的な番組なのかな?いつもこんな感じですか?
もっと討論的な番組かと思っていたので、ちょっと戸惑いました;

個人的には「アニペディア」のコーナーの話に共感します。



しかし(?、唐突ですが;)
トリトン歴がやたら長い;私の絵はもろ影響を受けてます。

オリジナルと言っても、私のベースは当然(?)「トリトン」なので、
「オリジナル」と豪語しても良いのやら?という気持ちは少なからず有りますが。

取り敢えず予告した(?)「オリジナル(絵)」をUPして…
この場を取り繕おう;





左が普段の絵。オリジナルを模索して?線を省略、絵を簡略化したら吉田秋美さんの絵の様になってしまった?(本末転倒;)のが右のラフ。
昨年の中頃描いた絵です。
私的にはヘアスタイルを変えたらトリトンになっちゃうな;(いかんな;)なんですけど;
(違う?;)


今回、トリトンを(また;)きっかけに絵をUPしてみましたが。
本当に(最近)描いてないので「ギャラリー」;はまた暫く?放ったらかしになると思います。
(何の為にカテゴリーに加えたのやら;)


穴埋めの様な扱われ方、ですね~我ながら;
「ゴメンネ;私の絵」


変わらないもの

2009-02-27 00:09:06 | 制作日誌
一体どこかに消えてしまったのだろうか、「春」と思ったあとの寒さは身に堪えます。
毎日毎日寒い日が続いてうんざりする東京ですが。これってここだけですか?


昨日は当初の?予定なら「海のトリトン」の話題&絵(オリジナル)をUP、だったのですが。
2/25出掛けしなに出会った人、出来事の事も書きたかった…
それがトリトンに勝った訳で優先順位、大切なものを選んだ訳ですね。


「望む世界」、いつもの様にノンフィクション。から頭(心)の中に入って行く構成。
「次の何か」で書いた同様に、考え・考察を「文で説明」する事は解り易くて容易い事なのだけど、私は「説明」を書きたい訳で無く、「言葉(表現・例えば小説)」を投げかけたかったので「掌編」に表した。だから本当は、これは蛇足。

でも。伝えるを優先する。「今の私」に出来ることはこれだけだから。



「勇気が無い」は「慣れてない」。話をする距離に会っていないから。会うのが怖いから。
文中の「慣れ」はよく使われる場面の「麻痺する・疎かになる」という意味ではなくて、

  強制的な?遭遇(出会い)に有る『意図』??

「慣れないもの」を。徐々に慣らしていければ……(は気持ち)
「慣れれば」慣れれば…?
変われる?「変わる」?

「世界を今を変える」方法は?



私信。
伝わらない?「解らない?」


私の「望み」は出会った頃から同じ変わっていない。

ただひとつのことです。



(23:59)
「ライナーノーツ」でありながら、それらしき事書いて無かった?ので追記です;
今回は10分程で一気に書き上げてそのままUPしました。
(量的には当たり前?)
まんま(事実)ではあるのですが、
冒頭の「別の人には違いない。」と「一瞬視線を逸らす。」が要です。
(たぶん;)
これが無いと;小説たり得ません。ただの日記になります。
(小説…よく解ってませんが)

自己批評(分析)で、すみません;;


No.49「望む世界」

2009-02-26 06:20:54 | 掌編(創作)
5:30 p.m. 別の人には違いない。
コンビニから出て来たその人の風貌に一瞬視線を逸らす。
ハンチングにカーキのジャンパー濃いブルーのデニム、リュックに赤いビニールのナップザック、さりげなく戻した目で確かめる。
顔は似ている。似ていなければ服装まで探ったりはしない筈なのだ。
「どうして似ているんだろう」そんな風に考える自体がおかしいのは解っているのだが、こうも度々そっくりの君、たぶん全て別の人に出会ってしまうとそんな疑問が…というより当り前のことの様に感じられていくから面白い。
「慣れ」。「慣れろ」「慣れる」「慣れれば」「慣れれば」そんな風に繰り返していく度に世界のあちこちに彼が溢れかえって増殖する世界が日常になり当り前になる。
なんてパラレルワールドを想像しながら?
後ろを通り過ごさせた君を横目で見る。「頬が彼よりふっくらしてるね」とふっと口元がゆるむ。
歩いて行くその背を当たり前のデジャヴの様に見送っていたら、今日の君は途中振り返った。「ファンタスティック」。
「慣れれば」「慣れれば」。一つ一つ一歩一歩変わってゆく当り前の様に。
そんな「普通」に世界は満ちてゆく。


2009.2.26 ?(猫目)


海の…?

2009-02-25 22:55:16 | 歌日記

雨あがり夕日あたりぬ 余寒かな 



雨が上がったので夕方ちょっと出掛けてみました。
(デジャヴ?)^^;
この間と違って今日は寒いけど。

ティラノサウルスを探しに街に出ましたが、残念;発見ならず。


けれど、代わりに新種のタコを発見しました。






わたくし、彼?をウッディ(woody)君と命名しました。^^

神田駿河台の太田姫稲荷神社の真横。
佐川急便の営業所の隣真向かいに生息してます。

近くにお出掛けの際は「ウッディ君」と呼びかけてあげて下さい。^^;



P.S. 今日はこれから(24:00~)「海のトリトン」(「BSアニメ夜話」)です。
ソッコー風呂に入ってソッコー(?)帰還する予定です;

チョコっと?行って来ます;



P.S.2 9本足かな~??イカっぽいかな~?;
やっぱ「新種」ってことで。^^;



次の何か

2009-02-23 23:34:24 | 日記
急ぎの作業が終わったので掃除を済ませ、やれやれと昨日読み飛ばした分と合わせて新聞を見ていた。主に見るのは文化面。
芥川賞・直木賞の選考から授賞式のあったここのところの紙面は、お三方のインタビューから書評までと作品の話題に事欠かない。

書評のいくつかも読んでいれば、小説のアウトラインは何となく解ってしまうので(あくまでもアウトラインです)いつか読もうなんて思ってるうちに、機会を失してしまったりするが常の私なのですが。


「ポトスライムの舟」の書評等を読んでいて気づいた事が有った。
そして他の記事や出来事からも、
日常を含む、今考えてる(抱えてる)事への「感覚」が。

それを。ここで文?で「説明」してしまうのは簡単なのだけど、
「そうじゃなくて」という気がして「それではないものに」という、
もったいない;様な感じ?がして、ちょっと見送ってもっと考えようか、なんて思ってみたり。


…いつか言葉に出来ればいいな、と思うのだけれど。