私の人生の中で一番多かったのは介護です。
まず、嫁いですぐに出てきたのは姑です。その時は介護はしませんでしたが、いつも彼女は病気だと云い、病院通いです・・・・
そして30代に入り二人の子供たちにⅠ型糖尿病が発症しました。それから15年間、手に負えない病いと闘いました。仕事は辞められず(辞めたいと言えなかった!)食事時にいられないのに食事療法です。この時分が一番苦しかった!!
上の子に合併症が出て、今の教会(特徴は癒し信仰)に導かれました。感謝!
そこで多くの癒しを体験しました。病いの子も親なる私の心の癒しも・・・
ようやく子供に対する心配からも解放されるようになりましたが・・・
今度は舅が5年間寝付きました。
これはあまり悩みませんでした。おじーちゃんは臥せっても生活習慣が変わりません。足腰が立たなくとも自分で下の世話をしました(させたのかな?)
おじーちゃんが逝ったあと、すぐに姑の足腰が立たなくなりました。骨粗鬆症です。寝ていても骨折するのです。それで寝たきり(家で・・)となり10年間世話をしました。
これは一年間苦しみましたね。彼女に対して云いたいことがたくさんあったからです。
まず生活態度がワルイ! 朝は起きないで夜中じゅう本を読んでいる・・・
故に体内時計が狂いぱなしなのです。これは嫁いだ時からズーッとでした。
夕方になると外に出て井戸端会議です・・・で、「風邪をひいた」と云い、寝る・・・
クーッ 私はいつもイライラしましたね~
でも、諦めて感情を殺して最少限度の世話をしました。
しかし、10年たつと私の限界が来ました。娘たちにグチを云いました。彼女たちは責めもせずに聞いてくれました。感謝!!
けれど、それでもどうにもできずに祈りました。「主よ、おばーちゃんはもう信じています。どうぞ迎えに来て下さい」と・・すると、しばらくしておばーちゃんは「○○ちゃん、長い間ありがとう」とあいさつをしたその夜に逝きました。フーッ
次は夫です。去年は半年の間動けなくなりました。
ここで書きましたが、私はあまり苦しみませんでした「ほう 今度は夫ですか・・」と
デモ、今思うのはおばーちゃんの経験で『相手を変えようと思ってもそれは変わらない・・自分でさえ変えることが出来ないのだから』と冷静に見ている私がいました。
先のことは考えません。夫の事どころか自分がどうなるか分からない歳になりましたから
デモ、今思うのは私の様な我の強い女がこうでもしなければ今の私にはなれなかったな~と・・
神様はよくして下さいました。すべて済んだことは感謝に思えるのです。
その経験は現在の人生に役立っているはずです。
あなたをずっと見つめておられる方があります。
私はいつも思っています。
人生の終わりの日に振り返ってみたらきっと皆
同じだけの賜物を頂いているのではないかと。
エライ。気が強くなければできません。
気の弱い人も困難に立ち向かっていくうちに
強くなるでしょう。
困難のさなかにある時は見えなかったものも
あとからは自分にとって良い試練だったと思える時が
あるのでしょうね。
今を楽しんでね。
気の強いのは優しさがないわけではないことを
私は自分のためにも言いたいです。
いい事ばかりじゃない。
うちも介護生活に入りましたが、今はデイサービスの制度があり、有難いです。
ドルカスさんも苦労したでしょうが、その姿を子どもさんたちが見ているでしょう。
介護する姿から色々と学んだんじゃないでしょうか?
>ずっと見つめておられる方があります。
ハイそうですね。共にいて下さるからこそ生きて来られました。感謝します。
そうそう木の強い者同志、それを言いたいです。
貴女も何があろうとも勝利!ですね。
ハイ、きっと無意識のうちにね・・・
ア それで優しいのかな???
dorucasuさんだからできた介護だと思います。
ご苦労様です。
私も在宅介護の仕事をしていると
気持はわかります。
いいえ、できるようにされたというのが本当です。いつも腹を立てたり・・・泣いたりしていましたヨ!
貴女は仕事でそれをしておられるのです。
私はお金をもらえてもするのはイヤですね・・・
でも、運命というには少し過酷
・・・ワタシも舅、姑、夫、姉と介護してきましたが
もう忘れてしまいました。
doruさんとは比べられないぐらい楽でしたから
生きている証拠なんて、軽々しく言えないですね。
人生はプラマイゼロと信じているワタシ
これからのdoruさんの人生、シアワセな人生でありますように!
でも、こんな人はたくさんいますね。
済んでしまえば「苦労の市野も入らない・・」と思えるのはなんと幸せなことでしょう!
切羽詰まった人生を歩んでいる人がなんと多いことでしょう!!