気分しだいで食べりゃんせ♪

あの日から

我が家は10年前、水害に遭いました。

1階は床上浸水(写真左)、地下室は右の写真のように、完全に水没して、地下に下りる階段の上まで汚水がたまり、パソコン、テレビ、オーディオ機器、

楽器、思い出のアルバムや撮りためたビデオテープ、本・・・すべての物がヘドロまみれになり、車も水没して廃車になり、ほとんどの物を処分しました。

 けが人もなく、家も修復してそのまま住み続けることができたので、大した被害ではなかったと言えるかもしれませんが、取り戻すことのできない大切なものをたくさん失い、

保険に加入していなかったので経済的なダメージも大きく、「あの日」から生活スタイルがガラリと変わってしまいました。

汚水を含んだ大きな家財道具をバラバラにしてゴミに出したり、使えそうなものは洗ったり乾かしたり拭いたり消毒したり、呆然としたまま、ただただひたすら、目の前の作業に追われる日々が延々と続きました。

10年たった今でも、大雨が降るたびに「あの日」が思い出されて、不安な気持ちがこみあげてきます。

先日の西荻窪南口の火事も、その後現場を見物に行ったりしている人もいるようですが、大好きな海猫家さんが被害にあってしまい、私は今でも辛すぎて、「あの日」から、あの道を通ることができません。

被害に遭われた方が今、どうされているのかと、考えない日はありません。

水害も火事も、その日だけでなく、その後も、ずっとずっと大変です。

 

今日は東日本大震災から5年ということで、数日前から、テレビをつければ、各局で特集番組をやっています。

ある番組で、レポーターが、被災された方にマイクを向けて、「3月11日でちょうど5年ということになりますが、どんな思いですか」とたずねた時の、

「ちょうど5年と言われても、私たちはあれから毎日毎日、生きていくのがやっとだったので、それだけです」という言葉が心に刺さりました。

残された、犠牲者のご家族の気持ちや、今でも仮設住宅で暮らす方々の気持ちなんて、当の本人にしかわかる筈もありません。

いくらテレビが風化しないようにと放送して、全国の視聴者が涙を流したとしても、それだけでは何も変わりません。

支援だ応援だといっても、当事者からしたら、的外れだったりすることも多いかもしれません。

かける言葉が、すべてうわっつらだけに感じるかもしれません。

でも、私が水害に遭った直後、食事をとるのも忘れて、来る日も来る日も後始末に追われている時に、

お弁当の差し入れを持ってすぐにかけつけてくれたご近所さん、

手伝うことがあれば何でも言ってと声をかけてくれた友達、

募金を集めて書留で送ってくれた学生時代の仲間、

手作りのおつまみとお赤飯とビールを持ってきてくれた犬の散歩友達、

一度大丈夫と返事してあったのに、数日後に、その後本当に何か手伝えることはないのかと再度声をかけてくれた友達、

息抜きしながらお互いに頑張りましょうねと缶ビールを持って来てくれた、同じように被害に遭われたお隣さん、

平気そうに笑ってるけど本当はつらくて大変なんじゃない?と中華料理をごちそうしてくれた友達、

ほんの気持ちだけどと、お金を包んで届けに来てくれたママ友、

被災した翌日に出勤したら、何も言わずにただ、黙ってじっとハグしてくれた職場のスタッフ、

自分も水害にあったことがあるからわかるけど、汚水だから汚いし臭いし本当に大変でしょう、と心底同情してお見舞いを持ってかけつけてくれた親戚のおじさん、

片づけをしているところを通りかかって、「大変だったわねー」と立ち尽くして、涙ぐんでくれた通りすがりのご婦人。。。 

 

ほんのちょっとのことなんですが、そういうことがあるたびに、気持ちがとてもうれしくて、滅入っていた気持ちが少しずつおだやかになっていった気がします。

あの時の恩は、一生忘れられません。

20代で大きな病気をしたときには、みんなに「大変だったね」と言われて、「どうせ他人事と思っているくせに」「この苦しみは自分にしかわからない」と考えたこともありました。

辛いことがあっても、人は結局は自分一人で乗り越える以外にないのではないか、と思い込んでいた時代です。

その後、いろんな場面で、人と人とが支え合っていくことの大切さを実感するようになりました。

闘病したあの日から、水害に遭ったあの日から、少しずつ変わってきました。

「気持ちだけでもありがたい」の本当の意味がわかるようにもなりました。

「大変だったね」と言われると、心の底から「ありがとう」と思えるようになりました。

あれから5年、被災地の方が、目の前の現実と向き合って、奮闘して来られた間、私は一体何をしていたんだろう。

「絆」という言葉のもとに、被災地に移り住んで、復興のお手伝いを・・・などと大それたことを考えれば、初めの一歩がなかなか踏み出せません。

例えばほんの少しの義援金でもいいから、その時に思いついた、「ほんの気持ち」が、たくさん合わさって大きな力になればいいなと思います。

自分が救われた時のことを思い返して、震災に限らず、助け合いは、周りのできることから少しずつ、ほんの気持ちから・・・とあらためて考えさせられた「3月11日」です。

  

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