我がファミリーヒストリーの調査取材に行くために、過去6年間調べ、まとめてきた内容を今一度、おさらいして、頭に入れ、より確かな情報を入手していきたい。十数年前からなんとなく気になっていた先祖について、帯広の女子大生からの突然のメールがきっかけで、調査に拍車がかかったことを思い出した。家紋、出身地、墓、お寺さん、そして、言い伝えられてきたことを、相手に迷惑・失礼がないことをもとにして、色々情報交換させていただき、現地に足を運び調べ、かなりわかってきたが、得た情報には、納得がいかないこともあり、今一度、裏付けたく思っている。
市議会、二日目。観光振興については、ビジョン・計画に基づいて、観光協会が主体となって、関連部門と連携をとって、進めているとのことだが、2年半経過して、どう評価し、今後の具体的な対策を議論してほしいのだが、質疑答弁ともに、現実をきっちりと把握してないので、視野の狭いかみ合わない、とんちんかんな論議で終了。自ら時間をかけて、議員も行政もより正確で自らが納得する活動を行うべきである。決まりでこうなっているので、財源がないから実施しませんというだけの行政答弁は、もう聞きたくない。もっと、ストーリーある内容で、市民のために市民の暮らしをよりよくするためにどうしていくのか、より良い施策と分かる明快な回答を期待したい。
市議会の一般質問は相変わらず、討議展開・追及不十分や事前調査不足がめだつ内容で、またかよと思いながら、途中で、インターネット中継の視聴をやめた。とにかく、再質問の仕方、答弁には納得できないものが多い。討議内容の本質から外れても、お互いに準備された内容を繰り返し読むだけである。副市長不在を問う質問などは、一般論ではなく、具体的な市民や組織団体への影響状況をトリガーに、討議しその対策を追求すれば、納得できる質疑になったと思う。答弁の在り方も一種独特の交わす戦法で、明確な回答にはなっていない。以前から言われている、議会運営の在り方、討議進行にもメスを入れなければならない。
年賀状を完全に出すのをやめて、3年になる。しかし、この時期になると、年賀状のデザインを頼まれ、頭を悩ます。とにかく、リクエストがなく、一応出来上がりの数点を提示して、その中から選択し、修整変更の要求がある。こんな野暮な要求にこたえる忍耐強さは、この年賀状制作だけである。勿論、そういう要求者は、いつもお世話になっているあの方である。それにしても、参考にする素材の多さには、閉口してしまう。今週中には、完成する予定である。
今、全日本空手道選手権のライブTV中継を見ている。組手、形ともに、初めて見る。はっきり言って、よくわからないが、何とか事前勉強しようと思っている。というのは、今週末に、空手の有望選手のお宅を伺うことになるということで、スポーツ好きな当方としては、まさに、にわか勉強である。その理由は、今週末にわかることなので、楽しみにしていただきたい。とにかく、ハラハラドキドキである。
庭に張るクモの糸が顔にくっつき、なかなか取れずに、気持ちが悪く感じた季節も過ぎ去り、今頃になって、クモの巣の糸について、ある雑誌を読んで面白いなあと感じている。巣の張り方に芸術性を感じ、なんと糸の種類は7つもあるとのこと。「横糸」は、エサとなる虫を捕らえるために粘着球が付き、獲物を巻き付ける時には「捕獲帯」という糸を使い、また、横糸を張るために「足場糸」をあらかじめ張っておくとのこと、特に興味を抱くのは、獲物を迅速に捕まえる際や、危機に遭遇して逃げる場合などの『命綱』として使う「牽引糸」である。この糸をたくさん集めて、ハンモックの一部に使って、ぶら下がりの実験に成功したこともあるという。この牽引糸は、2本からできていて、一本が切れても、もう一本を使用することができる。壊れた巣の糸は再利用して、新たな巣をつくるという。糸は、紫外線に強く、劣化しにくい。まさに、リスクマネジメント、リユース、耐久性、合理的、効率的なクモの生態は、人類として学ぶものが多くある。
尊敬する緒方貞子さんに続き、アフガンで活動する医師中村哲さんが銃撃され亡くなられた。危険にさらされながら、自らの命を、アフガンに捧げ続けた姿は、小さな巨星であったと思う。水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できるとして、井戸を掘り、ガンベリ砂漠まで25kmを超える用水路が完成し、荒れ地を開拓、農作物を栽培し、65万人を救ったといわれている。荒れ地と現在の姿をビフォアー、アフターでTVは映し出し、緑のじゅうたんが人間の住む希望や平和を表していた。 日本はもちろん、世界の政治家は彼らの偉大なる働きをどのように思っているだろうか。そして、自分も含めて、どういう思いで活動したらよいのですかと問いたくなる。
12月になると、親戚などへのお歳暮のことで、家人は頭を悩ます。当方は、いたってクールで、日ごろの接触や連絡などを重要視し、お歳暮お中元は廃止論であるが、なかなか実行されていない。年賀状も、数年かかって廃止した。しかしながら、今でも、年賀状をいただく方がいて、申し訳なく思う気持ちが高まるが、ぐっと我慢し、メール等で連絡を取っている。特に、年賀状においては、いろいろな事情があるけれども、毎年同じ内容の新年挨拶文には、少々残念な気持ちとなる。一言、言葉を添えるだけで、随分と相手に与える印象が異なるのにと思ったことがよくあった。それにしても、世の中色々、人も色々、人生いろいろあるなあと思う師走の一日であった。
昨日、突然の贈り物が届いた。東京木目込み人形、来年の干支 子 である。知り合いのその道の師範の方からであり、早速、お礼の電話をさしあげたら、大変恐縮され、ここ数年の交流がますます高まり、お互いにそれぞれの活動・生き方に励まされている実感をさらに共有した次第である。今年は、現代の日本人に最も欠けたる、『善のこころ』の大切さを中西進先生の「令和」によって、呼び起こしてもらい、ここ数日、関連の出版物を読んでいる。人間だからこそ、正直に、素直な心で行動する、本来の日本人が保有するこころを今一度、学んでいきたいものである。
子どもの主張大会を聴きに行った。会場は満員で小・中学生12名の発表があった。男子生徒は、3名と少ない。テーマは、バラエティに富んでよかったが、今一つ、大きくこころに響くものがなかったといえば、厳しいかな。美術の重要性についての主張は、絵画や芸術、美術の持つ価値をもっと、認識しようという主張。ユニーク性になるほどと思った。それにしても、いつも思うのは、出席された議員は、その主張を聞かずに、さっさと退散する姿に、うんざりし、思わず、声をかけようと思った次第である。儀礼的や形ばかりの行動は市民としてはなにをかいわんや。