雨降る中、氏神様である新宮社のお参りに行ってきました。天王の朱智神社の境外末社にあたるので、参道の階段を上っていく時は、いつも朱智神社を思い起こします。六世紀の時代に百済ニリクム族がこの地にやってきて、鉄の製造技術をもたらしたという。それを讃えて、欽明天皇より、『多々良公』の称号をもらい、一族が住みつき、先祖の余璋王の祠を作り、祀ったといわれている。のちのちに、この土地の氏神様の新宮社になったのである。場所の移転、中世の城館跡、織田軍勢が攻め土豪を殺害したときは、義昭、秀吉、光秀の名前も伝えられている、などなど、庶民につながる数々のエピソード豊富な歴史深い場所である。しかしながら、史跡探訪、観光ツアー、ウォーキングでも、この地を案内することはなく忘れられている。『つつきはっけん」では、数回ご案内している。同志社大学の先生にも、何度か接触し、調査研究の提案をしたこともある。観光振興につながる魅力価値は、歴史や考古学的なものを十分調査研究し、土地に伝わる古文書・古記録をもとに熱意ある継続した取り組み姿勢が重要なカギである。文化振興関係者の意識改革を望むものである。