■木津川流域に残っている城は、応仁の乱~戦国時代にかけての中世のものである。
山城国一揆をはじめ各地で戦い、多くの砦や逃げ城や領主の居館が築かれたようである。
今では、平地では、遺構がないが、山頂、丘陵などには城の濠跡や土塁が残されていると思われ、城跡研究家のわが友のM氏の指導案内のもと、天王畑城に行ってきました。
■9時自宅出発~天王バス停留場~朱智神社の北東部~天王畑に到着~朱智神社(中川宮司)~極楽寺~一石多尊仏~普賢寺ふれあいの駅~13時前帰宅(14750歩)
■頂上に登る為の入り口、険しい林、急激な崖がある狭い道、ちょっと油断すると危険な山道の連続でした。頂上には、長い尾根に狭い平地、堀切、三角点がありました。(306m)
もう少し、下ったところには、大きな廓のような平地がありました。
●天王畑城(天王、朱智神社北側)
建武三年(1336)、普賢寺土佐守楢盛が南朝のため築城。
文明年間(1469~87)の山城国一揆、1483年斉藤彦次郎が、河内の合戦に備えて、この城に出陣。1485年、ここから宇治田原を攻めている。
1571年、細川藤孝、三淵藤英に攻められる。
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