~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

見えず 聞こえずとも〜夫婦ふたりの里山暮らし〜 人間力に感動、敬服

2015-05-04 02:40:19 | 今思うこと

久しぶりに、昨夜、胸が震え、自分を勇気づける番組NHKスペシャル『見えず 聞こえずとも〜夫婦ふたりの里山暮らし〜』を観た。

自給自足の暮らしを目指す夫と見えず聞こえずの妻が人間として、最高の幸せをつかんだ暮らしぶりを伝えたドキュメンタリーであった。

農業収入もわずか、田畑は自宅から離れ散在する山奥にあり、視力聴力のない妻はすべての家事と得意の裁縫を何の不自由もなくこなし、朝の連続ドラマは、触手話で夫が妻に伝える。

現代人が求めるものやことがなくても、できなくてもほとんどの不自由さを感ぜず、いつも笑顔で暮らすことができる、心の持ち主、ご夫婦に大拍手を、幸せを求める人間としての最高の生き方の実践ということでノーベル賞を送りたい。



以下は、番組内容の紹介。
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京都府京丹後市弥栄町中津に暮らしている梅木さん夫婦を密着取材。

好彦さんは丹後半島に移り住んで30年以上になり、14年前に結婚した妻の久代さんは目も見えず耳も聞こえないという。久代さんは畑仕事に出かける夫のために弁当を作り、手で触れて様々なことを感じながら料理をするという。夫婦が結婚以来続けていることが朝の連続テレビ小説を見ることで、好彦さんは触手話と言われる方法で久代さんにドラマの内容を伝えている。

農作業へと向かう好彦さんは、集落から車で20分ほどの離れた味土野という地区を訪れ、過去に暮らしていたという作業小屋で準備をし、あちこちに散らばった土地で農作業を行った。

好彦さんが農作業をしている頃、久代さんは家の掃除をしていた。浴槽をピカピカに洗い上げ、手で触った感覚を頼りに暮らしているためにわずかな汚れやぬめりも気になってしまうという。掃除が一段落するとパソコンに向かい、昼休みに作業小屋に帰ってくる好彦さんにメールを送っていた。


二人の生い立ち

夫婦ふたりで里山暮らしをしている梅木さん夫婦の生い立ちを紹介。好彦さんは親の反対を押し切って、集団生活をしながら自給自足の暮らしを目指した。自分一人で一から農業を始めてみたいと全国を放浪し、30歳を過ぎてようやく見つけたのが山深い丹後半島の村だった。人から見れば不便で孤独な毎日も好彦さんには理想の暮らしだったが、40歳を過ぎた頃に気持ちに変化が現れて目の見えない人を支える活動に参加するようになり、そこで知り合ったのが久代さんだった。

裁縫が趣味の久代さんは、若い頃に手に職をつけようと和裁士の資格を取得したという。久代さんは大阪・岸和田で表具屋を営む家庭の次女に生まれ、2歳で耳が聞こえなくなった娘に父親は毎日日記を書かせて懸命に言葉を教えたという。高校の先生の助言で和裁の学校に進学し、資格を習得。22歳で最初の結婚をしたが、結婚生活は長続きせずに離婚し、追い打ちをかけるように視力まで衰え始めたという。周りの世界から1人取り残される恐怖から自殺も2度試みたという。そんな苦しみの中で、久代さんは40歳の頃に眼科の先生から『目の病気というよりも心の中に目があるから心の持ち方が非常に大事』と言われ、最初はわからなかったがそのかけられた言葉がその後の人生の道標になったという。

触手話の存在

久代さんが40代の頃に知ったのが“触手話”の存在で、目と耳の両方に障害があっても他の誰かと会話ができると、久代さんは次第に本来の明るさを取り戻していった。触手話ができる介助者をお願いしては積極的に外に出かける毎日で、そんな時にボランティアを始めたばかりの好彦さんと出会ったという。その時は手話を覚えている最中で、しゃべるのが精一杯だったが何度か外出するうちに交際するようになった。

2人は2年の交際を経て、2001年4月に結婚。好彦さん54歳、久代さん51歳。山深い丹後の村で、久代さんも一緒に土と生きる暮らしが始まった。

去年秋、稲刈りを終えると農作業は一段落となり、2人が散歩する時間も増えるという。好彦さんは季節の変化を見つけては久代さんに触手話で伝えていた。久代さんはこの時期になると、初めて体験した稲刈りを思い出し、好彦さんが農業一筋だということに気が付いたのだという。


久代さんは自分でも植物を育て始めている。知人からもらったという苔玉に水を与え、毎日指先で小さな変化を確かめている。

丹後半島の冬

丹後半島の長く厳しい冬。好彦さんは自作のかんじきを履いて山奥にある作業小屋の様子を見に来ていた。作業小屋は過去に梅木さん夫婦が一緒に生活を始めた場所だったが、そこでの生活は久代さんに大きな負担を強いることになってしまったという。

里の集落に生活の拠点を移すようになって以来、好彦さんの暮らしは大きく変わった。それまで食べ物のほとんどを自分で作ってきた好彦さんだが、久代さんの好みに合わせて買い物に付き合うようになったという。

久代さんに嬉しい出来事があり、大事にしていた苔玉から新しい芽が出てきたということで好彦さんに嬉しそうに報告していた。

2015年 春

2015年春、2人は結婚15年目を迎えた。この日も久代さんは台所に立って朝食の準備をし、2人で朝ごはんを食べ、日課となっている朝の連続テレビ小説を2人で仲良く見ていた。

出かける準備をしていた久代さんは、好彦さんと久しぶりに山の家に向かった。2年ぶりに訪れるかつての我が家で、雪の重みでボロボロになった屋根の修理に取り掛かった。久代さんはかつての我が家の中を掃除し、休憩時間には一緒に久代さんが作った料理で昼ごはんにしていた。

家の前に春を告げる福寿草が根を出し、鮮やかな黄色の花を咲かせていた。好彦さんは久代さんの手をとって福寿草のある場所まで案内し、久代さんが摘んだ福寿草を自宅に持ち帰った。







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2 コメント

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はじめまして (biko)
2015-05-31 08:11:36
私は、聴覚障害者であり、視力もそれほどいいわけではありません。

ですから、この記事にされた番組を共感をもって観まして、自分のブログにも紹介いたしました。

つきましては、お願いでございますが、この記事を私のブログにリンクさせていただくことをお許しいただけないでしょうか?

よろしくお願いいたします。
返信する
こんにちは (伊藤文雄)
2015-05-31 10:54:16
どうぞ、リンクしてください。当方、地域活性化や世の中を少しでも良くしたく動いています。『つつきはっけん』で検索していただくと、お話ししている歴史講座や魅力はっけんウォークのイベントを掲載しています。ご覧ください。
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