NHK大河ドラマ「どうする家康」を毎週見ながら、事実はどうであったのだろうかと探ろうとしている。史実を追求するには、古文書や古議録がベースとなるのは言うまでもない。多数の原文を読むことはできないが、専門家や学者の出版物を目にすることも少なくないが、結局、事実は不明で、著者の主張である真実を述べるだけである。そして、最後の言葉は、今後の研究に期待したいと結ぶことが多い。だから、大河のような脚本家が自己の興味本位につじつま合わせを考えながら、大胆に物語を展開していくのである。このことは致し方がないが、ここ数年、学者が表舞台に出て、視聴者の好むようなポピュリズム主義で言動しているのはいただけない。
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