仙台ドクタークラブ(2004~2008)

仙台市医師会野球部ホームページ
(広報部編集)
2004~2008年の活動の記録

対米沢市医師会戦  2008.7.6

2008-07-07 | 2008年 対米沢市医師会戦 
ドクタークラブ便り  対米沢市医師会戦  

 とき  平成20年7月6日(日) 
 ところ  米沢市八幡原球場 
 天候 快晴  気温 36℃  

明治11年に米沢を訪れたイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは、著書「日本奥地紀行」の中で彼の地を「東洋のアルカディア(桃源郷)」と評した。人の心は穏やかで、作物が豊かに実る美しい土地という意味である。とはいえ今日の暑さはすさまじい。夏の米沢盆地は風がなく、頭の上に蓋をされたようである。果物はこの暑さで甘く育つが、人間は甘くならなくてもよいのである。

ド・クのバスが球場に着くと同時に救急車がやってきた。搬送を待っていたのは何と米沢市医師会副会長にして助監督の中條明夫であった。中條は投球練習後、急に意識がなくなったのだという。地元の人間が倒れるほどの暑さと聞いて、ド・クナインは震え上がった。仙台も米沢も、ここ1週間は梅雨が明けたかのような炎天が続いている。今日の米沢は33℃と発表されたが、芝の剥げたグランドは36℃もあった。今日の敵は米沢チームではなく暑さである。まず生きて仙台に帰らなければならない。

米沢はエース篠村が仕事で欠場、準エース大道寺が肩痛と首痛のために登板できず、準々エースの中條に先発が回ってきたのであった。千載一遇の好機と張りきった中條は誰よりも早く球場入りし、入念にランニングした後、30球ほど投げ込んだ。「いい感じだなあ」と呟いた直後、吐き気と眩暈を訴え、意識を失った。周囲は「医者はいないか?」と大騒ぎになった。ド・クのバスが到着したのはAEDが装着されようとした正にその時だった。幸い装着寸前に意識が回復し、中條は電撃を受けることなく救急車内の人となった。その騒ぎのおかげで試合は予定の11時を10分遅れて始まった。

先攻はド・ク。米沢の先発は準々々エース山本。ド・ク戦初登板である。制球はまあまあだが、球は遅い。それより問題は米沢の守備であった。ド・クの先頭打者・菊地(徹)が三振したボールを横山捕手が取り損ね、しかも1塁に悪投したのを切っ掛けに、四球、安打、内野エラーと続き、たちまちド・クが3点を先取した。

2回表、ゴロを転がせばことごとくセーフになる。米沢は目を覆うプレーの連続で、内野ゴロがアウトになったのは、実に17人目の打者のことであった。佐藤(韶)がメタボリック打法でとどめのランニングホームランを放ち、11―0と早くも大勢が決した。この回米沢の横山は心労から不整脈を起こして退場。また救急車要請か?と場内騒然となったが、幸い緑陰での安静により回復し、4回から試合に戻った。再度の救急車要請となれば、消防署から野球中止命令が出されること必至であった。

一方ド・クの先発は浅沼(達)。三市医師会大会での好投が評価され、先発に指名された。その超々スローボールは手を離れた後、地上3mの高さを通過するため、一瞬打者の視界から消える。その尋常ならざる軌道は初めて見る米沢の打者を幻惑した。しかし打順が2回り目に入るとスピード(の無さ)に目が慣れたか3安打を集中され、さらに4四球を与えて自滅気味に5点を失った。監督阿部精太郎は11点リードなので5点までは許そうと考えていた。浅沼は知ってか知らずか、ぴったり5点でこの回を終え、ぎりぎりで阿部の期待に応えた。

3回裏からはエース安藤が登板。3、4回をエラーがらみの1点に抑えた。4回表、ド・クは2番から8番まで7連打を浴びせて8点を追加。米沢の反撃意欲を絶った。4回終了時点で米沢からギブアップ宣言がなされ、コールドゲームとなった。

     1  2  3  4    計
ド・ク  3  8  0  8   19
米沢   0  5  1  0   6

懇親会は一昨年と同じく、奥州三高湯のひとつ、白布温泉、中屋別館不動閣で行われた。開湯七百年の歴史と格式を誇る渓流沿いの宿である。短パンで脛毛を出して歩いたり、脱衣所で長時間フル○ンのままスコアブックを広げることは顰蹙を買う。前回は紅葉の季節であったが、今日は大浴場に滴るような緑が迫る。眼下の大樽川は、最近の好天のせいか水量が少ない。檜の大浴槽は、すべての入浴客が外の景色を楽しめるように幅1メートル、長さ25メートルに設計されている。平成12年の大火で「藁葺きの三軒宿」のうち中屋、東屋が消失した。藁葺きは火の回りが速く、道路が狭いので消火活動も遅れた。西屋のみが藁葺きの宿として現存、東屋は再建したが、中屋は別館のみでの営業となっている。消防法上、藁葺きの旅館を再建することは出来ないという。

温泉から上がると冷えたビールと大皿の米沢牛が待っていた。4時間前、救急車で運ばれた中條も待っていた。ちゃんと足もあって、ビールも飲んでいる。運ばれた病院でMRI、ECG等の検査を受けて異常なく、担当医と患者の診断が「熱中症」で一致したという。患者はマウンドに登ることを主張したが、さすがにドクターストップがかかった。

米沢市の新医師会長・高橋秀昭の開会の辞で宴会に入った。菊地(哲)総監督代行は、もっと涼しい時期を選んではどうかと提案した。勝利監督賞を手にした阿部は、監督就任以来21勝(6敗)となった。「中條投手が先発していれば、仙台は大敗していたでしょう」と米沢を持ち上げることも忘れなかった。もはやスピーチも虚実自在である。

最優秀選手賞は、2イニングを1点に抑え、4打数4安打と活躍した安藤に贈られるはずだったが、「懇親会に出ないと資格を失う」の不文律に則り、ランニングホームランの佐藤(韶)が繰り上げ受賞となった。

ビールを鯨飲、牛肉を馬食した結果、6時間ぶりにようやく排尿をみた選手が多かった。試合中は1人当たり2リットルのスポーツ飲料を飲んだ計算である。その水分は汗となって、八幡原球場の大気を湿らせ、ひび割れたグランドを潤したのである。

昭和52年に始まった仙台と米沢の対戦は今回で32回目となる。対戦成績は仙台の18勝9敗1分4中止となった。(18+9+1+4=32。合ってますね!)昭和61年の第10回戦以降第29回戦までは、仙台での試合は仙台の9勝0敗、米沢での試合は米沢の6勝1敗と、圧倒的にホーム有利となっていたが、30回戦以降はアウエーのチームが3連勝している。27回戦で0対0のスコアレス・ドローの緊迫した試合をしてから、1年置きに大差、僅差の試合になっている。すると来年は仙台で米沢が僅差で勝つという予想が立つが、そうならないような気もする。

米沢は去る6月22日に山形市医師会と対戦し、4-20の大差でやはり4回コールド負けを喫した。石橋、中條、前田の3投手が次々と打ち込まれ、初回に14点、2回に6点を取られたという。点数からいえばド・クと山形医師会は互角といえる。来週の対戦が楽しみである。

宴たけなわなるも出発時刻が迫り、中條助監督の音頭による一本締めで閉会となった。中條が立ち上がった際、参加者は一斉にその足に視線をやり、それがあることを確認して安堵したのである。野球をしなかった者が話題の中心になるのも珍しい。

米沢チームの温かい見送りの中、バスは3時半に白布温泉を出発した。道路沿いには平成21年のNHK大河ドラマ「天地人」の旗が立つ。上杉景勝を生涯支え、米沢藩の基礎を築いた執政・直江兼続が主人公の物語である。「天地人」は、「北越軍談付録 謙信公語類」に出てくる、「輝虎(謙信)公の曰く。天の時、地の利に叶い、人の和ともに整いたる大将というは、和漢両朝上古にだも聞こえず。いわんや、末代なお有るべしとも覚えず。もっとも、この三事整うにおいては、弓矢も起こるべからず、敵対する者もなし」から採られている。「天の時、地の利、人の和」の3要素は野球にも通ずる。高橋医師会長の名刺には、直江兼続の兜の前立てにあしらわれた「愛」の一文字が刷り込んであった。「愛」は「愛染明王」又は「愛宕権現」からの由来といわれている。平成21年、米沢は「東洋のアルカディア」として全国の注目を集めることだろう。

米沢チームから、来年は秋保か作並で(仙台牛のコース付きの)懇親会を、との要望が出された。帰路、庶務の浅沼(孝)と会計の佐藤(韶)はひどく顔色が悪かった。

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    あやし小児科医院  宮地辰雄